甘い宝石は幸せの味 お茶会というものには縁のない人生であった。
僕にとっての甘いものといえば、偶然拾った果実や、母が特別な日に用意してくれたお菓子で、ごくたまに食べることができるその時間を大切にしていたのを覚えている。
荘園では食べるものに困らない。毎日殺し殺されのゲームに参加さえしていれば、朝昼晩と食事が用意される。それも無償で。
それだけで満足だった。腹が満たされれば充分だったし、荘園の食べ物はなんだって美味しいから、毎日食べられるだけありがたかった。
そんなある日、部屋の扉が軽い音でノックされた。コツンコツン、と小鳥の嘴で叩かれるみたいな小さな音で、聞き馴染みがない。そっと扉を開けてみると、誰もいない……と思って視線を下げたら、小さな子どもの姿をした木製人形がこちらを見上げていた。
「お前は……マティアスのところの?」
人形師マティアス・チェルニンがいつも随伴させている木製人形に違いないだろう。どういう仕組みかわからないが、操り糸もないのにひとりでに動いて喋る不思議な人形である。確か名前はルイとか言っただろうか。
ルイはガラス玉でできた目をぱちぱちさせて、不意に僕の手を掴んだ。
「マティアスがアンドルー呼んでキテッテ」
「え、おい、待て」
ぐい、と手を引かれた。子どもの姿をしているのに思いの外力強く、思わずよろけてしまう。
廊下に引き摺り出されると、そのままズンズンとどこかへと向かい始めた。他人の人形を粗雑に扱うわけにもいかず、連れ出されるがまま足をもたもたと動かす。
マティアスが僕に一体何の用なのだろう。
マティアスとは最近知り合い、交友させてもらっている間柄である。彼はゲームで主にチェイス役を担っていて、救助役である僕と相性が良かったこともあって、よく一緒にゲームに出ていた。彼の実力はと言うと、僕のサポートがいらないくらいチェイスが上手くて、後輩ながら尊敬に値するところがある。あまり騒がしくない人間性も相まって、僕は嫌いじゃなかった。だが、こうやって呼び出しを食らうのは初めてかもしれない。
引き摺られていった先は中庭に面するテラスだった。ルイはギィ、とガラス扉を押し開け、僕を強く引っ張っていく。屋外に出た瞬間、刺すような日光にゔっと呻き声を上げてしまった。
「マティアス〜!アンドルー連れてキタヨ〜!」
テラスの中央に白い丸テーブルが用意されていて、そこでマティアスは紙袋を持って立っていた。紙袋の中身を陶器製の皿にカランカランと開けており、ルイの声に気づくと、僕の方を向いて「やぁ」と手を振った。
「……ルイ、まさか強引に引っ張ってきたんじゃないだろうな」
「ソンナコトシテナイヨ!アンドルーも喜んでついてきてクレタヨ!ネ?」
ルイの首がフクロウのように180度ぐるんと回転し、じっと僕を見つめてきたので、ヒッと喉から悲鳴が漏れた。慌ててコクコク頷くと、ルイはにっこりと目を細めた。
マティアスは紙袋をくしゃりと丸めて屑籠に入れ、僕に手招きをした。
「いきなり呼び出してごめんね……今は暇だっただろうか」
「あ、ああ、大丈夫だけど……どうしたんだ?アンタが人を呼び出すなんて珍しいな」
「実はお菓子を貰ったのだけれど、一人では食べ切れなくてね……君、甘いものは平気かな。よければ一緒に食べてほしいんだ」
マティアスは椅子をガラリと引くと、僕に座るように促した。淑女をエスコートするような仕草に「こいつ意外と慣れているのか?」と首を傾げつつ、大人しく腰掛ける。徐ろに空を見上げて、顔を手で覆った。今日は洗濯日和で、植物には嬉しいであろう見事な晴天である。空を睨んで顰めっ面をしている僕に、マティアスは首を傾げた。
「……どうしたの?」
