盗ませて、接吻「プッチ」
しどけなく身体を横たえた彼女が、気怠さを含んだ声音でわたしの名を呼んだ。
「なぁに」
幾度となく読み返したフィリッポ・リッピの伝記から目を離さずに返事をすれば、深い黒の彩る指先が文字列の上を陣取った。折角良い所だったのに。
「わたしよりもその本が大事だっていうの?妬けてしまうじゃない」
「…よく言うわ」
さっきまで、他の男とまぐわった事を楽しげに話していたっていうのに。思い出すと、また嫉妬心が首を擡げた。あぁ、醜い悪徳だわ。全く以て善くない。素数、素数、2、3、5、7、それから11。
「もしかして、さっきの話が気に召さなかったの?許して頂戴、貴女の反応が可愛いからつい苛めたくなってしまって」
そのたおやかな腕の何処にそんな力があるのだろう。わたしの身体をやすやすと膝の上に引き寄せた彼女が、蠱惑的な笑みで嘯いた。
「でも、だからってあんなふしだらな…!」
先程のあられもない情話を思い出して、頬が熱くなる。…きっと一生忘れられはしないだろう。無知なわたしにとってはあまりにも刺激的だったし─────何より、恋い焦がれる相手が、己が穢された話をそれはそれは楽しそうに語ったのだから。
「ふしだら?こんな不道徳な本を読んでいる癖に、今更でしょう」
心底おかしいといった具合に薔薇色の口唇が美しく歪む。ワインに濡れたそれが、ランプシェードの明かりを反射して妖しくきらめいた。
「…本と、事実談じゃあ…違うわ」
会ったことも無い修道士の男がシスターと駆け落ちしたって、何とも思わない。けれど、何度も相見えた想い人のそういう話は生々しくて、聞きたくないとさえ思うのだ。
「…違うって、何が?」
問われたけれど、上手く答えられなくて。彼女の澄んだ目を見ていられなくて、思わず顔を俯けた。もやもやとした感情が胸の奥で渦巻いて、泣きそうになる。シーツを握り込んで涙を堪えていると、頭の上でDIOがわらう気配がした。
「ごめんなさい、泣かせるつもりじゃあ無かったのよ」
最愛の友のきれいなかんばせがわたしの顔を覗き込んで、そのまま接吻が落とされる。瞼に、頬に、そうして唇に。
他の男にも、もしかすると部下にも、こうして口づけているのではないか。そう邪推してまた涙が溢れた。
「…今日は随分と泣き虫じゃあないの」
赤子をあやすような手つきで頬を拭われる。いつになく困った面持ちのDIOが堪らなく愛おしくて、首筋にぎゅうと縋りついた。
「…キスして頂戴」
さっきも散々したじゃない、と呆れたような窃笑を零して、再びキスの雨が注がれる。
彼女の初めてのキスはもう手に入らない。けれどどうか。…彼女の最後のキスは、有象無象なんかではなく、わたしに贈られますように。
甘やかなアルコールの味を感じながら、身勝手にも、ただただそれだけを祈っていた。