Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    LOG

    @SSx2B

    ※非公式の二次創作です。
    なんでも許せる方のみご覧ください。

    八重歯キャラは受🦷

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🉐
    POIPOI 5

    LOG

    ☆quiet follow

    【⚾️TEXT💚🧡LOG】
    (追加→24.4.27🆙)

    #とどち
    re-election

    【⚾️TEXT💚🧡LOG】💚🧡収録作品💚🧡
    【CP_All_とどち】

    ・帝徳進学パロ(※if)24/3/30
    ・シニアの頃から千早の片思いで始まるとどち。24/4/21
    ・友達がいない千早の話。24/4/27🆙
    ・藤堂くんのお好みは?23/3/28
    ・とどち馴れ初め。23/6/25
    ・保健室で二人してサボる話。23/12/30
    ・とどちが行為にいたる話。23/11/13
    ・オメガバース(α×Ω)23/2/14
    ・既婚者✖️中学生パロ(※特殊設定注意!)24/3/26

    ----------
    ・帝徳進学パロ【※if】

    [千早視点]

    帝徳高校に入って不安なことは、野球はもちろんのこと他人との共同生活に馴染めるのかということだ。
    案内された部屋は八畳しかない広さの相部屋で、ロフトベットが左右に備え付けられている。
    寮ではルールを学ぶために先輩と同室で組まれる一年生が多い中、何故か俺は同学年の相手と同室……そして現れた男はチンピラ。

    「藤堂葵だ、よろしくな」
    「千早瞬平です、よろしくお願いします」

    目付きの悪い金髪男に見下ろされ、俺は完璧な愛想笑いで返した。恐らく瞬時に、お互いがお互いを相容れないタイプだと判断しただろう。今すぐにでも誰かと部屋を交代して欲しかったが、相手がチンピラだからなんて理由は通用しない。

    「境界線を決めませんか?このフローリング線の中央から右側は俺の陣地で、左側は藤堂くんの陣地です。お互いのプライベートを守るためにも絶対不可侵条約を結びましょう」
    「……この線だな、分かった」

    頷きつつも相手の顔には『なんだか面倒な奴と同室になってしまったな』と書いてある。藤堂と名乗った男の荷物は必要最低限で陣地を占領されることもなかったが、彼自身が大きいから狭い部屋に窮屈そうに丸まっているのが滑稽だ。

    「寝るわ」
    「ご自由にどうぞ」

    学校でも、俺の席は藤堂くんとやらと隣。つまり俺は寮でも学校でも更には野球でも、四六時中ずっと彼と共に過ごすごとになる。
    彼自身は今回の運命を素直に受け入れているようで、特に不満を述べることもない。俺への態度も、ぶっきらぼうではあるが配慮を感じられる。
     


    「……眠れねぇのか?」

    夜中に突然目を覚ました彼に指摘された通り、元から寝つきの悪い俺は環境の変化と新生活のストレスでさらに眠れないという事態に陥っていていた。

    「すみません、起こしちゃいましたか?」
    「気にすんな、トイレで起きただけだ」

    その後すぐ、隣でグースカと寝息を立てて熟睡している彼に腹が立つ。長身に長打、さらには睡眠時間まで。藤堂葵は俺が欲しくても手に入れられないモノをすべて持っていた。
    その夜、俺は朝日が昇っても眠れず数独の師匠コースまで極めてしまうのだった。



    「……はよ」
    「おはようございます」

    朝起きると必ず向こうから律儀に挨拶をしてくる。そういえば夜寝る時にも「もう寝る」だの「横になる」と言ってくるが、あれは『おやすみ』のつもりなんだろうか。きちんと挨拶をするからと言って、雄弁なタイプでもないらしい、彼は俺に必要最低限の会話しか投げてこない。干渉もしてこないから楽ではあった。




    「コラ藤堂、寝るな!」

    授業中。教師に怒られる藤堂くんを横目に、夜あんなに熟睡してるくせに昼も寝られるのと驚かされる。野球の推薦がなければ彼は間違いなくこの学校に縁がなかっただろう。

    「なぁ……昼飯、いつもどこで食べてるんだ?穴場があるんなら教えてくれ」

    休憩時間になると、たまに藤堂くんは俺に話しかけてくる。他の生徒に話しかけているところを見たことはないが、同室の俺とは関係を持とうとする姿勢が見られた。

    「俺はいつも食堂で食べますよ」
    「探したけど、いなかったぞ?」

    それはそうだ、何故なら俺は食堂で食べた後すぐ場所を移動している。上級生も多数いる混雑した場所でゆっくりできる訳がないから。

    「藤堂くんこそ、お昼はどこで暇を潰してるんですか?」
    「俺は行くとこねぇから顧問に頼んでバッティングマシーン使わせてもらってる、全種類のバット試したくて打ちまくってるな」
    「お昼休みまで野球してるんですか……?」

    本当に藤堂くんは野球一筋なんだなと感心させられる。俺なんか昼休みくらいは野球以外の趣味で埋めたいと音楽を聴きまくっているというのに。こういう意識の差が実力の差に変わるのかもしれない。

    「次回から俺も是非ご一緒させてください」
    「いいぜ、飛ばせるバット見つけたから教えてやるよ」

    という訳で、俺は今後お昼休憩まで藤堂くんと一緒に過ごすことになる。
    最早結婚している新婚夫婦より一緒にいる時間が長いのではないかと思うとゾっとした。



    『九州から推薦できた奴、退部して地元に帰るらしいぞ』
    『あぁ、だから荷物まとめてたのか……』

    寮の食堂で夕飯を食べていると、同じ寮に住んでいる野球部員の会話が聞こえてくる。ここでは野球以外の娯楽が少ないため下世話な噂話が絶えない。
    強豪校とあって、帝徳高校の練習は想像以上にキツい。俺なんか毎日寝不足で参加してるせいで何度も吐いた。すでに脱落している生徒も複数いると聞く。

    『アイツ方言で喋るし、東京の水は不味いってうるさかったよな……田舎に帰ってくれてせいせいしたわ』

    俺達は同じ学校の野球部に所属していても、レギュラーの席を取り合って競い合う相手であることを忘れてはいけない。中には悪口を言う奴もいるのだと今回を機に学ぶ。

    『藤堂もそう思うだろ?』
    「知るかよ、俺は走ってくる」

    基本的に藤堂くんは野球以外の話題に興味がないようだ。誰かが誰かを悪く言っても、けして悪口に便乗することはない。
    第一印象でマイナスから入った藤堂くんの評価は加点法しかないため、ガッカリさせられることがない。そのため俺の中で藤堂くんの好感度は上昇する一方だ。



    「今帰った」

    自室に戻る時も藤堂くんは必ず、俺に何か一言だけ声をかけてくる。今のは恐らく『ただいま』のつもりらしい。どこまで走ってきたのか、長い金髪が濡れるくらいには汗をかいている。

    「先にお風呂へ入られては如何でしょうか」
    「そうだな……一緒に入るか?」
    「いえ、俺はいつも最後に一人で浴室を占領するのが好きなんです」

    風呂くらいは別々で過ごしたいと、俺は笑顔でお断りする。逆に、藤堂くんは俺と離れたい時間はないんだろうか。お風呂まで一緒なら、あとはトイレくらいしか別々になる時間はないというのに。

    「そうか、じゃあ行ってくる」
    「ちゃんと肩までお湯に浸かってくださいね」

    浴室の利用は上級生から順番に回ってくる。新入生は最後になるため、俺は利用時間ギリギリまで大きな浴室を独り占めするのが理想だ。
    宿題を終えて、そろそろ皆んなお風呂から上がった頃かと脱衣所へ移動すると浴室内に誰かが残っていることに気付く。

    「藤堂くん……戻ってこないと思ったら、ずっとお風呂場にいたんですか?」
    「いや、さっきまで上級生が利用してたから広間で時間を潰して待ってた」
    「あ〜、三年生は特に気を遣いますよね」

    いかにも体育会系の世界だから、相手が年上というだけで同じ空間にいる息苦しさを感じる。すでにここで厳しい練習を三年間も耐えている先輩には尊敬しかないのだけれど、できれば浴室では会いたくないと言うのが本音だ。

    「それにしても……藤堂くんって、すごく良い身体してますね」

    あまりに完璧な身体を見て、ただ素直な感想が勝手に俺の口から出てしまう。藤堂くんは照れながら、身体じゃなくて真っ赤に染まる顔を大きな手のひらで隠した。

    「やめろ、恥ずかしい……」

    恥ずかしいのは俺の貧相な身体だ、隣に立つのが嫌になるくらい体格差がある。遺伝子は努力で変えられないから不平等だと思う。

    「悪かったですね、俺の身体は貧相で」
    「何も言ってねぇよ。しいていうなら体格より体毛が生えてないほうが気になるな……ワキ毛とか生えねぇのか?」
    「薄いだけです、よく見るとちゃんと生えて、ますよね……多分……?」
    「産毛だろ」

    産毛だって立派な体毛だと俺が主張しているのに、藤堂くんは俺の体毛より顔に着眼点を逸らす。

    「眉毛も薄いな、髪も猫っ毛だし……千早は剛毛と無縁だな」
    「誰が将来ハゲそうですって?」
    「そこまで言ってねぇ……体毛なんて野球には全く影響ねぇんだから深く考えるなよ」

    野球と無関係だと説得されることで、俺も納得することができた。確かに藤堂くんの言う通り体毛は野球と一切関係ない、俺の毛が薄かろうと濃かろうとプレイに影響はなかった。

    「のぼせそうだから、先に上がるわ」
    「はい、どうせ部屋に戻っても顔を合わせますけど」

    俺が風呂から上がった頃には、藤堂くんはすでにベッドでウトウトしていた。眠いなら眠れば良いのに、俺が戻ってくるのを待っていたらしい。

    「戻ったか……なら俺は寝るからな」
    「はい、おやすみなさい」

    一瞬で夢の中へと旅立てる藤堂くんが羨ましい。あまりにも無防備であどけない寝顔に笑えてくる。
    明日は俺から藤堂くんに挨拶をして、俺から話題をふっても良いなと思った。 



    「おはようございます」
    「はよ……」

    今日は俺から朝の挨拶をすると、藤堂くんはホザボサの髪の毛を手櫛でとかしながら俺を振り返る。

    「昨夜もあんまり眠れなかったのか?今日は練習も授業も休めよ」
    「俺、そんなに顔色が悪いですか……?」
    「スッゲェ悪い……監督と先生には俺が説明しておいてやるから、一日くらい休めよ」
    「出席してみて、無理だったら早退します」

    そして俺は数時間後に校内で意識を失い、藤堂くんの言う通りにしておけば良かったと後悔することになる。



    目が覚めれば夜だった。こんなにも眠れたのは久々だなぁとベッドの上で思って欠伸をしていると、同室の藤堂くんが心配そうに俺の様子を覗き込んでくる。

    「大丈夫か……?お前、失神してたぞ……」
    「ご迷惑をおかけしてスミマセン……おかげさまで、よく眠れました」
    「飯、食えそうか?」
    「……そうですね」
    「温め直してくるから、横になったまま待ってろよ」

    藤堂くんって見た目チンピラだけど優しいなと思う、というか面倒見がいい。正直、まだ俺は頭がボーっとするから助かる。

    「今日の晩飯は焼きそばだ」

    数分後、藤堂くんが食堂で温め直してくれた晩ご飯と温かいお茶をトレーに乗せて部屋に戻ってきた。箸から手をつけようとするも取り上げられる。

    「自分で食べられます……」
    「まだ顔色が悪いから、無理すんな」

    ほらアーンしろと、焼きそばを口元まで持ってこられて大人しく口を開ける。箸に絡めた麺の量が程良くて飲み込みやすい。

    「味噌汁もあるぜ」
    「味噌汁は自分で飲みます、布団にこぼしてはいけないので」
    「飲むか?」
    「はい」

    舌が火傷しない程度に熱された味噌汁の温度がちょうどいい、部屋まで運ぶ過程を考えたら冷めても仕方ない距離なのに。

    「もしかして……俺をこのベッドに運んで部屋着に着替えさせてくれたのって、藤堂くんですか?」
    「制服が皺になったら困るだろ」

    最早介護だなぁと思う。俺は藤堂くんが倒れたからと言ってここまで甲斐甲斐しくお世話をできるだろうか、否できない。 

    「下着を見られるのが恥ずかしかったです……」
    「昨日すでに風呂で裸を見たわ」

    それもそうかと俺も開き直る。下着だって普通のボクサーパンツを見られたからって何も困らない。

    「唇に青のりついてる」

    口元をティッシュで拭われる、何だか子供に戻ったみたいな気分だ。

    「なんか、すみません……」
    「俺が勝手にやってるだけだから気にすんなよ、ほら口開けろ」

    別に自分で食べられるんだけどなぁと思いつつも甘えておく。果物の枇杷も剥いて給餌してくれる藤堂くんの優しさには、流石の俺もまいった。

    「……お腹いっぱいになってきました」
    「ん、後は俺が食うわ」

    そう言って俺の食べかけを豪快に一口で食べ切る藤堂くん。俺が口をつけた箸だとか気にしないんだろうか。

    「風呂はどうする?」
    「入りたいです、まだ頭クラクラしますけど」
    「歩けるか?」
    「たぶん」

    ベッドから降りようとしたところで目眩に襲われ視界が回る。どうやらまだ体調は回復していないようだ、足元がフラつく。

    「!」
    「あぶね……っ」

    藤堂くんがとっさに抱き寄せてくれなかったら、俺は壁にぶつかってるところだ。衝撃を回避できたことに感謝をする。

    「歩けるかと思ったんですが、ダメですね」
    「無理すんなよ、ゆっくりしとけ」
    「……トイレ行きたいんですが」
    「マジか」

    漏らすよりかはマシだと藤堂くんに担がれ移動する、お姫様抱っこは嫌だと拒否したら背負ってくれることになった。
    いざトイレに着くと俺は立っているのもやっとで、どこかへ腰をかけたいと願う。

    「俺が後ろから支えてやるから、そのままジッパーおろしてションベンしろよ」
    「嫌ですっ……恥ずかしいので、個室で座ってします」
    「分かった……じゃあ俺はトイレから出て待ってる、終わったらまた声かけろよ」

    尿意で頭が支配されている時は何も思わなかったのに、排泄を終えて冷静な頭で考えると恥ずかしいやら情けないやらで泣きたくなる。

    「……千早、終わったか?」
    「藤堂くん……」

    俺が声を上げる前に、藤堂くんは頃合いを見て戻ってくれたらしい。とっくに要を足して衣服を整えていた俺は、そのままゆっくり個室の扉を開く。

    「ほら、抱っこしてやるから俺に掴まれ」

    まるで子どもで抱っこするみたいに易々と抱き上げられる。藤堂くんは、普段から誰かを抱くことに慣れているかのようだ。

    「うぅ……恥ずかしいです……」
    「なにも恥ずかしくねぇよ、体調が悪いだけだろ」

    再び部屋に戻っても未だ頭が朦朧とする。ベットの上に転がり視界を塞ぐことで目眩だけは防ぐ。

    「藤堂くん、ありがとうございます……」
    「いいから、横になれ」
    「はい……」

    さっきまで寝ていたというのに、ご飯を食べるとまた眠気がやってきた。そして俺は、再び意識を失うのだった。



    次に目覚めた時、藤堂くんの姿は見えない。カーテンの隙間から明るい日差しが漏れてる。
    時刻はちょうど正午を好きだところ、きっと同室の藤堂くんは学校の食堂でお昼ご飯を食べている頃だろう。そう思っていたのに。

    「……藤堂くん?」
    「様子を見に来た」

    足音が近づいてくるかと思えば藤堂くんだった。紙パックのお茶を片手に購買の袋を抱えて部屋に入ってくる。

    「顔色、だいぶマシになったな……安心した」
    「おかげさまで、ありがとうございます」
    「あ……今更だが、千早の陣地に入っていいか?」
    「そういや最初に俺が境界線とか決めましたね……」

    昨日はそれどころではなかったと藤堂くんが笑うから、俺も笑う。あんな口約束だけの条約なんて無効ですよと俺の方から撤回をする。

    「今日は食堂のおばちゃん休みでさ、朝食は皆んなコーンフレークに牛乳かけて食べたんだよな」
    「そうなんですか……」
    「だから購買で幾つかパン買ってきた、好きなの選んで食えよ」
    「気の利く同室者がいて本当に助かります」

