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    somaoji3

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    somaoji3

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    妖狐の同僚くんと、人間やめて長生きしてる水木がみんなで仲良く怪異探偵みたいなことしてる話

    果てなき夢に沈む夢優しいアナタへ雨と珠誰そ彼果てなき夢に沈む夢優しいアナタへ
     空は一気に高くなり、半袖では肌寒い。薄手の長袖シャツを引っ掛けて水木は鬱蒼とした林の中を歩いていた。
     東京といってもまだ自然の残っている場所は多いし、無闇に開発の出来ない場所もある。そういうところは禁足地と云うのだと狐耳を有する男に教えてもらった。そういった所には何かしら人間の手が及ばない、及ぶことの出来ない何かがあるらしいとも。

    「このあたりか」

     おおい、と声を上げるとどこからともなく走ってくる木霊を腕に抱えて御神木を目指す。つい先日の雷雨で被害にあった木があると、猫娘を経由して依頼を受けた水木は、養い子であった鬼太郎たちの手伝いとしてやって来たのである。
     階段も何もない苔むした道なき道を歩いていると腕の中の木霊が何か言いたげに水木の顔を見る。

    「もしかしてこれか?」

     その通りだと言わんばかりに頷く木霊を撫でてやり、その場にちょっとすまんと下ろしてやる。すたたたー、と走ってどこかに行ってしまった木霊を、見送る間もなかったと水木は肩を落としながら、雷に打たれて裂けてしまった木と向かい合う。雷が落ちた木は霹靂木といって雷神の力が宿るといわれているそうだ。少しだけその木を切り取って懐紙に包み、ボディバッグに仕舞った。
     木の根元に麓の神社で汲んだ水をかけ、手を合わせる。少しだけ力を貸してください、と心の中で祈りながら。

    「あれ、戻ってきたのか?……後ろにいるのはもしかして友達?」

     先ほど急いで走って行ってしまった木霊がまた水木の元までやってきて、その後ろにはもう一体の木霊。身体を押し合いへし合いしながら水木へ抱っこを強請る木霊に思わず笑みを浮かべて、水木は2体とも抱き上げる。
     木霊は嬉しそうに収まりのよいところを探してもぞもぞと動いていたが、ようやく良いところが見つかったのか満足げにしている。

    「終わった?」

     山の中では煙草は吸えないから麓で待っていると言っていた男に声を掛けられて飛び跳ねるようにそちらを向く。

    「もう下りようと思ってたんだぜ」
    「お前はまた……」

     腕の中の木霊を見つけたのか呆れたような顔でため息混じりの声を出す男に、水木も困ったように眉尻を下げて笑うしかない。

    「水木を案内してくれたんだろ?これやるから帰りな」

     男は水木の腕から木霊を下ろして、串に刺された餅をひとつ手渡した。もう一体も餅が欲しかったのか下ろしてくれと水木へ主張している。

    「ほら、もらっておいで」

     タタタ、と男の元まで走って行った木霊はソワソワとしながら餅を渡されるのを待っている。

    「おう、案内ありがとうな」

     そう言って笑いながらポンと木霊の頭の上に乗せるように餅を渡して男は立ち上がる。妖怪や小さな子にはやはり優しい男だと水木はその姿を眩しそうに眺めていた。

    「よし、霹靂木もいただいたことだし帰るか。……ボーッとしてどうした水木?」
    「へ?あ、いや、なんでもない」

     男に見惚れていたなんて言えるわけもない。適当に誤魔化して、赤くなった顔を見られないように男の前を先導するように下りていく。
     その後ろで、耳の先が染まっているのを見つけた男が笑っているのを水木は知らない。


    雨と珠
     本日は朝から生憎の雨。秋の長雨とは云うものの、こうも台風ばかりではなんの情緒もないと思う。最早傘も意味を成さないほどの豪雨など、災害でしかない。山は無事だろうかと水木は先日の木霊たちを脳裏に浮かべた。
     目の前の猫又も雨粒を睨みながら二又に分かれた尾をピシピシと打ちながら機嫌悪そうにうにゃうにゃと言っている。

    「これ、頼まれていた霹靂木。数珠にしてもらえるって本当にいいのか?」
    「木の葉天狗に手先の器用なのがいてね、小銭稼ぎがしたいんだよ奴腹は」

     木の葉天狗というものが何か知らない水木は尋ねてみる。

    「いつも貴方がたが喜んで酒をせびりに行く天狗の下請けさんみたいなもんだね」
    「天狗の中でも階級があるってことか」

     その通り、と満足げに両の肉球をぽふっと打ち鳴らして猫又は頷く。更に聞くと、普段自分達が見ている天狗よりも小さくて臆病で人前には出てこないのが常なのだと云う。

    「……ちょっと、見てみたいな」
    「ここで待ってたらその内来るよ、でも貴方の相棒とやらに怒られないかい?」

     それは、その通りなのだが。木霊や猫又が特別なのであって、本来妖怪は人前に現れないし、信用してはいけないと口を酸っぱくして言われる上に耳にタコが出来てしまうほど聞いている。けれども、手先の器用な天狗は見てみたいと思うのは別におかしくなんてないだろう。それに自分だって犬を見たら目の色変えて追いかけ回す癖にとは、口には出さないでおく。

    「猫又もいるし、大丈夫」
    「怒られてもアタシは知らないよぉ」

     猫又にも心配されてしまう俺ってと、なんだか情けなくもなるけれど好奇心には勝てない。猫又の屋台に並ぶケースなどの埃を払ったりしている間に、待っていた客人がやって来る。

    「……ギッ」
    「やぁ、来たね。あ、この人は霹靂木を取ってきてくれたニンゲンだよ、大丈夫、優しいヒトさね」
    「ギギ、」

     とてつもなく警戒されていて悲しくなるが、心の中では興奮が止まない。いつもお世話になっている天狗より小さくてサイズ感としては猫又とそう変わらない。そしてちょこんと頭に乗った頭襟に黒い嘴はそのままで。

