レン真美「…っ」
下半身がギュッと針金で締め付けられるような鋭く独特的な痛みに、思わずつま先がキュッと丸まる。下半身にはドロリとした気持ち悪い感覚。
間違えない。これは女子特有の『アレ』が来てしまったのだ。
しかもこの感じ、いつも以上に量が多い気がして、嫌な予感が背筋を走る。恐る恐るそっと自身の履いている練習着に手を当ててみれば、生暖かい感触がじんわりと指に広がる。これは…
「(っ…漏れてる…っ)」
嫌な予感が的中してしまった。全てを理解した瞬間、顔が真っ青へとジェットコースターの如く急降下する。今はダンスレッスンの休憩中。皆は和気あいあいと話しているが、間もなくレッスンは再開するだろう。急いでトイレへ行ってもいいが、最悪なことに今日の練習着のズボンの色は白。
立ってしまっては、最悪の事態になりかねない。周りは皆優しいから、きっと自分を気遣うと思うが、心配をさせたくないし、何よりこんな状況メンバーに知られるなんて羞恥心で心が押しつぶされてしまいそうだ。
どうしよう、どうしようと目と頭をグルグルとフル回転させるが、お腹の痛みが邪魔して上手いこと考えられない。こんなことなら、普段から練習着を黒にすれば良かった、薬は持ってきていたっけ、など、余計にマイナスなことばかり思い浮かんでしまう。じんわりと目に膜が張る。唇を噛み締め、体育座りでキュッとダンゴムシのように縮こまる。
そしてピピピとトキヤの携帯からアラーム音が鳴る。レッスン再開の合図だ。
「さて、そろそろ再開としますよ。」
「っし!次こそターン綺麗に合わせよーぜ!」
「ハイ!さっきはオトヤが見事に転びましたからね!」
「わー!ちょっと!もうそれ言っちゃダメー!」
「はは、勢い余っちゃったんだよね、イッキは」
「…あれ、真美ちゃん?どうかしましたか?」
「え、あ」
皆が立ち上がった頃、真美だけが頑なにその場から立ち上がろうとしなかった。きゅっとジャージの裾を握りしめ、しどろもどろと視線を外す。
どうしよう、どうすればいいんだろう
なにも言わずに口篭る真美に、徐々にメンバーも不安が顔に滲みで始める。一番最初に口を開いたのはトキヤだった。
「聖川さん、もしかして体調が優れないのですか?」
「えっと、いや、そういう訳ではないのだ…」
「本当に大丈夫?顔色悪いけど、疲れちゃった?さっきトキヤうるさかったもんね。」
「音也゙!!」
「お前らやめろって。なぁ聖川、本当に大丈夫か?」
「僕、軽い常備薬なら持ってますよ。いりますか?」
「ああ、そしたら貰ってもいいだろうか…」
「……」
ああ、そういうこと
皆が真美を心配している中、一言も声をかけなかった男が1人。レンは唇に当てていた手をゆっくり離すと、全て理解した。真美が頑なに立ち上がらない理由。
顔色の悪い、大丈夫じゃないのに大丈夫と無理している顔。誰にも心配かけたくないのだろう。もし、レンの憶測が合っているのだとすれば、この状況は彼女にとって非常にまずい。ふぅっと1つ大きなため息をつけば、「ねぇ」とレンが怒りを含むように一言呟けば、全員の視線がレンに向けられる。
「そのバカ、立たないようなら帰らせようよ。こんなんじゃ練習進まないよ。」
一瞬時が止まったように全員フリーズする。
ビクッと肩を震わす真美。ちらりとレンを見れば、いつもの優しい視線ではなく、まるで「迷惑だ」とでも言いたそうな冷たい視線。あまりにも棘のある酷い言い方に、流石のトキヤも声を荒らげる。
「ちょ、レン!貴方そんな言い方はないでしょう!?」
「そうだよ!ちょっと言い過ぎだよ!」
トキヤと同時に、音也も声を荒らげる。だが、そんな言葉無視して、レンは壁に寄せていた自分の荷物からパーカーを1枚片手に取れば、縮こまっていた真美の目の前に座り込む。そして、いつもなら「なんだと!?」とでも強気に返してくるはずの真美が言葉を返してこないということは、相当辛いのだろう。目の前の彼女は、顔を青くし、唇を噛み締めている。
