行く先はまだどこか生暖かい、ずっしりと重い荷物を抱え暗い森の中を、ライトの光で照らしながら慎重に進む。
今、誰にも見つかりたくない。見つかる訳には行かない。辺りを見渡す
幸いにも周囲には人どころか獣1匹すらも居ないようだ。つい、ホッと安堵の息をついてしまう。
そう思ったのも束の間だった。突然背後から
「あのー、すみません」
と言う声が聴こえてきた。心臓がドクンと跳ね上がる。恐る恐る後ろをライトで照らしながら振り返ると、そこには背丈の高いすらっとした男が立っていた。
「わ、眩し」
そう言いながら男は目を微かに細めている
慌ててライトを下げ
「…す、すみません」
と戸惑いながらも謝罪の言葉を口にするが、男はにっこり笑い
「いえ、こちらこそ驚かしてしまったみたいでごめんなさい。僕、道に迷ってしまって…」
またもや安堵の息が漏れ出た。どうやら話を聞く限り、森で迷ってしまった哀れなキャンパーのようだ。
続けて男が口を開く
「もし貴方が良ければ出口まで案内して欲しいのですが…」
森で迷ってしまった男を助けたい気持ちは山々だが、生憎こちらも都合というものがある。今回ばかりはどうしても駄目だ、絶対に。心苦しいが断りの言葉を口に出そうとしたその時、男がその上から被せるように
「…つかぬことをお聞きするんですが、貴方はこの森へなんの用で?」
「え、?」
男からしたらただの質問だったのかもしれないが、今の自分からすると絶対に触れてほしくない話題だった。
「女性がこんな暗い森に1人で来るなんて凄く危ないなーと思うんです。」
淡々と何処か見透かしているかのように、抱えている”荷物”にちらりと目をやられる。
「あー、もしかして1人じゃないとかですか?…だなんて笑」
一切笑えない冗談を交えながら自分は引き攣った笑顔で
「すみませんが私は、急ぎの用があるので 案内は出来ないです。この地図もう要りませんからこれ使ってどうにか…」
半ば強引に男へ地図を押し付け、そそくさと小走りで足を目的地へと運ぼうとするがグッ、とかなり強い力で手首を掴まれる。
「どうしてもダメですか?僕、方向音痴で地図を見てもよく分からないんです。このままじゃ一生森の中を彷徨って、最悪死んじゃうかも…」
不安を煽るように男はそう言ってのけた。
男が手首を離す気配はない。いいですよ。と言うまで離さないつもりなのだろうか、そんな圧を感じる。執拗い男に流石に苛立ちを覚え、強く言い返そうと
「……あの、!」
と口を開くがまた上から被せるように男の言葉で遮られる。…イライラしてきた。
「貴方の用事が済むまで近くに居させてくれませんか。邪魔は絶対にしないから。」
「……はい?」
自分の耳を疑った。図々しいにも程があるだろう。
この用事は絶対にバレてはいけない。見られても、聴かれてもいけない。
なのにこの男はズカズカ踏み込んでくる。頼むから諦めて欲しい。
そんな願いも虚しく、結局自分が折れ、男がついてくる形になってしまった。だが約束として目的地に着いた時は、出来るだけ遠く離れた場所でじっとしてて欲しいとは頼んだ。例の用について教える気は一切ない。当たり前だ、こんなこと口が裂けても誰かに言えっこない。言ってしまったらこの事実を認めることになるからだ。そんなの、絶対に嫌だ…。
ぐるぐるとそんなことを考えながら歩いていると、突然その思考の隙間からヌルッと入ってくるかのように言葉を投げかけられた。
「…ソレ、重たそうですよね。何かの道具…ですか?良かったら僕持ちますよ」
静かだと思ったらこれだ。話すことがないからってまた触れられたくない話題を持ち出してきた。きっとこの男に他意は無いのだろうが、あまりにも酷い。
「結構です。あんまり詮索しないでください」