    「いつも烏天狗には世話になってる。今日は数珠作るところが見たくて」

     屋台に隠れるように顔だけを出してこちらを見ている木の葉天狗は雨に濡れてビショビショだ。水木はボディバッグからハンドタオルを取り出して木の葉天狗を手招きする。

    「濡れるから、こっちおいで」

     おずおずと目の前までやってきた木の葉天狗の顔をタオルで拭いてやると、気持ちよさそうに目を細めるので思わず笑みが溢れる。

    「足置きでよければ座りなぁ」
    「すまん、ありがとう……ってここに座るのか?」
    「ぎゃあ!」
    「あれあれまぁまぁ」

     猫又の用意してくれた踏み台に座ると、木の葉天狗は水木の膝の上をその小さな体でよじのぼってちょこんとその身を収めた。驚く水木と猫又などそっちのけで背中につけた背負い袋の中から小刀を取り出して、削り始める。

    「へぇ、器用なもんだな」

     次々と木のかけらから珠が出来上がっていくのを水木は感心しながら見つめる。猫又とぽつぽつと話をしていても集中しているのか木の葉天狗の手は止まることがない。
     1時間ほどで削り終わった珠は穴が開けられて数珠が組み上がる。木の温かみのある数珠をポンと手に乗せられた。

    「もう出来たのか?早いな」
    「ぎ、ぎゃ!」
    「腕に着けろって言ってる」
    「ん」

     促されるまま手首に巻くとピッタリで、そして身体の中から力が湧いて来るような気がした。

    「ぽかぽかしてあったかい、良いものをありがとう」
    「ぎゃあ!」
    「お力になれたようで何より、これからもよろしく頼むよぉ」

     木の葉天狗も満足げに頷いて水木の膝から降りて、ふわと浮いた。猫又に冥貨をいくらか貰っているがもう帰ってしまうのだろうか。

    「あっ、これ前に餅つきしたやつ」

     男が分けてくれた串に刺した餅を木の葉天狗に渡すと嬉しそうに両手に抱いてから背中の袋に詰め込んだ。

    「ありがとな、また頼んでもいいか?」
    「ぎゃっ!」

     風が一巻き。一瞬で姿を消してしまった木の葉天狗に一抹のさみしさを覚えつつ。

    「とんだ妖怪たらしだよぉ」


    「おい、これ!数珠作ってもらったんだ!」
    「今日猫又に材料渡したんだろ?随分早かったね」
    「木の葉天狗がな、その場で削ってくれたんだ」
    「は?」

     やば、と慌てて口を噤むが時すでに遅し。背後に不動明王を背負いながら男はとてつもなく怖い顔で水木を見ている。

    「ね、猫又もその場にいたし!全然危なくなかったし!」
    「俺は言ってるよな?妖怪を信用するなって」

     だってだって、とその場を躱そうとするも怒り心頭な男は治らない。その後しこたま怒られてシワシワになりながら夕飯の準備をする水木の姿があったとかなかったとか。


    「ああ、この前はどうも。アナタの相棒気を付けないといけないよ」
    「わかってる、どれだけ言っても直らん」
    「今時珍しい子さね、膝に木の葉天狗も乗せちゃってね」

     猫又と相棒と呼ばれる男から発せられる大きな溜息が重なった。


    誰そ彼
     日が落ちるのも早くなり夏と同じ時間なのに気が急いて、水木は早足でエコバッグをガサガサと鳴らしながら歩く。
     夕日に向かって歩いていることもあって、対向してくる人や車が判別しにくい。眩しさから普段は通らない神社の境内を横切ろうと鳥居を潜る。
     と、向かいからやってきた何かとぶつかってしまった。とんと軽い衝撃から幼い子かもしれないと慌てて手を伸ばす。

    「おっと、すまん」
    「こちらこそ、っておや」

     落ち着いた声に目を凝らしてよく見ると、猫又で。まだ人間も多い時間帯なのに大胆だなぁと話しかけてみる。

    「こんな時間にどうしたんだ?」
    「黄昏時、ってやつだね。これからお商売に行くのさ」
    「ふぅん?」

     たくさんの猫又を見てきたから目の前の猫又がどの子であるのか判別は出来ないけれど、どの子も商魂逞しくて何よりだと思う。

    「あれれ、ニンゲン!」
    「うん?」
    「ニンゲンだ!」

     いつの間にやら色とりどりの毛皮に囲まれており、気配に気づかなかったと苦笑する。ふくふくとした体にしっとりとした毛並みは美しい。よくよく見ると柄がそれぞれ違うようで新たな発見だ。

    「こんばんは、みんなでどこ行くんだ?」
    「下の神社まで!屋台っていうのは儲かるから」

     儲かるんだ、と声に出すともちろん!と元気な声が返ってくる。どの子もみんな個性的で可愛いなぁと思って見ていたが、ふとこの場にいない相棒のことを思い出した。街中のあちこちにいた犬や猫には拒否の姿勢を貫いていたが、妖怪である猫又にはこれといって抵抗感のようなものはなかったように思う。やはり妖怪とは違うものなのだろうか。

    「なぁ、肉球タッチのサービス今日もやってる?」
    「君も欲しがりさんだねぇ」

     やれやれとヤケに人間臭い仕草で肩を竦ませた猫又はこちらにふっくらとした前脚を差し出してきた。ありがとうとその前脚を下から掬い上げるように触れる。ふわふわと柔らかい毛と、これまたしっとり柔らかな肉球の手触りが気持ち良い。数回やわやわと揉んで手を離す。

    「ありがとな」
    「お礼は神饌で配ってるお餅でいいよ」
    「え、今は持ってないんだすまん」
    「いやいや、後ろのヒト」

     え?と振り返ると心底機嫌の悪そうな顔をした男が壁にもたれ掛かりながら佇んでいた。

    「わっ、いつからいたんだ!?」
    「猫又にサービスを要求したところから」

     俺がいたから水木はそのサービスにあやかれたんだよ、と溜息を吐きながら言う男は呆れ顔だ。

    「……声かけてくれたらよかったのに」

     思わず唇を尖らせて遺憾の意を示してみる。鬼太郎の前で猫娘がやると少し押され気味になるので効果の程はと顔を盗み見るも、先程と変わった様子はない。流石にダメか、と諦めて隣に並び立つ。

