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    nolan12mc

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    nolan12mc

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    『風下の恋』
    ARB学パロ時空 二人の馴れ初め話 一左馬

    【注】学パロですが左馬刻の喫煙描写があります。

    風下の恋 屋上に続くドアを開けるなり、煙草と強い香水の匂いが一郎の鼻を掠めた。
    「……ンだテメェ。誰に断ってドア開けやがった」
     給水タンクの土台に腰掛けて煙草を吸っていた先客が、一郎をぎろりと睨んだ。碧棺左馬刻。一郎と同じ一年生。思わずハッとしてしまうほど容姿端麗だが、素行不良で悪い噂には事欠かない。コースが違うため別校舎のクラスで、かつ左馬刻と同じく不良として名を知られ友人の少ない一郎でも、その存在をハッキリと認知していたくらいの、札付きの不良だ。
    「カギ開いてたぜ」
    「だから何だっつーンだ? この俺様が今使ってんだろーが。気ィ遣えや」
    「ンで俺が気ィ遣わなきゃなんねーんだよ。全然スペース空いてんだろ。わりぃが好きにさせてもらうぜ」
    「あぁ? テメェ、舐めてんのか?」
     一郎は構わず適当な場所に腰を下ろし、屋上を囲う高いフェンスに背をもたれた。左馬刻がチッと舌打ちをする音が聞こえたが、ヘッドフォンを耳に当てて音楽を再生し始めれば、もう何も聞こえなくなった。
     左馬刻のちょうど風下だったせいで煙が流れてくるのにも構わず、一郎は持っていたビニール袋からコンビニのパンを取り出した。それを三つ四つ食べ終わった頃、左馬刻は煙草を隅の空き缶の中に捨て、屋上を出て行った。

     翌日、屋上のカギは掛かったままだった。一郎のクラスがある新校舎は電子錠だが、左馬刻のクラスがあるこの旧校舎は昔ながらの南京錠だ。一郎は南京錠の数字を一年の学年主任の誕生日に合わせた。この学校で一番幅を利かせている男で、数週間前にアタリを付けて合わせてみたところ開いたのだ。今日もその番号のままだった。
     ドアを開けても煙草の臭いはしなかった。あの少し付け過ぎの香水の香りもだ。今日は来ねぇのか、そう思いながら腰を下ろして、ヘッドフォンを耳に当てようとした時、ドアが開いた。
    「テメェ……また来てやがったのかよ」
     左馬刻だった。不機嫌そうに一郎を睨むその顔には擦り傷があり、明らかに誰かを殴った直後だろうその手には、一本取り出し掛けた煙草のパックが握られている。
    「来てわりぃのかよ」
    「悪い。邪魔。失せろ」
    「先客には気遣うモンじゃねぇのかよ」
    「テメェは昨日居座りやがっただろーが。俺様が気遣ってやる義理はねぇわ」
     昨日と同じ場所に腰を下ろした左馬刻は、堂々と煙草に火を点けて吸い始めた。気分は良くないが、年齢や健康がどうのと一郎が説教する立場にはない。一郎が教師か、あるいは左馬刻が下級生の立場ならまだしも、同級生で、しかも一郎もそれなりに荒っぽいことをしている不良だ。
     二人は昨日と同じように過ごして、今度は一郎が先に屋上を出た。

     それからも二人は屋上で頻繁に顔を合わせた。
     始業前、昼休み、授業中、放課後。時間をズラしてみても、九割九分タイミングが合ってしまう。まるで待ち合わせたかのように。
     それまでは一度も遭遇しなかったのに何故そうなるのかといえば、おそらく一郎がそうであるように、左馬刻も意地になっていて屋上に来る頻度が高くなっているからだった。行かなければ相手に場所を譲った形になる。それで毎日屋上に向かい、相手の裏の裏を読んで時間をズラしては同じことを考えた相手と顔を合わせてしまう。そういうわけだった。


