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    ruinertmr

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    ruinertmr

    ☆quiet follow

    たぶん墓で飲んでたくらいの時系列。

    恋い痴れる「お前、良く見れば綺麗な顔しているよな。幽霊族ってのはみんな顔が整ってンのか?」
    酒で多少は舌の滑りも良くなって、水木は相手の顔を見るたび思考の片隅に浮かんでいた考えを話題に出した。
    隣で猪口からちびちびと酒を舐める男はすでに随分酔いが回っている様子で、若干虚ろな目をうっそりとこちらへ向ける。
    「さあの、自分の容姿が特別整っていると感じたことはないが」
    しかし以前、妻に目元がかわいいと言われたことがあっての、とすかさず伴侶との惚気に移行する男の話を聞き流しながら、水木は自分の分の酒を喉の奥へと流し込んだ。
    「お前の奥方も、写真でひと目見ただけだが別嬪さんだったよな」
    「当然じゃ、あれほど美しいものは他に居らん!笑顔が花が咲いたように美しいのは当然じゃが、怒ったときに……」
    「分かった分かった、もう腹一杯だよ。まったく、美男美女でお似合いなことで」
    この程度の制止で止まるものでもないだろうと、半ば独り言のつもりで言ったが、男は何故かのろけ話をぴたりと止めて口角を弧の字に歪めて見せた。
    「なんだよその反応は」
    「いやはや、美男美女とな。人間にそんなことを言われたのははじめてじゃ」
    「今の顔は大分気色が悪いぞ」
    何が可笑しいのか、男は上機嫌にニタニタ笑っている。
    やたら古めかしい喋り方をするが、加齢を感じさせる皺もなく外見だけでは年齢が読み辛い。月白を落とし込んだ髪としみ一つない白い肌が夜の濃紺によく馴染んで、それだけで男が夜の生物なのだとよく分かる。
    「そうじゃ、大抵の人間はそう言う。お主くらいじゃよ、我しを綺麗と言うのは」
    「ふぅん?よく分からんが、そいつらよっぽど面食いだったのか」
    「ふ、ははッ。面食いはお主じゃろうて」
    「はあ?なんで俺だよ」
    「幽霊族は鏡よ。見る者が望む姿で目に写るのじゃ」
    「狐狸みたいに化けられるってことか」
    「やろうと思えばできるが、そういう意味ではない。我しらは、我しらを信じぬ者には見えず、怯える者には恐ろしく、憎むものには悍ましく写る。人間は特に、自分たちの理を外れた存在を厭うじゃろ。これは幽霊族の防衛本能のようなものでもある」
    「よく分からん」
    「お主には我しが色男に写っているのであろ?お主はさっきそう言うた」
    「変に取るなよ。たしかに言ったが、整っているってのは、客観的に見てって話しだぞ。俺がどうこうって意味じゃあねえよ」
    「お主がそう思っているからそう見えとるんじゃ。他の人間には、我しはもっと恐ろしい姿をして見えとるよ。間違っても『整っている』などと言う感想は出てこんじゃろうて」
    「なんだそりゃ、なんで俺には違って見えるんだ?」
    「我しにも分からん」
    「おい」
    「じゃが、いくらか推察なら出来る。例えば、お主に我しら幽霊族よりも明確に恐ろしいものがある、とかの」
    「……なんだそりゃ」
    「腑の底から匂い立つような、最も強烈で、最も醜悪な恐怖を、お主は既に知っているのではないか?」
    口を噤んだこちらを気にも留めず、男は続ける。
    「幽霊族は見る者がかくあれと望んだ姿を取る。お主から見える我しが美しいのなら、それはお主の願望の写し鏡よ」
    「願望……」
    今でもふとした瞬間に、嗅覚が錯覚を起こすことがある。あの噎せ返る植物と、腐った肉、それから火薬が混ざった臭い。凝縮された常世の地獄は、いつも記憶の底で口を開けて自分が落ちてくるのを今か今かと待っている。
    あの無意味な地獄から運良く生還して、足の先から頭の天辺まで地獄に慣れ切った状態から抜け出すまで随分かかった。今だって脱却し切れたわけではない。
    それでも生きるためには、思い出したように痛む古傷も、夜毎枕元に立つ同胞もすっかり忘れた振りをしていなければならない。
    水木は、随分前からそんな自分と人間というものに失望しきってしまっている。
    「ああ、得心がいった。だから俺は、人間じゃないお前が綺麗に見えて仕方がないんだな」
