騎士墓SS騎士墓の出会いSS
この荘園には怪物がいると聞いた。
同じゲーム参加者である数人の男女から同じ証言を聞いたのだから間違いはないだろう。
怪物の特徴は、白い髪の毛を持ち、肌も恐ろしく白く、酷く巨大であり、獰猛であり、瞳は血走ったように赤く、近づくものを容赦なく叩き殺す怪力の持ち主であるという。
いくら広い荘園とはいえ、そのような怪物が跋扈していたら流石に気付きそうなものだが……と私は半信半疑であった。それともハンターとやらの陣営の者なら、彼ら専用の居館で生活しているのかもしれない。
怪物の特徴としてもう一つ聞いたのは、それは夜間によく出没するとのことだった。荘園では深夜遅くに活動する者は少ない。であれば夜間に行動していれば噂の怪物に出会えるのだろうか。
私の肩書きが騎士であるせいか、怪物退治を依頼してくるゲーム参加者は少なくなかった。「そんな怪物がうろうろしてるんじゃ安心して眠れない!」と多くの参加者が口を揃えて言う。私としてはただの噂に過ぎないとその場を取り成したつもりだったが、それでも騎士か!臆病者め!と不名誉な暴言を吐かれたのでは私も黙ってはいられない。仕方なくその日の夜は燭台に火を灯して荘園を練り歩く羽目になったのだ。
そんな怪物、いるわけがない。私は呆れて、こんなことに真面目に付き合っていることが馬鹿馬鹿しく感じられた。そもそも人智を超えた怪物ならハンター陣営にうじゃうじゃいるというのに、皆は何をそんなに恐れているのか。
そう思いながら歩いていると、私の足はいつの間にか礼拝堂に向かっていたらしい。この荘園には教会があって、巨大な石造りの女神像が恭しく備え付けられているのを見たことがある。それに祈っている者は見たことはないが、ゲーム参加者の中には時折信心深い者がいるという。
私は何気なく礼拝堂の中を覗き込んだ。ステンドグラスから差し込む月明かり以外に光源はなく、ひっそりと静まり返っている。チャペルチェアが並んだ奥には聖書台があり、その奥に巨大な女神像が冷たく微笑んでいるのが見えた。
ふと、私は一筋の月明かりに照らされる人影を見た。その人はチャペルチェアには座らず地べたに膝をつき、両手を胸元で組んで項垂れていた。月明かりを反射する髪はきらきらと輝いていて、精巧なガラス細工のようである。髪の隙間から覗く肌も透き通った白色で、それを覆い隠す黒いコートがカラスの羽のようであった。体格からして男のようであるが、小さく呟かれるか細い声だけ聞いたら、男女どちらであるか判然としない。
彼は私に気づかない様子で熱心に女神像に向かってこうべを垂れ、何かを呟き続けていた。祈り口上かもしれない。こんなに信心深い者は初めて見た、と私は興味深くその様子を観察した。しかし何故こんな夜更けに、一人で祈っているのだろうか。
もっとよく見たい、と思って身を乗り出すと、扉がギィ、と音を立てて軋んだ。白い人は素早く顔を上げてこちらを見た。その時にわかったのは、彼は闇夜の中でも浮かび上がるルビー色の瞳をしていたのだ。私と目が合うと、その人は戸惑ったように身を固くし、おろおろと組んだままの手を胸元に隠すようにした。さらりと彼の髪が頬を滑る。月明かりに照らされるその人を見て、私は思わず息を呑んだ。
「なんと美しい……」
コツ、と一歩踏み出す。その人はギョッとして私から距離を置いた。私が近づくたびに、彼は女神像の方へと後ずさってしまう。今にも背中から純白の翼を生やして、空の彼方へ飛び去ってしまいそうな気配を感じた。
「待って、逃げないでくれ、私のエンジェル……」
そう呼びかけると、その人は訝しげな顔をした。
「な、何言ってるんだアンタ……」
