月見「ん……」
温かな何かに擦り寄って、冷えた鼻先を押し付ける。自分よりも分厚い身体は温かく、滑らかな肌から香る品の良い香りはいつ嗅いでも心地良い。
噛み跡と歯形だらけの身体で鈍く痛む腰を気遣いながらのそのそと起き上がる。離れれば触れていた部分から冷えていく。
眠っていても藍忘機は変わらずに綺麗だった。酒に酔って虚ろな表情も、汗みずくになって俺を見下ろす表情だって。微かに胸が上下する以外は死んだように動かない藍忘機を暫く見つめて、それから緩慢に周囲を見回す。
まだ月が明るかった。暗い洞窟に僅かに差し込む月明かりをぼんやりと眺めて欠伸を噛み殺す。温かな腕と肌触りの良い上衣に包まれてもう一眠りするのは悪くなかったが、残った果実酒もある。月見もいいだろう。
隣の藍忘機を起こさぬようそっと立ち上がり、几帳面に畳まれた黒い上衣を素肌に羽織る。今日もまた、眠りに落ちる前まで濡れていた肌は綺麗になっていた。縁が一箇所欠けた甕を持ち、腰を庇いながらのろのろ歩く。
「よっ……、と」
欠け始めの更待月を見上げて手頃な岩に腰掛けて栓を抜く。心地よい音がして、ふわりと香る酒精に思わず口角が上がる。
「魏嬰」
「藍湛ごめん。起こしたか?」
内衣で歩き回る藍忘機という世にも珍しいものを見上げ、甕を掲げる。藍忘機は寝惚けているのか額に抹額すらしていなかった。身体の線の浮いた姿を見るとどうしても先ほどまでの情事を思い出してしまい、誤魔化すように喉を潤す。
「雲一つない、いい月夜だ」
「うん」
藍忘機は俺の隣に座り、同じように月を見上げた。拳一つ分の俺たちの隙間を冷たい夜風が吹き抜けていく。たったそれだけのことで、抉られたように胸が痛い。どうして離れて座るのか、酔っていなければ、言い訳が無ければこの距離が当然なのか。
言いたいことも聞きたいことも、音にはならず胸の奥に沈んでいく。
「寒いよ藍湛」
結局はこんな狡い言い方しかできない。言い訳を得て伸びてきた手に引き寄せられ、労るように腰を撫でられる。藍忘機の手は俺よりも僅かに大きくて、指先まで温かい。腰を摩る手を取り代わりに頬を擦り寄せると、月明かりを集めた色をした瞳と目が合った。
「……冷えている」
「お前が温めてよ」
ほんの少し身を乗り出すだけでぴたりと唇が重なる。肩に腕を回すとそのまま抱き上げられて、伏魔殿の奥へと運ばれる。
俺たちの道が二度と交わらないことも、此奴をこんな場所に留まらせるべきでないことも分かっている。分かっているのに手放せないのは、多分此奴が温かいからだろう。
これがきっと最後だからと、何度目になるかも分からない言い訳を自分に言い聞かせる。
月明かりの届かない冷たい岩肌に身を預け、唯一の熱を求めて腕を伸ばした。
終わり