    「水木、本当に何回言ったら分かるんだよ。妖怪とは「馴れ合うな」」

     だろ、と重ねて言えば苛立たしげにポケットから煙草を取り出していつものようにトントンと叩く。中々飛び出して来ない煙草にも苛立たしさが募るのか、チッと舌打ちをしている。男よりも先に自分の煙草に火をつけてひと吸い。

    「猫又も、他の妖怪もいなけりゃ俺たちこうしてここにはいなかったと思うけどな」
    「それとこれとは話が別だ」
    「いつの時代もお前さんたちは仲良しだねぇ」

     男の文句がヒートアップしそうで冷や冷やしていると、4対の目がこちらを楽しげに見ていて毒気を抜かれた。

    「買い出しに出た恋女房を迎えに来たら道草食ってたってとこだね」

     ウニャウニャと口々になんとも聞き捨てならないことを言っている猫又に水木よりも先に男が食って掛かる。

    「それを引き留めてたのはお前らだろ」
    「楽しいからね」
    「はぁ〜これだから伊達に歳食ってるような奴らは信用ならないんだよ」
    「はいはい、まいどあり〜」

     これ以上は無駄だと男も悟ったのだろう。ボディバッグから串に刺さった餅を一匹ずつに渡す。

    「お前たちで最後だよ」
    「わかってるさ」

     ありがとね、と猫又たちは嬉しそうに串餅を抱いてこちらに手を振り消える。今度こそ商売をしに行くのだろう。

    「……迎えに来てくれたのか?」
    「そうだよ。ほら、帰るぞ」

     いつの間にか手に持っていた荷物は男の手に提げられていた。もしかしなくても恋女房というのは自分のことなのだろうかと水木は回らない頭で考えて、頬を赤く染める。
     夕陽が赤く照らしてくれて、よかった。
    果てなき夢に沈む夢

     魑魅魍魎が跋扈する極東の魔都東京。
     などと言うと余りに仰々しいと馬鹿にされるだろう。強ち間違いではないのだが、一般的な人はそれらを見ることが出来ないというだけでありとあらゆる魔が生まれては消えて行く。それこそ生者と同じように。
     そんな東京で人知れず魔や怪奇と対峙する特異な者たちが集まるアジトがある。SNSにまことしやかに語られる都市伝説や噂を辿り、時には噂の出所からコンタクトを取りながら、人々の知らぬところでこの世の未練を断ち切らせているのであった。
     対怪異のエキスパートたちが集まるアジトにまた怪異がひとつ。

    「何も聞かず、呪いを解いてほしい」

     一枚のメモ書きにはこう記されていた。住所を公開していないと言うのに家に届けられたひとつの箱。
     男は箱を開けて後悔する。このような禍々しい気を発するものなど見たことがない。いつもは隠している耳や尾が飛び出してしまっている。
     両手で包めば収まるような精巧な寄せ木細工の正二十面体。説明書には何やら絵が描いてあり、この寄せ木細工はカラクリが施されている物のようだ。
     熊、鷹、そして魚へとその姿を変えるようで、両手で掴みくるくると回しながら親指で押さえていくとカチ、と鳴るところがある。これをずらしながら解いて行くのか。触れていると指先から冷たいものが通るようなそんな感覚が男を襲う。
    ──これは生気を抜かれている……?
     触れている時間が長ければ長いほどこの呪具にとっては良いのだろう。パズルにすればそれだけ触れる機会も増える、上手く出来ている。

    「親父さん、これは不味い。ひとまず俺と親父さんだけの秘密だ。女共や水木には絶対に見せないでほしい」
    「お主ならそう言うと思っておった。仏壇の中に隠しておくから折をみて頼むぞ」
    「はい」

     男と目玉親父の間でこのような会話があったのは、三日前。男が解呪の方法を探るために家を空けていた時に事件は起こってしまう。



     ちょうど太陽が真上に来る頃、水木は鬼太郎の住む家へやって来た。普段は男と共に別の家に住んでいるのだが、人手が欲しいと言われればこうしてやってくる。人としての理をやめてしまってからもうふたつもの年号をこえてきた。
     人知れず戦う彼らの手伝いをしたいと、あの時側にいてくれたゲゲ郎や鬼太郎の力になりたいと、水木は心から望みここにいるのだ。狐耳の、あの男にも返しきれない程の恩もある。

    「鬼太郎」
    「ああ、水木か。父さんと狐の人は今出掛けてますよ」
    「そうか。いや、連絡があったから何かなと思って」
    「もうすぐ帰ってくると思うけれど」

     鬼太郎に言われるまま家に留まることになった水木は、手持ち無沙汰なこともあり散らかり放題の居間を片付けようと端から書類を集めていた。そして普段は隠してある仏壇が表に出ていることに気付き覗き込む。何やら奥の方に箱が置かれていて、普段であれば決して手に取って勝手に開けるような真似はしないのにどうしてかその箱の中身が気になって仕方がない。
     鬼太郎に尋ねてみようか、もし断られたら?どうしても中身を見たくて堪らない。そんな衝動が抑えきれず、水木はとうとうその箱を開けてしまうのだった。

    「何だこれ、サイコロ?にしては変わってるな」
    「水木、何かありました?」
    「鬼太郎。これが仏壇のところにあって」
    「カラクリ付きの寄せ木細工ってところですね」

     箱から取り出して見ると箱の底には説明書のようなものがある。古めかしい紙には正二十面体と共に動物の絵があり、鬼太郎の言うカラクリ付きは形が変わるよということなのだろうと理解した。