     一か月ほど経ったある日、一郎はカギを開けて屋上に出た。腰を下ろしたところで、ガチャ、とドアが開く。最近は「またテメェかよ」と舌打ちをするくらいで、さっさとお気に入りの場所に腰を下ろしていた左馬刻は、今日は何故か一郎の方へと歩み寄ってきた。
    「おい」
    「ンだよ」
     偉そうに見下ろしてくる左馬刻を見上げ、睨みつける。ここは一郎の定位置だ。どけよ、と言われても動くつもりはなかった。
    「何か持ってねぇか。ガムか何か」
    「はぁ? ……のど飴ならあるぜ」
     ポケットからアメを取り出して差し出すと、左馬刻はチッと舌打ちをして受け取った。
    「アメってツラかよ」 
    「アメに顔関係ねぇだろ……煙草はやめたのか?」
    「あ? ライター忘れた」
     左馬刻はそう答えてアメを口に含み、驚くべきことにドカッと一郎の横に腰を下ろした。一郎は内心の動揺を隠しつつ、コンビニの袋から本を取り出した。
    「今日はパンじゃなくてマンガかよ」
    「……マンガじゃねぇよ。ラノベだ」
    「らのべ?」
    「ライトノベル」
    「知らねぇ。おもしれーのか?」
     教室でも読むことはあるが、そんな風に尋ねられたのは初めてだった。一郎は相手が左馬刻であることも忘れ、思わず食らいつく。
    「めちゃくちゃ面白いぜ! これ設定が特殊で一見取っ付きにくいんだけどな、ちょっと我慢して読み進めるとその特殊な設定が頭に染み込んできて没入感がすげぇんだ。中盤の盛り上がりとドンデン返しの巧みさもあって、ページをめくる手が止まらなくなっちまう。ラストも俺好みで最高の神本だ。今朝も急にまた読み返したくなっちまって、今日持ってきたんだ」
    「お、おう……そりゃ良かったな。つうかもう読み終わってんのか?」
     いきなり饒舌になった一郎に、左馬刻はあっけに取られた様子で尋ねた。
    「三週目だな。めちゃくちゃ面白いから、何度読んでも夢中になれるぜ。左馬刻も読んでみるか?」 
    「わりぃが本にはあんま興味ねぇ……あ? テメェ、俺様の名前知ってんのかよ」
     興味ねぇのか、と落胆しつつ一郎は「そりゃな」と答えた。
    「つうかこの学校で知らねぇヤツいねぇだろ」
    「ふーん。ンじゃ俺様の噂も知ってんのか」
     噂。喧嘩を売ってきた三年の不良集団をステゴロで返り討ちにした、ヤクザの事務所に出入りしていて高校卒業後はヤクザになるらしい――『マシな方』でいうと、そんな噂を一郎は耳にしたことがあった。
    「……まぁな。聞いたことはある」
    「知っててあんな舐めた態度取ってきやがったのか。テメェ度胸あんな」
    「噂は噂だろ。俺は自分の目で見たモンしか信じねぇ」
     隣に座る左馬刻の目を見て言うと、左馬刻は黙って一郎の目を見つめ返した後、ふっと笑みを見せた。
    「そーかよ」
     その後はもう話は終わったとばかりに左馬刻はフェンスに背をもたれ、スマホを弄り出すでもなくぼんやり空を眺め始めた。
    突然話し掛けてきて突然話をやめる自由すぎる態度に一郎はやや戸惑いつつ、アメがコロコロと転がる微かな音をBGMに本を読み始めた。
     それから左馬刻に動きがあったのは、一郎が数十ページ読み進めたところだった。左馬刻は立ち上がってドアの方へと歩いていき、ドアノブを掴んだところで振り返った。
    「じゃあな、山田一郎」
    「……そっちも俺のこと知ってんじゃねぇか」
     一郎の呟きは、多分左馬刻の耳には届かなかった。