    購買でも人気のパンを幾つか並べられる。惣菜パンに菓子パン更にはデザートと飲み物まで用意されて、藤堂くんにはただただ感謝しかない。

    「この分のお代はもちろんですが、昨日お世話になった分とまとめて何かお礼をさせてください」
    「あ〜、じゃあ……たまに課題とか宿題を手伝ってくれ、内申点ヤベェ」
    「そんなので良ければ、お安いご用です」

    こんなにも赤の他人とくっついて会話を続けるのは初めてだ。昨日何度も触れ合ったから、距離が近くても全く気にならない存在になってしまった。

    「昨日は練習、どうでしたか?」
    「昨日は打撃練習メインだったんだが、どうしても俺と国都が一年スラッガーとして比較されるんだよな……女にモテんは間違いなくあっちなんだけどよ」
    「実際のところ、国都くんと藤堂くんならどっちが打てるんですか?」
    「そりゃあ俺だろ!と言いたいところだが……実際は遜色ねぇから比較されるんだろうな」
    「でしたら、ここでは女性にモテるよりショートを守れる方が偉いです」
    「……励ましてくれてアリガトよ」

    デザートに手をつけたところで予鈴のチャイムが鳴る。寮から学校まで早歩きしないと間に合わない距離にある、移動のために藤堂くんが立ち上がった。

    「授業ダリィけど教室に戻るわ、千早はもうしばらく休んどけよ」
    「ご飯、わざわざありがとうございました」
    「おう、練習終わったらまた戻る」

    いつも隣にいる藤堂くんがいないと『さみしい』と思えるくらいには、俺はすっかり情に絆されている。窓から藤堂くんの後ろ姿が見えなくなるまで目で追いかけた。

    「……はぁ」

    なんとか一人で歩けるくらいには体調が戻っていた。
    着替えて自分も授業に出ようかとも思うが、昨夜お風呂に入ってない身体で学校に行くのは抵抗がある。そうだ、風呂に入りたい。せめてシャワーを浴びたいと、俺はようやくベッドから這い出た。
    手付かずだった俺の洗濯物は、藤堂くんが洗濯しておいてくれたらしい。意外にもきちんとたたまれた衣類に感動する、パンツまで綺麗に折られいるのには驚かされた。




    「今帰った……春だってのに、まだ冷えるな」

    練習から帰ってきた藤堂くんがボヤく。俺は藤堂くんのことを寒さ知らずの年中半袖野郎だと勘違いしていたが、彼にも温度を感じることは可能らしい。

    「おかえりなさい。確かに今日は冷えます」
    「寮長が、しばらく千早にはスマートフォンの利用を許可するから、もしまた体調が悪くなったら連絡しろってさ」
    「久々に自分のスマートフォンを触ります」
    「俺なんか解約したぞ」

    俺達はここで野球をするために住まわせてもらっているため、野球以外の娯楽をほとんど制限されている。日曜だけは唯一スマートフォンの利用を認められているが、いざ日曜になれば買い物や外出でそれどころではない。

    「〇〇ってホラーがめちゃくちゃ怖いらしくて、後でこのスマホで一緒に観ませんか?」

    せっかくスマートフォンを手にしたのだから活用したい。俺が藤堂くんと同じ感情を共有するには、ホラー映画が手っ取り早いと思った。

    「グロいのはちょっとな……」
    「グロくなければ観れますか?」
    「まぁ、そうだな」

    そう言って食事も風呂も済ませた後に二人で見た映画が、なかなかの出来映えのホラーで。結論、グロくないホラーの方がゾッとして怖かった。

    「ふ、布団の中まで幽霊がいるの反則じゃないですか?」
    「そうだよな、布団の中って一番の安息地なのにそこでもホッとできないのかよ……」

    小さいスマホの画面を二人で覗き込むため、必然的に身体を寄せ合う。触れ合う藤堂くんの肩は俺よりも体温が高い。

    「こんなの俺、また不眠症を患っちゃいますよ」
    「一緒に寝てやるから寝ろ」
    「え〜、藤堂くんの布団ってなんか臭そうで嫌です……」
    「消臭スプレーしてやるから」

    意外にも、藤堂くんの布団の中は寮の浴室にあるシャンプーの匂いで充満していた。そうか、長髪だから髪が布団に触れる範囲が広いのか。枕なんて寮のコンディショナーの香りそのもの。

    「シングルベッドに男二人って、やっぱり狭いな」
    「アハハ、でも暖かいです……」
    「俺が朝チンコ勃ってても、それは生理現象だから文句を言うなよ」
    「他人の性器の存在を感じるくらいなら、幽霊の存在のがマシな気がしてきましたね」

    それにしても、隣にいる藤堂くんの体温が暖かい。今日みたいな冷える夜には藤堂くんの身体が良い暖房代わりになる。

    「藤堂くんって、幽霊も逃げ出しそうな熱温で安心します……」
    「そうか、もっとこっち寄れよ」
    「はぁ……ポカポカして瞼が重くなってきました……」

    その後、数分も経たずに俺は意識が途絶えた。
    翌日。藤堂くんに抱きしめられて眠っていたことに気付いて、俺は冷静になると恥ずかしくなる。

    「ん、起きたのか千早……おはよ」

    掠れた声が色っぽい。藤堂くんは自分の髪を整えるより先に俺の髪を手櫛で整えてくれる。

    「おはようございます、幽霊の気配はありませんでしたか?」
    「ラップ音現象って言うのか?たまに建物からパキッとかミシッとか鳴るだろ、ただの家鳴りと分かっていても怖かったな……」
    「アハハ、じゃあ今夜も一緒に寝てあげますよ」

    流石に今夜も一緒に寝るのは不自然かと相手の顔を見つめていると、俺の視線に気付いた藤堂くんが頭を撫でてくれる。

    「ペットですか俺は」
    「歳の離れた妹の頭をこうやってよく撫でるんだよな、癖みたいなもんだ」

    一瞬でも『藤堂くんの妹が羨ましい』なんて思った自分に疑問を抱く。俺は藤堂くんと一体どんな関係でありたいんだろう。同居人で同じ学校で同じ部活で同じクラスで、もうこれ以上に彼に近付けるポジションはないくらい近しいというのに。

    「お前、すっかり俺に懐いたなぁ……最初は神経質でもうどうしようかと冷や冷やしたが……」
    「俺だって最初は幽霊より藤堂くんの方が怖かったですよ、怒らせて殴られたらどうしようって……」

    ハハハと二人してベッドの上で笑う。
    その日から俺は不眠に悩まされることはなく、なんなら実家のベッドよりも深い眠りにつけることもしばしば。近くに安心する存在がいるからだということに気付けるのは、まだもう少し先の話。


     
    ----------





    ----------

    ・リトルシニアの頃から千早の片思いで始まるとどち。

    「え?」
    「あ?」
    あたかも今初めて藤堂に気付いたかのような演出をしたが、千早が藤堂と初めて出会った場所は、この小手指高校のグラウンドではない。

    遡ること三年前、富士見シニアと大泉シニアが試合で対戦した時のことだ。
    普段からチームメイトの巻田に暴言を吐かれて辟易としていた千早は、巻田の投げた球をいとも簡単に場外まで飛ばした藤堂に一目惚れをした。まるで子供がヒーローに憧れるのと同じような憧れに近い。その時の千早は純粋に『俺もあんな風にホームランが打てたら良いのに』という気持ちでいっぱいだった。

    千早は何かに執着すると、それをとことん追求するタイプだ。野球はもちろん数学や音楽だって、それは藤堂葵に対しても同じ。あの日から千早は藤堂に興味を抱き、とにかく藤堂葵という人間について調べに調べ調べまくった。
    相手は硬式野球をするというだけの、ただの中学生。ネットで検索をかけたところで情報が得られる訳もなく、ついに千早は自分の足でストーカーまがいのことをして藤堂の生い立ちまで知り得た。住所、家族構成、好きな食べ物、恋人の有無等々……。
    知れば知るほど、藤堂は癖のない一般的な男性だと千早は思った。つまるところ、野球センスがズバ抜けているということ以外は、つまらない。それなのに千早は、何故か藤堂葵という存在が気になって気になって仕方がなかった。

    再び富士見シニアと大泉シニアが試合が組まれた際、そこに藤堂の姿は見えない。再会をとても楽しみにしていた千早は、思わず肩を落として落胆する。体調でも崩しているのかと相手チームの一人に伺うと、なんと藤堂は諸事情で野球を辞めてしまったのだと言う。
    あんなに野球に恵まれた男が辞めてしまうのだから、自分なんて存在意義すらないと思う。だから千早も自分の野球に将来性を見出せず野球を辞めてしまった。

    その後も千早は、野球を辞めた藤堂が今頃どこで何をしているのかと気になって、藤堂宅の近所まで足を運び様子を見に伺ったことがある。久々に視界へと取り入れた藤堂は、伸ばした髪を明るく染めて他校の奴等と本気で殴り合ったり、分かりやすいグレ方をしていて笑ってしまう。

    「おい。そこのメガネ……金貸してくんねぇ?」

    物陰から藤堂を眺めていたら、どこぞのヤンキーに声をかけたれた。この辺、治安が悪いのかなぁ嫌だなぁと千早は相手を振り返る。

    「まぁ、お金で安寧が買えるのならば払いましょうかね……」

    無駄な争いをするよりかはマシだと千早が自分の財布を手に取ったところ、後ろからフッと大きな人影が現れた。

    「俺のダチに、なんか用かよ?」

    藤堂だ。千早は後ろを振り返らずとも、声で人影の正体が分かった。流石に自販機と同じ身長の男と争うには相手も分が悪いと気付いたのだろう。千早に金をせびったヤンキーは冷や汗をかきながら『いえ何もありません』と言い、そそくさとその場を去っていく。

    「俺にはキミみたいな友達なんて一人もいませんけど……」

    助かった、というよりは助けられた。千早は改めて後ろにいる藤堂の顔を見た。近くで見ると耳たぶにピアスも開けていることに気付く。

    「そうかよ」
    「勝手にダチとやらにしないでください」
    「……性格悪いなお前」

    藤堂に指摘されずとも、自分の性格は千早自身が分かっている。だから否定もしない。

    「一応、お礼は言っておきます。ありがとうございました」

    追っかけ(という名のストーカー)の極意は、けしてターゲットに接触しないことだ。千早はすぐさま藤堂と距離を取り踵を返す。
    当然だが、藤堂は野球を辞めても藤堂だった。どんなに外見がチンピラ化しても、藤堂は根がお人好しだから困っている人を放っておけないのだ。千早はそれが理解できただけでも、ここへ訪れた意味を見出せた。

    そして千早は、以降も藤堂の影を追っていた。
    野球を辞めても好物は変わらないようで、藤堂が色んなラーメン屋に出入りしている様子は確認できた。その頃にはもう千早は藤堂のSNSアカウントを把握していて、新しい呟きがないかと数時間毎にチェックするくらいは夢中になっていた。

    『東京で野球部のない、俺でも入れそうな高校があれば教えてくれ』
    午前三時という時間帯に表示された藤堂の呟きを真っ先に気付いたのは千早だ。千早は彼のアカウントをフォローせず、鍵をかけたアカウントでリストから覗いている。そこで千早は『あぁ、そろそろ進学先を選ぶ頃か……』と自身においても今後の進学先を見据えた。
    きっと今頃、藤堂はスマートフォンを片手に『東京 野球部のない高校』と検索しているのだろう。検索結果に表示される学校はどれも女子校ばかり。あとは商業高校、もしくは高専。あるにはある、ないことはないが……これは長い夜になりそうだ。
    翌日、千早は捨てアドで新しくアカウントをつくって藤堂に返信を試みた。
    『都立ですが、小手指高校なんていかがでしょうか。野球部はありません。進学校ですが偏差値はそれほど高くもありません。学科は普通科のみです。校舎の外観と制服の画像を添付しておきます。』
    内容と同時に画像も添付する、千早は震える指先で送信ボタンを押した。
    実は言うと千早は、野球部がない高校を探すのに大変苦労した。私立だろうと公立だろうと、どこにだって大なり小なり野球をする集いは存在する。その中で唯一、都立の小手指高校の野球部は廃部になったばかりだと明記されていた。
    しばらく経つと、千早の返信に藤堂からいいねをされたという通知が届く。
    恐らく藤堂は、都立の普通科しかない小手指高校に入学するだろう。きっと普通の高校へ行って普通の青春がしたい筈だ、それは千早も喉から手が出る程に欲した未来である。

    そして何の因果か、再び千早と藤堂を巡り合わせたきっかけも野球。目の前で見事に清峰の球を柵外へと飛ばす藤堂を見て、千早は改めて彼を惚れ直した。
    教室まで辿り着けば千早は藤堂と同じクラスで隣の席で、この運命に恐ろしくなり背筋に鳥肌が立つ。
    「おう、同じクラスだったか」
    「……ですね」
    一瞬、千早は自分が話しかけられているのかと疑い返事が遅れた。ふと横目で見上げると、藤堂は間違いなくコチラを見下ろしている。
    「隣だったか」
    「ですね」
    当たり前だが、藤堂はリトリシニアの時よりも更に身長が伸びた。自販機と同じ身長まで届いたその身体は、学校の机と椅子が窮屈そうだ。何があったかは知らないが、この長身を野球に活かさないのは勿体無いと千早は思ってしまう。
    「入んのか?野球部」
    「まさか!」
    「だよなぁ……」
    千早が意識しているなんて知らずに、藤堂は意外と千早へ話しかけてくる。それはハイかイイエで答えられる簡単な質問ばかりだが、藤堂は藤堂で千早に少なからず興味を持っているようだ。
    一方で『お前なんか眼中にない』と藤堂に無視される予定だった千早は、願ってもみない現実に動揺していた。成長期を通して三年ぶりに近距離で見た藤堂の姿は、高校生とは思えないほどの色気があった。無造作に結ばれた長髪と擦れた雰囲気が、更に彼の魅力を一層と引き立てている。メガネ越しでなければ直視できない。

    『藤堂くんは、どうして野球をやめたんですか?』
    ずっと疑問に思っていたことだ。たった一言なのに、千早はいざ藤堂を目の前にすると何も聞けなかった。

    それから藤堂は、ことあるごとに千早へと話しかけてきた。
    「宿題やってきたか?」「さっきの小テスト何点だった?」「視聴覚室ってどこだ?」等々……最初は質疑応答を記録していた千早も、数が多過ぎて捌けなくなってきた。しまいには藤堂が「オススメの紅茶を教えてくれ」なんて全く関係のない雑談までしてくるから、千早は浮かれてしまう。
    これではまるで友達みたいだ。
    「藤堂くんへのオススメとなると……水道水ですかね」
    「もう二度とお前には聞かねぇわ」
    千早は藤堂を目の前にすると、つい照れ隠しに悪態を吐いてしまう。この小手指高校に入学してから毎日ずっと一緒にいるというのに、未だ隣の男の色気に慣れなくて恥ずかしかった。



    「藤堂くん、清峰くんが貸してくれた例の物をしまい忘れていますよ」
    「あぁ、それな」

    特に隠しもせず、部室のベンチの上へ堂々と置かれていた小袋の中身を覗き込む。中身がアダルトビデオとなれば健全な男子中学生は興味を持って当然だ。

    「ふぅん……藤堂くんの好きなアダルトビデオ、女優は別に巨乳じゃないし、シチュエーションはありきたりだし、男優とひたすら二人で普通のプレイをしているだけで、なんの面白みもありませんね」
    「悪いかコラ」

    人間同士が手っ取り早く親密になるためには、秘密を共有することだ。千早はその心理学を利用して藤堂に性壁を曝け出してもらうが、あまりにノーマル嗜好でからかいようがない。

    「藤堂くんは、このアダルトビデオの一体どの辺に魅力を感じるんですか?」
    「序盤がねぇんだよその作品、脱がすところから始まるから、早送りしなくても待つ時間がなくて助かる」
    「なるほど……だいたいのアダルトビデオは単体女優のグラビアシーンとか茶番劇から始まりますもんね……」
    「気になるなら、清峰に言って又貸ししてもらうか?」