「わ、悪い……ちょっと、眩しくて」
僕の言葉にマティアスはしばらく考え込む仕草をしていたが、やがて「ああ、そうだったね」と頷いた。
「君は日光が苦手なんだっけ」
「……うん。僕は太陽に嫌われた化け物だから」
「違うよ、君は遺伝子性疾患で肌が弱いだけだよ。少しテーブルをずらそうか。ちょうどそこに日陰がある」
僕達はテーブルの端を持ち上げると、ガタガタと日陰に向かって移動した。皿の上のお菓子を溢さないようにそっとずらしていく。僕達の後ろをルイが椅子を持ってぽてぽてと行き交い、テーブルセットは居心地の良い日陰に設置し直された。僕はようやく眩しさから解放され、落ち着いて席に着くことができた。
「悪いな、気を遣ってもらって」
「いいんだよ。私も眩しいよりはここの方が涼しくていい」
向かい合わせに腰掛ける間にルイが椅子を引き摺ってきて座り、足をぷらぷらさせた。頬を包むようにして肘を着きながら僕の方をじっと見つめてくるので、少し気まずい。
マティアスはティーポットを手に取ると、慣れた手つきで二人分のカップに紅茶を注ぎ込んだ。ほかほかと湯気の立つ澄んだ色の液体がカップを満たし、日陰の空間に花の香りが広がる。カップを片方僕の前に出すと、「遠慮なく食べてね」とマティアスは小さく微笑んだ。
「たくさん貰ってしまったんだ……こんなに食べられないと言ったんだけど」
「……見たことないお菓子だな」
皿の上のお菓子に目を向ける。陶器製の皿の上には青空を反射してきらきらと輝く宝石のようなものが並べられていた。比喩ではなく、本当に宝石そっくりである。マティアスにお菓子だと言われなければ食べ物だとは思わなかっただろう。鉱山から掘り出されて今し方研磨されたばかりの宝石みたいで、酷く美しい。形は六角形に削り出されたものもあれば、原石が砕けて散らばったみたいに不揃いなものもある。ガーネットを思わせる赤い色や、アクアマリンのように透き通った青色、ダイヤモンドのように透明なものもあるし、どれもが個性的で目にも楽しげなお菓子であった。だが一目で高価なものだと理解し、おずおずとマティアスを見上げる。
「……本当に食べていいのか?」
マティアスは紅茶を口元に持っていきながら、にこ、と目を細めた。紅茶を飲む仕草が様になっているのは流石だと思った。
「好きなだけ食べてくれ。……どうせ私は甘いものはそんなに食べないんだ」
「……後で請求されても払わないからな」
そんなことしないよ、とマティアスはクスクスと肩を揺らした。今日はやけに機嫌が良く見える。普段こんなに笑う男であっただろうか。
僕は皿の中からガーネット色のお菓子を一つ摘み、しげしげと眺めた。
表面は見た目の通り硬く、カリカリとしている。中も硬いのだろうか。そっと匂いを嗅いでみると、イチゴの甘い匂いがした。本当に食べられるものらしい。
僕はその不思議な食べ物に訝しげに思いつつも、はむ、と口の中に含んだ。ころ、と舌の上で硬い宝石が転がる。舐めてみると、甘い砂糖の味がした。コーティングしていたのは砂糖だったのか、と納得する。硬さを想定して噛み砕いてみて、食感に思わず目を見開いた。砂糖で固められていた外側とは違って、中はぷるぷるとした柔らかいもので満たされていた。ゼリーよりも儚い食感で、イチゴの果汁がじゅわりと染み出してくる。咀嚼してみると、砂糖のコーティングのしゃりしゃりとした食感と、中身のぷるぷるとした食感が混ざり合って、なんとも不思議な感じがした。今まで食べた不思議な食べ物の中でもダントツに不思議な食感である。