     
     翌日の昼休み、屋上に血の臭いをプンプンさせながら現れた左馬刻は、まっすぐ一郎の元へと歩いてきた。
    「おい、アメ寄越せ」
    「カツアゲかよ……」
    「あ? いいから寄越せや」
     左馬刻は手を差し出した。一郎は溜め息を吐いてポケットからガムを取り出し、左馬刻の手のひらに置いた。 
    「お、今日はガムじゃねぇか」
    「お前がアメは嫌って文句言うからだろ」
    「ンなこと言ったか? これスーッとすんな。結構好みだわ」
    「そりゃ良かったな」
     一郎は開いていた本に目を戻した。左馬刻は暫く黙々とガムを噛んでいたが、予鈴が鳴ったところで「あークソだりぃ」と言って立ち上がった。
    「……もう戻んのか? 今日は早いな」
     思い切って声を掛けてみると、左馬刻はガムを包み紙に出してから答えた。
    「英語は授業出ねぇともう進級出来ねぇラインだってよ。クソだりーわ。お前は足りてんのか?」 
    「そこは計算してっから」
    「ふーん。要領良いな。つうかお前ンでわざわざ屋上でサボってやがんだ? 教室で堂々と本読んだりメシ食ったりすりゃいいだろ。どうせお前に文句言う度胸ある先公なんざいねぇんだしよ」
    「……俺が教室にいると、周りが委縮すんだよ。授業の邪魔しちゃわりぃから最低限にしてる」
     左馬刻ほどではないとはいえ、一郎もそれなりに評判が芳しくない人間だ。頭一つ抜ける長身、滅多に笑わない。おまけに時々どこかで怪我を作ってくる――当然、それに想像を掻き立てられた噂が出回る。
     左馬刻以外で臆せず話し掛けてくるのは、規格外に度胸の据わった波羅夷空却だけだ。基本的には遠巻きにされていたし、一郎の方も極力誰かと関わらないようにしていた。
    「委縮しようがなんだろうが堂々としてりゃいい。人間っつーのは慣れる生きモンだ。お前がそのまま他人のイメージ通りに振舞ってる間は変わらねぇだろうが、そっから抜け出して自分のやりたいことやってりゃ、そのうちお前のそのクソ生意気なツラにも慣れて寄ってくる人間も出てくんだろ」
    「……生意気なツラって何だよ」 
    「そのツラだそのツラ」
    「あぁ?」
    「まぁ俺様は気に入ってっけどな」
     さらりとそんなことを言った左馬刻は、ポカンと口を開けて驚いている一郎にフォローも入れず、屋上を出て行った。


     翌日の昼休みは左馬刻が先だった。カギは開いていたものの、血や煙草の臭いも、微かな香水の匂いもしなかったせいで、一瞬気付くのが遅れた。
    「……左馬刻?」
     左馬刻は隅の方に座っていた。寝ていたのか、顔を上げて眠たげな目で一郎を見る。
     一郎は少しだけ迷ってから左馬刻の方へと歩いて行った。隣に腰を下ろし、ポケットからガムを取り出す。
    「いるか?」 
    「あ~……いらね。噛むのダリィわ。アメねぇのかアメ」
    「アメってお前……ちょうど一個持ってる」
     ポケットを探ってイチゴ味のアメを取り出した。
    「おー、可愛いモン持ってんな一郎さんよ」
    「俺が買ったんじゃねぇよ。貰いモンだ」
     朝、校舎に向かう途中で朝練をしていたバドミントン部の横を通りかかった。コントロールをミスったのか、近くの木の高い場所にシャトルを打ち上げしまうところを目撃し、逡巡の後に取ろうかと声を掛けた。びっくりした顔の部員は無言で頷き、一郎が少しジャンプして取ったシャトルを受け取ると、山田君って怖いと思ってたけど優しいんだね、これお礼、と言ってアメをくれた。イチゴ味は特別好きでもなんでもなかったが、ありがとうと礼を言われ、恐怖に引き攣っていない普通の笑顔を向けられるのは気分が良かった。
    「まぁ貰っといてやるわ」
    「ンでそんな上から目線なんだよ。礼くらい言えよな」
    「あぁ? 今度昼メシでも奢ってやるわ。それでいいだろ」
    「いやそういうことじゃ……は? メシ?」
    「ンな驚くことでもねぇだろ。つうかねみぃから寝るわ。予鈴鳴ったら起こせ」
    「あ? あぁ、分かった……」
     一郎が答えると、アメを口に放り込んだ左馬刻は、驚くべきことに一郎の肩にもたれて目を閉じた。
     くうくうと可愛らしい寝息を立て始めた左馬刻は、本気で寝ているらしくずしりと体重を掛けてきて、正直なところかなり邪魔だった。邪魔だったが、一郎は払いのけることはせず、持っていた本をいつもの十倍かけて読み進めていった。
     予鈴が鳴ると、左馬刻は一郎が起こすまでもなく目覚めて屋上を出て行った。一郎も今日はサボるつもりはなかったので少し間を開けて教室に戻ったが、午後の授業はさっぱり頭に入らなかった。



