Good Night「ごめんね、少しだけ仕事が遅くなるから、お腹が空いたら、ご飯は先に食べておいてね。」
そんなテキストメッセージがエゼルから届いたのは、1時間ほど前のこと。
セシリアはソファーに座って本を読みながら、エゼルの帰りを待っていた。
一緒に父親を探してくれる、と約束してくれたエゼルと、きっと長くなるであろう旅路に出る前の数週間。
セシリアはエゼルの家で暮らしていた。
セシリアが寂しくないようにと、エゼルはいつもできるだけ早く帰ってきていたが、出発の日が近くと、研修が終わったばかりといえども定時上がりというわけにはいかないようだった。
セシリアのお腹がぐう、と音を立てる。そういえばあの日も、私のお腹が鳴って、フィアメッタお姉ちゃんがドーナッツを買ってきてくれたっけ。
色々なことがあったあの日から、そう時間は経っていないのに、セシリアは、なんだかずうっと前のように感じていた。
初めてエゼルの家に来た時は、不安と緊張と、何よりお母さんがいない寂しさで、セシリアは涙が溢れて、暗くて寒い夜はなかなか眠れなかった。それは今も変わらないけれど、セシリアが悲しくて寂しくて、ベッドで丸くなっている時は、エゼルそっと頭や背中を撫でてくれるから、少しずつ、夜も眠れるようになってきている。
それに、エゼルの作る食事が美味しくて、食欲はほとんど元通りになった。
セシリアは、エゼルが作って置いておいてくれた、冷蔵庫の中のシチューのことを考える。
空腹を訴える自身のお腹の音を聞きながら、もう少し待っていようかなあ、と、悩んでいた時、がちゃり、と玄関の鍵が開く音がした。
「遅くなってごめんね。ただいま。」
「あ、エゼルお兄ちゃんおかえりなさい!」
「ご飯はもう食べた?」
「ううん、まだだよ。エゼルお兄ちゃんも今から一緒に食べるよね…………エゼルお兄ちゃん大丈夫?」
「うん?大丈夫だよ。どうして?」
「エゼルお兄ちゃん、ちょっとクマができてるよ。」
セシリアに指摘されて、エゼルは思わず目の下を指で触れる。
そういえば、最近は早朝パティスリーで働いているし、長期任務への出立前の手続きや、これは短期の案件だから、と次々に振られる仕事のおかげで、朝から帰るまで、全く休憩ができないこともしばしばだった。
コーヒーの量も、日々増えている気がする。
「心配させてごめんね、明日は休みの日だし、今日は早く寝るから。」
「うん。今日は、ご飯の後のコーヒーは我慢してね。」
「えっ……」
ふふ、とセシリアは笑うと、冷蔵庫に向かう。
「エゼルお兄ちゃんは、座っててね。片付けも今日は私にやらせて。」
それからシチューを温めて、今日あったことを話しながら一緒にご飯を食べて。洗い物を終えたセシリアがソファーの方を見やると、さっきまでそこに座っていたはずのエゼルの姿が見えなかった。
(シャワーに行ったのかな…?でもシャワーの音は聞こえないし。お部屋に行ったなら、鞄を持っていくはずだけど、それもそのままだ。)
「エゼルお兄ちゃ……」
名前を呼びかけて、セシリアははっと口を閉じる。
ソファーの肘掛けから、エゼルの靴が飛び出しているのが見えたから。
セシリアは思わずつま先立ちになって、足音を殺してそっとソファーに近づく。
エゼルは、ソファーで横になって、寝息を立てていた。
万国サミットの出来事から今日まで息つく暇もなく、本人が思っている以上に疲れが溜まっていたのだろう。
真面目で、いつもセシリアより先に起きて、毎日シワのない制服を着ているエゼルの寝顔は、セシリアにとってはとても新鮮で、若干の後ろめたさは感じつつも、思わずじっと見てしまう。
長いまつ毛に、ほっとしたように弛んだ口元。呼吸に合わせて、ゆっくりと胸の辺りが上下しているのを見ていると、自分よりずっと大人なのに、なんだかエゼルがもっと歳が近いように感じた。
そうだ、と思いついて、セシリアはエゼルの部屋から毛布を取ってきて、ソファーにちょっと窮屈そうに収められたエゼルの身体にそれをかけてあげた。
毛布をかけても、起きる気配はない。セシリアは、エゼルを起こしてしまわないように細心の注意を払って、優しくエゼルの頭を撫でてみる。いつもエゼルがセシリアにしてくれているみたいに。
柔らかいエゼルの髪の感触と、温かい体温が指先から伝わってくる。
(ふふ、なんだろう……なんだか私がお姉ちゃんになったみたい。)
少し大人になったような気がして、なんだかとても満たされた気持ちだった。
(明日はお休みだし、ちょっとくらい、このままでも大丈夫だよね。)
セシリアはもう一度だけ、そっとエゼルの頭を撫でた。
少しだけ、おやすみなさい、エゼルお兄ちゃん。