じわりとコンクリートに血溜まりが広がっていく。麗美は目の前に倒れている男を見て思わず顔をしかめた。見知らぬ男が死んだところで特になんの感情も湧かなかったが、ぱくりと割れた額から赤黒い液体が溢れ出るさまは、あまり気分のいいものではない。麗美はひょいと死体を飛び越えると、その先にいる長い髪の男に駆け寄った。
「レジィ様」
麗美が声をかけると、レジィと呼ばれた男はゆっくりと顔を上げた。
「あっという間に片付いちゃいましたね」
「ああ。威勢は良かったが、大したことはなかったな」
目を輝かせて話す麗美に対し、レジィはつまらなさそうに相槌を打つ。麗美はそんなレジィの様子を気にもとめずに、はずむような声で話を続けた。
「私、レジィ様のお役に立てましたか?」
上目遣いで尋ねる麗美に、レジィは一瞬だけ眉根を寄せた。だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべると、そっと彼女の頬に手を伸ばす。
「勿論だ。次もまたいいカモを連れてきてくれよ」
「はい!」
麗美はレジィの言葉に大きくうなずくと、胸の前で両手を組んで満面の笑顔を見せた。
「じゃあ、黄櫨たちと合流しよう」
レジィは早々に話を打ち切ると、麗美に背を向けて歩き出す。
「レジィ様」
背後から聞こえてきた麗美の声に、レジィは顔をしかめて内心溜め息をつく。一呼吸おいてから振り返った時には、既に彼の表情はいつも通りの優しげなものに戻っていた。
「なんだい?」
「あの、私、次も頑張ります。だから……だからまだ、私のこと守ってくれますよね?」
「ああ、約束する。君は必ず俺が守るよ」
レジィの言葉を聞いた麗美は安心したように息をつくと、表情を和らげた。
「私のこと、まだ好きですか?」
「当たり前だろう?俺は君のことが大好きだよ」
媚びるような声音で問いかける麗美に、レジィは慈しむような視線を向ける。麗美はその言葉を聞くと、「私もです」と無邪気に笑って見せた。
──馬鹿な女だ。
レジィは心の中で呟くと、ふっと口元を歪ませた。お前みたいな女を本気で愛しているわけないだろう。顔は整っているが、それしか取り柄のない、考えることを放棄した愚かな女。それが麗美に対するレジィの評価だった。浅ましく強者に取り入ることしか能のない、哀れな生き物。
レジィは麗美に向かって優しく「行こうか」と声をかける。彼女は彼の言葉にパッと表情を輝かせると、小走りでレジィの隣に並んだ。
馬鹿な女だが、利用価値はある。精々俺のために働いてくれよ。
レジィがはりつけたような笑みを麗美に向けると、彼女はうっとりとした表情で彼を見上げた。
ああ、レジィ様についてきて良かった。
麗美は内心でひとりごちながら、隣を歩く男の横顔を眺めた。
レジィ様はとっても強くて頼りになる人。きっと、この人の傍にいれば私は安全に生きていくことができるはず。だって、男の人はみんな狼さんだけど、麗美が尽くせばみんな優しくしてくれる。助けてくれる。だって麗美はカワいいんだもん。だから知らない人たちが死んでしまったことも、自分が連れてきた男が目の前で殺されたことも気にならない。だってそうしなきゃ麗美が死んじゃうんだもん。これって仕方がないことだよね。
──でも、レジィ様はもし麗美がしくじったらどうするんだろう?役に立たなくなったら麗美はどうなるんだろう?
ほんの一瞬だけ脳裏に浮かんだ疑問を振り払うかのように、麗美は勢いよく首を横に振った。
大丈夫。レジィ様は絶対に麗美のことを見捨てたりしない。麗美を守るって言ってくれたもん。レジィ様は麗美の騎士なの。だから絶対に大丈夫。
麗美は自分に言い聞かせるように頭の中で何度も同じ言葉を反覆させる。そうだ、麗美は難しいことを考える必要なんてない。ただレジィ様を信じていればいいだけだ。
レジィは熱っぽい麗美の眼差しに気付いたのか、怪訝そうな表情を浮かべて彼女の方を向いた。
「レジィ様は私の騎士になってくれるんですよね?約束してくれましたもんね?」
「そうだよ。可愛い俺のお姫様」
麗美はレジィの言葉に満足げに目を細める。
レジィ様、私、もっと頑張るから。だからずっと麗美のことを守ってくださいね。
麗美は一瞬だけ祈るように瞼を閉じると、顔をあげて前を見据える。その表情には先程までの不安の色は微塵もなく、代わりに幸福そうな笑みが広がっていた。