    「動物の形になるみたいだ」
    「へぇ、結構凝ってますね」

     この時はこれが危ない物だとは理解できておらず、意図して仏壇に仕舞われていたのだと水木は気付く由もなかった。
     おにぎりのように手で持って親指を面の上に滑らせるとカチ、カチとスライドしていき陥没してまた別の面が動く。無心で続けていくと段々と前脚部分などが出来上がり動物の形になって行くのだから面白い。水木は当初の片付けは放り出して夢中になってカラクリにのめり込む。
     鬼太郎もあの水木が珍しいと思って眺めていたが、あまりに集中しているのでそっとしておこうと時計を見たのが午後14時。猫娘からこっちに寄ると連絡があったのは午後16時。静かなリビングに寝てしまったのかと覗き込むと、最初に見た時と同じ体勢で例の寄せ木細工に夢中になっている水木の姿。
     ゲームやパズルに夢中になる子どものような、本来ならば微笑ましいそれは最早異常だ。カチカチと、音を立てて何かを生み出そうとしている。

    「水木!」
    「あっ、え?もうこんな時間…なんだか夢中になっちまって、」
    「それを離してください。親父さんや狐の人が帰ってくるまで触れないで」
    「……うん」

     鬼太郎が見守る中水木はその細工を箱に入れて戻す。鬼太郎がホッとした顔をするので、これはよくない物なのだと水木は理解する。人をやめてはいるが、男が側にいないと特別な力を発揮することの出来ない水木は、その良くない物の気が読み取れない。

    「僕は妖怪ポストの件で出掛けますが、父さんの帰りを必ず待ってください」
    「わかったよ」

     鬼太郎が出掛けてひとりだけになった室内で、水木は途端にソワソワとし出す。頭ではダメだとわかっているのに身体が勝手にあの箱に手を伸ばそうとするのだ。好奇心だけではない。これは本当に不味い、とどうにかして気持ちを抑えているが手はその箱に伸びてしまっている。少しだけ、見るだけ。
     カタ、と箱が鳴る。壊してしまったのかも、確認しなければ。
     水木はまた、箱を開けてしまう。その手はまた夢中で細工を弄り続けて、どんどん姿を変えるそれがどうしても面白くて堪らない。心と身体が乖離している。
    ──頼む。早く帰って来てくれ。
     止まらない手に、水木は相棒へと必死に呼び掛けるのだった。

    ***

     何かあった時のために水木へと連絡をしておこうと電話を入れるが、取り込み中だったのか取られることはなかった。最後の最後まで共に連れて行くか迷っていたが、解呪は早いに越したことはない。後悔ばかりの人生、更にこの誤った選択に後悔することになる。

     男は島根県に降り立っていた。この正二十面体を知っていると言う宮司がいる。出雲大社のお膝元、神気が満ちていて動きやすい。あれも、一緒に持ってこれば良かったと男は内心舌打ちをする。
     今の時代は神職や神仏の教えを説くものも積極的にSNSとやらを活用しているらしい。そういったものに疎い男にとってはなんとも洒落臭いと思ってしまうのだが、こういった事態の際に連絡を取り易いというのは大変に助かる。
     まなが噂を流すようにインターネットを海へと泳がすとすぐに食らい付いた。「それは今すぐにでも解呪しなければいけない。人に触れさせてはいけない、直接話がしたい」そういった旨の連絡が来たらしい。
     胡散臭いのはお互い様。男ですら一目見てとんでもないものだと気付いたのだから、これの正体を知っているならば自分たちのような狐狸の類であったとしても手を借りたい。あんなものがまなや猫娘、鬼太郎、ましては水木の手に渡ってしまったらと思うと気が気でない。
     落ち合うのは当人が宮司を務める神社。どんな山奥のどんな辺鄙なところへ案内されるかと思ったら意外や意外、町中にある割と大きな社殿を持つ神社で男は目を瞬かせた。

    「貴方が妖怪ポストの関係者ということでよろしかったですか?」
    「あ、ああ」

     歳の頃は35、6といったところか。涼やかなさっぱりとした顔に柔和な笑みを浮かべて立つその姿はどこか水木を彷彿とさせる。

    「RINFONEはあなたがお持ちですか?」
    「いや、今は持ってきていないが隠してある」
    「それはよかった。あれは持つ人の生気を奪う呪物です」

     やはりその手の類のものだったかと男は神妙な顔で話を聞く。手に持った時の力が抜けていく感覚は生気を抜かれていたのだ。

    「RINFONEは小さな地獄と呼ばれています」
    「地獄?」
    「簡単な言葉遊びでしょうか、RINFONEを入れ替えるとINFERNOになる」

     起こりはローマ帝国の皇帝ネロがキリスト教徒を迫害したところまで遡る。当時多神教であったローマでは皇帝をも神と崇められていたが、キリスト教徒たちはイエスのみを神としていたこと、神の前ではみな平等だという教えが貴族たちからは嫌われていたことなどの理由で強制的に逮捕され処刑されたのだ。弾圧されたキリスト教徒たちはカタコンベなどにこもり細々と信仰を続けながら弾圧者をその地獄に閉じ込めるために作られたのがこのRINFONEだという。
     熊、鷹、魚へと姿を変えることもキリスト教を表しているといわれている。自然界の弱肉強食を逆さにしたフォルムチェンジ。

    「魚のあとに、門へと更に姿を変えるんです」

     地獄の門。その前は魚。かつて魚はイエスを示すシンボルであった。迫害されていたものたちが逃れるために共通のシンボルを用いていたとされる。
     最初に作ったものたちの気持ちを知ることは適わないが、家族や知己が異教徒たちに害されていく悲しみや憎しみがこのようなものを作ったのだろうと思う。魚を食べる鷹や熊を地獄へと導いてやろうと。
     そしてこの宮司が何故それらを理解しているのか。

    「島根には隠れキリシタンがいたんですよ」

     ここ日本でも迫害されたキリスト教徒たちがいた。宗教など所詮人間が作り出したものに過ぎないというのに、教えが違うと争い合うのだ。遥か昔に見た光景を男は思い出す。

    「さまざまな国でさまざまな時代で作られたんですよこのRINFONEは」
    「……呪いを解いてほしいと送り付けられた」
    「誰かがもう閉じ込められた、ということですか?」