    藤堂の嗜好に選別された内容が、気にならないといえば嘘になる。藤堂がこれを見てどのシーンで興奮するのか、どういう女優に性的魅力を感じるのか興味はあった。

    「俺は藤堂くんがこのアダルトビデオを見て、どんな風に一人でするのか気になってます」
    「お前と一緒だろ」
    「一緒って?どんな風にすると思われてるんですか俺は」
    「パンツずらして、そのまま利き手でチンコ弄るだけじゃねぇのか」
    「……左手は?」
    「ティッシュ用意するために空けとく」

    何だこの会話と藤堂が笑っている、だから千早もとりあえずは笑っておく。
    その夜、千早は藤堂が一人でしてるところを想像して一人で果てた。自分が藤堂におかしな感情を抱いている自覚はあった。



    「藤堂くんって、彼女いるのぉ?」

    公式試合に出場しテレビで取り上げられたせいもあって、小手指高校の野球部は一気に注目度が上がった。その視線のほとんどがバッテリー二人への着眼だったが、派手にホームランをかっ飛ばした長身の藤堂が目立たない訳がない。直接本人へ恋人の有無を確認してくる強者もいて、千早はギョッとさせられる。 

    「何で?」

    姉妹に挟まれて育っただけあり、藤堂はこの小手指高校野球部の誰よりも女性慣れしている。千早は藤堂みたく、あんなに真っ直ぐ女性の目を見ながら質問を質問で返せない。

    「いるのかなぁって思ってぇ」
    「別にお前に関係ねぇだろ」
    「気になるから聞いてんじゃん、も〜ぉ」
    「いるから、皆んなに吹聴しとけよ」

    隣で聞き耳をたてながら、千早は『ん?藤堂くんって本当は彼女がいるのか?』と驚かされた。それが事実なら、影くらいは目に入ってもいい筈だ。千早は常に藤堂と行動を共にしているが、彼女の気配は一度たりとも感じたことはない。

    「……藤堂くんって、彼女いるんですか?」
    「こんなにずっとお前と一緒にいんのに、何でそう思ったんだ……?」

    二人きりの際に改めて千早が同じことを尋ねると、藤堂はその他の女性に対する態度とは打って変わり千早の様子を心配そうに窺う。

    「むしろ千早が俺の彼女みてぇなもんだろ……毎日毎日、朝から晩までずっと俺の隣にいるんだぞ」
    「でも俺は、藤堂くんの彼女ではありません」
    「それはそうだ」

    授業が始まるチャイムが鳴り、千早と藤堂の会話が遮られる。
    『彼女みたいなもの』って何だと、千早は授業の内容が耳に入ってこない。藤堂にとって彼女の定義は『ずっと隣にいること』らしいが、千早にとって恋人の定義は『キスやそれ以上の接触』を許せる相手だ。隣にさえいれば良いのならば、千早は藤堂の恋人でありたいと願う。

    「さっきの回答だけどよ、正しくは『彼女みたいにずっと一緒にいる奴はいる』ってことになるな」
    「それって俺のことですか?」
    「お前以外に誰がいるんだよ」

    家族でもこんなに一緒にいることはねぇわと藤堂は苦笑している。確かにそれは間違いない、家に帰るとき以外はほぼ隣にいると千早も頷く。

    「アハハ、いっそのこと付き合っちゃいますか俺達」

    冗談っぽく言ったつもりだが、千早は緊張で少し声が震えた。しかし藤堂は千早が不安になる隙すら与えず「そうだな」と間髪置かずに返してきた。恐らく千早の冗談に乗っかっただけなんだろうが、千早はこれ以上にないくらい嬉しかった。
    けれどやっぱり藤堂が他の女子と楽しそうに会話をしていることろを見かけると、千早は藤堂を自分だけの物にしたい独占したいという気持ちが芽生えてしまう。なんとか初めてのファーストキスと童貞は勝ち取ってやりたい、なんて。自分でも藤堂に対する好意が歪んできたことを千早は後ろめたく思う。

    『授業中に爆睡してしてるせいか眠れねぇ』
    真夜中に表示された藤堂の呟きに、千早はベットの中でスマートフォンを持ち直す。意外と藤堂は繊細だ。悩みがあると眠れなくなり疲れるまで走ることも多々あるらしい。
    最近千早は、鍵をかけた自分のアカウントから堂々と藤堂のアカウントをフォローした。すると藤堂はすぐにフォローを返してきたので今では相互フォローだ。
    元から藤堂の呟き頻度は多くない、ラーメンを食べた日と好きな野球選手が試合で活躍している日にポツポツと浮上してくる。
    千早は藤堂の呟きハートマークをつけた後、トークアプリを起動する。『眠れないなら、俺が一緒に寝てあげましょうか?』と打ち込んでメッセージを送信した。
    藤堂からの返信は『明日は休みだし雨だから練習もないよな』と。まぁ眠れなくても問題ないということだろうと千早は解釈する。
    『ですね』と一言だけ返してやりとりは終わりかと思ったら、即座に藤堂から着信が入る。

    「藤堂くん………?」

    いつも隣にいるというのに、離れて電波を通すというだけで距離を感じる。恐る恐る千早は通話に応じる。

    『なんか眠れる方法ねぇか?』

    電話ごしに聞こえる藤堂の声は普段よりも低い音声で千早の耳に届いた。藤堂の会話はいつだって単純明快だ、何でも一言で済ませてくる。

    「そんな方法があるなら、俺だってこの時間に起きてませんよ」
    『だよなぁ……』

    はぁ……と藤堂の吐く息が、まるで千早の耳の中に吹き込まれるような感覚を覚える。たまには電話も良いかもしれないと思えた貴重な瞬間だ。

    「今、家に一人なんです俺……来ますか?」
    『行きたくても家を知らないからな』
    「〇〇駅から直結のマンションです」
    『意外と俺の家から近かったんだな……』
    「そうなんです」

    まぁそれは千早が両親に頼み込んで高校入学の時期と同時に別宅のマンションを与えてもらったおかげであり、すべては藤堂に近付くための用意だ。

    『俺がそっちに辿り着く頃には、千早が爆睡してるかもしんねぇな……』
    「寝ませんよ、ちゃんと藤堂くんを待っててあげます」
    『本当かよ、そう言いつつも「スミマセン寝てました」って言うのがお前だからな』
    「アハハ」

    実際、授業はきちんと受けている千早にはそろそろ眠気が襲ってきたのは事実。だからって千早は自ら招いた客を放置して眠れるほど図太くもない。

    『マンション着いたら、また連絡する』
    「気をつけて来てくださいね」

    朝も昼も夕方まで隣にいたのに、夜も会うのかと千早は笑う。だって夜も藤堂に会いたかった。
    数分もすれば全速力で走ってきた藤堂が息を切らしながら玄関の前に現れる。千早はその汗を拭うためにタオルを用意して待っていた。

    「ちゃんと起きてたんだな……っ」
    「もちろんです」

    千早はキッチンで冷えた水を用意して藤堂に差し出し、その肩にタオルをかけてやる。

    「外、曇ってきてたわ……明日大雨になるのは間違いなさそうだな」
    「そうですか」

    藤堂の呼吸が落ち着いたところで、千早は自分の部屋へと誘導する。スエットのまま家を飛び出てしてきた藤堂は、千早宅に上がるために靴下だけは新品のものに履き替えてきた。

    「どうぞ、ベッドへ横になってくださいね」
    「寝かせてくれんのか?」
    「そのために来たんじゃないんですか?」
    「まぁそうか」

    ベットに乗り上げた藤堂が壁際の端に寄るから、千早もその隣に横になる。

    「……藤堂くんって、キスしたことありますか?」
    「ねえよ、するか?」

    話が早いと、千早は藤堂の潔さに眩暈がする。藤堂は千早を抱き上げると自分の身体の上に乗せ、その後は千早に身を委ね瞼を閉じる。

    「ホラ、千早」
    「藤堂くん……♡」

    ピントが合わないくらいの近距離でキスを待たれて、千早は目の前の藤堂の薄い唇に吸いついた。藤堂は藤堂で、千早のキスにきちんと応えて唇を吸い返してくる。一回では済ませられず、何度かチュッチュッと音を立てて軽いキスを楽しむ。これで藤堂のファーストキスは、なんとか千早が勝ち取ったことになる。

    「今日はキスするつもりでここへ来た」
    「そうなんですか……?」
    「ずっと隣にはいるけど、二人きりになるのはなかなか難しかったからな」
    「確かにそうですね」

    千早は冗談で藤堂がそういうことを言わないことを知っている、今の藤堂の発言で本当に自分達は付き合っているんだという実感がわいてきた。

    「今日じゃなくていいので、いつか藤堂くんとしてみたいです……」
    「しような」

    いつも藤堂は千早に対して二つ返事だなと思う。もっと疑問に感じたり躊躇ったりしないのだろうか、チョロ過ぎて不安になる。

    「姉貴が言ってたわ、付き合っても一カ月は手を出さずに我慢しろって、相手を尊重して待てるのが本当の恋愛なんだとよ」
    「今ちょうど二週間くらいですよね、あと半分も我慢できますかね俺……」
    「お前って、二人きりだと素直なんだな」
    「ダメですか?」
    「ダメじゃねえよ、かわいい」

    再びまた藤堂がキスをしてくるから千早も快く応じる。夢みたいだと涙が出そうになった。

    「信じてもらえないかもしれませんが、俺ずっと藤堂くんのこと気になってたんですよね……小手指高校で出会うもっと前からもうずっと」
    「俺も、リトルシニアの試合であたった時からお前のこと『すばしっこくてカワイイのがいるなぁ』って思ってたぞ」
    「覚えててくれたんですか……?」
    「忘れられるかよ、かわい過ぎてちょっと浮いてたよなお前……」
    「顔じゃなくて野球で覚えてくださいよ」
    「スマン」

    覚えていてくれたことが何よりも意外で、千早は藤堂の記憶力を見直す。やっと眠気がきたのか藤堂が欠伸をするので、千早も藤堂の上から降りて隣にピタリとくっつく。

    「寝ますか」
    「ん〜、なんか寝るのもったいねぇな」
    「寝てください」
    「うん、じゃあ手ぇ繋いで寝るわ」

    千早の華奢で小枝みたいな手とは違って、藤堂の指は大きくて肉感のある手だ。お互い野球をしているから皮が硬い、藤堂の手は千早の手よりも暖かい。

    「おやすみなさい、藤堂くん」
    「おう、お前も寝ろよ」

    授業中に昼寝をしている藤堂とは違って千早は体内時計が平常だ、流石に眠気には勝てず意識が落ちる。
    そして千早は、初めて藤堂と出会った時の夢を見るのだった。
    ----------





    ----------

    ・友達がいない千早の話。

    「明日は姉貴と、妹のオユウギカイを観に行ってくる」
    「そうですか」

    休日の東京は、カップルや家族で過ごす奴等ばかりでごった返す。いつも隣にいる藤堂がいないとなると、千早は途端に孤独を感じる。藤堂に出会う前の千早は一人でも平気だったのに、今となってはもう藤堂がいない時間をどう過ごして良いのか分からない。
    藤堂は千早以外の他に、家族や元チームメイトの先輩と交流がある。だから千早も藤堂以外の人間関係を取り戻そうと、翌日スマホを手に取ったのである。

    『千早!?』

    電波を通して久しぶりに会話を試みたチームメイトは、千早の野球は嫌いだが千早自身は好きらしい。突然の着信にもワンコールで応じてみせた。

    「声がデカいです、巻田」

    懐かしい声に千早は過去を振り返る。当時はじぶんのうしろをついて回る巻田がうっとおしくてたまらなかったが、電話越しに話すのはいい距離感だと思った。

    『何か用かよ!?』
    「要件がなければ、元チームメイトに電話しちゃダメなんですか?」
    『用事もねぇのに千早が俺に電話をかけてくる訳がねえだろ!』
    「そんなこと、ありませんけど……」

    現に今、千早は暇潰しに巻田と通話を試みた。しかし巻田の声があまりにもデカいため、千早はスピーカーの音量を下げる。

    「今日オフですよね巻田、何してるんですか?」
    『久しぶりに家に帰ってババアの作った飯を食ってる』
    「ご家族と食事中でしたか、すみません……」
    『あと一口で食べ終わる』

    炒飯でも食べているのだろうか、巻田がガサツに食器とお皿をぶつけてカツカツと音を鳴らすのが聞こえる。

    「暇なので、なにか面白い話してください」
    『友達いねぇからって俺で暇潰しすんな!』
    「何で俺に友達がいないって決めつけるんですか?俺だって友人の一人や二人くらい……」
    『千早に友達なんてできる訳ねぇだろ』
    「失礼が過ぎますね」

    本当に巻田という男は、容赦なくズケズケと千早にモノを言うなと驚かされる。思ってても言ってはいけないことがあるというのに、巻田にはその区別がつかないようだ。

    『お前は利害が一致してる人間関係しか築けない人間なんだよ!今お前の近くに誰かいるとすれば、ソイツは友達じゃなくて何らかの利害が一致して側にいるだけの人間に過ぎねぇ……それは俺が嫌ってほど理解してる』
    「高校生になってからは、放課後チームメイトのお家でゲームしたりしますよ」
    『そいつに何か弱味でも握られたのか?モノで釣られたとか』

    まるで一部始終のやりとりを見てきたかのような指摘だ、どちらも見事に当たっていると千早は冷や汗をかく。

    「俺のことはともかく、巻田の話をしてください」
    『どうせ興味もねぇくせに』
    「氷河の野球部にしかないルールとか知りたいですね」
    『知ったところでだろ』

    話が続かないと千早が巻田との会話をあきらめようとしたその時、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴り響く。

    「あら、誰か来たみたいです……配達かもしれませんので確認してきます。また気が向いたら連絡しますね」

    まぁ少しの暇潰しにはなったと、友人とも知人とも呼べない元チームメイトという存在に千早は感謝をする。そして巻田の返事も待たずに通話を切った。

    「はい、どちら様ですか?」
    『俺だけど……』

    たった一声で誰なのか分かる。モニターには身長が高過ぎる故に身体しか映っていないにも関わらず、千早の待ち望んでいた相手であることだけは分かった。

    「藤堂くん……!」

    てっきり今日は会わないのかと思っていたら、会いに来たらしい。会いたいと言葉にするよりも先ずは行動に移すところが藤堂らしい。

    「どうぞお入りください」

    エントランスの鍵を開けると、すぐに藤堂はエスカレーターに乗り込んで千早宅の玄関までやってきた。たった数時間会わなかっただけなのに、千早は藤堂との再会に心が躍る。

    「邪魔するわ」
    「妹さんのお遊戯会は?」
    「行ってきたぜ、午前中だけなんだとよ」
    「そうでしたか」
    「練習もねぇし、せっかくだからどっか行くか?」

    いや、せっかくだから藤堂と二人きりを楽しみたいなと千早は思う。素直にそう言える性格だったら、どんなに良かったか。

    「どこかって……?」
    「要なら吉祥寺って言いそうだけどな、アヒルボートでも漕ぐか?」
    「あれはアヒルじゃなくて白鳥です、スワンボートですよ」
    「まぁどっちでもいいけどよ」

    確かに論点はそこじゃないと、千早は藤堂のために紅茶を淹れる。

    「藤堂くんは、俺とベッドの上で過ごすより、俺とボートの上で過ごす方が良いんですか?」
    「千早と一緒ならどこでもいいぜ、ボート乗った後にベッドに乗るか」
    「順番、逆じゃありませんか?」
    「いや、だって……やった後の俺は用済みだろお前、済んだ後は俺に見向きもしねぇじゃねえか」
    「……そうでしょうか」

    今まで自覚がなかったことが恐ろしい。やはり巻田の指摘した通り、千早は利害関係が一致しなければ相手とのコミュニケーションを成さないようだ。

    「千早はボートよりベットがいいか?」
    「そうですね、ボートは別に……」
    「ほら、やっぱりお前って俺の身体だけが目当てだよな」
    「まさか、そんな……」

    高校生だというのに不健全が過ぎる。そもそも千早は、清楚系の彼女と普通のデートがしたくて小手指高校に入学をした筈だ。こんなにガタイの良い男と肉体関係に溺れるためにこの学校へ入学した訳ではないのに。

    「粗茶ですが、どうぞ」
    「いただくわ」

    千早は藤堂に差し出したアイスティーにガムシロップとミルクもつけたが、喉が渇いていた藤堂はストレートのままの紅茶をガブ飲みする。上下する喉仏が色っぽい、思わず見惚れてしまう。