つい棘のある言い方をしてしまった。それでも男は何食わぬ顔で
「あ、ごめんなさいー。 少し気になっちゃって」
とだけだった。……さっきよりも気まずい空気になってしまった。だがこちらはなりふり構ってられないので許して欲しい。
灯りもないただただ暗く、静かな森を確実に1歩1歩進んで行く。
ようやく目的地付近に近づいた時だった、ここで待っててくださいと男に声をかけようと振り返ると、男は含みを持った言い方で
「もし何かあったら僕を呼んでくださいね。最近この辺りで殺人事件があって、まだ犯人は捕まってないみたいですし。一応気をつけてとだけ 」
そう言い切ると、地面に座りくつろぎ始めた。
さっきの言葉は少し不安だが、この男がこのまま大人しくしてくれてるなら良いと思い、男を置いて目的地へと足早に向かった
昨日雨が降っていたせいか、少しぬかるんだ土に足を取られながらも木々を掻き分け、やっとの思いで目的地に着いた。荷物を見つめながら、やっと”コレ”を無かったことに出来る。そう思うと足取りが軽くなったように感じた。
ふぅ…と息をつくと、鞄からシャベルを取り出し地面に穴を掘ろうと試みる。が思っていた以上に硬い。木々で雨が遮られていた為か余計に乾燥していてちっとも掘れやしない。
ここは諦め、別の所を探そうと少し奥深くに行ってみる。ライトの光を頼りに進んで行くとそこには穴があった。しかも見るからに深い。
これなら掘らなくて済むかも…なんて思いで穴を照らし覗き込んでみる。
?何か塊が見え、
「ひっ、…」
…何故かそこには自分の今抱えているものとはまた違う別の”荷物”が転がっていた。
突然の事態に脳も身体も何もかもが追いつかない。どういうことなのか、本当にあの男が言ってた通りここに殺人鬼が潜んでいるとでもいうのか。漠然とした不安と焦りに包まれながらも、必死に呼吸を整えようとするが1度乱れてしまった呼吸はなかなか戻らない。ずっと頭の中で警鐘が鳴り響いている。駄目だ、ここから今すぐ離れなければ、逃げなきゃ、そう思った瞬間。突然肩をとんとんと叩かれ喉が鳴る。
「……大丈夫ですかー?って、わぁ…凄い汗」
あの男だった。あの迷える哀れなキャンパーだった。なぜ呼んでもないのに来てくれたのかは分からないが、今頼れるのはこの男しかいない。もう最悪あれがバレて捕まってもいい。だけど死にたくない、そう考え、少し震えた掠れた声で
「…こ、ここ あなたの言う通り、ほんとうに殺人鬼がいるかもしれません。急いで戻りましょう…」
「……」
そう告げるとなぜか男は押し黙ってしまった。その代わりに例の深穴と自分の隣に置いてある荷物をじっと見つめている。
そして一切表情も変えず一言
「戻る前にコレ、ついでですし埋めちゃいましょ。」
そう言うなり、荷物の袋を剥ぎ取る男。
自分が唖然としていても、男は慣れた手つきで荷物を処理し始め
「んーほんの少しだけ温もりがあるなぁ。まだ殺して半日は経ってないかな」
淡々とそう言ってのけた。当たっている。確かにその荷物が出来てしまったのは数時間前。
じわじわとした恐怖が込み上げ、混乱した頭で男に問い掛けてみる。
「…なっ、なんで そんなに平然と……普通だったら怯えたり、もしかしたら私に殺されるかもとか考えないんですか」
「えーもうちょっとリアクションとった方が良かった」
話している間にもう処理が済んだのか、死体を穴に放り投げようとしていた腕を焦りながら掴む
「ま、待って、」
「…どうして?」
「こんなことしたらあなただって…殺人鬼だって近くにいるかもしれない、こんなことしてる場合じゃ、」