しばらくしゃりぷるとした食感に驚きながらもぐもぐやっていたが、ほどけるような甘さとイチゴの風味に次第に頬が緩んでいった。甘い宝石は幸せの味がして、あっという間に口の中からなくなってしまった。ぺろりと唇を舐めて、紅茶のカップに手を伸ばす。さっぱりとした温かいダージリンをごく、と嚥下して、体中を満たす満足感にすっかり機嫌が良くなった。
「これ、美味いな」
そう言うと、マティアスは「そう?」と微笑んだ。彼は紅茶をちびちび飲みながら、僕が食べる様子をじっと見ていたようだ。お菓子を堪能している姿を観察されていたのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。
マティアスは皿を僕の方に押しやると、「もっと食べていいよ」と言った。
「アンタも食べろよ。もったいないぞ」
「私は一つ食べられれば充分だよ。ルイは食べられないし、君が食べないと余ってしまう。余ったら処分しないといけない」
「……それは駄目だな」
処分されてしまうくらいなら、僕が食べたっていいじゃないか、とそんな言い訳じみた思考を脳裏に浮かべ、遠慮なくもう一つ手に取った。青色の宝石はどんな味がするのだろうと思って口に含むと、形容し難い甘い味が口内に広がった。少ししゅわしゅわとしていて、すっきりと爽やかな味がする。しゃりしゃり、ぷるぷると咀嚼し、自然と頬を押さえて甘い味を堪能した。
「……んへへ」
宝石とは高く売れるからこそ価値があるものだと常々思っていたが、こんなに甘くて美味しい宝石があったらそれこそさぞ高値で取引されるのだろう。食べられる宝石なんて最高じゃないか。金になるし、腹も満たされる。しかも美味しい。こんな幸せの概念が凝縮された食べ物があるなんて知らなかった。
僕は青色の甘い宝石を見つめながら、ふと上空に広がる青空に目を向けた。綿を引きちぎってばら撒いたような雲が浮かんでいる。
「青空の欠片ってのはこんな味がするのかもな」
マティアスは目をぱち、と瞬かせ、ティーカップとソーサーを持ったままぽかんとした。そして「ふふ」と俯いて肩を揺らした。
「アンドルーって意外とロマンチストだね」
なんとなく馬鹿にされた気がして、むぅと唇を尖らせた。
「お、思っただけだ。本気なわけないだろ」
「わかってる、わかってるよ」
「おい、紅茶溢すぞ」
「ごめんごめん。アンドルーって可愛いね、童話作家とか向いてるんじゃないかな」
「なんだよそれ」
マティアスはカップを置くと、女の子みたいにほっそりとした指先で青色の宝石を一つ摘んだ。それを何の躊躇いもなく自身の口に放り込み、しゃりしゃりと咀嚼する。僕と目を合わせ、「ふぅん、これが青空の味か」と呟いた。
「青空はサイダーの味がするんだね」
「サイダー?」
「……飲んだことない?」
「し、知らない」
ごくん、とマティアスは喉を鳴らして「今度探してきてあげるよ」と言った。こう見えてもしかしたら面倒見が良いのかもしれない。
「やぁやぁ、楽しそうだね」
不意にテラスの入り口から人影がひょこっと顔を出した。見ると、編み込んだ茶髪をオールバックにさせた男がひらひらと手を振っていた。今日の彼はサバイバーの姿をしているらしい。
「ああ、ルキノ」
僕が手を振り返すと、彼はコツコツとこちらに歩み寄ってきて「楽しそうな声が聞こえたものでね」と微笑んだ。
「アンドルーにマティアス、仲良くお茶会かね?」
「ぼ、僕は手伝ってるだけだ。お菓子の消費を」
「お菓子?ああ、琥珀糖か。良いものを食べているね」
「琥珀糖?」
僕はそこで初めて甘い宝石の正式名称を知った。ルキノは「一つ頂いても?」とマティアスに目を向ける。マティアスは「好きなだけどうぞ」と言って彼に皿を勧めた。
「寒天に砂糖やシロップを混ぜて乾燥させてもの。それが琥珀糖さ。いや、甘いものは助かる。先程まで研究室に篭りっきりだったからね」
