「きっちゃん」
呼ばれれば振り向いて、どした?と声をかけるのもいつも通り。
ただそんな他愛のない言葉に、目の前の少女はまるで花が咲いたかのように表情を綻ばせ駆け寄ってくる。そんな風に見えるようになってしまったのは自分の錯覚が見せているものなのか現実なのかはいまだにわからない。それを本人に確かめる勇気も自分には持ち合わせていない。ただそんな彼女に愛おしさを感じているのは確かだった。
自分に懐いて駆け寄る愛犬のような愛しさの類なのか、はたまた違った感情からくるものなのかは答えが出せない。
もはやそんな感情を人間の女の子に抱いている時点でそういった感情なのだと振り分けてしまえば簡単な話なのではあるが、そんな行動をするのは自分だけではないのも知っているからこの感情に名前が付けれずにいる。
例えば白井である。
彼がいたらその声の響きにはそれはわかりやすく安堵のそれが含まれているのだ。
だから特別だと思うのは間違いで勘違いなのではとよぎるなら、それをあえて何かにあてはめなくてもいいのではないかと結局のところ落ち着いてしまったのだ。
彼女が望まないのならば、今が心地いいのであればこれはこれでいいとすら思っている。
「どうしたのだ?なにか考え事か?」
「…ん?まぁ。ゆきんこにはまだ早い話」
「なぁんなのだ!僕はきっちゃんよりも大人なのだ」
「ええ?ゆきんこが、俺より?」
「バカにするななのだ。そんなこと言うなら白井さんに相談するのだ」
ぷい、とまるで子供のような仕草で走り寄ってきた道を引き返そうとする彼女の腕をまるで反射的に掴んだ。
仕草こそ子供っぽいくせに、どうしてそんな可愛らしくない言葉を言うのだこいつは。としかめ面になる。
「待って」
「ふん、だ」
「なんだよ、それ」
「ふーーーんだ!」
「おい、お前さ」
「なんなのだ。僕はもうきっちゃんに用はないのだ」
「いやいや…そういうのはダメだろ。何言ってんだ」
「きっちゃんが僕をバカにしたのだ」
「バカにはしたけど、ダメだろって。そういうの」
「バカにしたけどって…ダメってなんでなのだ」
「ダメはダメでしょ。ママに言われんかったか?やめなさいって言ってるの!」
「な、なんなのだ…。もう…きっちゃんがそこまで言うならやめとくのだ…」
「やめさない」
不服だと言わんばかりの膨れっ面に思わず鼻をつまんでやると、頬を抓られた。
やっぱりこういうのを引き留めるには形というのは大事なのかもしれない。
あまりにも唐突に芽生えた小さな嫉妬に戸惑いと自然と腑に落ちた気持ちに目の前で藻掻く少女に笑った。