(幸帝)寮の門限が近付く頃、立夏が大浴場から戻ろうとすると談話室で七緒に手を振って別れる帝の姿があった。
「やあやあ立夏くん」
「どうしたんだこんな時間に」
「バイト帰りに寄ったんだ。貰った菓子があるんだが食べるか?開けてないのもあるからこっちは祭利にでも渡してくれ」
「サンキュ。…で、本題はなんだ?」
一瞬誤魔化そうと笑顔を作りかけた帝は結局あー、と言いながら視線をうろつかせ、静かに隣の椅子を引いた。しかし立夏が腰かけて暫くしても指先でくるくると遊ぶばかりでなかなか話し出そうとしない。
「部屋に帰りたくない理由でもあるのか?」
びくりと震えた帝は言葉を選ぶように目を伏せた。
「そう言うと、語弊があるんだが…」
「…コスモと二人きりで居るのが嫌なのか?」
「そ、!れは、…もっと語弊がある…」
柄にもなくもじもじとしている帝に若干呆れつつ、立夏はペナルティを食らうのは帝だしな、と帝が話す気になるのを待つことにした。ユニットを組んでもう丸2年を過ぎたが、同学年の二人がここに来て突然付き合い出したなどと聞かされてからまだひと月ほどだ。その時は二人とも同じように嬉しげにしていたように記憶しているのだが。帝は観念したようにぐっと拳を握りしめた。
「なんと言うか、…恥ずかしいんだ。とにかく」
「…何がだ?」
「一緒にいるうちに、その…コスモが色々してくるようになってな。部屋に居る時間も増えたし…勿論嫌じゃないし、俺が嫌がるようなことはしないと言われてる、んだがな…」
立夏は自分の発言内容を恥じらうような帝の表情から若干目を逸らしつつ相槌を打った。あり得そうな話だ。これまで長く付かず離れずで上手くやって来た関係にいきなり名前を付けようとするからには。たまたま二人になった時、帝の話を愛おしげにしていたコスモのことを思い出した。本人がそのことに自覚的かどうかはわからないが。
「帝。これはお前達二人の間のことだから、俺からあまり勝手なことは言えない。…ただ、こうしている間も、コスモはお前のことを待ってるんじゃないか?」
「…、」
「ここ最近、こっちの寮に入り浸っているだろう。コスモは何も言わないかもしれないが、気付いてるんじゃないか」
「…、バイトのサイクルは大体わかってると思う」
帝の声色が追い詰められたように段々と硬くなってくる。立夏はつとめて平坦な口調を作った。
「別に何か特別なことをしなくてもいい。これまでしてきたように、一緒に居ればいいんじゃないのか。恥ずかしいなら恥ずかしいと言えばいい。…ただ、嫌じゃないなら離れたままでいるのはやめておけ。物理的な距離がひらくほど、知らないうちに相手のことがわからなくなる」
「…そうか。お前が言うと、説得力があるな…」
帝は暫く迷ってからずるずると重い腰を上げた。ちょうど門限になる頃だ。気持ち項垂れた背中を軽く叩いてやる。
「まあ、そうやってお前がお前の思う通りにそのまま動いてしまうのは、ある意味ちゃんとコスモに甘えられてるってことなんじゃないか」
「…そうか?」
「多分な。おやすみ」
いまいちぴんと来ていない様子の帝に手を振って、立夏は部屋へ足を向けた。
のろのろと2階への階段を登り、廊下の一番奥まで歩く。また遅くなってしまった。こうも連日出歩いているとなると、立夏の言った通りわざとだと思われても仕方ないだろう。当然と言えば当然だが外から見た208号室の窓には灯りがともっていた。自室だというのに襟を正してから扉を開ける。
「…ただいま」
「おかえりなさい、帝」
本を読んでいたらしいコスモが顔を上げてお疲れさまでしたと目を細める。いつもの仕草に少しの寂しさなのか安堵なのか、余計な温度が乗っていた気がして見つめてしまいそうになった。本に視線を戻そうとしたコスモが、そのまま近寄って来た帝の影にまた顔を上げる。
「どうかしましたか?」
「コスモ。…少し、話していいか」
帝がソファのそばに座り込むと、コスモははい、と静かに返事をして本をしおりも挟まないままテーブルに置いた。ふと見上げた表情は声色よりもはるかに揺らいでいて、帝は慌てた。
「ち、違う!深刻な話じゃないんだ。その。所信表明というか…付き合ってからちゃんとそういう話をしてなかったよな、と思って」
「、わかっていますよ」
ついそんなわけないだろうと言いたくなるほどコスモは不安げにしていた。なんだか今日のコスモはやたらとわかりやすいというか、隙が多い。いつも、こんな風だっただろうか?帝が内心首を傾げているうちにコスモが痺れを切らした。
「…話とは?」
「えーっと…何から話せばいいか…。とにかく、最後まで聞いてくれ」
「わかりました」
テーブルを掠めて音を立てた腕時計を外す。なんとなくそのまま手首をさする動きに、二人で視線を落とした。
「…まず…、悪かった。このところ、お前とわざと会わないようにしてた」
「はい」
「流石に気付いてたよな…すまん」
沈黙がどんどんと重くなってくるのにつられて、帝も視線を落とした。
「…私も、もっと早くに言うべきでした。気を遣わせてしまいましたね」
「…、!だから、違、」
「私と一緒に居たくないという以外に、なにかそうする理由がありますか?さっき、深刻な話ではないと言いましたが、部屋を変えたり恋人を…、やめたりすることは帝にとってそれほど重大なことではないということですか」
堰を切ったように捲し立てるコスモの声は無理に抑揚を抑えた調子に震えていた。しかし咄嗟に掴んだ腕をほどく手つきはやんわりとして、指先は冷えていた。
「コスモ、聞いてくれ、」
「あなたに好きだと言った時、喜んでくれていたのだと思っていました。浮かれてしまっていただけのようです。すみませんでした」
「やめろ、そんな風に謝るな!」
「…だったらなんなんだよ!」
振り払おうとする腕を掴み直しながら見上げたコスモは語気とは裏腹に痛みに耐えるように眉を寄せて、どこか子供のようだと帝は場違いなことを考えた。
「離せ」
「…いやだ、お前と、離れるのは」
「……は……?」
苛立ちながらもいよいよ意味がわからないという顔をしているコスモに向き直って、今度はきちんとその目を見つめる。今度は逆にコスモの方がたじろいだようにソファの背にもたれた。
「…どうしていいか、わからないんだ。お前といると」
「は?」