     そしてその翌日――一郎は熱を出した。
     同居の弟二人が前の日の夜に熱を出していて、一郎の席の周りや三郎の学校でインフルエンザが流行っていたので、念のため一緒に検査を受けると、見事に三人仲良く出席停止の結果となった。
     一郎は高熱を出した翌日にはケロリと治ってしまうタイプで、一日で全快したが、二郎は二日、三郎は三日寝込んだ。四日後には三人とも元気になっていたが、出席停止期間で学校には出られない。その間はボードゲームで暇を潰し、兄弟の仲を深めた。
     学校を休んでいる間、一郎の頭から離れなかったのは、左馬刻のことだった。殆ど毎日顔を合わせていたのに、急に屋上に現れなくなった一郎をどう思っただろうか。連絡先は知らなかったし、たとえ知っていても「今寝込んでるから」と連絡する気にはきっとなれなかった。自分たちは約束して屋上に集まっているわけではないのだ。
     悶々としながら過ごし、一年振りのような気持ちで登校して、少し緊張しながら昼休みに屋上のドアを開けた。
     微かに甘い匂いがした。その匂いを辿った先、初めて出会った時と同じ場所で飛行機雲を眺めていた左馬刻は、一郎の方に顔を向けた。
     一瞬煙草を吸っているように見えたが、その口に咥えられていたのはどうやら棒付きのアメらしかった。左馬刻がアメを口から出したのでそれが分かった。
    「もう調子良いのかよ?」
     一言目でそう尋ねられて、一郎は目を瞬いた。
    「あぁ、もう全然……何で知ってんだ?」
    「銃兎から聞いた」
     入間銃兎。いかにも賢そうな顔をした生徒会の役員だ。不良の左馬刻とは正反対の人物であるように思えるが、実は教師や校長の弱みを握って脅していると噂されていて、一郎はその噂が事実であることを知っている。やっていることはマズいが主張には筋が通っているように見えたので、一郎は現場で目撃したことを誰にも話していない。
     銃兎と左馬刻の関係についてはそう意外でもない。しかし一郎と銃兎には交友が全くなかった。顔が広い銃兎であれば、調べようと思えば簡単に調べがつくだろうが――
    「……俺がここ来ねぇから?」
    「あぁ? 気になっちゃわりぃかよ。どっかでまた喧嘩してヘマ打って、くたばりやがったのかと思ったわ」
    「ンなヘマなんか打たねぇよ、俺は」
    「インフルエンザにはかかってんじゃねーか」
    「うっ……それは仕方ねぇだろ」
     一郎は左馬刻の方に歩いて行った。一郎が言葉を選ばずに尋ねたせいで左馬刻は少し不機嫌そうだったが、構わず近くに腰を下ろした。その時に、膝が左馬刻の膝にぶつかった。わざとではなかったので離れようとしたが、左馬刻は逆に脚を開いてしっかりと触れ合わせた。
    「テメェがいねぇと、ここに来てもツマンねぇんだよ」
    「……そりゃ…………悪かったな」 
     動揺しすぎて、そう口にするので精いっぱいだった。
    「あぁ? 『悪かった』だぁ? ンな言葉一つでごまかそうってのかよ。ちょっとばかり誠意ってモンが足りねぇんじゃねーか? 一郎さんよ」
     一度謝ってしまったら全力で付け込まれる。やくざのような手口に引っ掛かってしまった。
    「大体テメェはよ、俺様が煙草吸ってんのに毎回毎回風下に座りやがって、クッソ吸いづれーんだよ」
    「そりゃ学校で吸う方がわりぃだろ」
    「あぁ? ンだと?」
     左馬刻が吸いづらそうな顔で煙を吐き出す場所を調整していたのは知っていたが、一郎は気付かない振りをした。状況として一郎が配慮する必要は全くなかったし、できればやめてほしいとも密かに思っていたからだ。