その人は胸元で組んでいた手を下ろした。チャリ、と首から木製のロザリオがぶら下がる。私は無意識に伸ばしていた手を下ろし、「ああ、すまない」と頬を掻いた。
「君が、荘園に舞い降りた天使のように見えてね……」
「……誰が天使だって?」
「いや、なんでもないよ。それより、こんな時間にこんなところで何をしていたんだ。夜はあまり出歩かない方がいい」
彼はしばらく私を訝しげに見つめた後、「アンタ、僕のこと知らないのか」と呟いた。
「僕は、太陽の光が苦手なんだ。この礼拝堂、昼間は結構日差しがきつくて……だからこうして、夜にお祈りに来てる」
「なるほど。太陽の光が苦手とは稀有な……いや、すまない、君の事情だったね。しかし、いくら屋内とはいえ危ないから今後は控えた方がいい。君も知っているだろう、白い怪物の噂を」
「白い怪物?」
彼は目を見開いた後、おかしそうにクスクス笑って「ああ、それか」と言った。黒い手袋の嵌った指先で自身を指差すと、「それは僕のことだ」と目を細めた。
「君が?それはどういう……」
「見ての通りだ。白い化け物なんて、この荘園には僕しかいない。皆言ってるよ、アンドルー・クレスは悪魔に呪われた化け物だって」
「そんな。君のような美しい人が怪物だと?あり得ないな」
「アンタ、さっきからなんなんだ?見かけない顔だけど、新人が僕を揶揄ってるのか?」
機嫌を損ねてしまったか、と私は両手を上げて彼を制し、それから胸元に拳を当てて背筋を伸ばした。
「リチャード・スターリング。ここでは騎士と呼ばれている。以後お見知りおきを」
「騎士……?じゃあアンタが、噂の騎士様か……?」
アンドルーは私を見つめると、少し潤んだ瞳で「ほ、本物の騎士様だ」と囁いた。その視線にどこか羨望と尊敬の色を感じ取り、むず痒い気持ちになる。
「騎士階級に出会うのは初めてかな?」
「は、初めても何も、僕は墓守だったから……教会だと、騎士様はお国を守る大事なお役目を務めてるからって、教わったんだ。だから皆で神様にお祈りするんだ。騎士様をあらゆる災厄からお守りください、って」
「ふふ、そうなのか?ということは私は君のような人々に加護を与えられて生きてきた、ということになるね」
「も、もったいない言葉だ……僕なんか、その……」
アンドルーはもじもじと縮こまった。上背だけ見れば私よりも大柄だが、その様子は私よりも小さな存在に感じさせた。私は片手を彼の頬に添えると、顔を上げさせて覗き込んだ。「き、騎士様?」とルビー色の瞳がおろおろと泳ぐ。
「私のエンジェル、今夜君に会えて良かった。君のことをもっと知りたい。今後は君の傍らに私が立つことを許しては貰えないだろうか」
そう言って手袋越しに唇を手の甲に押し付けた。彼はビクリと肩を跳ねさせると、勢いよく手を引っ込めた。顔を真っ赤にしながら、わなわなと震えている。
「き、気障ったらしいぞアンタ!そういうのはもっと可愛い女の子とかにやれよ!」
「騎士のマナーのようなものだ、気にしないでくれ、マイエンジェル」
「そ、その呼び方もやめろ!」
アンドルーはズンズンと入り口の扉へ向かって行くと、「僕はもう寝る!」と吐き捨てて去っていった。私はその後ろ姿を見てクツクツ笑っていたが、ふと女神像を見上げた。石造りの笑みは凍ったように冷たく、柔らかなはずの視線はどこか鋭く見えた。私はその場に片膝をついて跪き、胸元に拳を当てた。
「ああ、我らが偉大なる母よ。神の御使いにこの手で触れてしまったことをどうかお許しください。しかし、美しいものには触れずにはいられない。それが人の子というものです」
所謂神への宣戦布告のようなものだ。私は口角を上げながら女神像に笑みを返した。こんな姿、アンドルーに見られたら怒られるかもしれない。
私は立ち上がってマントを翻し、礼拝堂を後にした。