今日のおやつ そろそろ仕事である薬づくりを始めようと土間に並べてある道具類を見て、ファウストはおやと眉をひそめた。薬草採りに使う籠がない。居候の晶が持ち出したのだろうか。しかし、晶は黙って道具類を持ち出し、遊びに使うような子ではない。気になったファウストが庭におりてみると、庭木の茂みからふさふさとした尻尾とお尻が生えているのが見えた。微笑ましい光景に思わず表情を緩め、ファウストは茂みに向かって声を掛ける。
「晶」
晶は狛犬の子どもで、いろいろあったのちに修業も兼ねてファウストの庵で暮らしている。最初こそファウストも晶の師となることに異を唱えたのだが、その際の晶が耳も尻尾もぺたりと伏せてあまりにも哀愁漂う姿だったので、情をそそられて仕方なく承諾したのだった。ところが晶と暮らす日々は思ったよりも心穏やかで、世俗に倦んでいたファウストの心を温かく照らしてくれている。
「はーい」
がさがさと茂みを揺らし、出てきた子どもの頭には葉や小枝などが引っ掛かっている。これは着替えを用意しておいた方がよさそうだ。
「薬草を採っていたのか?」
晶の頭や服を払ってやりながら尋ねると、彼は小さな犬の耳をぴこぴこと動かしながらうなずいた。
「よもぎをとっていました!」
傍らに置いてあった籠を見ると、確かによもぎの葉が一掴み分ほど入れられている。手伝いのつもりなのだろうか。晶にもう一度視線をやると、彼はもじもじと口を開いた。
「よもぎもち、またたべたいです……」
どうやら先日作ってやったよもぎ餅がお気に召したらしい。めったにない晶からのおねだりにファウストは微笑み、その頭を撫でてやる。すると、晶はにこにこと笑い尻尾を揺らした。
「そうか……だが、この時期のよもぎは餅には適さない」
「えっ!?」
晶は目を見張り、それから籠の中を見る。首を傾げながらよもぎを手に取って眺めたり、匂いを嗅いだりしている彼の傍らに屈みこみ、ファウストは晶の摘んだよもぎをひとひら手に取った。
「ほら、少し硬くなっているだろう」
「……?」
分かったような分かっていないような顔をする晶を叱るでもなく、ファウストはよもぎを籠に戻した。
「こうなると、料理に使うと苦みが出てしまう」
「そうなんですか……」
しゅん、と意気消沈した様子で下を向く晶の肩を励ますように軽く叩く。
「薬種にはなるよ。これは僕が使ってもいいだろうか」
無駄にはならないということが少しでも救いになったのか、晶がようやく頬を緩ませた。
「はい」
「薬ができたら、一緒に街へ行こうか」
「やったあ!」
尻尾をぱたぱたと振る子どもの頭をもう一度撫で、自分もまだまだ甘いとファウストは心の中で苦笑したが、悪い心地ではなかった。
数日後、ファウストは晶を連れ、薬を卸しに行くついでに日用品などを買い足していた。めぼしいものを買いそろえ、薬種問屋の近くにある空き地に顔を出す。すでに日は傾き、子どもたちはおやつが恋しくなる時間帯だろう。空地では何人もの妖怪の子どもが遊んでいた。晶は桜雲街に友達が多い。買い物に付き合わせるよりは遊ばせていた方が楽しいだろうと、街に出た時はいつもここで遊ばせているのだった。
晶と一緒に毬で遊んでいるのは、ファウストが世話になっている薬種問屋の息子とその用心棒の息子たち。そして化け狸の一座の子に妖狐の子。様々な種族の子どもとけんかもせず仲良く遊べるのは、あの穏やかな気質があるからだろう。にぎやかな遊びを中断させることに少し気まずさを感じながら、ファウストは晶を呼んだ。
「晶。そろそろ帰るよ」
「あ、ファウスト!」
しかし晶は気分を害した様子を見せず、むしろ迎えに来てくれたのが嬉しいような様子で友人たちに別れを告げて走ってきた。友人たちも日の傾きや腹具合で時間を察したのか、それぞれ解散し始める。
「楽しかった?」
「すっごく!」
駆け寄ってきた晶を抱き上げ、ファウストは空へと舞い上がる。もちろん、住み慣れた我が家へ帰るためだ。その間中、晶は今日あったいろいろなことをファウストに話していた。
「きょうはヒースとシノ、カインとクロエにルチル、ミチルとあそんでました」
「そのようだな」
ファウストも、何度か晶を迎えに行くうちに子どもたちの顔を覚えている。なので、どの子が一番高く毬を蹴っただとか、どの子に鬼ごっこで捕まっただとかいう話題に遅れることなくついていけた。晶もそれが嬉しいらしく、いつも帰り道の間中話が尽きることはない。
庵に帰って荷物の片づけを始めると、晶もそれを手伝ってくれる。その鼻先に、ファウストは一つの包みを差し出した。
「開けてみなさい」
「?」
包みを受け取った晶は、首を傾げながら紐を解いていく。やがて中から出てきたものを見て、ぴんと耳と尻尾を立てて大きな歓声を上げた。
「わあ!」
包みの中には、ファウストが買ってきた柏餅が入っていた。先日よもぎ餅の旬が過ぎてしまったという話をした時の晶の落胆ぶりを見たときから、街に出たら買ってこようと思っていたのだ。
「よもぎ餅ではないけれど、今日のおやつだよ」
「ファウスト、ありがとうございます!」
晶は立ち上がり、柏餅を持ったままぐるぐるとファウストの周りを回り始める。彼が嬉しい時に見せる仕草だ。
「晶、まとわりつかれてはお茶も入れられないよ」
たしなめつつも、ファウストの顔には笑みが浮かぶ。
この子はまだ幼い。これから、旬のものの美味をたくさん教えてやらなければ。それが生きる楽しみ、心の支えに繋がるように。
おわり