星空とトライフル「『好き』なんて、俺たちに一番似合わない言葉だろ?」
「当たり前だ」
「そう。だからこそ、恥ずかしげもなく言えるんだ」
「……本当に、屁理屈が得意な奴だよ」
男は屈託のない顔で笑った。
「じゃあ、お前はどうなんだ? オレン」
もう一人の男は皮肉な笑みを浮かべる。
「愛してる、とでも言やいいのか?」
「そいつはさすがに言い過ぎだな」
ラテラーノの夜はヴィクトリアの街より明るいが、カジミエーシュの大都市ほどではない。ある建物の屋上に立つ二人の男は、互いに明るい街を見下ろしていた。その目に映るのは夜の闇か、人々の生み出す光か、はたまた空に浮かぶ双月の光か。何にしたって、ここがラテラーノであり、男たちがサンクタであることは変わらない。
「お前、また外に行くんだって? 大変だな。枢機卿に目をつけられたお陰でさ」
「嫌味か? お前の方も、俺と繋がりがあったせいで疑われたってのによ」
「まあ確かに面倒だったが、責任は取らなきゃな。それに、実際にバレたとしてもそれほど追及されずに済んだ」
「そうなる程度に浅く関わってたんだろ。卑怯者」
「はは、勘弁してくれよ。俺もエゼルやフェデリコの奴があそこまでやるとは思ってなかったんだから」
柵を背にして、リケーレは本当に可笑しそうに笑った。柵に肘をつきつつ彼を糾弾する口ぶりで軽口を叩きながら、オレンもまた口角を上げる。見下ろす聖都の街並みはいつも通り、ほとんどの人が寝静まったか家の中にいるので静かだ。昼間はあれほど賑やかに騒がしくしていても、夜になれば多くの勤勉なサンクタとリーベリたちはしっかりと休む。万国サミットの件があっても、多くの人の生活には変わりがない。
こんな時間にこんなところで管を巻いているのは、彼らのような特殊なラテラーノ人くらいだろう。と言ってもリケーレに関して言えば、いつもは家で休んでいる時間なのだが。
「お前、もうちょいこっちに来いよ」
オレンは手振りはしなかったが、顎でしゃくる形でジェスチャーをした。なんだよ、と微笑混じりに言ったリケーレは柵から背中を離して、ちょうど一人分ほど空いていた互いの間を詰めるように隣の男へ近づく。と、その隙に片方の腕を軽く引かれ、バランスを崩しそうになる。
目の前には旧友の顔があった。妙に真剣で、何か迷っているようで、諦めたような、様々な感情の混ざった顔だ。
リケーレがしばし驚いた表情でぱちくりと瞳を瞬かせながらそれを眺めていると、オレンはそのままその唇を奪った。
「んむっ……」
再び柵を背にする形に押しつけられ、しっかりと太さのある指がオレンの肩に触れる。オレンは押し返されても良いと思っていたが、その指にそれ以上力が入ることはなかった。
どちらからともなく差し出した舌同士を絡め、深く口付ける。粘膜同士が触れては離れ、唾液の絡む音がしんと静まり返る夜空に響いた。二人はしばらくの間そうしていて、気が済んだのか、オレンはおもむろに唇を離す。身体までは離すことなく、吐息がかかりそな距離のまま、何も言わず視線を合わせていた。そしてふと、
「お前のことは好きじゃない」
ぽつりと呟いた。
「だが、お前とこうしている時間が悪くないと思うのも事実だ」
そう続けると、リケーレは珍しく困ったように笑う。
「オレン、お前がそんな風に言うなんてな」
「……らしくないのはわかってるさ」
リケーレは少し驚いた風に何度か目瞬きして、それをじとりと眺めたオレンは、ふいと彼に背を向けて呟いた。
「たまには言っとかねぇと。そう思っただけだ」
ちり、と心の奥に自分のものかわからない不安さが弾けたような気がして、リケーレは自嘲じみた笑みを口元に浮かべる。自分たちはそんな風に女々しく、別れを惜しむような関係ではない。だからと言って、考えすぎかもしれないが、どこか遺言めいた物言いをそのまま受け入れる気にもなれなかった。
生温い空気が流れる。その沈黙を破ったのはリケーレの溜め息だった。
「気をつけて行ってこいよ、オレン」
「誰に言ってるんだ?」
「あー、特に心配はないだろうけどな」
かつて聖都の外で育ち、ラテラーノの内側にいることを望む者。かたやラテラーノで育ち、外から聖都を守らんとする者。両者を隔てるのは、両者を引き合わせるのと同じものだ。互いに共通したものがあると感じるからこそ、こうして時折顔を突き合わせている。例え求めるもの、歩む道は違えども。
「どうせまた会うだろ。嫌な予感がする」
「俺は会いたくないがな」
互いに憎まれ口を叩いて、どちらからともなく笑い声をあげた。