カーナビより気まぐれで日差しが容赦なく照りつけて、ジリジリ焼かれている気がする。
助手席でぐでーっと背もたれに体重預けながら、ため息をついた。
エアコンガンガンにしてーと口にすると、運転席の男はハンドルを握ったままチラリと目をやる。
「これが最大。」
その言葉にまた大きなため息をついた。茹でダコになりそうだ。アイス〜…ジュース〜……と念仏のように唱える。
「そうだねぇ 水分補給したいねー」
返事だけはまともだが、明らかに聞き流されてるトーン。
それもこれも、わざわざこんな炎天下の中、出かけるような気温じゃないってのに、この男――スズキ ユウダイは、なぜか朝から「ドライブ行こう」なんて言い出したからだ。
そのまま流されるまま乗ってきてしまった。別にどこか目的地があるわけでもなさそうで、音楽も適当に垂れ流してるだけ。
暑いし、アイス食べに行きたいしコンビニ寄ってよと提案するも
「ふふ、甘えん坊さん」
と返され、ムッとなり否定する。
「そっかー、じゃあ……」
急にウィンカーを出したと思ったら、男はなぜかハンドルを左に切った。
どこ行こうとしてんのと吃驚した顔で見ていても
「ちょっと寄り道しよっか」
とだけ。
寄り道ってどこに?アイス?コンビニだよね?と質問責めするが
「んー、楽しみにしてて」
この男がにやにやしている時は、大抵ロクでもない。コイツの言う「楽しみ」は、自分にとって大抵、試練か災難のどっちかだ。
「……ユウダイさーん?冗談抜きにほんとに暑いって。死ぬって」
「大丈夫、死ぬほどじゃないよ」
「何。その根拠ゼロの自信」
そんな調子で、強制連行みたいなドライブが続く。
しばらく走ってると、車窓の向こうに徐々に広がる景色。
さらさらとした潮風が、少しだけ窓の隙間から吹き込んできた。
青くて広い、水平線がすうっと視界の端から入ってきて、思わず言葉が漏れる。
嘘……まさかの海?
思ってたよりずっと近くにあったそれに、思考が追いつかない。
ユウダイはノーコメントのまま、駐車場に車を滑らせた。
エンジンが止まる音と同時に、静かになる車内。
次の瞬間、男の手が自分の手をすっと掴んだ。
「ちょ、ちょっと待って待って、え、入るつもり 水着も何も……!」
そんな声も届かず、手を掴んだまま砂浜を駆け出す男。そしてなすがままの自分。
ふらーっと手を引かれたと思えば、そのまま一緒に、巻き込まれるように水に沈む。
一瞬死を覚悟したが、幸い頭から行くことはなく尻もちで済んだ。が、完全に下はずぶ濡れだ。替えも持ってきてないしどうしてくれるんだ。その腹いせに男の胸板を小突いてやった。
そんな自分の怒りを気にもとめず、髪を軽くかきあげながら
「びちょびちょになっちゃったね」
と原因を作った目の前の男は、イタズラ好きの子供みたいにくすくす笑っている。
その表情に少しでも愛おしいと感じてしまっている自分は相当な馬鹿だと思う。
揺れ動く波から上がったかと思うと、男は砂浜にしゃがみこみ何かをゴソゴソ探し始める。
男の気まぐれに流石に呆れていると、くいくいと裾を引っ張られた。
「見て」
そう言われ、男の掌に目をやると綺麗な色をした貝殻が置かれていた。
「あとでキミにあげるよ」
最初は素直に綺麗だなーと感動していたのだが、大きくて傷だらけな手に、小さくて綺麗な貝殻という正反対の光景に少し噴き出してしまった。
男は自分が噴き出した様子を見るや否や、微かに拗ねた様子で
「…やっぱ馬鹿にする子にはあげませーん」
とそっぽを向いてしまった。
こうなると後が面倒臭いので軽く謝る。それを見透かしたように
「罰として帰りはキミが運転してね」
とにっこり笑う男。
しまった……最悪の約束を取り付けられた。
絶望する自分をほっぽって男は貝殻探しに熱中しているようだ。
そんな中、ポツリと
「僕、小さい頃貝殻集めるの好きだったなぁ」
独り言のように呟いた。でもその独り言をただの独り言だけで終わらせたくなくて
「貴方って案外可愛い趣味もってるよね」
と返す。だってこの男が自分から過去のことを話すのは初めてだから。いつもならどんなに聞いたって全然教えてくれないので諦めていたが、今なら少しだけ話してくれるような、そんな気がする。
そういう考えにつられ、”スズキ ユウダイ”という男はどんな子供だったんだろう。と
今をそのまんま小さくしたような感じ?
