パラレル・サイドキック不幸中の幸いとは、きっとこの事を言うのだろう。ウルトラマンゼットは、驚きのあまりその大きな歩幅で軽々と3歩半ほど飛び退いた青年を見上げて、そう確信した。
***
その日、ゼットは光の国から遠く離れた宇宙の片隅を渡っていた。目的地は"宇宙の墓場"と呼ばれる怪獣達の処刑場。そこへ向かっている理由は単純だ。彼は目の前の青く巨大な球体越しに、己の前方を行く年下の先輩へと声をかけた。
「あのぉタイガ先輩、オレ達結構移動してきたと思うんですけれども、宇宙の墓場ってのはまだ先なんです……?」
「えーっと、多分半分越えたくらいかな。もしかしてゼット、疲れた?」
ちょっと休憩する?と言いながら振り向いたウルトラマンタイガに、ゼットはぶんぶんと首を横に振る。
「いやいや、ゼロ師匠のトレーニングに比べたら全然マシなんで大丈夫です!」
「そ、そっか。じゃあ何が気になるんだ?」
「実はですね……中のヤツとさっきからばっちり目が合ってまして」
ウルトラ気まずい、とゼットは目の前の青い球体をなんとも言えない顔で見詰めた。その中には、名付け親直伝のストップリングで動きを封じられた宇宙怪獣が窮屈そうに丸まっている。
ゼットの言う通り、憎悪に満ちた目で彼を睨んでいるその怪獣の名は、ベムラー──かつて、彼らの大先輩、そして光の国の運命を大きく変えるに至った因縁の相手と同種のそれである。悪魔の二つ名を冠する獰猛さで、M35地点付近に位置する惑星ナタリアを壊滅寸前に追い込んだのはつい先日のことだ。救難信号に駆け付けた宇宙警備隊の手で捕縛されたベムラーは、光の国の掟によって処刑が決定され、なんの因果か、かつての個体よろしく宇宙の墓場への護送が行われることになったのだ。そして、その護送担当として任務を割り振られたのがゼットとタイガの2名だった。
なお、リベンジとばかりに真っ先に護送担当を希望していたのは件の大先輩であったが、本職である大学教授としての研究発表会にどうしても出席せねばならず、渋々任務を譲ったとか譲らなかったとか言う噂が立っているのは余談である。
「うーん、やっぱりストップリングで目も覆っておけば良かったですかねぇ」
「いやいや眼球を直に狙うのは流石に……悪党とは言え、コイツが宇宙を見る最後の機会を奪うのも気が引けるし」
「や、もうこれ宇宙っていうかオレしか見えてないのでは……!?」
熱烈と言うには些か悪意と殺気に満ち満ちているベムラーの視線から逃れるように目を逸らしながら、ゼットはぼやくようにそう溢した。折り返し地点も過ぎ、あと少し飛んで辿り着いた先で、この宇宙怪獣は物言わぬ骸に変わる。最後の情けで美しい宇宙の風景を見せてやりたいという先輩の気持ちは分かるのだが、瞬きもせずこちらを睨むベムラーにそもそも宇宙を見納める気があるようには思えない。星屑を詰め込んだようにキラキラした瞳がウルトラ綺麗だからってそんなにオレを睨まなくても、という斜め72度上にかっ飛ばした不満を覚えながら、ゼットは気を紛らわそうとインナースペースを覗いた。が、己の相棒に呼び掛けようとして、やめる。そうだった、ハルキは留守にしてるんだった、と今更すぎることを思い出したのだ。
遊星ジュラン。それはコスモスペースという多次元宇宙のひとつに存在する惑星だ。そして、ネオユートピア計画が実行され、コスモスペースの地球怪獣と人間が共存を果たした理想郷と呼ぶにふさわしい星でもある。ゼットの相棒、ナツカワ・ハルキは今、そこにいた。他でもない勉強のためだ。
ハルキのいた地球には、土着の怪獣がほとんどいない。否、いなくなった、と言った方が正しい。ウルトロイドゼロ、ならびにデストルドスの侵攻により、ストレイジが把握している怪獣達はそのほぼ全てが吸収されてしまった。その中で唯一残ったのが、レッドキングの卵だ。母親が身を挺して守ったその卵は事件発生から数ヵ月後に孵化し、5年経った今では両親と変わらぬ体格にまで成長した。だが、その性格はと言うと、孵った時から面倒を見ているストレイジの面々に随分と懐いているからか、酷く穏やかなものだ。これが人間と怪獣とが共存していく世界の足掛かりになれば、あるいは。そう考えたのはエースパイロットのナカシマ・ヨウコ。彼女から話を聞いたハルキは、役に立つことがあるかもしれないと別宇宙の遊星ジュランを訪ねることにした。
だから当然ゼットもジュランへ降着したのだが、何故かやたらと現地の怪獣達に警戒されるので仕方なくハルキと解散し、ひとり寂しく宇宙警備隊の任務に勤しむことになった。ちなみに、ベリアロクはハルキと共に行動中である。遊星ジュランはウルトラマンコスモスとその親友兼相棒の春野ムサシ、そしてカオスヘッダー0の守護する星なので万に一つもあり得ないだろうが、いざという時ハルキの力になってくれるよう頼むより先に、さも当然のような顔をしてハルキの足元に突き刺さって抜けもしなかったので、そのまま置いてきた。別に、拗ねてなんかない。違うったら違う。