「また徹夜したのかアンタ」
「はは、許しておくれ。シャワーは浴びてきたから衛生上は問題ないはずだよ」
ルキノは皿から透明な琥珀糖を一つ取ると、しゅるりと細長い舌で絡め取って口の中に収めた。しゃりしゃりと咀嚼音が聞こえ、「いいね、疲れが取れる」と呟く。
「ルキノも座るならルイを退かせようか」
「いや、私は気分転換に表に出ようと思っただけだからね。それにほら、ルイくんは眠ってしまっているみたいだから、寝かせておいてあげよう」
「あ、本当だ。こいつ退屈だからって寝やがって……後で運ぶのは私なんだが」
「ははは、人前で眠れるということはそれだけ安心しているという証拠さ」
今日はよく晴れているね、とルキノは空を見上げた。彼の首筋に蔓延る新緑色の鱗に太陽の光が反射している。ルキノは僕の方に顔を向け、「焼けていないかい?」と問いかけた。
「日陰でも油断してはいけないよ。次からは屋外でお茶会する時は帽子を被るといい」
「今回は私が急遽呼び出してしまったんだ……次は帽子を用意するよ」
「そ、そこまでしてもらわなくても大丈夫だ。お菓子が貰えるだけで嬉しかったし……」
「君の白雪の肌が焼けてしまったら大変だ。ほら、少し赤くなっている」
「わっ……ル、ルキノ」
ルキノは指先で僕の頬をぷにぷにとつっついた。鋭い爪で傷つけないように加減してくれているが、くすぐったくて目を伏せた。その様子を見てマティアスはクスクスと笑っている。
「もう、大丈夫だって言ってるだろっ」
「歳上の助言は素直に聞くものだよアンドルー」
「だ、だったらつつくのをやめろっ」
「君の頬はぷにぷにだねぇ。まるでマシュマロのようだ。齧ったら甘いのかね」
マティアスはカタリと立ち上がり、「そろそろお開きにしようか」と空のカップを置いた。皿の上には琥珀糖が一つだけ残っている。それをじっと見つめていると、マティアスがひょいっと琥珀糖を摘んだ。自分で食べるのかと思いきや、それを僕の唇にふにっと押し当てた。
「んむっ」
「はい、これでおしまい」
むいむいと押し付けられる琥珀糖を慌ててぱく、と咥えると、マティアスは指を離した。もぐもぐと口を動かすと、甘酸っぱいレモン味の果汁が口内を満たした。
「次はルキノも呼ぼうか」
「おや、私もご相伴に預かってよろしいのかね?」
「アンドルーがルキノと話し足りなさそうだったから」
「なっ……そ、そんなことないが」
「おやおや、ふふ。それなら次回は私も参加しよう」
マティアスは眠りこけているルイを背中におぶると、「片付けはルイを部屋に帰したらやるから、そのままでいいよ」と言った。
「そんな。僕も一緒にやるよ」
「君はお菓子を片付けてくれたから充分」
それじゃあね、とマティアスはルイを背負ったままひと足先にテラスを後にした。有無を言わせない背中を僕は見送るしかなかった。
ぽかんとしていると、ルキノは僕の隣に立ち、優雅な仕草でクスクスと口元に手を当てて笑った。
「マティアスは君のことが好きなんだね」
「……そうか?」
「あんなに喋る彼は滅多に見られないよ。君は彼に気に入られてるようだ」
「……そうなのかな」
では次は私もよろしく、とルキノは手を振り上げながら去っていった。テラスに一人残された僕はしばらくその後ろ姿を見つめていたが、手持ち無沙汰になって椅子に腰掛けた。日陰の中から青空を見上げると、鳥が森の方へ飛んでいくのが見えた。
口の中に残る甘い宝石の味を思い起こす。ひと時であったが、幸せな時間ではあった。またあんな風に穏やかな時間が過ごせるといい。
僕はやっぱり一緒に片付けをしようとしばらくその場に留まって、マティアスが戻ってくるのを待った。