    「やるんですか、やらないんですか」

    こういう言い方をすれば、藤堂がやる方を選ぶと千早は知っている。案の定『やる』と答えた藤堂をベットの上に転がして、千早はその上に跨る。

    「結局こうなるのか」
    「ですね」

    どうせやるんなら無駄話はやめて欲しいと、その唇を塞いだ。
    結局のところは藤堂も乗り気で行為は二回、三回と続く。しまいには千早が泣いて根負けし、最後には藤堂が笑うのだ。



    「……巻田が、俺は利害が一致する人間関係しか築けないとか言うんですよ」
    「巻田と話す機会があったのか?」

    空になったティッシュ箱を潰して、藤堂が千早を振り返る。チ早は代わりにウェットティッシュを寄こしてきた。乾き始めた体液を拭うのにはそっちの方が役に立つ。

    「藤堂くんだって、元チームメイトの先輩とご飯に行ったりするじゃないですか」
    「行っても昔を懐かしむだけで、新しい共通の話題もねぇし一時間と会話が持たねぇんだよな」
    「元から藤堂くんはお喋りなタイプでもありませんから」
    「それでも、千早とは無言で何時間も一緒にいれるだろ?そういうことだ」

    先程、千早は巻田と指摘以外の会話が成立しなかった。藤堂とは無言の時間も楽しめる。つまりは、そういうことなのだろうか。

    「でも、俺には藤堂くんみたいに姉妹も兄弟もいませんし」
    「欲しけりゃ代わりになってやるよ、今から俺のことはお兄ちゃんと呼べ」
    「あら、次はそういうプレイでやるかんじですか?」

    アハハと笑って今日も日が暮れる。
    やっぱり千早には藤堂しかいないのだと実感した一日だった。
    ----------





    ----------

    ・藤堂くんのお好みは?(23.6.27🆙)

    [side山田]

    小手指の野球部にも満たない野球愛好会には、なんらかの代償によって清峰くんのお兄さんこと『AVソムリエ』から性癖ど真ん中のアダルトビデオを拝借できるという文化が存在する。

    「清峰、コレ(AV)返すわ。とりあえずテメェの兄貴の気遣いには感謝しとくぜ」

    パッケージ版のAVなんて持ち歩くだけでも緊張すると、藤堂くんはサッと鞄から例の物を取り出して清峰に手渡した。返却場所に男子更衣室を選んだのは賢い判断だと僕は思う、ここなら女子はこないから。

    「昨日の今日だよ?葵ちゃん、もう見たの?返すの早くない?」

    お菓子を食べていた要くんが、不思議そうな表情で藤堂くんを覗き込んでいる。一方、藤堂くんは質問に対しての答えを簡潔に述べる。

    「見てねぇ、俺の部屋がAVを見る環境に全く適してねぇからな」

    藤堂くんのお宅にお邪魔したことのあるメンバーは、色々と背景を察してしまう。他所の家庭事情には何も言うまい、だけど環境を一時的に移すことは可能だ。

    「じゃあ、ネットカフェの個室で観るとか」

    僕がそう提案すると、藤堂くんは少し考える素振りを見せて首を横に振る。

    「いや、そこまでは……」
    「はるちゃんと同じで、葵ちゃんもあんまり性欲が強くないタイプなのかな?」
    「スポーツしてると性欲も発散できるって言うもんね」

    うんうんと土屋先輩が頷く。藤堂くんの場合、なんとなく硬派を貫いているのではないかという説もある。
    それまで会話に参加せず黙々と練習着に着替えていた千早くんが、そこでやっとこちらを振り返る。

    「俺は純粋に藤堂くんの趣味に合わせられたAVに興味があります、要くんは女優の天使ももながお好きなんでしたっけ?」
    「俺はももなっちのシリーズでも特にコスプレ系が好きかなぁ、入院した時に見たナースのやつ最高だった!」
    「なるほど……で、藤堂くんは?」
    「珍しく食いつくじゃねぇかテメェ、こういう話は苦手じゃなかったのかよ?」
    「今は俺が質問してるんです、藤堂くんは答えられない性癖をお持ちなんですか?」

    野球以外の会話では殆ど「ですね」くらいしか相槌を打たない千早くんも藤堂くんの性癖となると別らしい、グイグイくる。
    別に話題に上がるような性癖でもないと、藤堂くんは清峰くんに手渡したばかりのAVを堂々と袋から取り出して見せた。

    『野球部マネージャーが部員のバットを♡』

    掲げられたパッケージのタイトルを読み上げる要くん、その後は皆んなが一斉にわく。

    「生々しいなぁ……!」
    「非日常より日常で倒錯を求めるタイプなんだね!」
    「つまり藤堂くんは、野球部のマネージャーというシチュエーションに興奮するんですか??」

    やはり食い気味で質問を重ねる千早くんに、藤堂くんも苦笑いを浮かべるしかない。

    「シチュエーションてか、俺も要と同じで女優推しだな」
    「へぇ、別に巨乳って訳でもない女優さんですね」
    「顔が好きなんだよ」
    「ほ〜、単なる性欲処理のお相手でも身体より顔が重要ということですか?」
    「まぁな」
    「ふ〜ん、藤堂くんはこういうお顔が好みなんですね」
    「猫顔がタイプだな」
    「そうですか……」

    千早くんも自他共に認める最高峰の猫顔だ。なんならその女優と千早くんの顔はけっこう似ている。しかし今はそれを絶対に指摘するべきではないと誰もが空気を読んだ瞬間、要くんだけは違うのだから恐ろしい。

    「瞬ちゃんもさぁ『ザ・猫顔』だよね。ってことは葵ちゃん、瞬ちゃんの顔もストライクゾーンに入るんじゃないの?」
    「…………まぁ、顔はな」
    「あっ、そこは素直に認めるんだ?」

    驚く僕の隣で、千早くんは顔を真っ赤にしている。その愛らしい猫顔を隠しているつもりの伊達メガネ越しにも、照れている様子が見てとれた。

    「ざ、雑談もこの辺で終わりにして……そそそ、そろそろ練習に向かいましょうか……」
    「テメェがやけに食いついたせいで話が長引いたんだろうが」
    「アハハ」

    動揺が吃音になる千早くんの隣で、心なしか藤堂くんの頬もピンク色に染まっている。
    今日の二遊間が、いつもより不調だったのは言うまでもない。

    ----------





    ----------

    ・とどち馴れ初め

    [side藤堂]

    その日は、カメラで撮って保存しておきたいくらいには夕焼けが綺麗だった。
    都立の小手指高校にナイター設備はない。暗くなる前に練習を切り上げようと皆んなで片付けていると、氷河の巻田が千早を尋ねて突然やってきた。

    「千早!オマエ、元チームメイトを全員ブロックしてんじゃねぇよ!着信拒否まで徹底しやがって、この薄情野郎!」

    相変わらず騒がしい奴だと思っていたら、前回に小手指まで来た時とは明らかに様子が違う。着ているのは野球着でも制服でも私服でもTシャツでもなく、真っ黒なスーツ。

    「今更ですね。わざわざスーツを着て言いにくることでもないでしょうに」
    「これは喪服だ!」
    「喪服……?どなたか亡くなられたんですか?」
    「富士見シニアの監督だよ!」
    「〇〇監督が……?」

    少なからず千早に影響を与えた大人であることは間違いないらしく、伊達メガネがズレても直す余裕もないくらいに千早が動揺しているのが分かる。

    「俺はさっきお通夜に行ってきたとこ!お葬式は明日の午前中だから、千早もこいよ!」
    「監督のチームを放棄した俺が葬儀に参列するのはどうかと……弔電をお送りします」
    「監督は野球を辞めた千早のことをずっと気にかけてたんだぞ、最期くらい見送ってやれよ!!」

    もうこれ巻田の唾が千早の顔に飛び散ってんじゃねぇかってくらい、巻田が必死に千早を説得しようとしている気迫がこっちにまで伝わる。

    「分かりましたから、怒鳴らないでください」

    明日は土曜日で学校もない、あるとすれば野球部の練習だけだ。
    その場でスマホのトークアプリで巻田のブロックを解除した千早は、必ず連絡をするから今日はもう帰るようにと巻田を撒いたようだ。そして千早は、ショックで青褪めた顔をしながら俺達に事情を説明する。

    「すみません……明日は俺、練習には参加できません」
    「うん、巻田くんの声が大きいから全部聞こえてたよ。明日は僕が千早くんの分まで要くんを見るから安心してね」

    すぐに返事をしたのは安心のヤマだった。千早は色々と思うところがあるんだろう、これ以上にないくらいの複雑な表情を浮かべている。

    「まずいですね、明日までに喪服を用意できないことに気づいてしまいました……」
    「高校生は学校の制服で良いんじゃないかなぁ?」
    「巻田ですらお通夜に喪服を着ていたので、明日もし俺だけ水色の制服を着てたら嫌でも目立ちますよね」

    常に敬語を話すくらいマナーを重んじる奴だ、明日自分だけ喪服じゃない状況には耐えられないんだろう。都内とはいえ、今から喪服をレンタルできるお店なんかない。

    「俺のサイズアウトした喪服で良けりゃあ、着ろよ」
    「藤堂くんの喪服を……?」
    「母親が亡くなった時に俺が着てた奴だけどよ、当時は千早と同じくらいの身長だったから着れると思うぜ」
    「いいんですか……?」
    「おう、ずっと箪笥の肥やしで困ってたくらいだわ。今から俺の家に寄って試着しろよ」
    「ありがとうございます!」

    いつになく声を張って千早が俺に感謝を述べた。普段の言動には難ありだが、礼儀はきちんとしている奴だから憎めない。

    「瞬ちゃんに元気が足りない時は、いつでもオレが一発芸を披露してあげるから夜中でも気にせず連絡してきてね」
    「パイ毛は結構ですが、お気遣いはありがたく受け取ります」

    要なりに千早を励ましているつもりらしい。俺はむしろ、宝谷シニアの監督こそ要に思うところがあるんじゃねえかって思うけどな。

    「千早、兄貴にまたAVを用意してもらうように言っておく」
    「清峰くんまで、お気遣いありがとうございます」

    俗物的ではあるが、清峰は清峰で千早を慰めようとしているのが分かった。黙々と練習着から制服に着替えつつも、清峰は千早に声をかけるタイミングを待っていたらしい。

    「では皆さん、気をつけてお帰りください」
    「うん、千早くんも。またね!」

    着替えを終え、皆んなに別れを告げて二人きりになる。
    千早が俺の家にくるのは今回で二回目だ。俺は未だ一度も千早の家には行ったことはない。 

    「まぁ入れや」
    「お邪魔します」

    玄関の扉を開けて部屋の中へ千早を通す。リビングにいる下着姿の姉貴を素通りし、さっそく箪笥の中を漁る。

    「……あった!微かに虫除け剤の臭いがしないでもねぇけど、まぁ試着してみろよ」

    野球着だけではなく体操着も兼ねて常日頃と早着替えを目にしているから、千早が俺の目の前で制服を脱いでいる光景なんか今更だ。だからって他人の着替えを終始ずっと眺める訳にもいかず、俺はその間に別室から姿見鏡を移動させてくる。

    「どうでしょうか……?」

    足が速けりゃ着替えも早い千早は、あっという間に喪服姿へと変化を告げた。惜しくもサイズはピッタリではないが、まぁ許容範囲だろう。

    「丈は問題ねぇけど、幅が緩いみたいだな……ウエストはベルトで締めりゃあなんとかなるか?」
    「ですね……」

    上手く言葉にできないが、俺の喪服に袖を通している千早に何故かクラっときた。しかし鑑賞する暇もなく、千早はすぐに俺の喪服を脱いでしまう。

    「もう脱ぐのかよ?」
    「汚したらいけませんから」

    喪服姿見の千早を拝めた時間は一瞬だった。既にもう制服のスラックスに穿き替える千早の背中を、俺は名残惜しげに眺める。

    「明日は午後から練習に参加できねぇのか?」
    「それは……明日の俺の情緒にもよります」

    まぁ、そうだよなと。
    俺だって野球を辞めてグレたままシニアの監督とお別れになってしまったら、そりゃあもうどうしようもない後悔だけが残るだろう。

    「……あ〜、えっと……」

    それ以上はかける言葉が見つからず黙っていると、千早も気持ちの整理が追いつかなかったんだろう。ようやく頭で監督の死を理解したのか、抑えきれない感情が溢れてきたようだ。

    「…………監督、どうしてこんなに早くお亡くなりになっちゃったんでしょう……」

    ハラハラと静かに涙を流す千早が、この世で一番尊い生き物に見えた。
    こいつもちゃんと人の心があったんだなぁという驚きと同時に、どうしようもなく愛しさが込み上げてくる。

    「千早……」
    「俺が監督へ最後に放った言葉が『もう二度と野球はしません』だったんです……結局、それから一度もお会いすることなくお別れになってしまいました……」

    泣くのに邪魔そうなメガネをとってやる。千早は俺にされるがままで抵抗もない。
    妹が泣いた時と同じように頭を撫でたら、妹とは違って千早は俺の手をとって自分の頬に擦り寄せる。

    「……とぉどぉくん」
    「ちはや……」

    それからは、もうそうするのが当たり前かのように俺は千早を抱きしめてキスをしていた。これが俺と千早の初めてのキスだった。
    きっとこのキスがなければ俺と千早はその先も発展がなかっただろうし、このキスのせいで後戻りできなくなったのも事実だ。

    「なんか気の利いたことを言えりゃ良いのによ、な〜んも思いつかねぇわ……」
    「別に藤堂くんに会話力なんて期待してませんよ。君は俺と一緒に野球さえしてくれればそれで良いんです、それ以外は何も求めません」
    「野球、一緒にいっぱいしような」
    「はい、いっぱいします」

    その後も、お互い抱きしめ合って何度かキスを繰り返した。
    姉貴にいつ襖を開けられるかもしれないという緊張感はあったが、想像以上に感触の良い唇に俺はもう夢中だった。

    「明日、行けそうなら練習に顔をだします」
    「おう、待ってる」



    次の日。
    千早はもう練習が終わろうとする夕方になってからグラウンドに姿を現した。実際に死を前にして昨日より落ち込んでいたらどうしようかと思ったが、落ち着いた様子に見える。

    「瞬ちゃん、来てくれたんだ!?」
    「片付けだけでも手伝えたらと思いまして」
    「ありがと〜う」

    千早のところへ嬉しそうに駆け寄る要を横目に、俺は黙々とグラウンドに散らばったボールを拾いまくる。アホの要と会話するとこで千早の気が少しでも紛れれば良いと思う。

    「今日はせっかくの土曜日練習なのに、瞬ちゃんがいなかったせいで環境が男臭くてむさ苦しかった!視界にキュートとクレバーさが足りないっていうかさぁ……」
    「俺がいても野球部が男臭いのは同じですよ」

    会話をしながらも誰よりテキパキと片付けをこなす千早は役に立つ、あっという間に全ての雑務を終わらせた。それ以降、千早の不在理由について一切言及しない。話したいことがあれば千早から話題に出すだろうから。

    「藤堂くん、喪服ありがとうございました。この借りはまた何かでお礼させてください」
    「ラーメン奢りでチャラにしてやるよ」
    「是非ともご馳走いたします」

    そうとなればラーメンを食べに行こうという話になり、今日も二人で帰ることになる。分岐点で皆んなと別れを告げ、目当てのラーメン屋へと向かう。

    「……結局、死因はなんだったんだ?」
    「事故死だそうです。喪主の奥さんとご挨拶する際に、生前の監督が俺が都立で野球を再会していることを知り喜んでいたの話してくれました。それを聞けただけでも俺の溜飲が下がりましたね」
    「へぇ、良かったじゃねぇか」
    「はい」

