苺竹長く続いた入院生活が終わるという頃。
文字通り路頭に迷っている僕に、苺原は「わたしの家に住む?」と声を掛けた。
「自分で言うのもなんだけど、部屋は綺麗だし、立地もそれなりだし、料理の出来にも自信あるよ」
確かに、思い返してみれば苺原の包丁遣いは普段から料理をしている人のそれだった。話を聞いていても、規則正しい生活をしていることは容易に想像がつく。この言葉に誇張はないのだろう。しかし、そう語る様子に自信はなさそうだった。目を泳がせ、指先を擦り合わせて遊んでいる。
「自分の住まいぐらい、自分で見つけられる」
目線を逸らして吐き捨てると、苺原は自分の座っている丸椅子を持ち上げ、僕のいるベッドの傍に寄せてくる。
「わたしが蓮くんと一緒にいたいんだけど、ダメ?」
ぐっと近付いた距離で、苺原に目を覗き込まれる。わざとらしく期待に潤ませた青眼がぱちくりと瞬きをするさまは、何度見ても憎らしい。甘えるような声音にも嫌気が差す。
苺原が僕を「蓮くん」と呼び始めたのは、彼女が初めて僕の病室に来た日の翌日だった。押し問答を続けた末、端的に言えば苺原が泣き始め、僕が折れた。言いくるめられた、と言った方が正しいのかもしれない。あいつの嘘泣きには反吐が出るが、どうにもあの濡れた瞳を間近で見てしまうと喉元まで出かかった反論を絡め取られてしまう。相手にも自分にも腹が立って死にたくなる。
あの時と同じように、そんなこんなで口論を繰り広げたが、 やはり僕が折れる形で「次の勤め先が決まるまで」という条件で同居することになった。
僕が入院していた一ヶ月と数日。苺原は毎日欠かさず僕に会いに来た。そして毎日違う話を僕に聞かせた。学校の話なんか聞いても気分が悪いだけだった。ましてや苺原自身のことなんて深く知りたくなかったが、一緒にリンゴを食べたり、好きな本について話したり、トランプで遊んだりしている内に、憎悪以外の感情で苺原の目を見られるようになった。
でも。ずっと、ピンと張りつめた緊張の糸が僕たちの間にはある。
リハビリで席を外していたら、その間に病室を訪れた苺原が過呼吸を起こしかけてへたり込んでいたことがあった。僕が宣言通り窓から飛び降りて死んだと思ったらしい。唖然としていると、泣き崩れていた苺原が僕にひしと抱き着いてきた。
「蓮くん、いきててよかっ、た……」
自分の腹に苺原の顔が押し付けられている。熱い息遣いと大粒の涙を病衣越しに感じて、僕の身体は反射的にその温もりを拒絶し、身じろぐ。じんと痛むような嫌悪感が心臓を強く脈打たせた。気色が悪い、とにかくこいつの腕から、身体から逃げたい。振り払いたい。
しかし、背中に回された腕が想像よりもうんと細く、体重を預けてくる体躯も小さく、本当に幼い子どものようで。僕は、僕は――。
「わたしも逃げないから、あんたもわたしから逃げないでよ。わたしのせいで生きてよ。わたしが来ないと死ぬって言ったのは蓮くんなんだから、ちゃんと約束守ってよぉ……!」
僕は苺原を引き剥がすことができなかった。
僕には、苺原がわからない。わかるはずもない。わかりたくもない。あいつを前にしたら、僕はいつだって被害者だ。あんたに殺されてもいいだなんてほざく覚悟があったのなら、あの時、何も言わずに殺されてくれたら良かったんだ。
この気持ちは今でも変わらない。
それでも、苺原が変わり始めている、ということは僕にもわかった。最初は僕の要望を聞き出してそれを飲み込む作業を繰り返すばかりで、自分の責務として、まるで僕の世話を『やらされている』ようにしか見えなかった。
でも、どうやら僕という存在を一から知ろうとしているようだ。
「蓮くん、今日のお夕飯はブリ大根にしようと思うんだけど、どう?」
-
「どうして……泣くんだよ」
「蓮くんが、大事だからだよ」
「……大事?」