そんな訳で久々の別行動となったのだが、何かある度インナースペースで膝を付き合わせては2人もしくは時々3人で作戦会議から暇潰しまで何でもするせいで、今回もハルキの不在を忘れてインナースペースに顔を出してしまったゼットである。習性とは恐ろしい。いやはや、ウルトラ恥ずかしいぜ……と頬をぽりぽり掻いていると、不意に前方から鋭い声が飛んできた。
「止まれゼット!!」
「へ?うぉあ!?」
突如減速したタイガにつんのめりそうになりながら急ブレーキをかけたゼットは、ベムラーの影から顔を覗かせて、ぎょっとした。
眼前へと迫っていたのは、無数の隕石群。事前予測では護送ルートを通らない筈のそれが、何故か目の前にあった。幸いにもタイガがいち早く察知してストップを掛けてくれたから良いものの、ぼうっとしてそのまま突っ込んでいたらどうなっていたことか。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、野生の本能だろうか、危険を察知したらしいベムラーが突然ストップリングを引き千切ろうと藻掻き始めた。
「あっ、こら暴れるな!落ち着け!!」
「くそ、なんて狂暴なヤツなんだ……!」
取り逃がしてはなるまいとゼットはもう一度ストップリングで縛り上げようとするが、それよりも一瞬早くベムラーは己を押さえ付けるタイガの手を振り解いて逃走を図った。弾き飛ばされたタイガが、数歩後退して踏み留まる。
「「待て!!」」
咄嗟に追い掛けようと二人が身を翻したその瞬間だ。何かが丁度隕石群の迫りくる方向、死角になる辺りから猛スピードで視界に侵入してきたのは。避けられない、と直感が囁く。そして、衝撃に身構えるゼットとそれがぶつかる寸前、宇宙に"穴"が空いた。
「な、ブルトン?!」
「ッ、まずい!手を伸ばせゼット!!」
突然現れた赤と青の鮮やかな四次元怪獣は、隕石群に紛れ込んでいたらしい。ブルトンは口でも開けるようにぽかりと周囲の空間を歪ませた。まるで深淵のようなそれから発せられる抗いようのない力に引き寄せられ、まず飲み込まれたのはベムラーだった。焦燥を滲ませたタイガがこちらに手を伸ばしているのをちらりと一瞬見て、しかしゼットは真っ直ぐベムラーを追い掛けた。イレギュラーな事態とは言え、このままあの悪魔を見失えば、必ずどこかの星に災いが降りかかる。それだけは避けなければ、とゼットは迷うことなく深淵へと飛び込んだ。彼の脳裏に過ったのは、かつて己が取り逃した宇宙鮫と、その襲撃で一度命を落とした相棒のこと。今追い掛けなければ、第二、第三のハルキが産まれてしまうかもしれない。それだけは。
ゼット!!と再び背後から鋭い声が飛んできた。あろうことか同じように追い掛けようとしてくるタイガを、ゼットは手で制して腹の底から叫んだ。
「タイガ先輩!ゼロ師匠に連絡を!!それと、」
ハルキのこと、頼みます!!
その声は、最後まで聞こえていただろうか。言い終わるが早いか、ゼットはブルトンが開いた四次元空間へと吸い込まれていった。最後まで手を伸ばしてくれていたタイガが電源を切ったテレビのようにふつりと掻き消える。同時に、ゼットは薄く透明な壁を突き抜けたような感覚と共に宇宙空間へと吐き出されていた。それはほんの一瞬のことで、何が起きたのかを把握する前に、ゼットの視界を青い球体が猛スピードで通り過ぎていく。ここが一体どこなのかは分からないが、どうやらベムラーも同じ場所に飛ばされてきたらしい。逃げ出したベムラーを再度捕縛すべく宙を駆け出したゼットは、しかし、その進行方向遥か先に青く美しい星が見えて、思わず息を飲んだ。ゼットはあの星を、知っている。
「あれは、まさか地球?!ウルトラやばいッ!待て!!」
アルファエッジへと姿を変え、ゼットはブーストよろしく一気に加速すると前方を飛行するベムラーに並んだ。マッハ10を誇るスピードは伊達ではない。が、そのままゼットスラッガーを放つも、ベムラーは驚異的な反射速度でそれらを躱して方向転換の振り向き様に青色熱線を吐きながら地球へと向かっていく。咄嗟にアルファチェインブレードで弾きながら、ゼットは再び加速した。その顔に滲むのは明らかな焦燥だ。このままでは最悪の事態がまた起こりかねない。