     それはわからない、と首を振ると宮司は眉間に皺を寄せて考え込む。男も隠してあるとはいえ家に未だあるということが気がかりだ。

    「少々お待ちいただけますか?」
    「おう」

     そう言って席を辞した宮司を見送った男は、本殿をぐるりと見回す。御簾や垂幕もどれも古いものではあるが埃などは一切無く綺麗だ。通ってきた境内や廊下も雑草や落ち葉もなくて、手入れされているのが見て取れた。狛犬も阿吽で二体、前掛けは比較的新しく思えたが、雨風に晒されることもあって新調したのだろう。
     けれど何かが男の中で引っ掛かり、警鐘を鳴らしている。このままあの宮司を信用しきっていいのかと。水木にも口を酸っぱくするほどこの手の人間たちや妖怪には気を抜くな、信用するなと言ってきた。何だ、何がこうも男を焦燥させるのか。

    「お待たせしました」

     そうこうしている内に宮司が帰ってきてしまった。手には木箱と数枚の札を携えて。

    「RINFONEを新聞紙で包んでその上にこの札を貼り、この木箱に入れてこの神社まで送り届けていただきたいのです」
    「アンタが地獄の呪いを解いてくれるっていうのか?」
    「その通りです。もしかしたらもうその門を潜ったものがいるかもしれない。そうなればその門は次々と新たに人を引き摺り込んでいく」

     解呪は早ければ早いほど良いのです、とそれらしいことを語ってはいるが、この男本当に人間だろうか。人には特有の匂いがあるのに、一切しないのだ。感情だってその匂いのひとつでもある。

    「ところで貴方のご友人、危ないのでは?」

     ピリッとした空気が肌を刺す。やはり人間では無さそうだ。

    「俺は今は持って来ていないし、隠してあるとは言った。けどな、そこに他の人間がいるとは一言も言ってない」
    「アレ?そうでしたか?いやはや、気が逸ってしまっていけない」
    「おい!」

     風の通らない屋内でザワザワと御簾が揺らめく。伸びていく影が形作るのは獣の様でヒトの形をしている。

    「ああ、勘違いしないでいただきたい。私が送り付けた訳じゃないのです」

     ちゃ、と指先に妖力を集中させると慌てる様子もなく飄々とした様子で弁解をしている。

    「信じる義理はあるか?」
    「ご友人、」
    「あ?」
    「彼はもう既に第二段階まで来ています」

     水木の野郎、アレを見つけてしまったというのか。しかも第二段階まで組み上げたというのだから変に器用なのも考えものだ。水木が不器用でどうしようもない男であれば良かったのにと今ほど思うことはない。

    「連れて行かせるかよ」

     自分でも凶悪な顔をしていると思うが、目の前の似非宮司も一歩引いているのが分かり思わず笑ってしまう。
     欲しくて欲しくて、人の真似をして人間社会の面倒なところまで追いかけ回したというのに、どうしてポッと出の訳のわからないやつに横からかっ攫われなければならないのか。そんなもの、絶対に許すわけがない。
     幽霊族にだってそんなこと許していないぞと。

    「覚悟も出来てないのに人のものに手を出されちゃ困る」

     昔の自分ならばこのまま胸倉を掴み締め上げて乱暴に吐かせただろうが、「なんでも力づくというのはいただけない」と頭の隅で相棒が嗜めてくるので、趣向を変えるとする。

    「で、何が目的で呪物を欲しがる」
    「……この世の憎しみそのものが欲しいんですよ、ただそれだけです」

     迫害されたものにはそれなりの理由があるってご存知ですか?と宮司は続ける。

    「ただキリスト教徒だから迫害された、と当時のキリシタン達は思うでしょうね。宣教師たちはただキリスト教を布教するためだけに外国を目指したわけじゃないんですよ」

     ここ石見には銀が欲しくて、長崎へは人間を。その他の国でも宗教の布教をしながら国を乗っ取る口実を伺っているのだから、末恐ろしい。ただお互いがお互いを憎む姿がこのRINFONEなのだそうだ。

    「だからあなたの大切な人が取り込まれる様は求めていないのです、そこに憎しみなどありはしない」
    「どうしたらいい」
    「先程伝えた通り、札を貼りお送りください」

     急いで、手遅れになる前に。


    ****

     熊を完成させた水木は、取り憑かれたように寄せ木細工に着手していた。正二十面体から組み上がった熊は本当に見事な出来で、これが従来のパズルであったらこの状態で皆に見せて回るのに、すぐに次の形態へ行かねばと、手が勝手に寄せ木細工へと伸びていく。
     そんな中水木のスマホに着信。あいつだろうかと一抹の期待を胸に画面を覗き込むと。

    「……彼方、」

     そんな人物を登録などしていないというのに。しかし取らないという選択肢などないと、スマホを手に取り通話ボタンをタップして耳に当てる。

    「もしもし?」
    『…ザザッ、して……!ここから、出して……っ!』

     電波が悪いのか向こうから雑音混じりの声が聞こえてくる。出して、とは。
    気を取り直して水木は再度寄せ木細工に向かう。悲しいかな、今日は誰も帰ってこないため他の面子の食事を用意する必要もなく、手を止める理由がない。食事をすることも忘れて没頭してしまうのであった。

    「こんにちは!」

     玄関から溌剌とした明るい声が響く。水木は顔を上げて、その声に応えた。

    「まなちゃん、こんにちは」
    「水木さん!こんにち、は……何それ」
    「え?これ、寄せ木細工のパズル。どうしてか手が止まらなくて……」

     そう説明する水木に顔を顰めたまなはツカツカと水木の前までやってきて寄せ木細工を奪う。

    「これはダメ」
    「ど、どうして?後もう少しで鷹が出来上がるからそれからでも、」
    「それがいけないの!絶対に触っちゃダメ!」

     手から離れたことから不安感のようなものが襲いどうにかして取り戻そうと手を伸ばすと、寄せ木細工を後ろ手に隠したまなは毛を逆立てて威嚇する猫のように水木を強く止める。

