覚めない悪夢「ホントに何も覚えてナイの?」
「……ごめん。」
ベッドの上の青年は気まずそうに目を逸らす。
「そっか……」
「チョロ、仕方ないよ。エイトが助かっただけ良かったよ。」
「ソウダネ……」
ハチは自分の肩にそっと手を置く。
「さて、これからエイトはどうしたい?」
「……俺?」
「そ。今エイトはチョロと一緒に住んでたの。一度帰ってみて何か思い出すか確認してもいい。でも情報量も多いし、部屋もベッドも1つしかないからいきなりはしんどいかもしれない。で、もう一つは私と一緒に前に住んでた家に戻る。こっちはあまりもうエイトの荷物残ってないし、エイトの部屋もあるから気持ちは楽かもしれない。それか、落ち着くまでは新しい部屋借りて1人で生活してみる。そんな感じかな。」
ハチはそう言うとシオカラ亭の写真をエイトに見せている。
ハチは強い。
自分は泣きたいぐらい悲しくて何も考えられないのに、ハチはもうエイトの為に何ができるかを考えている。
「どうする?とりあえず病院のベッドは明日には空けないといけないから、どれかかなぁ。」
「……とりあえず、今の家に帰ってみたい。何か思い出せるなら思い出したい。」
「分かった。家で寝にくかったら夜だけこっち来るか、ホテル泊まってもいいからね。遠慮なくなんでも言って。」
「ありがとう、ハチ。」
エイトはそう言うと、この日初めて少し微笑んだ。
「一応明日の午前中までは病院に居てても大丈夫だけど、どうする?エイトが今すぐ戻ってみたいなら今からでもいいよ?」
「ここに居ててもどうしようもねぇし、今すぐ戻りたい。」
「分かった。チョロ、エイト連れて家行ける?一緒に行こうか?」
「……ウン。一緒に来てホシイ。」
「じゃあ3人で行こうか?チョロも無理しないでね。」
ハチはそう言って自分にも笑ってくれる。
本当はハチも無理しているのに……
「立てる?」
「あぁ。」
「これエイトの服ね。荷物は特に無いから、着替えたらもう出ようか?」
「分かった。」
「じゃあ私は病室の外で待ってるね。チョロも来る?」
「ウン。」
何だかエイトと2人きりになるのは怖くて、ハチと一緒に病室を出た。
「チョロ、別に泣いてもいいよ。」
「ヤダ。ハチが泣かないならボクも泣かないヨ。」
「……ありがとう、チョロ。」
そう言うとハチは頭を撫でてくれる。
しばらくすると病室から見慣れた服に着替えたエイトが出てきた。
「待たせて悪い。」
「いいよ。行こうか?」
「あぁ。」
ハチは街の説明などをエイトに話しながら歩く。
話す2人の様子を見ながら後ろをついて行く。
「……。」
エイトが記憶を失ってしまったにも関わらず、2人は以前と何も変わらない様に会話をしている。
元々2人は記憶を失いつつも、互いの存在は何となく懐かしいと感じて居たと、以前2人が言っていた。
自分には無い繋がりが2人にはある。
だけど自分とエイトの繋がりは消えてしまった思い出の中にしかない。
そう感じてしまう。
「チョロ、家の鍵開けて貰っていい?」
「アッ、イイヨ!待ってネ!」
気付くと見慣れた団地の部屋の前まで来ていた。
慌てて鞄の中の鍵を探す。
「急がなくていいよ。」
「ウン……アッタ!」
鍵を開けてドアを開ける。
「慌てて家出ちゃったカラ、少し部屋汚いケド。」
そう言って部屋に入って、電気を付けながら奥に2人を案内する。
小さな部屋にキッチンにベッドとテレビと小さな机。
脱ぎっぱなしのパジャマを慌てて拾い、座布団を2枚出す。
「ヨカッタラ、座って……コーヒー飲む?お茶の方がイイカナ?」
「エイトがいつも飲んでるの出してあげて。私はお茶がいいかな。」
「ワカッタ!」
慌てて手に抱えた洗濯物を洗濯機に入れ、キッチンでお湯を沸かす準備をする。
「チョロ、ゆっくりでいいよ。」
「ウン……。」
そうは言っても何かしていないと心が落ち着かない。
エイトは座布団に座りながら部屋をキョロキョロと見回している。
「エイト、何か思い出す?」
「うーん、何となく懐かしいような気はするけど……。」
「そっか。まぁ急いで思い出そうとしなくても大丈夫だから。」
「うん……。」
「あ、コレとかどう?エイトが好きだった漫画。うわぁ、本誌と単行本両方あるw」
ハチは本棚を漁って、1巻をエイトに渡す。
「え、これ女性向け?」