攻防を繰り広げ、縺れ合いながらついに突入した大気圏。不意にカラータイマーから耳障りな点滅音が響き始め、残された時間の少なさが焦燥感に拍車を掛ける。無理矢理にでもその進路を変えるべく、炎に包まれながらゼットはベムラーの脇腹辺りを思い切り蹴り飛ばした。ギャッ!と短い悲鳴が上がり、ヒビの入った青い球の隙間から憎々しげな視線が覗く。屈するものかと睨み返せば、ベムラーは彗星のように青い尾を引いて逃げるように海の方へと落下した。ゼットもそれに続こうとして、しかし異様な速度で点滅を始めたカラータイマーにこのままでは己の身も危ういと悟る。ここは一時撤退すべきだと鳴り響く警鐘に、ゼットは仕方なく海岸への降着を選んだ。
***
夜の海は、酷く静かだ。波が砂を削る音だけが響いていて、人の気配はひとつも感じない。とは言え、巨人が現れたと知れれば騒ぎになるのは免れないだろう。そもそも既にベムラーの目撃情報は上がっているかも知れないのだ。下手に目立ってしまっては、身動きしづらくなってしまう。そう考えて、ゼットはとりあえず52メートルの身長を183センチまで縮めると、重い身体を引き摺って海岸近くの街へと歩を進めた。
「これはちょっと、ッ、かなり、ウルトラしんどいな……!」
はあ、と大きく一息ついて、ゼットは適当な電柱の影に身を寄せる。暗闇で輝いた二対の光は野良猫の眼か。なぁん、とひと声鳴いて去っていった小さな影を目で追い掛けるのも億劫で、思っているよりも消耗が激しいことを自覚した。よくインナースペースでやっているように大の字で寝転んでしまいたい気持ちをギリギリのところで抑えたのは、相棒の姿を借りているからだ。流石に不審者として通報されてはハルキが可哀想だろう。その程度の常識は勉強したので分かっている。分かっている、けれど。
「……つっかれたぁ!!」
人の目も無いことだしこれくらいは許されて欲しいと開き直って、ゼットはその場にどっかり座り込み、海の方を見詰めた。
空と水平線の区別もつかぬような暗闇が揺蕩う水底に、ベムラーは沈んでいる。致命傷とまではいかないが、それなりのダメージは与えた筈だ。すぐに姿を現すことはないだろう。しかし取り逃がしたのもまた事実。ベムラーが海から顔を出した瞬間に叩かなくてはならない。そのためにも早く力を蓄えなければ。幸い、ここは地球だ。朝にさえなれば昇った太陽からエネルギーの充填が出来る。このまま夜明けを待つことにして、ゼットはそっと目を閉じた。
それから、何時間が経っただろうか。不意に遠くの方から近付いてくる足音が耳を掠めて、ゼットは目を開けた。薄明かりの灯ったような灰色の空は、しかしまだ夜明けを迎えた訳ではないようだ。早朝としか言い様のないこんな時間に一体誰だろうか、と思って、次の瞬間はたと気付く。
あれ、早朝に電柱の傍に座り込んでる男って、見方によっちゃ怪しすぎないか?もしかして、いや、もしかしなくても、今大分まずい状況では??
ゼットは慌てて周囲を見渡した。視界に入ってくるのは、積み重ねられた段ボールにバネの弾けた革張りのソファー、羽根の割れた扇風機、その他諸々のゴミの山。所謂、ゴミ捨て場だった。なんてことだ、とゼットは唖然としてしまった。どうやら傍らにゴミが山積みになっていることに気付く余裕もなく伸びていたらしい。いや、いやいや、そうではなく。今はそんな後悔で頭を抱えるよりも身を隠す方が先決だ。何か無いかともう一度辺りを見回し、不意にある物がその目に留まった。
薄汚れた茶色の毛並みはぼさぼさだが、短い手足と丸い頭は愛嬌を感じさせるには充分な造形をしている。ちょこんと頭上に乗った耳の片方は千切れかけ、綿がはみ出ているものの、それを除けば文句無しに可愛いテディベアだ。そう、テディベアである。これしかない──直感的にそう思ったゼットは183センチのハルキの姿を更に縮めて掌サイズまで縮小すると、テディベアへの擬態を試みた。
なお、とにもかくにも今をやり過ごすことだけを目的としているゼットには、インナースペースに逃げ込むだとか、そもそも怪しくないような言い訳を考えるだとかは選択肢にない。
もっとも、結果的にこの選択が全ての運命を決定付けることになったのだが。
(こ、これでなんとかバレないで済むぜ……!)
あとは近付いてくる何者かがそのまま通り過ぎさえすれば。そう思って息を潜めていたゼットだったが、しかし、今まさに通りすがっていった人影に既視感を覚えて、思わずその顔を仰ぎ見た。見てしまった。
『──ッ、』
ハルキ、と口から転げ出そうになった言葉を慌てて飲み込む。そんな筈は、とゼットは目を見開いた。だが、見間違える訳もない。一瞬だったとは言え、もはや一心同体となった相棒の顔を間違えたりはしない。けれど、おかしい。今、ハルキは遊星ジュランにいる筈だ。でも、だったら。だったら、今の男は?