「いなくなったら悲しい。会えなくなるのは嫌だ。それもわたしのせいでなんてゼッタイ嫌……!」
「まだ言えてないこと、聞きたいことやりたいことたくさんあるのに、蓮くんがいなくなったら、わたしの気持ち何にも届かないじゃん。もう蓮くんのこと、知れなくなっちゃうんだよ? ……そんなの、哀しい……」
-
「何も、成長してない。お前に当たってばっかりだ」
「あんたは、わたしに何をしても間違いにはならないよ」
-
「し、死んじゃう……しんじゃう…」
「……死ねよ、そのまま」
-
「……する?」
「……は?」
「体の傷。どこまで続いてるのか見せてよ。わたしに」
「な、んでお前なんかに……僕はお前のせいで、」
「わたしも見せるから」
「や、やめろよ。お前は僕にまで自分を憐れませないと気が済まないのか?」
「違うよ。ただ……見せたい、それだけ」
「そう思ってるの、わたしだけなの? 蓮くん」
「蓮くんが決めて」
「……僕が?」
「そう」
「もう蓮くんは自分で決められるでしょ? わたしの思い通りになんてされてくれないんだから」
「見てくれる?」
「……見るだけなら」
-
泥酔帰宅→風呂上がりの苺原さん
「お待たせ!」
「待ってない。酔っぱらいは早く寝ろ」
「えー、まだ眠れないよ。明日休みだし」
「おい、引っ付くな……」
「寝ても酔いって醒めないらしいよ。体動かさないと外に出ていかないんだってさ」
「……いいから寝ろよ」
「蓮くんが一緒におふとん入ってくれるなら寝るよ?」
「は? ど、ういう意味だよ」
「え? 深青は好きな人と一緒に眠りたいもん」
恋人繋ぎする
「好きって……。お前……僕のことそんな目で見てたのか?」
「そんな目ってどんな目?」
「ヤラシイ目」
繋いだ手を振り払われる
「どうせ他の男にも同じこと散々言って来たんだろ。家に僕がいるせいで連れ込めなくて残念だったな。だからって僕で遊ぼうとするなよ。……僕のことなんか気にせずそのへんで外泊してきたらいいじゃないか」
「……蓮くん、何も分かってないんだね? 遊びなわけないじゃん。わたしってずっと前から竹林のものなんだよ」
「あんたが誰より大切だし、憎いし、同じくらい好きだし、わたしの全てだから。だから……ずっと傍にいたいし、愛したいの。わたしの全部あげたいの。こう思うのは、正真正銘、蓮くんにだけだよ?」
「信じてもらえる? わたしは蓮くんじゃなきゃダメなんだって」
「お前みたいな尻軽の暴力女に酩酊状態でどんなことを言われても、信用できない」
「えー、今回は酔ってない方だよ?」
「嘘つけ」
「……してくれないの?」
「まあ、そうだよね。蓮くんって、襲うなんて絶対できない人だもんねぇ?」
「……バカにしてるのか? お前なんか襲ってもしょうがないだろ」
「ふ〜ん。……蓮くんって、童貞クンなんだぁ?」
「何でそうなるんだよ……」
「そうじゃなかったらただの意気地無しだよ」
「……うるさい…………」
「あはっ、かーわい♡ れーんくん♡」
「うるさい。全部、全部お前のせいだからな!」
「えー、そうなの? わたしのために取っておいてくれたってこと?」
「そ、そんなわけないだろ!」
「じゃあさ。わたしが、蓮くんの初めてになってもいーい?」
「い……嫌だ。誰がお前なんかと……」
「ダメ?」
「だめに決まってる。頼むからもう、早く寝てくれ。お前の相手をするのは疲れる」
「じゃあ、その気にさせてあげる」
上に乗っかって接近する
「ま……、っ苺原……」
ドッ
「ふふっ……なーんて冗談だよ。ちょっとは期待してくれた?」
「…………」
「……可愛い、蓮くん。食べちゃいたい」
「どけよ……」
「んー? おやすみのちゅーさせてくれたら、どいて大人しく寝るよ」
「さっきは一緒に布団入ったら寝るって言ってただろ……」
「これでも妥協してるんだよ? ……わかるでしょ?」
「いい?」
「…………」