    「これは人が触っちゃダメなものだよ、水木さん。親父さんや狐さんが帰ってくるまではひとりにならないで」

     神妙な顔で言うまなにただ頷くだけ。鬼太郎にも止められていたのに自分ではもう制御することが出来ないと、水木は両手で顔を覆いソファーに沈み込むように座る。

    「ご飯は食べたんですか?ドーナツ買ってきたから一緒に食べましょう」
    「……うん、ありがとう」

     甘いドーナツに甘いカフェオレを用意してくれたまなにお礼を言いながら食べることに集中する。少しでも気を抜くと寄せ木細工のことがどこからかやってきて思考を奪われてしまう。

    「狐さんから連絡はあった?」
    「……変な電話がかかってくるようになったから電源切っちゃってる」

     そっか、と隣に座ったまなが水木を慰めるように肩にもたれかかりながらあれこれと話しかけてくれるのが心強い。自分の方が歳上なのに気を遣わせているなぁと苦笑する。

    「ごめんね」
    「たまにはこんなこともあるよ、水木さん」

     ポツポツと話しながら男の帰りを待っていると、昨日までは感じなかった眠気がやってくる。

    「眠い?寝てもいいですよ」
    「うん、そうさせて……もらうよ」

     ことりと充電が切れたようにまなにもたれ掛かりながら眠る。まなの顔には焦燥の色。手に持ったスマホで絶えず男へと状況の説明をするが、まだまだその距離は遠い。

     水木が目を覚ますと辺りは真っ暗な洞窟のような場所にいた。家で眠くなってまなにもたれて寝たことは覚えているからここは夢の中なのかもしれない。ここにいたとしても状況は変わらないと澱みの中を歩き始めた。

    「出せぇ……ここから、出せぇ」

     どこからともなく響いてくる声に水木は身震いする。ずっと叫び続けているのだろうその声はもう掠れてしまっており、けれどもその声が聞き取れたのはひとりやそこらの人数ではないからだろう。大勢の人々が出してと叫んでいるのだ。

    「ここから早く出ないと」

     声のする方へ歩いていくと、予想した通り大勢の人であっただろう者達が聳え立つ壁に向かってよじ登ろうと爪を立てている。その姿はさながら亡者のようで恐ろしい。壁を登り切った先にこの人たちが解放されるためのものがあるのだろうか。
    ──もっとよく見たい。
     近付きすぎたのが良くなかったのだろう。カツ、と足元にあった石ころのようなものを蹴飛ばして音を立ててしまった。バッと大勢の目がこちらを向く。やば、と思ってももう遅い。
    「生者、生者だ」「生きてる」「ここから出る時に連れて行ってもらおう」
     譫言のように言いながら両手を伸ばして水木の方へやってくる。これはまずいことになったと、後退りするもあの数からは逃げ切れない。それでもと洞窟の奥へと向かい走る。真っ暗闇の中追われて走り続けていると、何かに足を取られてその場に転んでしまう。

    「つ、捕まえた!」

     亡者たちは水木を押さえ込んで、また壁の方へ引き摺って行こうとする。転んだ時も、こうして引き摺られている今も、はっきりとした痛みがある。夢だと思っているのは自分だけで、もしかしたら妖怪や霊による干渉を受けている可能性もある。中にいるのが自分でよかった、男ならばどうにかしてくれると水木はここにはいない相棒へと思いを馳せるのだった。

     寝ている水木の寝息が苦しげに変わったのに気付いたのは水木が寝付いてから1時間ほど経った頃だった。まなは慌てて水木を揺り起こそうとするが、瞼は開こうとしない。

    「水木さんっ、水木さんっ!」

     ぎゅっと眉間に皺を寄せて苦しそうな吐息が漏れている。どんな悪夢を見せられているのだろうか。一向に目を覚ますことのない水木をただ心配そうに見つめることしか出来ない。額に滲む汗を拭ってやり、時折声をかけて。こんな時に頼りになるのはやはり鬼太郎や狐の男で。まなはスマホを握りしめながら男たちの帰還を祈る。

    ****

    「水木!」

     バタバタと足音を立てて部屋に入る。新幹線を降りてから天狗たちには無理をさせて乗り捨てる早駕籠のように空を一直線に帰ってきた。脱ぐ時に引っ掛かった靴があちこちに飛んでいるのは後から直すからと、廊下を抜けてリビングから上がる声の元へ。

    「水木さん起きないの!」
    「何?……おい、水木?水木!」

     まなの肩にもたれ掛かったまま動かない水木の名を呼ぶが、反応がない。はふ、と苦しげに漏れる息に焦りが浮かぶ。RINFONEから手は離れているというのに生気は吸われているままだ。

    「印!印結びは!?」
    「印を結んだところでなんの解呪にもならん」

     こうしてる間にも水木は弱る、出来るだけ早く手を打たなければと男は立ち上がる。

    「この手は使いたくなかったが……アイツら最初から分かってたみたいで腹が立つ」

     まなには出ると伝えて、鬼太郎と目玉親父、砂かけや子泣きも呼んでおく。こうなったら総力戦だと。

     夜の街を駆け回り、漸く目当ての屋台を見つけた。呪いのビデオや心霊写真など神秘学者と謳う猫又ならばこの呪物にも詳しかろう。

    「ねぇ、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
    「はいはい、来たね」
    「その様子だったら分かってるかと思うけど、うちの相棒が困ったことになってる」

     待ってたよと言わんばかりの対応だが、なりふり構っていられない。そのための餅つき、そのための神饌だ。

    「先払いしてある。オマエたちに力を借りたい」
    「あの坊やには世話になってるからね、助っ人を呼ぶよ」

     ぽふ、と肉球を打ち鳴らすとどこからともなく木霊が降ってくる。一体、二体と慌てて腕に抱えて上を見ると鎌鼬がぽいぽいと木霊を投げていた。地面に下ろすとわちゃわちゃと身を擦り付け合い二対の枝を男に寄越す。