「うん。エイトめっちゃ少女漫画好きだったよ。」
「そうか……。」
エイトは漫画を開くと黙々と読み始めた。
「お茶淹れたヨ。エイトはコーヒーダヨ。」
「チョロ、ありがとう。」
「……ありがと。」
「……ウン。」
机にお茶とコーヒーを置いて、そっとハチの横に座る。
「……美味しい。」
「ソレ……シグマさんがこの前持って来てくれたノ…。」
「シグマ……?」
「ア……エイトと仲良しのお兄さんダヨ。」
「そうか。」
エイトはコーヒーを飲みながら漫画を読んでいる。
「もう遅いしご飯でも作る?」
「ソウダネ。」
「食材ある?」
「この前買ったばかりだから色々アルヨ。」
「んー何作ろうか?」
「俺も手伝おうか?」
「エイトは漫画読んでていいよ。キッチンどうせ狭いし。」
「……そうか。分かった。」
そう言うとエイトは再び漫画に目を落とした。
**********
食事を終えて3人でテレビを観る。
「エイト、もう21時だけど、今日どうする?」
「ん……?」
「今日ここに泊まる?私と一緒にスクエアの方の家来る?」
「あ………ん……」
エイトは頭を掻く。
「いや、その……」
「ん?何?」
エイトは少しモゴモゴと口ごもる。
するとエイトと目が合った。
「えっと……チョロと、2人で話してみたい……。」
突然名前を呼ばれてビクリと肩が跳ねる。
「ダメ……か?」
エイトはこちらの様子を伺いながら不安げな表情をする。
「アゥ……エット……」
「チョロ、無理しなくてもいいからね?」
「あぁ、別に俺も今日じゃなくていいから。」
そう言うとエイトは困ったように笑う。
記憶を無くした本人にまで気を遣われてしまうなんて自分が情けない。
「上手く話せるかわからないケド……ボクも話してみたい……カモ。」
「……ありがと。」
エイトは少しホッとした表情を見せる。
「分かった。じゃあ私はナギちゃんの家に行ってようかな。一応泊まるかもって連絡してたんだよね。」
「ナギ?」
「エイトとチョロの組んでるチームメイトの女の子。ここから10分ぐらいの所だから、何かあったら直ぐに来るから。」
「ハチは準備いいな。」
「まぁ晩御飯食べるってなった時点で遅くなりそうだったし、さすがに3人で一緒に寝る訳にはいかないから。」
そう言ってハチは笑う。
本当にハチは凄い。
不安な気持ちもあったが、直ぐに来れる所にハチが居てくれると聞いて安心する。
「じゃあ私は行こうかな。2人とも無理しないでね?」
「あぁ。」
「ウン。」
エイトと2人でハチを見送った後、先程座ってた場所に戻る。
「……。」
「……。」
先程まで賑やかだったのに、テレビの音だけが部屋に響く。
……何か言った方がいいのだろうけどなんて言えばいいか思いつかない。
「えっと…その……あの…なんつーか……変な事言ったら悪いんだけど……」
先に口を開いたエイトが口ごもる。
「ナニ?」
「もしかしてだけど……俺、お前と付き合ってた?」
「エッ!?」
「いや、ごめん!忘れて!」
エイトは顔を赤くして手をブンブン振っている。
「……合ってるヨ。」
「え……。」
「ボクとエイト、恋人だったヨ……。何か思い出したノ?」
「あ……いや、何となく……雰囲気で……そうかなって思っただけで……覚えてない……ごめん。」
そう言うとエイトは肩を落とした。
「覚えてなくても、もう、言わないでおこうと思ってたカラ、少し嬉しいナ……。」
目頭が熱い。
視界が歪む。
今まで我慢していたものが溢れてしまう。
「ウッ……エイト……ナンデ?ナンデ忘れちゃったノ?エイト……」
「……ごめんな。」
そう言うとエイトは優しく指で涙を拭ってくれる。
その頬に触れる指は何も変わっていなくて、更に涙が溢れてくる。
「思い出せるか分からないけど、チョロの事、思い出したい。だから、その、俺たちの事教えて欲しい。写真とか、残ってないか?」
「アルヨー!いっぱいアル!」
「鼻水出てるぞw」
「ウゥ……ソコのティッシュ取って。」
「あ、これ?ほれ。」
「アリガト。」
ティッシュで鼻水と涙を拭いて、スマホを取り出す。
「えっとネ、この写真、初めてデートした時ノ。」
「見せて。」
「ウン。一緒にタラポートお買い物に行ったんだけどネ…」
「うん。」
「エイトが手も繋いでくれないシ、目も合わせてくれなくてネ…」
