ついの棲家④「悠仁、まだ俺の鼻の上に傷が見えるのか?」
この家に来たばかりの頃脹相の鼻上の傷が気になり、兄たち皆んなの前で言ったことがある。
どうして脹相兄ちゃんのお鼻に傷があるの?と。兄たちは揃って、キョトンとした後一斉に脹相の顔を確認して、そんなもの無いよ?と優しく答えてくれた。何か汚れでも付いていたかな、と脹相自身も鼻上を掻くだけで、悠仁はなんだか恥ずかしくなってそれ以上皆んなの前で傷の事を言うのはやめてしまった。
だが二人きりになると、どうしても気になってしまって脹相の鼻の傷を撫でてあげたりしていた。脹相も初めは笑いながらも悠仁は優しい子だなと褒めてくれさえしたが、ある時からはハッキリと否定されてしまった。そんな傷は無いんだから、もう傷の話はしない事。それからは見えていても口に出さないようにしていた。そして傷が血を流すのを見たのは昨夜が初めてだった。
「……見えるよ、大きくなってる」
深夜に寝直してからはぐっすり眠れた。脹相は先に起きて隣で静かに仕事をしていたが昼近くまで起きなかった。お陰で数日の寝不足も吹き飛んだ。
起き抜けに、パソコンを眺めている脹相と傷の話をしている。
「……そうか……声は聞こえないな?」
「声?」
「去年焼相に言っていた話だ。女の声」
「それは聞こえねえけど……え、あれマジで聞こえんの?」
「……今もたまに聞こえる」
「なんて言ってんの?」
「泣いている」
「怖っ」
脹相はパソコンのキーボードを叩き、エンターを押すと溜息をついて、椅子から立ち上がった。
布団を畳む悠仁の元へ来て、頬や髪を犬を撫でるように少々乱暴に撫でられる。
「わ、なに?」
「悠仁は、やっぱりこの家を出た方がいい。寂しいなら近くでもいいから引っ越しなさい」
「やだって。なんで?傷が見えるから?それって不味いことなん?てか、脹相は平気なのかよ?聞こえるんだろ?兄弟皆んな聞こえるんだろ?だから帰って来ないんだよな?」
「俺が帰って来るなと言ってある。悠仁はこの家の血筋ではないから、大丈夫だと思っていたんだ……」
「何の話してるか分かんねーよ、ポルターガイストがあるから怖いって話じゃねえの?俺嫌だんね!俺だけ平気とか、脹相だけこの家と心中するとか!」
脹相は傷ついたような顔をした。何か酷い我慢を強いられている。悠仁は直感的にそう思った。そしてまた傷が泣いた。
悠仁は脹相にされたように乱暴にその傷の血を拭き取る。本当は存在しないはずの血を。
「弟大好きなお前が、全員から離れてこの家で一人寂しく死んでいくとか、俺絶対嫌だ」
脹相は悠仁の言葉に目を見開いた後、俯き、悠仁の肩に置いた手を震わせた。そして絞り出すように呟いた。
「……弟達が、お前が……幸せなら、俺はそれだけでいいんだ……」
「良くねえよ、他の兄貴達はそれで良いって言ったんかも知れねえけど、俺何も知らないから良くない、俺はお前が幸せじゃないと幸せになれない」
「……知られたくない、悠仁は知らなくていい」
悠仁はかっと頭に血が昇った。幼い頃、焼相とはよく喧嘩はしたが兄たちには適わなかった。大きくなってからは喧嘩自体しなくなり、人の殴り方なんて忘れてしまったが、意外と体は動くものだなと、脹相が左頬を抑えて尻餅をついた後で思った。
「脹相の意地っ張り独りでぐちゃぐちゃ考えやがってそんなんじゃ解決するもんも解決しねーんだよ!あーもう!腹減ったなんか作ってくる!あと氷とって来るから冷やせよ馬鹿兄貴」