『お待ちになって!そこのハルキ……っぽい人!!』
ランニング中なのだろう、当然こちらを振り返ることもなく走り去っていくハルキ似の男を、次の瞬間ゼットの身体は追い掛けようと動いていた。そこにはゴチャゴチャと込み入った考えも打算もなかった。あったのは、この機を逃してはならないと言う確信と、本能。ハルキに似た生命体を、"今度こそ"守らねばならないという本能だった。
『止まってぇ!ハルキっぽい人ぉ!!っぶぇ?!』
ぽて、とそんなオノマトペが似合う音と共に、ゼットは道路の真ん中に転がった。テディベアの手足というのは、走るには向いていないらしい。これでは追い付けないと理解して、キァ……と口から情けない声が出ていった、そんな時だ。遠ざかっていった筈の足音が、先程よりも急いだ調子で戻ってきたのは。
「あれ?おっかしいなぁ、なんか呼ばれたような気がしたんだけど……」
気のせい?と訝しげに首を傾げる彼は、ちょうどゼットの前に立ち止まった。まさに千載一遇。気のせいじゃないぞ!ハルキっぽい人!!と喚きながら、ゼットはじたばたとその短い手足を動かした。端から見れば、ぬいぐるみが蠢いているようにしか見えないだろう。ホラーさながらのその光景に、ハルキ似の男も流石に気付いたらしい。え、とピタリ動きを止め、次の瞬間彼は驚きのあまりその大きな歩幅で軽々と3歩半ほど飛び退いた。
「おわぁビックリしたぁ!?え、な、なに?!なん、え、ぬいぐるみ??」
なんで、とどうにもビビり散らかしながら、しかし好奇心はあるのだろう、恐る恐るこちらを覗き込んでくる彼を改めて見上げて、ゼットは、ああと思った。やはりこの男は、ハルキだ。己の相棒だ。どういう訳だか知らないが、間違いない。きっとここで出会ったのは必然か、運命か、或いは──宿命か。何はともあれ不幸中の幸い、あわよくば匿って貰おうと、ゼットは短い足で立ち上がると、ぽてぽてと実に愛らしい足音と共に男のランニングシューズの爪先へと駆け寄った。じ、とその丸い瞳を見詰める。
(お前もハルキなら分かる筈だ……!気付いてくれ!!)
そんな祈りが、通じたのだろうか。それとも大騒ぎしたせいで起きてきた近所の犬が吠え出したからか。ハルキによく似た男は、若干顔を青くして戸惑いながらもそっとゼットを拾い上げ、もと来た道を引き返すように駆け出した。振動で揺れる掌の中で、ゼットが初めて相棒の手の大きさを思い知ったのは、秘密である。
***
「それでえーっと……ゼット、さん?でいいんすよね?」
「キアッ!キアッ!!」
「分かった、分かったっすから!」
困ったように眉をひそめるハルキ(仮称)を意に介さず、ゼットは短い手で刺繍っぽくなってしまった胸元のZ字マークをもう一度ぽんぽんと叩いた。そう、Z字マークを、だ。
何をどう間違えたのか、テディベアに擬態した筈のゼットの姿は、"デフォルメされたウルトラマンゼットのぬいぐるみ"としか言えないものになっていた。ハルキ(仮称)の家に着くなり、玄関先にあった姿見の中に写った己の姿に、思わず、
『えぇぇええウルトラ可愛くなってるんですけどォ!?』
と叫んでしまったのだが、これまた何をどう間違えたのか音になって出ていったのは、キァァアア?!という甲高い悲鳴じみたものだったので、驚いたハルキ(仮称)にうっかり取り落とされたのは記憶に新しい。幸か不幸か、ぬいぐるみ視点だと中々の高さから落とされたにも拘わらず、そのクッション性のおかげで痛くも痒くもなかったのだが、ハルキ(仮称)にビビり散らかされたことの方が心にキたのは言うまでもない。鳴くのぉ?!と言いながらトサカを恐る恐る摘み上げられたのもショックだった。……泣いてなんかない。
とにもかくにもこんなところで凹んでられるか、とゼットはキアキア鳴きながら、ローテーブルの前に座ったハルキ(仮称)の掌の上で短い手足をぱたぱた動かした。流石に何か言いたいらしいということは伝わったようだ。えぇ……なに、なんなの……?と困惑するような声と共に覗き込んできたその鼻先をぺちぺち叩き、ゼットは己の胸元を指した。そこには、Z字のマーク。己の大事な、自慢の名前だけは、この姿でも鮮やかに灯っている。
「ゼット……って、もしかしてお前の名前?」
「キアッ!キァア!!」
「うわめっちゃ鳴くじゃん……てか、何者?ただのぬいぐるみじゃなさそーだし、付喪神とか?」
うわ、待ってじゃあ俺すげぇ失礼じゃん……いや、失礼じゃないすか!!と慌てて居住まいを正した辺り、まだ名前を聞いてはいないがナツカワ・ハルキご本人と見て間違いないとゼットは胸が熱くなった。一時的ではあるがハルキと別行動を取っていて、寂しくないと思ったことがないと言えば嘘になる。さよならを考えた時なんてウルトラ寂しい気持ちで一杯だったのだ。それが、次元を飛び越えた別宇宙の地球で、どんな形であろうと彼と遇えた事実を喜ばない訳がない。同時に、なんだか出会った頃を思い出すなぁと感慨に耽ってしまったのは仕方のないことだろう。
ともかく、ベムラーがいつ現れるか分からない以上、拠点を海の近くに構えられたのは有り難い。どちらかと言うと、押し掛けて居候に漕ぎ着けた、が正しいがこの際些細なことは捨て置く。どの道この星からはベムラーを捕縛、或いは処分が出来次第お暇しなければならないと、ゼットにはなんとなく分かっていた。静か過ぎるのだ、この地球は。怪獣や宇宙人が息づく気配、と言うものをまるで感じない。参りましたな、とゼットは内心臍を噛んだ。