男も何となく自分の言いたいことを察したんだろう目を少し見開いていた。分かってくれるなら良い、そう思っていたのだが男から零れたのは子供のような無邪気な笑い声だけだった。
「ふ、…あは、ふふっ……、そんなの嘘に決まってるじゃないですかー 」
予想外な男の反応にまた頭が混乱する。なんでこの状況で男は笑っているんだろう。
散々笑ってやっと落ち着いたのか口を開く
「……あー久しぶりに笑った。」
「え?、あの、さっきの嘘とはどういう…?」
「んー…そうだなぁ、今貴方が怯えてる素性も何も分からない殺人鬼が僕。って言ったらどうします?」
その言葉にドクンと心臓が脈打つ。殺人鬼?この男が?自分の焦る気持ちなんかをよそにどんどん話を続けていく男。
「いやほんと助かりましたよ~ シャベル壊れちゃって取りに行くの面倒だったんだ。そんな時に貴方がちょうど通りかかってくれたからさ。僕ってツイてるよね」
もしかして最初からここへ誘導するつもりで話しかけてきたのかこの男…最低、最悪。
「ほら、お喋りは後にして、今はコレ」
そう言って男は手を振り解き、荷物を穴に放り投げてしまった。落ちていく瞬間がスローモーションのように流れていく。グチャッ!と肉片が地面にぶつかった音がした時、胃から何かが込み上げてきてついには吐いてしまった。激しく咳き込む中、男が背中に触れてくる。さっきまで”死体”を処理していた者とは思えない優しい手つきで、子供を看病する親みたいにただただ優しく摩られた。
大分落ち着いたのが見て取れたのか
「治まりました?」
と声を掛けてくる。きっと今、自分は酷い顔をしているだろう。でももうどうでもいい、さっさと埋めてこんな悪夢に蓋をしたい。
「…埋めましょう。」
立ち上がってシャベルを持ち、穴に土をかけ始める
「へぇ?さっきよりも随分ノリ気みたいだ」
軽口を叩きながら男は自分を見つめていた。
もう正直身体はクタクタだが無視して埋め続ける土のザクザクした音だけが森の中に響く。それが心地よく感じてしまうほど自分の倫理観は歪んでしまっていた。
最後の土をかけ終わったあとやっと口を開く
「…警察に見つかりませんよね、コレ」
「あはは、大丈夫。僕と貴方がヘタやんなきゃバレることはないよ」
「………帰りましょうか。」
そう言って森を後にする。来た時と比べ随分明るい。今あれから何時間経ったのだろう。
帰り道は男が最短√を案内して連れ帰ってくれ、冒頭の方向音痴が~ってのは全て真っ赤な嘘ということがよく分かり複雑な気持ちになった。
森を出た後もわざわざ車がある場所まで送ってくれるだなんて紳士な殺人鬼も居るものだ。こんなふざけた状況、笑うしかない。
車のドアに手をかけた時、
「あぁ、そういえば名前名乗ってなかったよね。」
「え?」
突然軽く頬を撫でられる。男の手は傷だらけで、微かに、温かかった。状況が理解出来ない自分をほっぽいて男は続ける心底愉しそうな表情で
「僕はユウダイ、スズキユウダイって名前。もし次会った時はそう呼んでよ。そんじゃ、またね~」
軽く手をひらひら振りながらそう言い残すと、あの男、いやユウダイは暗闇の続く道路の先へそのまま去ってしまった。
…張り詰めていた緊張の糸が切れると途端に喉が渇いてきた。車内にあったいつのか分からないお茶を、喉に流し込む。冷たい。冴えてきた頭の中で考えてみる。
さっきの男は全部自分が作り出した幻か、もしかしたらなにか狐の類いに化かされてしまったのかもしれない。
きっと、…そうに違いない。
そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら土臭くなった身体を座席に寝転ばせる。起きてもユウダイに撫でられた頬の感触とあの温度を忘れませんように、と祈るかのように瞼を閉じた。