    「榊か?」

     男の手に渡ったことを見届けて木霊は一体をその場に残して消えてしまった。そして一陣の風。天狗、にしては小さい。これが水木の言っていた木の葉天狗だろうか。ジッと見詰めていると、おずおずと男に近寄り顔を逸らしながら握った手を伸ばしている。何かを渡したいのかと手のひらを上にしてそっと差し出すとポトリと置かれる数珠。軽いそれは霹靂木で出来たものだ。

    「……悪いな、もらうよ」
    「ぎっ!」

     数珠を腕に着けるとまた風が吹いて木の葉天狗は消えてしまう。

    「準備はいいかい?とっておきのお客さんだよ」

     音もせず目の前に現れたのは見たこともない妖怪。鼻は象のように長く、体は熊だが脚は虎のような柄、細い尾は牛か何かだろうか。

    「なんだコイツは」
    「貘だよ狐っ子」

     貘、というと悪夢を食べるとかいう妖怪であったか。日の本にも姿を現すなんて珍しい。凪いだ瞳は男を飲み込んでしまいそうなほど黒く底が見えない。

    「一反木綿を呼んだよ!乗せてもらいな」
    「こげん大きな男ん人は乗しぇとうなかよ」
    「コイツめちゃくちゃ嫌そうだぞ」
    「相棒に感謝するんだね!渋々だってさ!」

     猫又は豪快に笑いながら手を振る。私らに出来ることはここまでだよ、と男の背を押した。

    「今度は二人で来るんだよ」
    「おう、ありがとうな」

     何百と生きてきてこの方こんな風に子ども扱いをされたことなどないので戸惑うが、古参の妖怪たちにとって男も幼子と変わらないのだろう。
     一反木綿に体を乗せると、思いの外安定していて驚いた。ちらりとこちらを一瞥し先導する貘に着いて飛ぶ一反木綿は何を考えているか全く読めないが、こうして乗せてくれているのは妖怪達が皆水木に懐いているからなのだろう。木の葉天狗など目も合わせてくれなかった。
     家に着くと、ベランダへ降ろされる。反対側ならどうにでも出来たというのに、なんとも締まらないなとガラス戸を叩いて中にいるだろう人物を呼ぶ。

    「はいはい、おかえり」
    「……水木は?」
    「変わらないわ」

     そうか、と返事をして靴を脱いでソファーを覗き込むと相変わらず苦しそうな顔で眠る水木がいる。ぬうっと影が落ちて振り返ると貘は、水木の真上でぐるぐると回っている。

    「何この変わった生き物」
    「貘だとよ」
    「中国から伝わったとされる伝説上の生き物で、貘の毛皮を敷いて眠ると悪気を祓うのだとか」
    「悪夢を食べるのは?」
    「それは日本でだけだね」

     ふぅんと興味も無さそうに相槌を打つ猫娘はまなと並んで心配そうに水木を見つめている。
     バクンッ!
     突然水木から飛び出した何かを貘が丸呑みにした。

    「何か食べたよ!?」
    「じゃあさっきのやつが悪夢なのか?」

     全員が戸惑っていると、貘が男の前までやって来てこっちに来いと言わんばかりに引っ張る。

    「な、なんだ」

     先ほどよりも若干緩んだ表情の水木。長い鼻でトントンと水木の肩を叩いている。触れということだろうか。

    「……水木」

     貘と同じように肩を叩こうと手を伸ばすと、黒い靄のようなものが現れて引き摺られる。これは遠い昔悪さをした時に閉じ込められた時のような感覚だ、と理解した時には意識はブラックアウトしていた。

     パチ、と目を開けると洞窟のような場所。穢れとは違うコールタールのような澱みが体に纏わりつく。ここに水木がいるのだろうか。
    ……せぇ、ここ、から……出せぇ……
     遠くから声が響いている。ここから出せということはRINFONEに閉じ込められた人間の成れの果てということか。声のする方に歩いていくと、何かを囲んでいる集団が目に入る。
    「生者に着いて行けば出られる」「早く出せ」「オレたちを連れて行け」「出せ」「出たい」
     もう肉体は朽ちたであろう亡者たちはここから出るための生贄のようなものを囲んでいるようだ。生者、着いていく。もしやと真ん中に蹲るものを見ると、見知ったスーツのジャケット。

    「っ、水木!!」
    「生者!捕まえろ!」
    「クソ野郎!お前らなんかに捕まってたまるかよ!」

     こんな場所でも狐火は有効なようで、両手に大きな狐火の塊を作って、放つ。散って行く亡者たちから水木を取り戻して腕に抱える。ぐったりと意識のない水木に怒りが込み上げる。
     指先に妖力を集中させて、その充填の速さに驚く。これが霹靂木の数珠の恩恵か。狐火を弾丸のように撃ちつつ距離を取るが、その形に果てや終わりはない。崩れ落ちてもまた蘇るのだ。残弾に気を付けながら、片腕には水木を庇いつつの戦闘は中々キツい。どうしたものかと思考を巡らせる男の前に突如として現れたのは家にいる筈の貘。
     スィーっと目の前を先導するように飛んでいく貘を追う。鉢合わせた亡者を薙ぎ倒しながら進んでいると、登れそうもない大きな壁にぶち当たる。

    「おい!どうすんだ!」

     焦る男に貘はボディバッグを鼻で指す。この中に必要なものが入っているのだろうか。鞄を開けて開くと木霊から預かっていた榊が一対。

    「これか?」

     こくんと頷く貘は壁に開けられた穴を指して、榊を差し込むように指示をする。半信半疑でその穴へと榊を差すと、みるみるうちに辺りが眩い光に包まれた。

    「あ、合ってるのかこれで!」

     光が収まり、大壁には扉がついている。本当に妖怪の言うことを信用しても大丈夫なのか、男の中で葛藤が起きるが背後からは亡者達が迫って来ている。ええい、ままよと。
     再度光に包まれて意識が飛ぶ。最後に見た貘の顔は穏やかに微笑んでいるようだった。