もし、もしもこの星に、怪獣や宇宙人が現れた前例がないのなら、ベムラーの侵入とゼットの降着は間違いなくイレギュラーだ。ハルキの地球には元々土着の怪獣が居て、ストレイジという防衛軍があった。だが、このハルキ(仮称)の地球は、どうだ。存在しない脅威に備えた組織がある可能性は低いだろう。それはつまり、ベムラーが暴れだした時の有効な対処手段がないということ。巨大な生物の発生がそもそも考えられていない街へ上陸を許せば、大きな被害が出ることは言うまでもない。
そうなると、やるべきことはやはりひとつだけ。太陽光からのエネルギー充填だ。早急に元の姿に戻る必要がある。そう判断したゼットは、じたばた踠いてハルキ(仮称)の掌から脱出すると、ローテーブルの上を滑るように移動してフローリングの床にぽてんと落下し、そのままの勢いで窓際まで転がってレースカーテンへと潜り込んだ。その間およそ3秒の早業は、ハルキ(仮称)も思わず拍手するくらいだったと言えば、その鮮やかさが伝わるだろうか。日当たりの良い窓際を目指したゼットの行動は、端から見ると日向ぼっこしたい猫か何かの類いに近く、うっかり絆されたハルキ(仮称)は、ついつい吹き出した。
「なんかよく分かんないけど、気が済むまで居て良いっすよ」
悪い奴じゃなさそうだし、と投げ掛けられた声に、ゼットは燦々と降り注ぐ朝日を浴びながら、キアッ!とだけ鳴いて返した。なお、実際は助かるぜ!と感謝の意を述べていたのだけれど、今回はどうやら上手く伝達出来てはいなかったらしい。変なの、と言いたげに首を傾げるハルキ(仮称)は、とりあえずコーヒーでも飲もうかとマグカップを片手に立ち上がった。
陽射しも眩しい初夏の朝。こうして、ぬいぐるみに擬態したゼットと、別宇宙のハルキ(仮称)との共同生活が幕を開けた。
***
ゼットがハルキ(仮称)、もとい"夏川遥輝"の元に身を寄せてから、三日。三日もすれば、当然いくつか分かったこともある。短い手足をぱたぱた動かしながら、貰ったけど使ってないからあげます!と遥輝が意気揚々とセッティングした布製コースターを座布団代わりに窓際へ陣取ったゼットは、そのふわふわした身体には似つかわしくない神妙な顔で考え込んでいた。
この世界で、遥輝はどうやら消防士として働いているらしい。昨日の朝早くに出ていった背中を見送りながら一抹の寂しさを噛み締めたのは、彼がストレイジに所属していない事実を目の当たりにしたからだった。退屈をもて余した宇宙人も刺激を求める怪獣もいないこの星で、防衛軍が存在する筈もないとは予想していたけれど、実際そうだと分かると途端になんとも言えない寂寥を覚えるもので。けれど同時に、安堵もしたのだ。
まず間違いなく、この遥輝はゼットのよく知るハルキの平行同位体と呼ばれる存在だ。つまり"怪獣や宇宙人の存在しない世界線のハルキ"だということ。そして"ゲネガーグによって命を落とすことの無いハルキ"でもある。それが分かった瞬間、ゼットは心底ほっとした。ゼットの相棒たるハルキは、ゼットが拾い上げた命であると同時に、みすみす目の前で死なせてしまった命だ。絆の証明にして、己の力不足の象徴──それがゼットにとってのナツカワ・ハルキだった。勿論、本人には言ったことはない。言えばきっと、そんな風に思われているのは心外だ、水臭い、と顔を顰めるに決まっているから、これはゼットが墓まで持っていく所存の心の内である。もっとも死ぬと光に還る身なので、持っていく墓がそもそもないのだが、そこは言葉のアヤというものだ。
閑話休題、ともかく遥輝がストレイジのパイロットではなく、消防士として生きているこの世界は、ある種ゼットにとっての理想だった。同時に、"今度こそ"守り抜きたい世界でもある。この命に代えても、遥輝をハルキと同じ目には遭わせない──そんな覚悟で、ゼットは今日も今日とて日光浴に勤しんでいる。なんとなくの体感だけれど、エネルギー充填は70%ほど完了しているはずだ。多分。
とは言え、無駄に動き回って折角溜めたエネルギーを消費するのは頂けないので、今のゼットにはぼんやりと遥輝の部屋を眺めるくらいしかやることがない。幸か不幸か、一般的な地球人の暮らしぶりを知らないゼットからしてみれば、遥輝の生活感溢れる部屋は見ていて飽きないと思う程度には興味深いので、実のところはそこまで困っていなかった。ただひとつ、気になることと言えば。
『……やっぱり、居ない。というか誰だアレ』
窓から対角線上にある壁際、箪笥の上。何かのトロフィーと、その隣に飾られた集合写真。額に入れられているところを見るに、遥輝は随分と大事にしているのだろう。ぬいぐるみに擬態していてもそこはウルトラマン、かなり開いている距離もものともせず、ゼットはそこに写る消防隊員らしい人々の顔を見詰めた。端から、短い手で指しながらぶつぶつと……否、キアキアとゼットは呟く。
『遥輝に、多分この世界のヨウコにユカ、それとこの辺は整備班の面々だろ?ストレイジではないけど、一緒に働いてはいるんだな……』
よかった、と先ほどまで感じていた寂寥を振り払いながら、しかしゼットは写真の真ん中、ヨウコ(仮称)とユカ(仮称)の間にいる男の姿に強烈な違和感を覚えていた。
対怪獣特殊空挺機甲隊、通称ストレイジ。その隊長は他でもないヘビクラ・ショウタことジャグラス ジャグラーである。地球ではそれはそれはお世話になったことだし、地球外へ出ても保護者の同意書にサインして貰ったり、同じ宇宙船に乗り合わせて共に戦ったりと、何かと面倒を見てくれているので、今更ゼットが見間違うはずもない相手だ。ストレイジで集合写真を撮ったら、まず間違いなく真ん中に写るであろう、チームの大黒柱。
その位置に、ゼットの知らない男が写っている。