    同じ種族同士で無意味に殺し合って命を擲たせて、そんなことをするのはきっと人間だけだろう。その枠組みの外に居ながら言葉を交わせるこの男に、自分は理想のような美しさを見出したのだ。
    「そういえば最初は、お前が不気味に見えていた気がする。死人のような顔色をして髪は真っ白で老人のようだし、手足ばかり長くて痩せっぱちの得体の知れない男だと思った。だが、実際のお前はただ純粋に奥方を心配する一途な男だし、子供にも気を遣ってやれる優しい奴だ。お前ほど純粋で優しい奴を俺は他に知らん。――なるほど、何度も顔を合わせていて今更顔立ちが整っていることに気付いたのも、そういう内面の美しさを知って、それらが反映されたからなんだな」
    自分で話す内に疑念が解けていくようでうんうんと納得していると、隣から随分まじまじと見つめられていることに気が付いた。
    「どうした」
    「……ふ、」
    問うと溜め息のような声を漏らしたかと思えば、男は大口を開けて笑い始めた。
    「ははははッ!それはそれは、ずいぶん熱烈じゃのう」
    短剣のような犬歯が大きく開いた男の口のあわいからこぼれ、人間によく似た姿をした男が人の理の外に在る者だと主張している。だというのに、水木はやはり恐ろしいとは少しも思わなかった。
    「茶化すなよ」
    酒の勢いもあって多少口が滑り過ぎた自覚はある。照れ隠しに渋面を作って猪口に酒を乱雑に注ぐと、男は笑いの余韻が残る口調でこちらを宥めてきた。
    「茶化してなどおらんよ。なんと真っ直ぐな言葉かと驚いただけじゃ」
    「なら笑うな」
    「嬉しい時に笑うのは妖怪も人も同じじゃろうて」
    「うれしい?……俺なんかに顔を褒められたことがか?」
    「お主、たまに急に自己肯定感どっか行くのう」
    「人間の男に褒められたところで、お前には何の得にもならないだろ」
    「損得勘定でなんでもかんでも考えるのは人間の悪い癖じゃ。それに、損だ得だと言うなら我しを褒めたところでお主にも得はなかろう」
    「そりゃ……そうかもしれないが、俺ァ思ったままを言っただけだよ。裏表があるわけじゃない」
    「分かっておるとも。だからうれしいと言うとる。人の子が、これまで人ならざるというだけで恐れ憎み攻撃して我しらを追いやってきた人間が、打算なく美しいと評し、何故と聞けば我しの内面がそうだからだと言う。笑みも出ようと言うものじゃろ、少しは浮かれさせておくれ」
    柔らかい言葉尻が鼓膜に心地良くて、水木はうっかり反論の機会を逸してしまった。
    「……、…」
    改めて言われると、自分がとんでもなく気恥ずかしい言葉を吐いたのだと酒で鈍った頭にも漸く自覚が追いついてきて居心地が悪くなる。水木は無意味に口をもごつかせた。
    でもだからといって先の言葉を撤回することもできない。隣で酒を煽る男の横顔はあいも変わらず美しいままで、自分の言葉で浮かれて鼻歌でも歌い出しそうな程だ。
    男が浮かれる原因が自分であるということへの気恥ずかしさと優越感が綯い交ぜになった心境は、さながら恋に似ていると思った。
    物心ついてからこちらきちんと恋をした記憶等ないが、心臓の裏辺りが絹糸で柔らかに絞められるような心地がするのであながち見当違いな比喩でもないのかもしれない。
    自分は隣で妻の思い出をなぞりながら笑み、時に感極まって涙を流す横顔に恋をしたのだろう。
    不思議と既に最愛の伴侶がいる相手に抱くその感情を不毛とは思わなかった。ただ、自分の中にも他者を好ましく思える感情が備わっていたことが意外だった。
    「お主、我しに笑うなと言うておきながら、自分は笑っておるではないか」
    指摘され猪口を軽く当てていた唇の口角が緩く持ち上がっていることに気付く。それを猪口を煽ることで誤魔化し、わざと片方の口角だけ大袈裟に釣り上げて笑ってみせた。
    「そりゃあ酒が美味いからだ、悪いかよ」
    「そうか、そうじゃな。今日の酒は格別に美味いの、水木や」
    「違いない。またご相伴に与りたいねえ」
    悪くない。恋とは悪くない気分だ。水木はそう思ったが、それを生涯口には出すまいと心に決めた。
    上質な酒精が血液によって脳に到達し麻痺させた時のようなこの心地は、墓まで持って行くべきものだろう。

    (遅かれ早かれ埋めた墓は暴かれるし酔いは一生醒めないことをこの時の彼はまだ知らない。)
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