散り際が一番美しい 君島が日本に滞在する期間は仕事とテニスの合宿のときだけだが、桜の季節にそれが重なると、自分も日本人なのだなと改めて感じる。薄紅色の花びらが咲き誇る光景は美しく、心が洗われるような思いがするからだ。
「綺麗ですね」
「そうかァ?明日には全部枯れてたりしてな!」
そう言ってけたけたと笑う隣の男は自分よりもよほど日本に長く住んでいるはずなのに、どうしてこうも風情がないのか。わかっていたこととはいえ、ついため息が零れる。
「本当にアナタって人は、情緒とかそういうものがありませんね」
「俺にそんなもん求めんなよ。桜ねえ……地元はもっとすげえからな」
「ああ……なるほど」
確かに彼の故郷には桜の名所があると聞いた。城を一望できる公園には、さまざまな種類の桜が何千本も花を咲かせるのだという。それはさぞ風光明媚なことだろう。そんな素晴らしい景色にも大して関心がなさそうな男は、さらさらと絹のような黒髪を揺らしながら、時折舞い落ちる花びらを交わして歩いていく。皮肉にも大層画になるその様に、君島はすうっと目を細めた。練習終わりの日も暮れた帰り道、辺りには誰もいない。
「……ま、今よりも明日くらいのほうがいいんじゃねえか?」
「え?」
「桜は散り際が一番だ」
ざあっと、風が吹く。淡く色づいた花びらが、振り向いた彼の周りを取り囲むように踊る。ナイターコートの灯りにぼんやり浮かび上がるその姿は、死神のようにも妖のようにも見えた。君島は思わず目を瞑る。爛漫と咲き乱れる桜は生き生きと美しく、あの樹の下に屍体なんて埋まっているはずがない。それでも弧を描く唇は紅く、あの根の元に自分を誘っているような気がした。
ばかげた幻想に頭を振り、次に瞼を上げたときには、遠野はとうにはなれへと消えていた。
End.