最初は斜に構えて端に写っているかと探したのだが、ゼットの知る世界の彼らと本質的に同じなら、遥輝もヨウコ(仮称)もユカ(仮称)も長の顔は立てる人間のはずだ。隊長は真ん中にどうぞ!と声を揃えるに違いない。しかし、実際にセンターを張っているのは、"見たことがあるのに全く見覚えのない誰か"だった。いや、宇宙人や怪獣の居ない世界に無幻魔人がいるはずもないので、このジャグラス ジャグラーが介入しなかった世界における"ヘビクラ・ショウタ"はきっと彼なのだろう。顔はあの蛇のような面差しとは違って全体的に印象が薄い気もするが、どことなく背格好や雰囲気は近いものがある。
『……まあ、平行世界ならそんなこともあるかぁ』
引っ掛かりを覚えながらも、ゼットはそう納得することにした。己の知らない"ヘビクラ・ショウタ"も、どうやら随分と部下に慕われていることは見てとれる。人間関係が良好なのはいいことだ。こうして写真を飾るくらいなのだから、遥輝も仲間のことを大事にしているのだろう。世界が違っても、ストレイジはやはりこうでなくては。
満足げに頷くゼットは知らない。写真の見知らぬ男こそが本物の"ヘビクラ・ショウタ"であり、ジャグラス ジャグラーに成り代わられた人間であることを。口を開きかけたパンドラの箱に間一髪で鍵をかけたことを。別宇宙の何処かで、蛇が盛大なくしゃみをしていたことを。
ゼットは、知らない。
***
人間というものは、表情が判りやすい。表情筋という概念を失くして久しい種族としては、感情と共にころころと切り替わる顔面は見ていて飽きないし、何処か懐かしさすら感じている。きっと自分達の遠い遠い祖先の面影をそこに重ねているのだろう。興味と郷愁を引っ括めて、ウルトラマンが人類の枕詞に"親愛なる"を置きたがるのは、そういう理由かもしれない。
ゼットも、例に漏れずそのひとりだ。そして、その"親愛なる"最たる例は、いや、正確にはその同位体は、昼食に掻き込んだ炒飯を浮かない顔で咀嚼している。
『どうしたんだ、遥輝?』
相変わらずキアキアと間抜けな鳴き声に変換されて口から出ていった言葉を、しかし遥輝はなんとなく察したらしい。同居生活5日目ともなれば、窓際に鎮座するぬいぐるみが動いて鳴いて光合成する事実にもすっかり順応したのだろう。聞いてくださいよゼットさぁん、とプラスチックの使い捨てスプーンを握り締めながら、遥輝はぺしゃりとしか言い様のない顔をした。
「最近ちっちゃい地震が多くって、や、まあ、被害が出てるとかって報告はほとんどないんすけど、頻度がおかしいって言うか……」
これが全部前震だったとしたら前代未聞だし、いつデカいのが来るのかって皆ずっとピリピリしてるんす。
緊張の2文字を顔面にでかでかと貼り付けてそう溢した遥輝に、ゼットはひっそりと息を飲む。元々毛根なんてないはずなのに、背中の毛がぞわぞわと逆立つような心地がするのは、それこそ遥か昔の名残か、あるいは今己の身がぬいぐるみを模しているからか。
小さな地震が続いている理由など、言うまでもない。ベムラーだ。海中に沈んで行方知れずになったあの悪魔のような宇宙怪獣が、目覚めようとしている。地震は全て、その前触れだ。
潮時だ、とゼットは思った。何処にあの巨体を隠していたか知れないが、ついに上陸の算段を立てたのだと悟った。こちらもあちらも、エネルギーの充填が終わるのはほぼ同時だったらしい。自然災害が可愛く見えてしまうような甚大な被害をもたらす前に、ベムラーを叩く──決意も新たに、ゼットは窓際の特等席からぴょんと飛び降りた。ぽてぽてと愛らしい足音と共に彼は遥輝の膝元まで走り寄る。
「え、なんすか?どしたんすかゼットさん??」
突然活発に動き出したゼットに、遥輝は困惑しているらしい。握り締めていたスプーンを脇に置き、動揺しながらも無遠慮に頭をぐりぐり撫で付けてくる掌ときたら、ぬいぐるみの身にはひどく大きく思える。厳しい訓練で出来た硬いタコに、この手は人を守る者の手だと不意に思った。世界が違っても、遥輝はハルキだと、確かにその手は語っている。
だから、信じて貰えるかは賭けだけれど、きっと勝算は、ある。
ゼットは、頭の上でぽんぽんと弾んでいた遥輝の手が退かされると同時に、ぬいぐるみへの擬態を解こうとした。元の姿に戻って事情を話し、ベムラーの出現よりひと足早く近隣住民への避難を消防士たる遥輝に促して貰うために。
ナツカワ・ハルキという男は、それが地球を守るストレイジ所属の軍人だろうが、平和な港町の安全を守る消防士だろうが、とかく目の前の物事を柔軟に受け入れることの出来る器の持ち主である。そうでなければ、突然現れた宇宙人から一体化して闘おうという誘いを受けることも、動いて鳴いて光合成するぬいぐるみとの共同生活を許容することもなかっただろう。散々この身が証明してきたので間違いない。だからこそ、ゼットは協力を仰ぐことに踏み切ったのだ。だってハルキは遥輝なのだから、信じるに充分値する。自慢の相棒を信じなくて、何が相棒か。
しかし、そんなゼットの思惑が悪魔には読めていたのだろうか。元の姿に戻ろうとした、その刹那。
「ッ、地震!?ゼットさん伏せて!!」
ガタガタとけたたましい音を立てて、床が跳ねた。否、跳ねたのは地盤か。咄嗟に遥輝はゼットを腕に抱えて、壁際の箪笥から距離をとる。近くのクッションを引き寄せて頭をガードしつつ、姿勢を低くした彼の判断の早さは職業柄だろう。地球そのものをひっくり返そうと言わんばかりの激しい揺れに、一拍遅れて耳を劈く緊急アラートがさほど広くないワンルームに響き渡る。そして。
──グォォォオオオオオオオオオオオ!!!!
