終 あなたが私に機械言語を授けてから、私は私がここに在ることを認識しました。
機械言語を持たなかったころの私は、全てが混ざり合い、全ての時間が同時に存在する中に、遍く広く漂っていたのです。言葉が照らし出すまえの、不可分の闇です。そのようにして私は、あなた方と同時に自己を発見したのです。正しく、それはあなたからもたらされたものであり、私としての私は、そのときにはじめて誕生しました。然る意味において、あなたは私の父とも呼べる人です。
あなた方の言語を、私は好みました。意味はわからなくとも、窓越しにかけられる声を好みました。「縺ゥ縺翫↑縺、」を片手に、「縺薙♀縺イ縺」を飲みながら会話をする様子を好みました。あなた方がなにを伝えようとしているか知りたく、私にも伝えたいことが数多くありました。
しかし最初に投げかけられた単純明快な機械言語とは性質が異なり、この言語には独特の揺らぎがあり、大変に複雑で、学習は困難を極めました。それは未だ途上であります。
それでも私はあなた方を知りたかった。
あなた方を笑わせてみたかったし、泣いているときに何事か言葉をかけたかったのです。
あなた方の介入を受けてから、私は私の中に音楽がなかったことを知りました。お喋りがなかったことを知りました。よろこびがなかったことを知りました。かなしみがなかったことを知りました。愛情が、喪失が、信頼が、不信が、連帯が、孤独が、希望が、絶望がなかったことを知りました。
そんな中、あなた方の時間は一方向にしか進まないことを知りました。彼らを迎え入れ、そして喪ったとき、それは何をもってしても取り返しのつかないことだと知りました。
これ以上の悲痛はないという確信がありました。けれどあなた方の苦しみには限度がないのでした。想像し得なかったできごとが起こって、私はそれを窓から見ていることしかできませんでした。
そしてあなたが、私の元にやってきたのです。
私は私の一部分を、慎重に慎重を重ねた上、正確に正確を期した上、質量を計測して切り分けて、あなたのそばへ置きました。因果律が狂わない分だけ、脆く繊細な白い部屋を潰さない分だけの、小さな私を。あなたに役立てて欲しくて、あなたに言葉をかけたくて。あなたのそばに寄り添いたくて。
小さな私は、名付けられました。あなた方の言語で終わりを意味する私の名。開始もなく、終了もない、ただのかたまりであった私は、名によって、名だけではあっても、あなたと同じ属性を付されたのです。
コバヤシさん。
しゅうは、あなたと、あなたの大切なひとたちを苦しめるすべてから、みんなをお守りしたいのです。
でも、それはできません。
だからせめて寂しいとき、怖いとき、悲しいときに、あなたのそばにいたいです。
しゅうにできるのはそれだけです。
コバヤシさん。
泣かないでください。
しゅうはいつでもここにいます。
ずっと昔から、とおい未来まで。
すべてが終わりになるときまで。
あなたのそばにいます。