    ****

     目覚めると今度こそ家の天井だと水木はホッと息を吐く。そして顔にかかる影に気付くと、思わずギョッとした。

    「お、はようございます?」

     アジトの面々が水木の顔を覗き込んでいたのだ。これはきっと心配をかけてしまったに違いないと、なんとも気の抜けた挨拶をしてしまったことを後悔する。

    「水木!」「水木さん!」

     目玉親父とまなの声が綺麗に重なり、二人が水木にまとわり付いた。まなに至っては目尻に涙が溜まっていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

    「迷惑をかけて悪かった」
    「ほ、ほんとにね!心配したんですから!」

    わんわん泣くまなと、ホッとした顔の鬼太郎や猫娘。

    「お姫様、ようやくお目覚め?」

     頼れる相棒の姿に思わず水木は大きな声を上げながら体を起こす。いつもならば憎まれ口や揶揄うような発言をすることが多い男が、やけに優しく頬に触れてくるものだからドキッとする。

    「調子悪いところはないか?」
    「な、ない!」

     正直男の方が調子おかしくないか?と聞いてしまいそうになったが、必死にその衝動を抑え込む。

    「RINFONEに引き摺り込まれてたんだよ」
    「RINFONE?」
    「サイコロみたいなパズル。あれは呪具だ」

     とっておきのね、と真剣な顔で語られる内容にゾッとする。そんなものに触れていたなんてと水木は顔を俯かせた。鬼太郎にもやめろと言われたのにどうしてかやめられなかったことにも理由がつく。放っておけばまた別の人が同じように取り込まれていたことだろう。

    「これは島根の神社に送る」
    「どこかへ行っていたのはそれか?」
    「うん。親父さんと二人で隠したんだけど、勝手に出てくるくらいには強力な呪具だ」

     新聞紙で包まれたRINFONEはさらにガムテープでぐるぐる巻きにされてお札が貼られている。見たことのない札だ。

    「いいか、もうこれのことは忘れるんだ」
    「おう」

     木箱に納められたRINFONEは親父さんの指示により一反木綿に乗せられて運ばれて行った。そしてまた果ての無い長い旅へと出るのだろうと、ぼんやりと水木は思う。

    「疲れたろ、ほら手貸して」
    「こうか?」

     差し出された手の上に己の物を乗せるとぎゅうっと握られる。そして仄かに温かいものが流れ込んで来るのがわかって男の顔を見ると心配そうな色を灯した目が合った。吸われた生気を分け与えてくれているのだと気付いて、ホッと息を吐く。この温かさは男の優しさそのものだと水木は微笑む。

    「すまん……その、ありがとう」
    「うん」

     この時同じ部屋には目玉親父以外のメンバーがいたが、二人の間に流れるそこはかとなく良い空気の邪魔はしないように黙っていた。いつもの男ならば烈火の如く怒り狂っていただろうが、妖怪に甘い水木のお陰で水木自身を救ったのだから何も言えないのだろう。
     甘やかして罪悪感を覚えさせることが目的なのだと知っている鬼太郎は「これだから年食った策士は」と内心悪態をついたりなどと。


     ゆらゆらと夜空に浮かぶ眩い月が何もかもを照らす。今日は満月かと空を見上げて、笑う。

    「いらっしゃい」
    「この間はありがとう、迷惑をかけたみたいで悪かったよ」

     霧が晴れても変わらず猫又はひっそりと屋台を出していた。人に見られたりはしないのかと心配になるけれど、必要な人や妖怪にしか感知されないのだと猫又は言う。

    「お礼を言いに来たんだ、あいつを手伝ってくれてありがとな」
    「狐さんがくれた神饌分の働きってところだから気にしないでいいんだよ」

     だからこれ以上は過分になるからね、また今度お手伝いでもしてもらうよと朗らかに語る猫又は男にどれだけ言われようと警戒など出来ない。足元に走ってやって来た木霊たちを抱き上げてありがとうと礼を言うとプルプル震えていいんだよと体で示してくれるのが可愛らしい。

    「ぎっ!」
    「わっ、びっくりした。木の葉天狗もありがとうな、あいつも助かったって」
    「ぎゃぁ!」

     頭に乗っかるようにしがみつく木の葉天狗に笑いかけてやる。こんなにもいい子達だ、水木よりも恐ろしく歳上だろうけれど。

    「はぁ、本当にどれだけ言ってもこの様だ」
    「妖怪の母親みたいになっててこっちからしたら面白いけどね」

     男は腕を組み、妖怪に囲まれている水木を見つめる。母親ねぇ、と呟きながら腕に木霊を抱いて木の葉天狗を頭にのせ、何なら座敷童子もいつの間にかやってきて水木の服の裾を握っている。出遅れた一反木綿と男が蚊帳の外だ。

    「ここまで馴れ合ってるとは思わなかったな」
    「まぁ、あそこまで妖怪と心を通わしてたら仕方がないんじゃないかね」
    「俺は変わらず嫌われてるけどね」

     肩を竦めて男は自嘲気味に笑う。それはどうだろうと続ける猫又にどういうことだと首を傾げる。

    「なんていうか、あの子は近寄りやすい母親で、あなたのことは厳格な父親みたいな、ほらりぃだぁって奴は近寄り難いだろう?」
    「そういうもんか?」

     そういうものだよ、とからからと猫又は笑う。一反木綿も分かるのかうんうんと頷いて。いや、オマエは確実に俺のこと嫌いだろうと口には出さなかったが。

    「あっ、来た来た!こっちだ!」
    「ほら、呼ばれてるよ旦那さん」
    「誰が旦那だよ」

     まんざらでも無いくせにと投げかけられた言葉には否定をしないでおく。元来稀有なほど無垢な魂を持っているのだろう水木の、この眩いばかりの笑顔と光景が見られるのならば厳格な父親のポジションも捨てたものではないと思えるのだった。水木に対しては、父親だと思われたくないというのが男の本音である。

    「今はとりあえずこのままでいいか」

     夜空には眩い滝と、一頭の貘。夢か現か。


     RINFONEは今でも世界中のあちこちに散らばっているという。骨董屋の片隅、古い納戸の棚。正二十面体には御用心。
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