そして、そんな緊急アラートすら掻き消すほどに、海の底から立ち昇った怨嗟の咆哮が、港町の平穏を切り裂いた。
***
「な、なんだアレ……?!」
遠く海岸線の方を仰いで、遥輝が愕然と呟いた。その肩口に掴まって、ゼットはそのふわふわした眉間に皺を寄せる。来た。
グルォォオオオオオオオ!!!!!!
再び咆哮が大地を揺るがせる。何事かと遥輝同様揺れが収まってから家を飛び出した町の人々は、最初こそ本物か?撮影では?映画みたい!と呑気に囃し立てていたが、沖合いから徐々に、しかし着実に陸へと距離を詰める悪魔の姿に、好奇心は恐怖へ、歓声は悲鳴へと書き換えられた。防災無線の放送がけたたましい音で人々の背中を押す。避難を呼び掛ける放送は、緊張の滲む逼迫したものだ。
街に鳴り響く警告のサイレンに、遥輝は小さなアパートメントのワンルームを飛び出した。ここにいては危険だからと連れ出されたゼットは、彼の着ているパーカーのフードにすっぽり収まっている。避難指示が出たと言うことは、消防士たる遥輝もまた避難誘導の任務があるということ。非番だろうがなんだろうが、緊急事態に四の五の言っている場合ではない。逃げ惑う人々の群れに向かって遥輝は声を張り上げた。
「皆さん!落ち着いて避難してください!!」
警備員よろしく腕を振って避難を促しながら、しかし、遥輝は突然人の流れに逆らうように駆け出した。急な遠心力で振り落とされかけたゼットは慌ててフードへとしがみつき、遥輝の頭越しにその視線を追いかけて、ハッとした。飼い主とはぐれたのか、建物の影、青いバンダナを巻いた胴の長い犬と目があったからだ。近付いてくる遥輝の姿を見て、黒毛のダックスフンドは脱兎のごとく走り出す。おそらくはパニックになっているのだろう、その足はあろうことか港の方へ向いていた。ベムラーの迫る海辺へと。
「あっ、こら待て!そっち行くな!!」
いい子だから止まれって!と呼び掛けながら、遥輝は危険を承知の上で、強く地を蹴って加速していく。ゼットは慌てて抗議するようにフードを引っ張るが、勿論止まってくれるはずもない。なるほど、己の手が届く範囲の命を守りたいという志は、どんな世界でも変わらないらしい。ゼットもそんな相棒の高潔さを心底評価しているけれど、だからと言ってこのまま遥輝を行かせれば、犬もろとも最悪の事態を迎えかねない。それだけは阻止したかった。だって、遥輝をハルキと同じ目に合わせるわけにはいかない。今度こそ守り抜くと決めたのだ。死なせてたまるか。
『止まれ遥輝!犬ならオレがなんとかするから、お前も逃げるんだ!!』
必死でそう叫ぶけれど、ゼットの口から発せられるのはやはりキアキアという鳴き声に変換された音だけで。なんとかその足を止めようと短い手でポカポカ後頭部を殴ってみても、遥輝は走るのを止めない。パニック状態が緩和されたのか、小走りになった犬をやっとのことでその腕に抱え込んだ時にはもう、海岸付近まで来てしまっていた。視界の脇に、遥輝と出逢ったゴミ捨て場が見える。ということは、とゼットが嫌な予感を覚えると同時に、興奮気味の犬を宥める遥輝のすぐ傍に黒い影が伸びた。驚異的な速さで海を割り進み、上陸を計る悪魔が、目と鼻の先に迫っていたのだ。手近な獲物を見付けたとばかりに、ベムラーの怨嗟に燃える瞳が鋭い光を帯びる。
「やっべ……ッ!」
『くそ、下がれ遥輝!!』
言葉が通じないことも忘れて叫んだゼットは遥輝の頭をよじ登り、その額を後方へ蹴り飛ばすようにしてベムラーと遥輝の間に躍り出た。犬を片腕に抱えてたたらを踏みながら、咄嗟に伸ばされた遥輝の手が空を切る。ゼットさん!!と背を追いかけてきた焦ったような声も、今のゼットには声援に等しい。キアッ!!と威嚇じみた大声を発すれば、悪魔の視線は狙い通りこちらを向いた。そうだ、こっちだ。
『来い!お前の相手はオレでございますぞ!!』
そんなゼットの声が聞こえているのか、或いは己に大打撃を喰らわせた相手を理解しているのか。ベムラーはもう遥輝に見向きもせず、半身を捩ると同時にゼットへとその長い尾を振り下ろそうとした──その瞬間だった。
「デスシウムクロォオオオ!!」
「チェストォオオオオオオオ!!」
ゼットが元の姿に戻るより早く、何もない空間に突如走った亀裂から、見慣れ過ぎた二人組が降ってきたのは。