    ラーメン屋に入店すると、カウンター席しか空いてなかったため横並びに並んで食べる。千早は猫舌なのか、ラーメンを食べるのが遅い。いや、俺が早過ぎるのかもしんねぇ。

    「なぁ、千早……」
    「はい」
    「あのよぉ……俺ら、付き合わねぇか?」
    「……ラーメン屋のカウンター席で話す内容ではないですね」

    夕飯時の飲食店は想像以上に騒がしい。ラーメン屋だから一人でさっさと食べて帰る男性客ばかりで、店員も客を効率よく回転させるのに必死のようだ。

    「まぁな……で、どうすんだ?付き合うのか?付き合わねぇのか?」

    ラーメンの湯気で曇ったメガネをとり、千早は改めて俺をじっと見る。メガネ越しではない千早の黒目がちな瞳に見つめられると俺は鼓動が早くなる。

    「別にわざわざ言葉にしなくたって、俺と藤堂くんは嫌でも常に一緒ですよ。なんなら調理実習の班や修学旅行の班まで離れられなかったじゃないですか」
    「今年はな、でも来年はクラス離れるかもしんねぇし」
    「今年だけでも朝から晩まで毎日ずっと一緒にいるんです、来年には藤堂くんも俺に飽きてますよ」

    話しながらも、やっと全ての麺を啜り終えた千早がメガネをかけ直す。スープは飲まずに残すタイプらしい、その後はどんぶりに口をつけない。

    「キスすんなら、付き合わねぇとだろ」
    「ニンニク入りのラーメン食べちゃいましたから、今日はキスできませんね」

    千早なりのイエスという答えだろうと俺は察して、ポケットからブレスケアのミントタブレットを取り出す。

    「ん」
    「準備が良いですね」
    「そんなに口臭が気になんならよぉ、家に帰って歯ぁ磨いてくるけど」
    「そんな深いキスはしませんよ、軽く掠める程度のキスでお願いします」
    「問題は、場所だよな……」

    東京で人がいないところを探す方が難しい。トイレの個室はムードに欠けるし、今後わざわざカラオケボックスやネカフェに入ってすると経済的に厳しい。

    「昨日の今日ですよ、毎日そんなに連続でキスする必要があります?」
    「まぁ、したくねぇんならやめとくか」
    「したくないわけじゃないですけど……とりあえず、お店を出ましょうか」
    「そうだな」

    食券のため食後のお会計もなく、そのまま店を出る。なかなか美味しいラーメンだったと感想を述べると、千早がそれは良かったと相槌をくれる。

    「上着が見たいので、寄り道してもいいですか?」
    「おう」

    近くにある大型ショッピングモールに入ると、千早はメンズ用の上着を適当に何着か選んで試着室へと向かう。ディスカウントストアと違い、店員に声をかけなくてもフィッティングルームには客が自由に出入りできる。

    「藤堂くん、入ってください」
    「俺が試着すんのかよ?」

    千早に言われた通りに試着室に入ると、千早も一緒に入って扉を閉めた。

    「サイズを確認するので、しゃがんでください」
    「分かった」

    千早の服じゃなくて俺の服を選んだのかと思っていたら、そのまま千早の腕が俺の首に巻き付いて一瞬だけ唇が触れる。

    「テ、テメェ……!」

    アハハと笑って、すぐに千早が試着室を出てゆく。俺は真っ赤になった顔を手のひらで抑えながら、火照りがおさまるまでは試着室を出られなかった。

    「手練れだな、どこでこんなテクニックを身につけたんだか」
    「藤堂くん、海外ドラマとか見ませんか?」
    「見る訳ねぇだろ」

    千早が過去に実戦で学んだシチュエーションではないと分かりホッとする。
    店を出ると外はもう真っ暗で、高校生だけで徘徊するにはそろそろ厳しい時間帯だ。そうでなくとも俺と千早は外見で誤解されるため、一緒に歩くには注意が要る。

    「小手指に入学してから俺、藤堂くんに会わない日がないですね」
    「今日が会わなくて済む絶交のチャンスだったのに、テメェ自らそのチャンスを棒に振ったじゃねぇか」
    「本当ですよ……わざわざ二人でご飯まで一緒に食べて、キスまでしちゃいました」
    「ただのデートだよな」
    「アハハ」

    なんて話をしつつ帰り道を歩く。
    その日は、カメラで撮って保存しておきたいくらい月が綺麗だった。

    ----------




    ----------

    ・保健室で二人してサボる話。

    [side藤堂]
     
    高校二年生になって千早とまた同じクラスで隣の席に着いた時、俺はしばらくコイツと離れられない運命なんだと思った。

    「また隣だな」
    「ですね」

    もしもお互い野球を辞めずに続けていたとしても、帝徳で出会っていただろう。お互い野球をしていなくとも小手指で出会う未来が待っていたのだから、これは運命以外のなにものでもない。

    中坊の頃から漠然と、いつかは恋人が欲しいと考えていた。
    一緒にバッセンで遊べるくらい野球好きな奴がいいなとか、綺麗系よりかは可愛い系がいいなとか。一般常識だとかマナーやモラルがしっかりしてる奴。
    更に細かいことを言うなら、馬鹿でもなくアホでもなく頭は良い方がいい。言葉遣いも、汚いよりかは綺麗な方が絶対いい。
    あとは……そうだな、俺のことを大好きでいてくれたら最高だなって。
    今となって思えば、千早は俺の希望する条件を総て難なく満たしていて、理想の恋人像に当てはまる。
    まぁ性別だけは想像と異なったが、それが気にならないくらい千早は性別が曖昧な外見をしている。



    「藤堂くん」

    屋外で野球ばっかりしてる男なのに、千早は微塵もそれを感じさせない。何故か野球部員には見えない。図書館で読書でも読んでそうな雰囲気で俺に話しかけてくる。

    「次の授業、自習ですって」
    「まぁ自習と言えど、課題のプリントが配られるんだろうな」
    「点呼の後すぐ俺が解くので、藤堂くんはそれを写せば良いです」
    「気前いいな、どうした?」
    「今日、保健医が不在なんですよ」

    頭の悪い俺でも流石に理解ができた。これはベッドに誘われていると。

    「……お前、俺よりよっぽどワルだよな」
    「アハハ」

    八重歯を光らせて笑う千早が小悪魔っぽくて可愛い。毎日ずっと一緒にいるのに飽きない。

    「点呼をとり課題を解いた後、すぐ俺はトイレに行くふりして教室を抜けます、藤堂くんは眠いから寝てくるって堂々と保健室に向かってください」
    「そんな作戦通りに上手くいくもんか?保健室に先客がいたらどうすんだよ」
    「先客はいません、何故なら俺が保健委員で保険医から鍵の管理を任されたので室内に入ることができない筈です」

    流石は千早、予定通りに事が進んだ。
    その後、都立の保健室は俺と千早の専用の一室へと早変わりした。



    「たまには良いでしょう、こういうシチュエーション」
    「良いねぇ、青春って感じするわ」

    隠す用途を満たしてない生地が薄っぺらく透けて見えるカーテンをとりあえず閉める。安っぽいパイプベットに乗り上げると、二人分の体重でギシギシと安っぽい音が室内に鳴り響く。

    「ベッドやべぇな……」
    「都立クオリティですよね……残念ですが、これだけ派手に音が鳴るなら行為は無理ですね」
    「しょうがねぇな、校内でくっついて寝れるだけでも御の字か」

    キスくらいならと、お互い横寝しながら唇を重ねる。あまり濃厚なキスだとヤりたくなるため、なるべくベッドが軋まない程度のキスを程々にする。

    「と〜ど〜くん……♡」
    「うん……千早、好きだ」

    ふと、幸せだなと思う。
    誰よりも俺の側で俺の野球を応援してくれて両思いの恋人で、おまけに相手は顔がとびきり可愛くて。

    「藤堂家の柔軟剤の香り、大好きなんですよね……良い匂い」
    「姉貴が選んで買ってきた奴だわ、なんだっけな?」

    あまり俺は香りに頓着がない、臭くなければ何でも良いと思う。
    千早はいつも石鹸の香りがする、それがシャンプーなのかボディソープなのか整髪料なのか柔軟剤なのかは分からない。

    「進路希望調査のプリント、書きました?」
    「いや未だ、進路ってか……千早と一緒に住みたいなぁとは思ってる」
    「色ボケが甚だしいですね」

    こうしてられるのもあと二年なんだよなぁと思うと、この時間がどうしようもなく尊い時間に思えてくる。
    色ボケでもなんでもいい、好きな奴とずっと一緒にいたいと思って何が悪い。

    「知ってますか?人間のホルモン性質上、恋愛の期限はもって三年なんです。来年には藤堂くん、俺に飽きてますよ」
    「まぁだいたいのカップルは三年以内で別れるっていうもんな、ちゃんと原理があんだな?」
    「人体は恋愛感情を持つとホルモンが分泌されるんですが、同じ相手には三年しか生成されないようにできてるんですよ」
    「難しい話は分からんが……世の中には結婚して何十年と夫婦してる奴等がゴロゴロいるんだから、落ち着くとこには落ち着くだろ」
    「それはもう恋愛ではなくて惰性です」

    難しい話になると眠くなる、俺がウトウトしてると千早は俺の髪の毛を優しくすいてくれる。

    「寝ていいですよ、チャイムが鳴ったら起こしてあげます」
    「とか言って、毎回放置する癖に」
    「起こしても起きないんですよ藤堂くん」

    アハハと笑う千早はやっぱり可愛い。いつまでも俺の側で笑ってくれれば良いのに。

    「おやすみなさい、藤堂くん……」
    「お前も寝ろ」

    腕枕を提供すると、野球に配慮しているのか要らないと断られる。しょうがないから横抱きでギュッと両腕を回してくっついて寝る。
    しばらく無言の時間が過ぎて、俺はとうとうブラックアウト。
    そして目が覚めた時、初めて隣で一緒に眠る千早を目にして益々愛しさが溢れたのだった。

    ----------




    ----------
    ・俺達はどうかしている。

    [side千早]

    「最近知って驚いたんですけど、男同士でも性行為ができるらしいんですよ……藤堂くん、もしよろしければ俺と試してみませんか?」

    学校の帰り道、紙パックジュースを片手に二人でベンチへと腰かけていた。
    自分で言うのもなんだが、俺は口が上手い方だ。単純な藤堂くん相手なら意のままに発言を操れる。

    「何言ってんだ、お前……頭でも打ったのか?」

    突然の俺のバカげた提案に驚き、藤堂くんは思わず口の端からジュースを垂らしている。予想通りの反応だ。イエスでもノーでもない返答は俺への気遣いを感じる。

    「いえ。よく考えれば、童貞の藤堂くんなんかが俺を気持ち良くできる訳ないですよね……すみません忘れてください」

    このような言い方をすれば、藤堂くんのプライドに火がつくことを俺は知っている。案の定こちらを振り返って前のめりに反論してくる。

    「はぁ?バカにすんなよ、俺は頭を使うこと以外はけっこう何でもできるって褒められるんだぞ……料理だってできるしケンカだって」
    「そうですか……まぁ俺はただ藤堂くんが身近にいたから声をかけただけで、気持ちよくなれればそれでいいんですれ

    「別にやってやるよ」

    チョロい。
    もしもこれが成人向け恋愛シミュレーションゲームならば、あまりに攻略が簡単だ。あっさりクラスメイト兼チームメイトと身体の関係を持とうとする藤堂くんの貞操観念が俺は心配になる。

    「……本当、藤堂くんはバカで助かりますよ」
    「おい声に出てんぞっ、本人を前に失礼だろ!」

    ジュースを飲み終えた藤堂くんが、横着をして紙パックをゴミ箱へと放り投げる。この距離なら入って当然だ、放物線を描いて見事にシュートをきめる。

    「善は急げと言いますから、さっそくお願いします」

    言質をとったからには即実行が望ましい。鉄は熱いうちに打て。藤堂くんが冷静になる前に俺は行為を進めておきたい。

    「急だな、こちとら初めてなんだぞ?」
    「ですね。なので藤堂くん、今日は横になってるだけで大丈夫ですよ。俺が気持ち良くしてさしあげます」

    ゴクリと藤堂くんが喉を鳴らすのが分かった。
    そうと決まれば場所を移そうとベンチから立つ。どこへ向かうのかと藤堂くんは怪訝な表情を浮かべて俺の後ろをついて歩く。


    「お前ん家……玄関、広過ぎじゃね?」

    目的地へと辿り着くと、やっとここが俺の住んでいるマンションだと理解したようだ。藤堂くんは自分が住んでいる団地との違いに目を丸くしている。

    「いわゆるデザイナーズマンションってやつです」
    「俺の部屋と千早ん家の玄関、同じくらいの面積じゃねぇか?」
    「住みます?俺ん家の玄関に」

    軽く冗談を言いつつも、俺は藤堂くんを自室へと案内する。客として招いたからには呈茶も用意した。

    「粗茶ですが、どうぞ」
    「頂くわ」
    「はい」

    いつもは胡座をかいて腰をかける藤堂くんも、今日は何故か正座でクッションの上に座っている。しばらく互いに無言が続く中、お茶を啜る音だけが室内に響く。 

    「…………うん、美味い。俺はお茶に関しては素人だが、これが良い茶葉だということだけは分かる」
    「逆に、悪い茶葉も分かりますか?」
    「……いや、分からん」
    「そうですか……」

    突然慣れない場所に連れてこられ、藤堂くん自身も緊張しているのが伝わる。これからここでお互い脱いで触れ合うなんて、現時点では未だ想像もできないだろう。

    「さっそく始めますか、とりあえず制服のジャケットだけ脱いでベットに上向きで寝てください」
    「先にシャワー浴びなくて良いのか?」
    「シャワーなんか浴びたら、藤堂くんの長髪を乾かすだけでも時間かかっちゃいます……そんなに待てませんよ」

    俺は内心で焦っていた。確かに汚れは気になるが、さっさと藤堂くんと既成事実を結んでおく必要がある。先ずはヤってしまえば、ただ一線を超えてしまえばそれでいい。

    「ほら、藤堂くん早く……」
    「分かったって、これでいいか?」

    奪うようにして取り上げた藤堂くんのジャケットをハンガーにかける。そして俺はベッドへと仰向けになる藤堂くんに、この日のために用意をしていた装備を手渡した。

    「なんだこれ、アイマスクか?」
    「視界を塞いだ方が何かと都合が良いので、装着してください」
    「あのなぁ、変態プレイじゃねぇんだからよ……」

    ハァ〜ッと藤堂くんが呆れたようにため息を吐いた。
    別に俺は藤堂くんと変態プレイがしたい訳ではい。視覚での興奮は無理だろうから、触覚で感じてもらおうとしたまでだ。

    「目隠しプレイです」
    「初めてが目隠しプレイになる俺の気持ちを考えろ」
    「それをつけないなら、今日はしません」

    ベッドにまで上げておいて止めるだなんてと、藤堂くんも妥協を選んだらしい。俺に譲歩してくる。

    「俺が目を閉じてりゃいいんだろ?」
    「まぁそうですね……」

    アイマスクは着けず、藤堂くんは瞼を閉じてじっと構えている。薄目を開けていないか確認してから、俺は藤堂くんのシャツのボタンを外して前を開く。

    「寒くないですか?」
    「寒くはねぇよ」

    部屋の温度は少し高めに設定してある。だって藤堂くんが風邪をひいたら隣の席に座る俺にその風邪がうつる可能性が高いから。

    「先ずはタンクトップの布越しに、藤堂くんの身体に触れます。不快だったら止めますから、その際はきちんと声に出して言ってください」
    「い、いきなり身体に触れるのか?」
    「性行為ですから、当然です」

    触れずにどうやって性行為するんだと俺が疑問に思っていると、藤堂くんはいかにも童貞ならではの意見を述べる。

    「こういうのって、普通はキスから始めるのが定石じゃないのか……?どんな映画やドラマでもそうだろ」
    「藤堂くんの教材がアダルトビデオではなく、映画とドラマってところに俺は好感度が上がってます」

    そもそも藤堂くんって恋愛作品なんて観るのかと疑問に思ったけれど、姉妹に挟まれて育っているのだから観ていてもなんら不自然ではない。あらかた、チャンネル主導権はお姉さんにあるお茶の間で金曜ロードショーでも観たんだろう。

    「キスのご経験はありますか?」
    「ないな、ファーストキスは観覧車のてっぺんでするのに憧れてるのは確かだ」
    「流石はイマジナリー彼女にお花をプレゼントする男……ロマンチストですね……!」

    そんなの少女漫画ですら、なかなか見かけたことのないシチュエーションだと思う。

    「観覧車のファーストキスは、いつか藤堂くんが好きになった相手とのためにとっておくとして……今日は俺と性行為だけ済ませちゃいましょう」
    「ただれすぎだろ」

    刻々と時間だけが過ぎるため、俺はさっさと性行為を進めることにする。

    「とにかく、触りますよ」




    この後、めちゃくちゃセッ○○した!!