「うん。」
「この後大喧嘩するノ。」
「……酷いな、俺。」
「ウン。酷いノ。」
「ごめんて。」
「でもネ、この時エイトはネ、恋人と歩くだけで恥ずかしかったんダッテw付き合う前は普通に一緒に歩いてたノニw」
「うわぁw恥っずw」
「あとネ、この写真はネ、さっきハチが言ってたナギちゃん!これはワカバで…」
2人で並んでスマホの画面を覗いてずっとずっと笑いながら思い出を語った。
そのままお風呂も入らず、部屋の電気も付けたまま、気付くと2人は床で眠っていた。
**********
「……よく出来ているだろう?」
画面を見ながら男は満足そうに笑う。
「いやぁ、記憶までコピーしなくて正解だった。こちらの方が違和感に気付きにくいだろうと思ってな。」
「……!」
声が出せない。
「キミと違ってこうしてリアルタイムで彼の見た映像も共有できる。彼はキミの後継機だからキミよりハイテクでね。だがアレはヒトと呼ぶには程遠い存在だった。しかし、アレがこの短期間でここまで高性能になったのはキミのお陰だ。礼を言う。」
「っ!!」
男が顔に触れると全身に鳥肌が立つ。
全身拘束されて1ミリも体を動かせない。
「あれからもずっと研究を続けて来たが、何故か旧型で私の手から離れたキミが1番優秀でねぇ。ずっとキミに会いたかったよ。あの新型は得たデータが自動でここに送られてくるようになっている。だからキミのように本体を回収する必要は無い。アレが向こうに留まり続けている限り、キミを探しに来る奴はいないという事だ。だから私はじっくりキミの研究ができる上に、アレがキミのように進化していく過程をリアルタイムで観測できるということだ。素晴らしいだろう。」
一体俺はどうなるのだろうか?
怖い……
誰も、俺が消えた事に気付かない……
それに俺の戻る場所は無い……
怖い……怖い……誰か……
「そんなに怯える必要は無いよ。今のキミの感情も全て、リアルタイムでデータ化しているんだ。だからキミの感情が私には手に取るように分かる。キミは貴重なサンプルだ。傷付けたりはしないから安心しなさい。」
男の指が身体をなぞる。
「あぁ、そう言えば……今回観測して分かったが、あの№10008という個体もやはり特別だ。キミの複雑な感情を先読みして、事前に準備する……キミとは方向が違うが実にニンゲンらしい個体だ。」
「……!?」
「大丈夫、しばらくはアレを通して観測するだけにするよ。しばらくはね。」
「……。」
「そんな怖い顔しないでくれ。そのうち彼女に会えるんだ。キミも嬉しいだろ?」
「!!!!」
「そんなに喜んでもらえると私も嬉しいよ。さぁ、私の研究をたっぷり見てもらったから、今度はキミの事をたっぷり見せてもらおうか。怖がらなくていい。少しキミの頭を開けさせて貰うだけだよ。麻酔は無い方が面白いデータが取れそうだからね。大丈夫。殺しはしないから安心して。」
怖い……
怖い怖い怖い怖い……
誰か助けて……誰か……
誰か
助けて
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「ハァハァ………」
全身の震えが止まらない。
冬にも関わらず汗でびしょびしょになっている。
外は暗い。
時計の針は夜中の3時を指している。
「……えい…と?ダイジョウブ?」
横で寝ていたチョロが目を擦る。
「悪い、起こして。」
「ン……エイト、酷い顔シテル。」
チョロは身体を起こすと優しく抱きしめてくれる。
「チョロ……もし、俺が別の俺に変わっても気付いてくれるか?」
「ンン?よく分からないケド、ボクの好きなエイトは、今抱っこしてるエイトだヨ。」
「……ありがと。もう眠いだろ?寝てろよ。」
「エイトが寝るまでボクも起きとくヨ。」
「……怖い夢見たんだ。」
「ソウナノ?ホントだ!心臓、ドキドキしてるネ。」
「うん……寝るまで離さないで欲しい……」
「ワカッタ……絶対離さないでヨ……」
「チョロ、愛してる。」
「えへへ///ボクも///」
そう言うと2人は自然に唇を重ねた。
互いの熱を感じながら、ゆっくりと時間が過ぎて行った……。
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暗闇で画面を見ながら男は満足そうに笑う。
-END-