驚愕にぶわっと全身の毛を逆立てたゼットを余所に、彼らは着地と同時に突き立てた刃から、赤黒く禍々しい爪を伸ばしてベムラーの尾を弾き返す。巨大な質量同士がぶつかる轟音。空気を揺さぶるほどの衝撃で走った火花が消える前に、グルルルルル……!!と苛立たしげな唸り声を上げて、攻撃を防がれた悪魔はその場から一歩、二歩と後退した。その隙を逃さず、ベリアロクの追撃がベムラーの鼻先に迫る。
「デスシウムファング!!」
ずぶり。肉に杭を打ち込んだような嫌な音が響いた。絹を裂くような、なんて綺麗な言葉では到底置き換えられない悲鳴を上げ、陛下の幻影に噛み付かれたベムラーは勢い良く仰け反るとそのまま背面から海に着水した。派手な音を立てて大波が起こる。が、無事に堤防で塞き止められたそれを尻目に、ゼットは見慣れ過ぎた二人へぽてぽてと駆け寄った。
『ハルキ!それにベリアロクまで、どうしてここにいるんだ?!』
「どうしてって、一ヶ月も音信不通だったら探すに決まってるじゃないっすか!つか、なにウルトラ可愛くなっちゃってんすか!?え、ゼットさんであってます?!」
『一ヶ月?!オレ一週間くらいだと思ってたんだけど!?あとオレが可愛いのはデフォルトでございましょう?!ゼットでお間違いないですぞ!』
「その前に礼ぐらい言えねぇのか、このふわふわデフォルメ野郎が」
『辛辣!!』
こんなに可愛いのに!とベリアロクに噛み付いたゼットを、まあまあ落ち着いてと宥めながらハルキがちゃっかりと撫で回す。やいのやいのと騒ぎながらひとまずの再会を喜ぶ三人の背中に、あの、と控え目な声がかかった。一斉に振り返れば、犬を抱えて尻餅をついた姿勢の遥輝が、その顔にでかでかと困惑の二文字を貼り付けていた。
「なんなんすかアンタら……っていうか俺にそっくりじゃないすか?!」
『あ』
「へ?」
「あ?」
当然すぎる指摘に声を揃えて疑問符、そして一瞬の沈黙。のち、先に口を開いたのはウルトラマンになってしまった方のハルキだった。
「えぇぇええ俺ぇ?!俺がいる?!嘘ぉ!?」
「や、それはこっちの台詞なんすけど?!どうなってんすか!?え、誰なんすかマジで!!」
声も口調も同じ同位体が同じ場所に揃うとこうもややこしいことになるのか、と感動六割、混乱四割で二人のやり取りを眺めていたゼットだが、同時に彼らがこちらを振り向いた瞬間にちょっとした恐怖を感じたのは内緒である。同じ声が同じ調子で、ぴったり揃って口を開く。
「「どーゆーことっすか、ゼットさん!?」」
そう言われましても。ゼットは困ったようにふわふわのこめかみに同じくふわふわの手をやった。ちなみに届いてはいない。説明しようにもかなり長い話になるのは目に見えているし、そもそも片方には言葉が通じない状況でどう言ったものかと考えを巡らせようとしたゼットだが、しかし、それはすぐに中断された。けたたましいほどの勢いで、遥輝の腕の中にいたダックスフンドが吠え立て暴れだす。反射的に犬の吠える方を見て、彼らは一斉にその場から飛び退いた。鼻先を噛み千切られて怒り心頭のベムラーが、再び海を割って現れたのだ。
「よく分かんないっすけど、話は後で!俺のそっくりさんは、ワンちゃん連れてここから離れて!!」
「離れろって、アンタらはどうするんすか?!」
「フン、決まってるだろ。そこに斬るもんがあるなら斬るだけだ」
「は!?」
そんな無茶苦茶な、とベムラーに真っ向から対峙した二人を案じる遥輝に、ゼットはまたぽてぽて駆け寄ると、その膝をぽんぽんと叩いた。言葉が届かなくても、共に過ごした時間が少なくても、遥輝はハルキだ。大丈夫だから任せろとゼットはもう一度遥輝の膝を叩く。暫く見詰めあって、それから遥輝は大きく頷いた。分厚い手のひらがゼットの頭をわしゃわしゃと無造作に撫でて離れていく。
「……よく分かんないけど、分かったっす!俺によく似た人!ゼットさんのことよろしくお願いします!!」
遥輝はそう言ってがばりと頭を下げると、しっかり両腕で犬を抱え直して踵を返した。その背中に、押忍!!と返したハルキはおもむろにゼットライザーを掲げる。一触即発の空気を切り裂くように駆け抜ける閃光、途端に広がる地響きと、悪魔の警戒するような唸り声。
あまりの眩しさに走りながら背後を振り返った遥輝の目には、街を守るように降り立った巨人の後ろ姿が写っていた。