       _完_

    ----------





    ----------

    ・オメガバースパロ(α藤堂くん✖️Ω千早)

    [side藤堂]

    まず、オメガをアルファの隣に置いておく都立高校の座席配置がヤバいと俺は思う。名前順だとしても、何故このクラスには苗字がツもしくはテから始まる生徒が存在しないのか疑問だ。

    「おう、同じクラスだったか」
    「……ですね」

    昨日グランドで偶然にも野球を通して出会った奴だが、無視するのもどうかと思い俺から声をかけた。相手の反応も、無視するのも失礼だから一応は俺の声かけに頷いたという態度。

    「隣だったか」
    「ですね」

    見れば分かるだろうと自分でも思う。俺はあまり会話が得意ではない、そもそも他人と雑談を楽しむタイプでもない。それなのに、何故かコイツには話しかけずにはいられないという気にさせられた。

    「入んのか?野球部」
    「まさか!」
    「だよなぁ……」

    千早は会話が得意ではないというより、他人と無駄口をきくタイプではないようだ。ただ俺の質問に答えるだけで、そこから話題を広げる様子もない。
    少しは俺に興味を持ってくれても良いんじゃないかと思うのは、俺がアルファで千早がオメガだからだ。いくら男女が隣に座ったからといって必ずしも恋愛対象として意識するなんてことはありえないのに、俺の考えが傲慢なんだろう。

    「初っ端から数学の授業だとよ、嫌になるな」
    「そうですか」

    もっと俺を見ろと言わんばかりに話しかけ続けていると、やっと千早が身体ごと俺の方を向けて顔を近付けてきた。その瞬間、ブワ〜ッと強烈な甘い香りが俺の鼻孔をくすぐる。

    「藤堂くん、でしたっけ……アルファなんですね」

    俺にしか聞こえないくらいの小声で、千早は疑問系ではなく断定的に確認してきた。ハッキリそうだと答えても良かったが、自分がアルファとして期待ハズレなことは俺が一番よく分かっている。

    「そう見えるか?」

    スカートを履いた女が『自分は女だ』と言うことはないのと同じで、俺もわざわざ自分の性別を誰かに主張したことは一度もない。今の質問は『男ですか?』と聞かれて、『そう見えますか?』と答えているようなもんだ。失礼な話だよな。

    「はい、だって……めちゃくちゃ臭いが鼻につきます」
    「お前がそうだってんなら、俺だってそれは全く同じだ」

    厚着しているにも関わらず、シャツの中から見える千早の鎖骨がやけに艶かしく見えた。俺はアルファだからオメガの色気に誘惑されるのは当然だが、それを加味しても他人のデコルテにこんなに魅力を感じたのも初めてだ。

    「平気か?」
    「……いやぁ、どうですかね」

    今の返事で、千早も俺のフェロモンにあてられて自身のコントロールに支障をきたしているのだと思うと一気に体温が上昇する。

    「ムリなら誰かと席を変えてもらえよ」
    「藤堂くんは、俺が隣にいても平気なんですか?」
    「俺はまぁ、大丈夫だろ」

    今まで相手がオメガを前にして襲いかかったことなんて一度もない。俺は自制がきく方だ。

    なんて思っていたが……。

    実際、授業が始まるとまったくもって平気ではなかった。
    過去の俺は常にオメガを隣に置いた経験はない。継続して側にいると、こんなにも気が散るものなのかと驚いている。

    「コラ藤堂、寝るな」

    寝て意識を失うのが最もな解決策だ。目を閉じれば千早は視界に入らない。顔を伏せていれば千早の嗅覚は届かない。教師に叱られようと仕方がない、隣の相手に手を出すよりかはマシだと自分に言い聞かせる。



    そんな我慢を一ヶ月も続けていると、本気で頭がおかしくなってくる。

    「ダメだわ、やっぱり……平気でなんかいられるわけがねぇよ」

    雨の日の放課後、教室に二人きり。ポツリと呟く俺に、千早は黒目がちな視瞳をこちらに向けて隣に座る俺を振り返る。

    「そろそろ慣れても良い頃だと思うんですけどね……」
    「いや……お前さぁ、よく俺の隣にいて平気でいられるな?」

    俺はもう気が狂いそうだと訴える。激しく降り続ける雨が、まるで俺の今の心境を表しているかのように思えた。

    「……平気じゃないですよ、ヒートの周期は乱れまくりですし、薬を飲んでも効きませんし」
    「だから最初に俺が席を変えてもらうように言ったんだよ、今更になって言っても遅いだろうが」

    イライラする俺に対して千早が萎縮しているのが分かる。余裕のない自分に自分でも疲れた。俺は早くこの苦しみから解放されたいと願うだけだ。

    「スマン、千早を責めてるわけじゃねえよ」

    席を移動したところで同じ室内にいるのは変わらない、お互い教室の端と端に離れでもしない限り、大して変化もない。千早はそれを分かっているから慣れるしかないと現状維持を選択したらしい。

    「いえ……いっそのこと、わりきりませんか?」
    「わりきる……?」
    「はい。したいだけなんですから、すればいいかと」

    それこそ、何を言ってるんだと俺は千早を叱るべきだと思った。けれども俺は喉から手が出るほど千早が欲しくてたまらない。したいからする、なんて合理的なんだろう。

    「今日とか野球もできない天気ですし、絶好のチャンスでは?」
    「……ダメだろ、そういうのは然るべき相手とじゃないと」
    「俺は藤堂くんの然るべき相手には相応しくないということですか?」
    「いいや、俺にはもったいないくらいだ」
    「じゃあ、お願いします」

    湿気と熱気で背中に汗がつたうのが分かった。俺は千早の得策に頷くしかない。

    「あれ……?もしかしなくても、今ヒートか??」
    「はいもう、藤堂くんと今すぐにでもしたくてしたくて堪らないです……!」

    まぁそうだろうなと思った。平時の千早が俺を誘う訳がない。純粋に求められていたわけではないと分かりガッカリする。

    「どこですんだよ、家まで我慢できんのか俺?」
    「家までなんとか耐えてください、学校なんてどこも気が散ってゆっくりできませんから」


    そこから、どうやって千早の部屋に辿り着いたのか記憶はない。気が付けば俺は無我夢中で千早を抱きしめて腰を振ってたし、こんなに連射したのも初めてだった。

    「……っ、スッゲェ身体の相性いいな」
    「ですね……♡」

    なんかヤバい薬でもキメてんのかと、自分でも恐ろしくなるくらいには下半身が元気だ。頭はずっと朦朧としてて、俺は初めてアルファのヒートとやらを体感した。

    「藤堂くんの、ずっと大きいままですね」
    「おさまる気配ねぇな……」
    「もう一回します?」
    「大丈夫かよ、無理してないか……?」
    「いえ、俺もしたいので……」




    気が付けば、夜を通りこして朝だった。
    充電が切れて電源が入らないスマホを片手に、すっかり俺と千早の性欲は枯れ尽くしていた。

    「なんか、いつもより太陽が黄色く見えんだけど……」

    カーテンを開き、あまりの眩しさに目が眩む。これ以上にないくらい清々しい朝だというのに、いつもは白く光って見える太陽が何故だか今日はやけに黄ばんで見えた。

    「千早の目にも、太陽は黄色く映ってるのか……?」
    「ですね。厳密に言うと太陽が黄ばんでいるのではなくて、人間の眼は性的疲労で青色を認識するのが難しくなるんですよ、しばらくすれば回復しますから大丈夫です」
    「そうか……」

    雨が止んで良かったと二人して黄ばんだ太陽を見て笑う。
    キスしようと抱きしめたら、腕の中からするりと逃げられた。ヒートじゃないと俺は千早とキスすら許されないらしい。悲しい。
    そして俺は、次のヒートが既に今から楽しみだと思うのだった。
    ----------






    ----------
    ※特殊設定のうえに未完作品のため、以下は本当に何でも許せる方のみご覧ください。

    【💚🧡パロ設定】
    ・藤堂葵(既婚者)
    妊活のためにプロ野球選手を休止、その間に富士見シニアの監督を務める。

    ・千早瞬平(中学生)
    元々は藤堂選手のファンだが秘密にしている。
    十四歳なので、未成年どころか性行為同意年齢すら満たしていない。



    [side葵]

    「今日から臨時で富士見シニアの監督を務める藤堂葵だ、まぁよろしく頼む」

    その瞬間、グランドが一斉にわく。そりゃあ現役の一軍選手が突然シニアの監督になれば反応が良くて当然だ。
    富士見シニアは富裕層のお坊ちゃんが多いチームだと聞いているが、確かにきちんと整列する球児達に気品を感じる。

    「何かの企画ですか?テレビとかユーチューブとか?」
    「今季シーズンは参戦しないんですか?」
    「怪我でもされました?病気とか?」
    「後で一緒に撮影してもらっても良いですか?」

    矢継ぎ早に質問を投げかけてきたのは、球児よりも保護者ばかり。きっとプロ野球が好きだから息子を硬式野球に通わせる両親が多いんだろう。他の娯楽で溢れる昨今、まだまだ野球に興味を持つ層がいるのはありがたい。

    「俺がここで監督を務める理由は、けして後ろめたい理由じゃなく前向きな理由だ。撮影は練習後に応じるから男前に撮ってくれよな」

    皆んなが瞳を輝かせながら俺を見つめる中、その中でたった一人の少年だけは冷静に俺の顔を見ていたのが印象に残る。俺の視界には、まるでその少年にだけスポットライトが当てられているかのような錯覚を覚えた。

    「そんじゃあ、さっそく練習を始めるか……」



    プロ野球選手になり、結婚してから四年が経つ。
    他人から俺の人生は順風満帆に見えたかもしれないが、実は夫婦にしか分からない悩みがあった。周りから子供はまだと急かされ、嫁に『子供ができないのは葵が多忙なせいだ』と責められ反論の余地もない。
    ならばワンシーズンだけ休みをもらうかと、所属している球団に必死で頭を下げることから始まった。かくして選手としての休みをもぎ取った俺は、週末は富士見シニアの監督を務めながら夜な夜な嫁と妊活に励む日々を過ごしている。

    「先ずは準備体操からだな」

    他人のガキの面倒なんて負担でしかないと思っていたが、実際に監督を務めると俺が現役選手というだけで敬い慕ってくれる純粋な球児ばかりに囲まれて癒されている自分がいた。
    『子供って素直で可愛い生き物なんだな』と思えたのも、ここで監督を務められたからだ。今夜また、俺は未来の自分の子供に期待して嫁を抱くのに励むだろう。



    「藤堂監督ってプロなんですよね、現役選手として俺に的確なアドバイスをくださいよ」

    この富士見シニアで初めて『千早瞬平』という存在に出逢った時、コイツは今後の俺の人生を狂わせる存在になるだろうと確信した。何故だかは分からない。
    とびきり可愛い顔には黒目がちな瞳と小さな八重歯、細い肩と細い腰をした華奢な身体、その小さな手に有り余るグラブをつけて必死に野球をしている少年。ただそれだけの存在なら気にならなかったのに、誰よりも大人びた態度と生意気な物言いにハッとさせられる。

    「アドバイスねぇ、まぁ頑張ってプロになったからって、人生が思い通りになるとは限らねえからなぁ……」
    「夢を与えてくださいよ、やっぱりプロ野球選手って女子アナやアイドルと合コンするんです?」

    上目遣いで俺を見上げる黒目がちな瞳が千早の特徴だ。俺はどうにもこの子猫みたいな瞳で真っ直ぐに見つめられると弱い。

    「機会はあるが、俺は既婚者だから参加することはねぇな」
    「あら、妻帯者でしたか」
    「言っておくが俺の妻は女子アナでもアイドルでもねぇ、高校ん時の野球部のマネージャーだ」
    「なるほど、お相手が素人の方だから公表されてないんですね」

    千早の言う通り、俺は嫁を守るために結婚を公にしていない。ネットで検索をかけても俺のプライベートは『どうやら付き合いの長い彼女がいる』という情報しか出回っていないようだ。

    「奥さん、顔を出しませんね」
    「お前の両親だって見たことねぇよ」

    だいたいの親は車で送り迎えもきちんと行う、もしくは試合だけでも観に来るが、いつも千早だけは一人ロードバイクに跨って帰って行く。

    「行きはともかく、帰りの一人は危ねぇよ……変な奴に目をつけられたらどうすんだ」

    千早はいかにも変態が目を付けそうなカワイイ容姿をしているから心配だ。俺が千早の両親なら、こんなにカワイイ一人息子を一人で帰らせたりできない。

    「俺はロードバイク漕いでるんで、たまに車の運転手がジロジロ見てくるくらいですよ」
    「大丈夫なのかよ……次回からは俺が車で送り迎えするから家の玄関で待ってろ」
    「過保護ですね、別に要りませんよ」

    否定されつつも、次の土曜日。有言実行で千早卓まで迎えに行くと、やはり千早の両親は不在で。既にベースボールシャツに着替えた千早が「本当に迎えに来たんですね、藤堂監督って暇なんですか?」と俺に嫌味を吐きながら玄関に顔を出す。

    「いいから、俺の車に乗れ」
    「誘拐ですよこれ」

    千早は俺と距離をとるためか、助手席に乗るのではなく背後のシートに座る。後部座席でもきちんとシートベルトを装着するのは誰かにそう躾けられたのだろう。

    「監督……臨時って言ってましたけど、期間はいつまでなんですか?」

    信号待ちになるタイミングを見計らったように千早が俺に質問をしてきた。ミラー越しに目と目が合う。

    「ようやく千早も俺に興味を持ち始めたか」
    「ネットでお調べしたところ、もうすぐ逮捕予定だとか」
    「何だそれ、そんなデタラメ記事まで出回ってんのかよ……」

    俺は今季シーズンの離脱理由を『休養』とだけ公表している。何のための休養なのか明言しなかったせいで、それはもう色んな憶測記事が飛び交った。その中には本当の理由を見事に当ててている記事もあり、俺はあえて否定も肯定もしていない。

    「帰りはタクシー呼びます、俺の練習着で監督の高級車を汚す訳にはいかないので」
    「気にすんなよ、汚れたらまた買い替えるくらいの甲斐性はあるぜ」
    「野球選手の年俸って半分近く税金で持っていかれますよね。藤堂選手の場合、手元に残るのは……この高級車二台分くらいですか、買い替えたら生活費が残りませんよ」
    「俺の年俸を調べたのか……?」
    「プロ野球選手って、年俸が公開されるから個人情報ダダ漏れですね」

    意外と千早は俺に興味を持ってくれていたらしい。年俸まで調べているということは、選手としての俺の成績ももちろん知識として取り入れてる筈だ。昨今はかなり成績が優秀だったから、どうして俺が富士見シニアで監督をしているのか疑問で仕方ないだろう。

    「お迎え、ありがとうございました」

    目的地で車を止めると、千早は長居することもなく素早く車から降りて行く。無線イヤホンの片耳だけを忘れたまま置いて行ったが、どうせ帰りも車に乗せるしそのままにしておいた。



    「今日も千早は小さくてカワイイな!」

    今のは俺の心の声ではなく、この富士見シニアで投手をしている巻田の発言。こいつはしょっちゅう千早にウザ絡みをして、千早が一番言われたくないであろうことを平気で口にする怖いもの知らずだ。

    「確かに背は巻田より低いですが、野球してる男にカワイイはどうかと思います」
    「だって千早はカワイイだろうが!藤堂監督だって、千早となら付き合えるだろ!?」
    「巻き込んでくるなぁ、巻田だけに……」

    既に千早は巻田にも俺にも興味がないらしい、一人で黙々とグランドのトンボがけをしている。その姿がカワイイのは事実で、思春期の巻田が過剰に反応してしまうのは仕方がない気もした。



    「千早は本当、上手いなぁ……」

    試合中、ポツリと球児の一人がベンチに座って呟く。
    確かに千早は野球センスが抜群だ、中学生でこの実力なら申し分ない。けれどこの先プロ野球で通用するかと言うと別の話、本人がそれを一番理解して思い悩んでいる様子が見てとれる。