そして、ふわりと自分のパーカーを肩に羽織らせる。
「あ、いやっ、神宮寺っ、やめっ…」
「大丈夫だから。ちゃんとパーカー着て」
真美が震える声でレンに静止を求めるが、レンが真美の耳に顔を近づけ耳打ちする。その言葉に、なんだか安心感があり、レンの言葉通りにすれば、なんでも上手くいくような気がしてしまい、真美は言われた通り軽く腰を浮かせてズボンの下にパーカーを引くようにして、じーっとチャックを閉める。サイズの合わないパーカーは、すっぽりと真美のズボンを隠す。そしてそのまま真美の有無を聞くことなく、レンは折られている膝の下に腕を入れ、背中を支えながら持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。
結いていたポニーテールがゆらりと揺れる。
あのレンが…!というように周りからは悲鳴と驚きの声が沸き上がる。
「それじゃ、こいつちょっと送ってくるから。荷物は後で取りに行くよ」
セシルが事前に扉を開けてくれていたことから、ありがとうと一言お礼を言うと、そのまま廊下に出る。バタンと扉が完全に閉まるのを横目に確認すれば、レンは真美に視線を戻す。
「どうすればいい?」
「えっ、あ、神宮寺、そのっ」
「先に化粧室には行くとして、その後は?帰る?それとも俺の車で休む?椅子倒せば少しは横になれるよ。」
「………車がいい…」
「………おーけー…」
そう一言言うと、真美は顔を俯かせ、レンの肩に顔を隠すようにグリグリと顔を擦り付けて来る。その様子があまりにも可愛くて、思わず弱々しいかっこ悪い返事になってしまった。
御手洗に寄っている最中、レンは自動販売機で水を1本購入すれば、パキッと音を立てて開ければ、すぐにもう一度軽く閉める。戻ってきた真美にペットボトルを持たせ、もう一度姫抱きし、駐車場に向かう。そして自分の車に手をかけ、後部座席を倒せば、寝心地は悪いが寝っ転がれるほどのスペースはできる。ごろりと寝っ転がる彼女に、積んでいたブランケットを掛けてあげる。
「頭、締め付けると思うから髪解くよ。」
「ん…っ」
1本にまとめていた髪留めをしゅるりと解けば、長い髪がふわりと広がる。あまりにも綺麗な深海のような深い青が、白い椅子によく映える。こんな状況なのに、思わずドキッと心臓の音が鳴る。
「神宮寺…っ、すまない…」
「いいよ。とりあえず荷物持ってくるから、その間に薬飲んでちょっとまってて。そしたら家まで送るから」
「ん…ありがとう…」
頭を軽く撫でられれば、レンはそのままピピッと車の鍵を閉めて言ってしまう。薬を飲もうと起き上がり、ペットボトルを手に取り開けようとするが、パキッと音がしないペットボトル。それどころか、弱っている真美でも直ぐに開けられるように弱い力で閉まっていた。きっと彼なりの気遣いなのだろう。先程那月から貰った薬をポケットから取り出せば、ゴクリの飲み込む。
そして倒れ込むように、寝っ転がると、真美はキュッとブランケットを抱きしめるように、顔に寄せる。
パーカーも、この車も、ブランケットからも、レンの匂いがする。辛い状況なはずなのに、ドキドキしてそれどころでは無い。しかも今思えば、あれは世に言うお姫様抱っこをさりげなくされていないか…!?と更に鼓動が高まる。
あんなに自分のことを迷惑そうに見ていたのに、結局、真美が困っていればなにも言わずに手を差し伸べ、助けてくれるお兄ちゃんのような存在なのは、今も昔も変わらず、どこか安心する。
「…………すき、ありがとう…お兄ちゃん」
小さな声は、安心感とともに徐々に眠気と一緒に消えていった。