    「まぁ……やめてくれてありがとな」
    「ンでテメェに礼言われなきゃなんねーんだよ。風紀委員にでもなりやがったのか?」
    「ンなモン一生ならねぇよ。ただ……左馬刻が自分を大事にしてねぇとこ見るより、アメ舐めたりガム噛んでたりする方が……なんつーか、ホッとすんだよ」
    「は、風紀委員じゃなくて保護者ヅラかよ。同い年のくせによ」
     そんなことを言いながらも、左馬刻に離れて行こうとする気配は全くなかった。どうやら口から出てくる言葉のキツさと、好感度に関係はないらしかった。
     左馬刻は持っていたアメを口に入れ、少しコロコロと転がす音を立てた後、またアメを出して口を開いた。
    「おい一郎。俺とお前。二人でこの学校仕切るっつーのは、どうだ」
    「はぁ? 仕切るって……」
    「つうか既にそうなってんだろ。俺様が潰そうと思ってた害虫の半分、テメェが先に潰してんだわ」
     いじめ、カツアゲ、盗撮に暴行。外部の犯罪組織と組んだ上級生が、下級生に売春を強いたり詐欺の片棒を担がせていたこともあった。治安のよろしくない地域で、かつ全国有数の生徒数を誇るマンモス校では、次から次へと問題が起こる。一郎は目立たないように動き、必要であれば拳を使って解決してきたが、半分は左馬刻に先を越されていた。全国大会で上位にも食い込んだ運動部の最上級生数人と、数十人の半グレ集団が地に伏し、サマトキサマすみませんでした、と泣いているところを見てあっけに取られたこともある。
    「ま、答えは今すぐじゃなくてもいい。俺様も別にヤりたくて仕方ねぇってワケじゃねぇしよ……ったく、ここがクソみてぇな害虫共が潰しても潰しても沸いてくるゴミ溜めじゃなきゃ、毎日のんびり空でも眺めて過ごせんのにな」
     毎日のんびり、はきっとこの先ずっと無理だろう。顔が売れれば売れるほど恨みを買い、汚い手を使ってでも倒して名を上げようとする馬鹿な人間も群がってくる。左馬刻ほど派手に動いていない一郎ですら、下校途中に喧嘩を売られることが増えてきた。一郎が左馬刻と組めば、平穏なんてものとは金輪際無縁の生活になることは間違いなかった。
    「……分かった」
     それでも、一郎の答えは決まっていた。知らないところで傷を作る左馬刻も、他の誰かを選ぶ左馬刻も見たくはない。それに本音を言えば――ただ左馬刻と、もっと一緒に過ごしてみたかった。
    「左馬刻。お前と組む」
     目を見て言うと、左馬刻は一瞬嬉しげな目をして、それから照れ隠しのつもりか鼻で笑った。
    「たりめーだろ。テメェに選択肢なんざ初めからねぇんだよ」
    「はぁ? ンじゃさっきのは何だよ。返事は今すぐじゃなくてもいいとか言ってただろ」
    「ンなモン、今か明日かの違いだけだ」
    「明日って。お前気ィ短すぎだろ」
    「っせーな」
     左馬刻は持っていたアメを口の中に入れ、ガリ、と音を立てて噛んだ。外れた棒が左馬刻の手から煙草のガラ入れになっていた缶に向かって放られ、見事に小さな穴の中に収まる。
     ガリ、ガリとアメが噛み砕かれる音を聞きながら、一郎は何の気に無しに尋ねた。
    「やっぱ、禁煙すると口寂しくなんのか?」
    「口寂しいっつーより、口が落ち着かねぇ」
    「それ一緒じゃねぇか?」
    「俺様が寂しいとか軟弱なこと思うワケねぇだろ」
     俺がいなくて寂しかったんじゃねぇのか――そう思ったが、一郎は思うだけで済ませた。テメェ喧嘩売ってやがんのか、と睨まれるのがオチだ。