    「藤堂監督、この後の作戦指示とかないんですか?」

    足速にホームへと還ってきた千早が俺に指示を仰ぐ。ただベンチに座って試合を眺めるだけの俺を、千早は監督として認めないようだ。

    「あ〜『いのちだいじに』だな」
    「ド○クエじゃないんですから」

    指揮をとるのが監督の仕事だが、今みたいに余裕で勝ち進んでる試合に俺は口を出す気はない。球児達には伸び伸びと野球をして育って欲しいと思う。

    「保守的ですね、俺は藤堂監督なら『ガンガンいこうぜ』かと思いました」
    「他人の大事なご子息達に怪我をさせる訳にはいけねぇんだよ」

    子供が欲しくて毎晩と頑張っている俺には、ここにいる球児達が貴重な存在に思えた。俺は今夜また寝不足になるまで腰を振ることを思うとマカでも飲んで備えるしかない。

    「何のお薬ですか?」
    「サプリメントだよ、病気の薬じゃねぇから心配すんな」

    突然ミネラルウォーター片手にサプリメントを飲み込む俺を見て、千早は怪訝な表情を浮かべている。
    健康な中学生には、サプリメントですら飲む意味が分からないだろう。俺だって別にこんなもん好きで飲んでる訳じゃない。

    「俺の作戦指示なんかなくても、試合は圧勝だったな」

    富士見シニアは千早がいる限り安泰だ。だからこそ千早以外の奴等を鍛えなければならないと思うのに、俺の目は千早ばかり追ってしまう。



    「帰るぞ、千早」

    有言実行。帰りも俺の車に千早を乗せようと声をかけると、千早は車内が汚れないようにと興奮座席の上にタオルを敷いてからその上に座る。

    「途中でコンビニ寄ってもらえますか?」
    「晩飯ねぇならラーメン奢ってやるよ」
    「けっこうです、藤堂監督はお家で奥さんが晩ご飯を用意してくれているんでしょう?」
    「家でも食うから気にすんな」

    どう言えば俺とご飯を食べずに済むのかと千早が考えているのが分かる。遠くの景色を眺めるふりをして、なるべく俺に失礼がないようにうまく断れる言い訳を頭の中で捻り出しているようだ。

    「俺と一緒に晩飯を食うのは嫌か?」
    「藤堂監督と外食って目立ちそうだなって、それにラーメンよりパスタが良いです」
    「じゃあお前ん家でパスタ作ってやるよ」
    「送り迎えもしてくれて、更には俺の好きな料理まで作ってくれるんですか……至れり尽くせりの監督ですねぇ」

    千早の言う通りだ、彼氏かよ。いや、ただの子守なんだけど。何が俺をそうさせるのかは分からない。

    「教え子を一人だけ贔屓して、悪い監督だよなぁ……」
    「ええ本当に、そうですね」

    目に入ったスーパーに車を止め、今から調理するパスタの食材を揃える。千早は俺の一歩後ろをついて歩き、トマトソースのパスタが食べたいと言う。

    「ベーコン入れてアラビアータにするか?それとも魚介にしてペスカトーレにするか?」
    「お任せします」
    「デザートも要るだろ、好きなの選んでカゴの中に入れろ」
    「ではアイスにします」

    冷凍ケースの中から千早が選んだアイスはちゃんとアイスクリームに分類されるアイスで、チープなアイスミルクやラクトアイスではないところが流石だと思う。

    「なんか、ずっと誰かに後をつけられていませんか?気のせいでは……ないですよね?」

    背後につきまとう誰かに気付いた千早が、不安な表情で俺に伺う。
    プロ野球選手の一軍ともなれば、誰かにつけられているのが日常茶飯事だ。俺も最初はトイレまでついてくるから驚かされた。

    「スポーツ新聞の記者だろうなぁ、成績順調にも関わらず戦線離脱した俺のプライベートに話題性があればと追ってるんだと思うぜ」
    「撮られても平気なんですか?」
    「教え子とスーパーに寄ってるだけの記事なんて話題にもなんねぇよ」
    「確かにそうですね」

    俺も千早も試合帰りで同じ富士見シニアのベースボールシャツを着ているから、見るからに関係性は明らかだ。一緒に買い物をしてたところで、何もやましいことなんてない。

    「他に何か欲しいもんねぇか?何でも買ってやるから遠慮なく言えよ」
    「大丈夫です、ありがとうございます」

    買い物をそこそこに済ませて、俺は千早宅の豪華なキッチンで料理をする。その間、千早はテーブルを拭いたり皿を用意したり付け合わせのサラダを用意しくれる。

    「できたぞ、食えよ」
    「では、いただきます」

    野球で一日中と動き回っているから腹が減っているらしい。次々にパスタをフォークに巻いて頬張る千早が、嬉しそうに俺を見る。

    「美味しいです……意外ですね」
    「一言余計なんだよ」

    トマトソースで色付いた千早の唇がいっそう千早を愛らしく見せた。お坊ちゃんで味覚が肥えているだろう千早の口に合うか心配だったが、評価は御の字で安心する。

    「ごちそうさまでした」
    「ん、残さず食ったな」

    皿洗いなんかしなくてもら千早宅のキッチンにはビルトインの食洗機がある。千早はそこにお皿を突っ込み、デザートに買っておいたアイスを持って戻ってくる。

    「ちょっとお腹いっぱいなので、アイス少しもらってくれませんか?」

    はいア〜ンと千早が俺の目の前にアイスを乗せたスプーンを差し出してくるから、俺はそのままパクリとアイスを口に入れる。アイスはただ甘ったるいミルクの味がした。

    「ン、うまい」
    「甘いの好きですか?」
    「……好きだ」

    別に甘いモンなんかそんなに好きじゃねえのに、好きだと言ってしまう。どうしてか千早は俺に言わせたい言葉を何でも言わせる能力が備わっている。

    「俺も、好きです♡」

    俺の口に入ったスプーンをそのまま使って、千早が少し溶けたアイスミルクを食べる。『あ、間接キスだ』なんて考えてる俺は千早と精神年齢が変わらない。

    「もう一口どうぞ」

    再び同じスプーンで千早が俺に給餌をしてれくるから、今度は俺も舌を出してねだった。

    「ン」
    「あ、垂れる……っ」

    身長差があるため俺がしゃがんで協力したつもりだったが、スプーンから溶けたアイスが垂れて千早の手と腕につたっていく。

    「ティッシュ……」
    「ん〜舐めれば平気だろ?」

    舐めて良いかの確認はしたつもりだ。拒否されなかったため、俺は遠慮なくその美味しそうな腕に舌を這わせる。

    「くすぐったいです……っ」
    「溶けると余計に甘く感じるな」
    「アハハ……なんか、藤堂監督って犬みたいですね」

    犬かぁ、変態としては意識されてないんだなぁと安心する。残すことなく千早のスベスベの肌と同時にアイスを舐め尽くし、最後にペロリと舌を出して俺は自分の唇を舐めた。

    「ふふっ……アイス、美味しかったですか?」
    「そうだな、また一緒に食おうな」

    ただ中学生と一緒にアイス食っただけなのに、なんだか知らんが多幸感でいっぱいだ。ホームランを打った時でも俺はこんな高揚感で踊らされたことはない。

    「千早の両親まだ帰ってこねぇのかよ、挨拶しておきてぇな。野球繋がりで出会ったとはいえ、赤の他人が勝手に息子を送り迎えして勝手に家に入って料理作ってって……流石にアレだろ」
    「あ〜……じゃあツーショット撮らせてください、それで両親は納得しますから」

    ツーショットを撮るために千早が今まで以上に接近してきた。先程からずっと止まらない俺の鼓動が千早にも聞こえやしないだろうかと緊張する。

    「もっとしゃがんでください」
    「か、肩を組んだ方がいいよな」
    「いつもファンと撮る時そうやってサービスしてるんですか?有名人は大変ですね」

    許可は得ていないが、千早の肩をそっと抱き寄せる。思ってたよりずっと華奢な肩に驚かされた。こんな細ぇ肩でよく野球なんかしようと思ったなコイツは。

    「上手く撮れました」
    「よし、ネットにアップして皆んなに自慢しろ」
    「俺のアカウント鍵かけてるんで、あんまり意味ないかもしれませんが」

    千早から離れるのが惜しい。ずっとこのままカップルみたいな距離でくっついていたいとすら思ってしまう俺は頭がおかしくなっている。

    「なんか、もう少し千早と一緒にいたいな」
    「いるのは構いませんが、俺だって宿題を片付けなくてはなりませんし、そんなに藤堂監督ばっかり構ってられませんよ」
    「どっちがガキなんだかってかんじだよな……帰るわ」

    いくら教え子がかわいいとはいえ、自分が行き過ぎた行動をしている自覚はある。そろそろ本当に帰らないと、他所の子供の家に居座るヤバイ奴になってしまうと俺は踵を返す。

    「なぁ、さっき撮ったツーショット俺も欲しいから送ってくれ、ついでに連絡先を交換しとこうぜ」
    「連絡先を交換しなくてもエアドロで転送できますよ」

    ピコンと俺のスマホが先程のツーショットを受信する、進化するテクノロジー技術のおかげで、俺は千早と連絡先を交換し損ねた。

    「なぁ千早、俺は勉強は見れねぇけど野球ならいつでも見てやれるからな」
    「そりゃあ、プロに個別指導してもらえるのは光栄ですが……」

    千早の反応は『嬉しいけど困る』と言わんばかり。いきなり目の前に現れたプロ野球選手が、自分だけを送迎する運転手になり家で料理まで作ってくれて更には個別指導までするなんて。確かに、そんなおいしい話はないのかもしれない。俺がもし千早の立場だったなら同じように困惑する。

    「見込みがあるから言ってんだけどな」
    「期待されても困りますよ俺、何のお返しもできませんし……」

    ただ会いたいだけなんだけどな、大人の俺が子供にそれを口にするのは憚れる。俺が千早と会える理由なんて野球しかない。 

    「明日……忙しいのか?」
    「明日は俺、藤堂監督の所属している球団の試合をテレビで見ようかなって思ってたんです……藤堂監督は自分の所属している球団の試合が気にならないんですか?」

    千早に言われて思い出した、そういやあ明日からだと。気になるか気にならないかの二択となれば、気になる方だ。俺がいなくても試合に勝ち続けられるチームなら、そこに俺の存在意義はない。

    「どうせ試合を観るなら現地で観るほうがいいだろ、座席を用意するから一緒に観るか?」
    「憧れてました、ネット裏の関係者席!」

    普段は落ち着いてる千早も大好きな野球のことになるとテンションが上がるらしい、予想通り話題に食い付いてくる。

    「んじゃ、連絡先を交換しとくか」
    「はい」

    千早が差し出したハイエンドのスマートフォンが、お坊ちゃん育ちであることを確信させた。俺なんか高給取になっても型落ちのスマートフォンを四年も使っていて何も支障はない。

    「じゃあ、また明日な」
    「はいまた明日、よろしくお願いします」

    後ろ髪を引かれながらも、俺は千早宅のマンションを後にする。
    それでも、やっと千早と連絡先を交換することができたという達成感があった。



    家に帰ると嫁はおかえりの言葉もなく『遅かったね、ベッドで待ってる』とだけ俺に伝えて寝室へと移動してゆく。
    もはや俺達夫婦が繋がっているのは性行為だけだ。

    その晩、俺は千早を思い出しながら嫁を抱いた。





    「藤堂監督、お待たせしました」

    翌日。待ち合わせ場所に現れた千早は変装なのかオシャレなのか赤縁メガネをかけていて、野球をするような少年には見えない。図書室で本でも読んでいそうな雰囲気だ。

    「今日はメガネなんだな」
    「はい、イメチェンです」

    普段メガネしない奴のたまにかけるメガネ姿ってなんかグッとくるよなぁと思いつつ、やっぱり俺は素顔のありのままの千早が好きだ。

    「球場の席はとれましたか?」
    「もちろん確保したぜ、手配を頼んだ関係者には球場へ来れるんなら試合に出ろって言われたけどな」
    「ごもっともですね……あっ、球団マスコットの着ぐるみがいます!」

    常に一定のテンションを保つ千早が、珍しく球場では興奮している。普段は俺よりも精神年齢が高い千早だが、今はただプロ野球に憧れる少年でしかなかった。

    「俺、応援用に球団のベースボールシャツとメガホンを持ってきたんです」
    「準備が良いな」

    昨日の今日でこんなグッズを手に入れられる訳がない、つまり千早は以前から俺の球団グッズを所有していたということになる。そのわりには、俺が富士見シニアの監督に就いた時は冷めた目で俺を見ていた……たんに俺には興味がなかっただけかと思うとやるせない。

    「関係者は裏口から入場できるですね」
    「ちゃんと俺の連れだって分かるよう離れずに掴んどけよ、でないと警備員に不審者扱いされて追い出されるぞ」
    「はい、では腕をお借りします」

    ちょっとからかったつもりだったが、中学生ってやっぱり純粋だ。大人の言うことはきちんと聞くみたいで、千早は俺の服の袖を掴んで離れないようにくっついてくる。かわいい。

    「皆んなに軽く挨拶だけしとくわ」
    「あ、では俺はその間にトイレへ行っておきたいです」
    「俺の関係者入場カード渡しておくから首からぶら下げておけよ。トイレの後はそこの自販機の前で待ってろ」
    「分かりました」

    せっかく球場に寄ったからには球団関係者に顔を出しておくかとチームの元へ馳せ参じたが、束の間の再会を喜んでくれるメンバーの中で監督だけは冷静に俺を見ていた。

    「奥さんは一緒じゃないのか?」
    「はい、今日は別行動です」

    俺達夫婦の事情を理解して休む暇をくれた監督にそう問われると、俺もキリキリと胃が痛む。
    せっかく妻との時間をとるために試合から離れたのに、結局のところ俺は試合のために時間をとっているのだから意味がない。

    「では、失礼します」

    スマートフォンの通知音が鳴り、まるでタイミングを見計らったかのように嫁をメッセージが届く。
    俺の嫁は必要時以外の連絡はよこさない。何故なら俺が野球に集中するために嫁にそう約束させたからだ。ということは、これは嫁から緊急時のメッセージということだ。慌てて画面を起動させ確認する。

    『不妊検査の結果だけど、私は問題なし。先生には葵の精子が薄いから二回目を受けるように指示があったよ、また時間のある時に予約して行ってね』

    メッセージの内容を確認して、思わず俺は大きなため息が漏れる。
    もしも不妊の原因が俺にあったなら、嫁は今度も俺と夫婦関係を継続する気はあるんだろうか。離婚を切り出される覚悟もしておかなければならないと思う。

    「スマン千早、待たせた」
    「いえ」

    元いた場所へ戻ると、すでに千早はトイレを済ませ退屈していたようで、自販機の前でスマートフォンの画面を覗き込んでいた。

    「球場で観るからには、選手の応援歌ちゃんと歌った方が盛り上げ役になりますかね?」
    「あ〜、今日はそういうの気にしなくて良い席だから」
    「ネット裏の席ではないんですか?」

    警備員に軽く挨拶をして、ICカードがないと入れない通路を横切る。千早の期待していたネット裏の関係者席ではないが、それより遥かに良席だ。

    「ほら、ここが今日お前と俺が座る席」
    「これってスペシャルシーズンシートじゃないですか!?まさかのソファ席!!机とテレビまである!」

    想像してたよりずっと千早が喜んでいるようで、俺も嬉しくなる。そもそも一般人はシーズンシートすら知らない奴の方が多いんじゃないかと思っていたが流石は千早だ、野球のことはもちろん詳しい。

    「そりゃあ俺はこの球団に所属してる選手だから、これくらいの席は用意できねぇとな……ここなら何か食べたり飲んだりしながら二人でゆっくり野球を観れるぜ」
    「一回試合を観るだけで何十万とする席ですよね、流石です……!」

    それから千早はしばらくその場を右往左往して、眺めの良い球場を楽しそうに観てはしゃいでいる。そして俺は、いつもより年相応な千早を見て内心はしゃいでいた。

    「実は俺も、関係者席以外で試合を観るのは初めてなんだよな」
    「いつもは試合に出る側ですもんね」
    「そう、だから今日はやっと趣味で野球を楽しめるわ」
    「……そうでしたか」

    なんとも言えない表情で千早は俺をじっと見ている。澄んだ紅茶みたいな配色の瞳が綺麗だと思った。

    「腹減った、なんか飲み食いしようぜ……」
    「俺に気にせずお酒を飲んでいただいて構いませんからね」
    「いや、俺あんま酒強くねぇんだ……だから接待とかも向いてなくて、せっかく声かけてもらったコマーシャルの仕事を棒に振ったことあるわ」
    「意外です、めちゃくちゃお酒が強そうに見えます」
    「だろ?自分でも驚いてる」