それともヤンチャ坊主?
もしかしたら優等生かも……
なんてくだらない妄想を浮かべてしまう。
突然パチンッと鈍い音が響いた。どうやら自分の額がデコピンを喰らったようだ。じわじわ痛みが襲ってくる
「ボケーっとしてるからつい」
男は悪びれもなくそう言いのけた。
「どうせキミのことだから僕のことでも考えてたんでしょ?」
頭の中を覗いているのかという次元で言い当ててくる。悔しい、完全に図星を突かれた。
悔しくて言い返そうと口を開くより早く、ユウダイはくるりと背を向けてしまう。あぁもう、ほんっとこの男は人のペースを乱す天才だ。
でも砂浜にしゃがんで貝を拾う背中は、思ったよりずっと静かで、どこか遠くを見ているようだった。軽口も、ふざけた態度も、たぶん全部この人なりのバランスの取り方なんだろうな、なんて。そんなことを考えてしまうあたり、暑さで頭やられてきたのかもしれない。
「…うっざ。ほんとに何で分かるの」
と1テンポ遅れた悪態をつく。
「だって僕、キミのことならなんでもわかるもん」
そう得意げに言い放った男は立ち上がると、拾ったばかりの貝殻をひとつ、ひょいとこちらの頭の上に乗せてきた。冷たっ、て反射的に跳ねると、それが可笑しかったのかまたくすくす笑う。
「飾り。お姫様にはティアラが必要でしょ」
そんなふざけた言葉にツッコミを入れる気力も削がれて、ただため息を吐き出すしかなかった。砂のついた指で髪をいじるのもやめてほしいのに、この男は止まらない。まるで、何かから逃げるように、やたらと楽しげなフリをしてるように見えて。
「あのさ」
そんな自分の言葉を遮るかのように潮風がまた、ふわりと頬を撫でる。
「なーに?」
やっぱ今はいいと素っ気なく答えたら、えーほんとに?と揶揄われた。
ただこの男は全部知った風に装ってるだけなのではないか。本当は自分自身のことすら掴めてないただの……
そんなことを考えていると、男が突然くるっと後ろを向いたかと思えば、こちらに駆け寄ってくる
「ほら、もう一個見つけた」
嬉しそうに差し出されたそれは、さっきのより少し小さくて、でももっと色が鮮やかだった。素直に「ありがとう」と言うと、ユウダイは微かに目を細める。喜んでいるのだろうか。
それからしばらくして、貝殻をポケットに仕舞い、立ち上がった男は、砂で汚れた手をパンパンとはたいた。
「じゃあ、そろそろ戻ろっか。……運転、お願いね?」
わかってた。そう来ると思ってた。
でも、返事の代わりに大きくため息をついてやったら、男はまた愉しそうに笑った。
ああもう、ほんとに調子狂う。
でも、こういうのも嫌いじゃないと思ってしまう自分がちょっと悔しい。
ずぶ濡れのまま砂浜をあとにして、まだ暑さの残る午後の道を、今度は自分がハンドルを握る番だった。
助手席には、さっきまでふざけてばかりだったくせに、窓から風を受けてどこか満足そうな顔をしたユウダイ。
たぶん今日は、思ってたよりずっと、特別な日になるかもしれない。