    「あー……そういや異世界転生したサラリーマンも言ってたな。『落ち着かねぇ』って。昼にメシ食った後に吸うのが三十年くらい習慣になってたのに、転生したら十代の王子で、吸うワケにはいかねぇ立場になっちまって……」
     一郎はそこで物語の続きを思い出し、口をつぐんだ。
    「そっからソイツはどーしたんだよ?」
    「いや、別に……何も。普通にしてた」
    「あぁ? 何もって何だよ」
    「何もねぇって意味だ」
    「何もねぇワケねーだろ。イセカイだかイセエビだか知らねぇがテメェがいつも読んでる本の話だろーが? オチがねぇワケねぇだろ」
     ラノベに興味があるワケではないくせに、一郎がごまかしたせいで左馬刻は妙に食いついてきた。多分このままごまかそうとしても無駄だろう。
    「………………どうしても落ち着かねぇから魔力が上手く出せなくて問題になって、最終的にはヒロインから煙草代わりの……」
    「おい焦らしてんじゃねぇぞコラ」
    「煙草代わりの……キスを毎日してもらって、解決してた」
     キス。その二文字を口に出すのは、妙に気恥ずかしかった。顔が熱い。赤くなっていないだろうか。
    「ふーん。キスなんかで本当に気ィ紛れるモンか?」
    「知らねぇよ……したことねぇし」
    「俺様もねぇわ」
    「え? ……マジで?」
    「あぁ? まさかテメェ、俺様が空き教室で女とヤってたとか中学で女孕ませたとか、そういうくだらねー噂信じてんじゃねぇだろうな」
    「いや、それは全く信じてねぇ……」
     噂は信じていないが、煙草を吸っている時の左馬刻は妙に色気があった。パンを食べたり、本を読んだりする合間に時々左馬刻の方を見て、一郎はうっかり見惚れてしまったことがある――年上の恋人に悪い遊びを教わるところを想像し、嫉妬に胸を焦がしたことも。
     一郎の目を見て何かを感じ取ったのか、左馬刻は『だったら何だよハッキリ言いやがれ』と怒り出すこともなく、ふいっと視線を逸らした。
     沈黙が降り、微妙な空気が流れた。
     そしてふいに、ガリ、と小さな音がした。左馬刻が咥内のアメの欠片を噛み砕く音だ。一郎が左馬刻の方を見ると、目が合った。
     触れ合ったままの膝が、制服の下で汗ばむ。ごくりと喉を鳴らした一郎の頬を、左馬刻の方向から流れてきた風が微かに撫でる。
     煙草の臭いはしなかった。それを誤魔化すための香水も。代わりに流れてきたのは、左馬刻にはあまり似合わないアメの甘い香りと、シャンプーの香り。そして、大暴れしてきた後らしい時にしか嗅いだことがなかった、微かな汗のにおいだった。
     一郎は勇気を出し、すぐ傍にあった左馬刻の手に自分の手を軽く重ねた。触れた手がすぐに抜け出していった時には一瞬息が止まりそうになったが、手を引く前に上からぎゅっと握られて、すぐに息を吹き返した。
     顔を近付けても左馬刻は一郎をじっと見つめていて、唇が触れる寸前でやっと目を閉じた。
     鼻息をかけるのが嫌で息を止め、角度を計算して何とか触れた薄い唇は、意外にも柔らかく、アメを舐めていたせいかしっとりとした感触だった。
     触れるだけで唇を離し、目を開けて左馬刻の反応を窺う。左馬刻は一郎を睨みつけた。
    「……おい。煙草代わりなら、三秒はねぇだろ」
     確かに言われてみればその通りだった。まさかそんな文句を付けられるとは思っていなかったが。
     一郎は込み上げてくる喜びに笑みを浮かべて、もう一度左馬刻に口付けた。
     



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