    日本人の四人に一人は酒が飲めない体質なんだっけか。俺も付き合いで無理して飲んでいた時期もあったが、飲まない方が選手として評価されることを学んだ。

    「今日の試合、大丈夫なんでしょうか?藤堂選手の抜けた穴は大きいですよ」
    「もちろん勝って欲しいが……俺がいなくても勝てるなら俺なんかいなくてもという話になるからなぁ……」

    コーラ片手にピザとポテトをつまみながら千早と優雅に試合を観戦していると、途中で俺の存在に気づいた記者が取材をさせてくれとアポを取りにきた。もちろん俺は「今日はプライベートで観戦しに来たから、また今度」と言って断る。

    「……冷戦ですね」
    「こんなにどっちも点が入らないなんてな……」
    「テレビも撮れ高がなくて観客の可愛い女の子を映し始めましたよ」

    野球は観るよりやる方が楽しいに決まってる。千早もそれは理解しているらしく、今は球場という環境を楽しんでいるようだ。
    俺が試合よりも千早ばかり眺めていると、突然そこに一人の男が現れる。

    「藤堂、監督命令だ。ボーッと観てる暇があるなら、選手として試合に出ろ」

    そんなことを言われても、今日は観だけのつもりだったから何の準備もしていない。俺は隣に座る千早のを振り返り中学生に判断を委ねる。

    「行ってください、応援してますから」

    千早の言葉に背中を押されて、俺は笑顔で頷く。

    「待ってろ、千早のためにホームラン打ってきてやるよ」

    衣装を着替え、準備体操もそこそこに打席へと立つ。俺が出場すると分かると、球場が一気にざわめいた。歓迎されている雰囲気に思わず泣きそうになる。
    その後は有言実行、俺がサヨナラ満塁ホームランを打ち込み球団の勝利で試合は終わる。



    「まるで映画みたいな展開でしたねぇ……」

    帰りの車の中、千早が恍惚とした表情で呟く。
    ここに乗車するまでインタビューを撒くのに必死だった。連れを待たせているから質疑応答は勘弁してくれと断りまくり、やっとの思いで千早の元へ戻ってこれた。

    「カッコ良かっただろ?」
    「はい、めちゃくちゃカッコ良かったです!」
    「お、流石に今日は素直だな」

    来て良かったと千早が珍しく心底嬉しそうに笑うから、俺はこの日のために野球をしてきたんだなぁと報われる。

    「毎日でも俺に会いたくなったか?」
    「それくらい魅力的だったのは事実ですね」
    「明日も放課後はお前と遊んでやるよ」

    調子に乗って明日の約束も取りつけようとしたら、千早は次に発する言葉をつまらせて窓の向こうへと視線を逸らす。

    「教え子とはいえ……流石に毎日会うのは言い訳できないのでは?」
    「言い訳ってなんだよ、何もやましいことしてねぇんだから別に良いだろ」

    やましくなければ妻を放置して毎日男子中学生と会っても良いのかって話だよな、そんなことは俺も分かってる。
    少しでも千早と一緒にいたい俺は車のハンドルを握りしめ、あえて千早宅までのルートを迂回する。

    「二人きりで会うのは、富士見シニアでお会いする時だけにしませんか?週に三日もあるんです、充分ですよ」

    まぁ、恋人同士なら妥当な頻度ではあると思う。俺と千早はそんな関係ではないから該当はしないが。
    そうだなと頷けば良いだけなのに、その一言が出てこない。何も答えない俺に対して、千早は困った顔で更に続ける。

    「今日、最後にキスだけして帰りましょうか」

    いきなりの単語に思わず急ブレーキを踏みそうになるが、何とか堪えて俺は運転に徹する。

    「キ、キス……?」
    「ご存知ないですか?キスだけなら、相手が未成年相手でも性犯罪で捕まりませんし、不倫としても認められないんですよ」
    「そうなのか……?」
    「はい、キスはセーフです。法律上は同意があるなら誰としても問題ありません」

    いくら法律で裁かれないからって、既婚者が男子中学生とキスするのはアウトだろ。世間様にバレたら俺は嫁も野球も失うリスクがある。

    「舌を絡めても大丈夫です」
    「なにも大丈夫じゃねぇわ」

    頼むから運転に集中させてくれと思う。そうでなくとも夜道の運転なんか危ないのに、これ以上は俺の集中力を奪わないで欲しい。

    「……なぁ、中学生が外出できる時間って何時までだっけ?」
    「保護者同伴なら二十二時までです」
    「危ねぇ、警察から補導尋問を受ける前に近道に戻るか」
    「遠回りしてたんです?」
    「だって車の中なら千早と二人きりでゆっくりできるだろ?」 
    「藤堂監督って、本当に俺のこと大好きですよね」

    ただの中学生なんかに翻弄されて恥ずかしいが、事実だから否定はできない。とにかく事故に気をつけて安全運転で帰宅をこころがける。

    「着いたぞ、遅くなったからお前の親に挨拶してから帰るわ」

    駐車後、マンションのエレベーターに乗り込むと千早が嬉しいそうに俺を見上げてくる。球場で同行していた時みたいに俺の袖を掴んでくっついてくるから、その手をゆっくり握り返した。

    「……本当は、今日も親は仕事で不在です」

    そう言って俺の手をとり指を絡めてくるから、千早には本当に俺は頭が上がらない。

    「早く玄関あけてくれ」
    「急かしますね」

    鍵を差し込む時間すら惜しく思えた。開かれた玄関の中に飛び込んで、すぐに俺は千早を優しく抱き上げる。自分からキスをすることは憚れたが抱擁なら許される気がした。

    「……キスしないんですか?」
    「妻もいて色んな女を選び放題の俺が、わざわざガキの男に手を出すかよ」
    「おちんちん硬くしながら、よくそんなことが言えますね?」

    指摘されてドキッとする。千早の『おちんちん』という呼び方に酷く興奮した。キスもせずハグだけで勃たせるなんて、俺の方が中学生みたいだ。

    「ここ最近ずっとマカを飲んでるせいだ……勘違いすんなよ」
    「ふぅん?」

    チュッと軽く頬を吸われて、俺はもう堪らなくなる。頼むからこれ以上は煽らないで欲しい。

    「こ、コラ千早……」
    「今日を逃したらもう二度とこういうことしません」

    それは困ると、俺は意をけして千早の唇を奪った。本人が舌も入れて良いって言うんだから、いっそ下品な音をたてて唾液まで啜ってやる。

    「……っ、ン……」
    「はぁ、千早……」

    ふと唇にあたる八重歯を念入りにしゃぶって、口の端から溢れた唾液も吸い上げた。

    「……あれ、続けないんですか?」
    「これ以上したら、洒落にならんからな……っ」

    別に洒落てなくて良いですけど、なんておれが舐めた八重歯を光らせて笑う千早が小悪魔にしか見えない。

    「本当にキスだけで済ませるとは、堪え性ありますね」
    「必死で耐えたんだから、水曜は練習の後に俺とデートしろよな」
    「もうデートって言っちゃってるじゃないですか……水曜は俺に打撃の個別指導つけて欲しいです」
    「約束な」

    最後にまた軽くキスをして別れを告げる。
    家に帰ると鬼の形相で嫁が俺を待っていたが、さっき千早に抱いだ欲情を嫁にすべてぶつけることで納得をさせた。



    スポーツニュースを見ていると昨夜自分が試合に出たことにより、多くの人のコメントであふれている。球団からなるべくエゴサーチはしないように言われているが、時間があるとつい見てしまう。やはり皆んなどうして俺が休養していたのか気になっているようだ。嫁のため子供のためと言えば理解は得られるだろうか。



    「お迎えご苦労様です」
    「制服だと一瞬、誰だか分かんなかったわ」

    学校が終わった千早を車で迎えに行くと、制服姿の千早が俺を出迎える。ベースボールシャツを着る千早も良いが制服姿も新鮮だ。俺は鼻の下が伸びそうなのを堪える。

    「あいにくの雨ですね」
    「そうなんだよな……」

    車のワイパーがフロントガラスを拭い続けてもキリがない程には雨が降っている。屋外球技は天候に左右されるのが問題だ。

    「富士見シニアに室内練習場はないのか?」
    「ありますが場所が離れているんですよ、移動だけで練習時間が削られてしまいます」
    「ってことは……今日の練習はなし?」
    「それは監督の判断次第です」

    一日中ずっと野球できる土日ならまだしも、平日の練習なんて時間は限られている。たった二時間のためにこの雨の中で球児達を遠方に集めて筋トレさせるだけなのもどうかと思った。

    「よし、じゃあ今日は休みにしよう。富士見シニアのグループトークにメッセージ送っておくか」
    「では今日の藤堂監督は俺専属の顧問ですね、ラ○ワンなら雨の影響もなくバッティング練習できますのでよろしくお願いします」
    「ラウ○ン懐かしいな、学生の頃はしょっちゅう行ってたわ」

    カーナビに案内をさせて目的地へと向かう。時折、信号待ちの際に後部座席の千早と目が合うだけでも俺は浮かれていた。

    「藤堂監督って、富士見シニアで監督をしてる時以外は何してるんですか?」
    「それが意外と忙しくしてるぜ、スポンサーの接待に参加させられたり、アンバサダーの仕事こなしたり、ジムに行ったり」

    あとは主に夫婦で妊娠活動に勤しんだり……なんて言える訳がなく。

    「あんまり奥さんの話しないですよね、別に俺は惚気てくれても構いませんが」
    「元から俺は何でも他人にベラベラと話すタイプじゃねぇよ、それはお前も俺と一緒に過ごして気付いてるだろ」
    「まぁ確かに、藤堂監督はとりたてお喋りはタイプではありません」

    いざ目的地の大型施設に辿り着くと、スポーツ以外にも楽しめるし遊戯場もあって目移りする。しかし千早は寄り道をすることなく真っ直ぐバッティングコーナーを目指す。

    「……いかがでしょうか?」

    ピッチングマシンの前で何度かバットを振り回し、千早は俺を振り返って見る。正直なところ俺は、千早の腰つきがエロかったという感想しかない。最低だ。

    「命中率とコントロールは言うことなしだな……あとは飛距離か」
    「そうなんです、俺は遠くに飛ばせません」

    とはいえ、いざ飛距離を伸ばせるアドバイスをくれと言われたら難しい。なんていうか、こう『ガッ』とやるんだよとしか説明できない自分に辟易する。もしかしなくても俺は講師に向いていないのではないだろうか。

    「練習あるのみだな」
    「根性論を聞きたい訳ではないんですけど」
    「その根性論でプロになってんだよ俺は」

    野球選手なんて脳筋の野郎ばっかで俺も例外じゃない、千早の求めている答えを出せず指導者として不甲斐ない。

    「藤堂監督の打つところを見せてください」
    「そうだな、説明するよか見せる方が早い」

    いざ一球目から最大速度の球をホームランで飛ばすと、一瞬で千早が俺を見る目が変わる。

    「やっぱりプロですねぇ!」
    「惚れなおしただろ?」
    「はい」
    「愛人にしてやってもいいぜ」

    ボソっと千早から『手を出す度胸もない癖に』と事実を指摘され、その通りだと笑う。まだ高校生だったならマシだったのに中学生なんて。

    「じゃあこっち、ついてきてください」

    エスカレーターで上の階に登ると、所狭しと色んなアーケードゲームが並べられている。千早は周りから視界を覆われている体感型カプセルのゲーム機内へと潜り込み、その中に俺を誘導する。

    「この機械なんですけど、百円玉を入れるとカプセルが閉まって個室になるんです」

    画面には『武器を選んでね!』なんて物騒な文字が表示されているが、千早は武器よりも俺を選んだようだ。無視して俺の首に腕を巻きつけてくる。

    「これで二人きりになれましたね♡」

    口元の八重歯に黒目がちな猫目、千早は見た目からして小悪魔系だ。誘惑に負けた俺が堕天するしかない。

    「……お前さぁ、学校で教師とかも誑かしたりしてねぇよな?他にも俺みたいな奴がいるんじゃねえかと不安になってきた」
    「どうせ誑かすんなら、学校の教師より一軍プロ野球選手を引っかけたいもんですね」
    「ものの見事に引っかけててスゲェわ……」

    ただ千早は硬式野球をしていただけなのにな、そこに俺が勝手に来て勝手に気にかけて勝手に送り迎え始めて勝手に飯も作って特等席まで用意してしまっている。

    「キスしないんですか?」
    「俺に選択肢を与えるなよ……」

    言質をとられては困るため俺が答えに詰まっていると、千早から顔を近付けてくる。しっとりとした唇に触れられた瞬間、俺の理性が音を立てて崩れ落ちた。

    「ン♡」

    赤の他人のガキに対して『早く歳をとってくれ』なんて無理なことを必死に願ったのは初めてだ。せめて高校生三年生なら年齢的には成人の扱いとなるのに、中坊じゃ性行為同意年齢にすら満たさない。

    「男子中学生相手にすぐこんなにおちんちん大きくして、恥ずかしくないんですか?」
    「恥ずかしい、スッゲェ恥ずかしいわ……」

    今日は公共の場ということもあり流石に舌を絡めるようなキスは控える。恋人同士の距離で唇を触れ合わせるだけでも幸せだった。

    「このゲーム機、五分以上操作を怠ると警報が鳴るので気を付けてください」
    「防犯対策は万全のゲーム機だな……」

    ただ何度も唇に吸い付くだけのキスを楽しむ。
    なんか、いかにも中坊の恋愛ってかんじだ……青春をやり直してるみたいで楽しい。

    「ン……そろそろ五分経ちますのでゲームの武器を選びましょう、藤堂監督はもちろんバットですよね」
    「何のゲームだコレ……?」
    「ゾンビやっつけるヤツですよ、バット振り回して一掃するとスカッとできるのでオススメです」
    「バットは武器じゃなくて野球道具なんだが」

    その後、勃起したチンコを鎮めるためにも二人してゲームに興じる。千早の言った通り体感型シミュレーションは臨場感を楽しめた。

    「次に千早と会えるのは土曜日か……」

    帰りの車の中で、俺は早くも次に千早と会える日を楽しみにしていた。最近の俺の楽しみは千早に会えることくらいじゃないだろうか。

    「じゃあまた土曜な」
    「はい、今日も色々とありがとうございました」

    お別れのキスがしたいなと思うが、千早はいつまで経っても助手席に座ってくれない。後部座席から出て行き俺を振り返ることもなくマンションのエントランスの中へ消えてしまう。
    Tap to full screen .Repost is prohibited

    related works

    LO65t

    PROGRESS高校卒業前後の藤千です。
    付き合っていた2人が卒業して別々の道に進む事で関係性が変わるのを怖がって別れを切り出した千早と、2人で一緒に前に進む道を見つけようとする藤堂くんのお話です。続きます。
    ※ヌルいですがほんの少しR18要素あり。
    ※後半少しだけ攻めの自慰シーンあります。
    さようならのその後で ■さようなら【藤堂視点】

     「さようなら、藤堂くん」
     それだけ言って、千早は俺の方を振り返る事なく歩いて行ってしまった。
     いつも別れ際に言ってくれる「また、今度」の言葉が今日はない。本当にこれで終わりなんだろうという気持ちが実感として込み上げてきた。
     3月末。もう綻んだ桜もあるというのに冬に逆戻りしたかのような冷たい風にハーフアップの髪が巻き上げられた。頭上では桜の枝が大きく揺さぶられ、ざわめく音だけがうるさく響いている。

     ――――――――――――

     千早はいつも恋人との別れとは思えない程にあっさりと帰ってしまう。
     それでも別れ際には「さようなら、藤堂くん。また今度」と言って少し眩しいものを見るような笑顔を見せてくれる、俺はその顔が好きなんだ。可愛いと言えばまたからかわれるのがわかっているから言わない。ただあの黒目がちな目が細められると余計に小さな子どものようになって、なんだか自分の中の保護欲みたいなものを掻き立てて余計に離れ難くなるんだ。ここが公道でなければ、その形の良い頭を撫でてその感触を覚えておきたい、もう一度その手を握っておきたい、できれば一瞬でも良いから抱き締めておきたい。
    7785

    recommended works