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    ・沙●の唄の半端なパロ(引いてはその元ネタのパロというか…)
    ・事故に遭って世界が怪物(呪霊)まみれに見えるようになっちゃった虎杖×虎杖にとって唯一普通の人間に見える、真の姿がJF呪霊モードのお兄ちゃん
    ・呪霊は存在してないていの世界だけどお兄ちゃんは(半)呪霊として存在してる たぶん羂索のせい

    ・描きたいとこだけ

    沙●の唄みたいな悠脹 飽きもせず降っていた雨を、覚えている。鉛のように重たい曇天を、足元を不確かにするアスファルト上の波紋を、飛沫を。
     高校一年生の六月。祖父が死んで、覚悟していたそれを受け入れて暫く。学校帰りに仏花を買って、別に花に喜ぶような人ではなかったけれどと気持ちばかりに携えて。仏壇には他にも供えるべき人たちの位牌も並んでいるから、別に特別な帰り道ではなかった。父母。遺影でしかほとんど顔を認識していなくても、こんにち自分が青春を謳歌できているのは彼らが互いを愛し合ってくれたからなのだと--と、殊勝なことを思うわけではないが、習慣なので。
     花屋に寄った分、時間は日常の帰り時間とは少しずれていた。ほんの誤差くらいではある。だから、ほとんどいつもと変わらないような雨の日だった。
     雨、雨、雨。烟る、篠突く雨。視界もぼやけるほどにザアザアと。
     だから仕方なかったのだと、虎杖悠仁は後からそう割り切った。
     交差点。ぼやけた青緑に促されて渡った横断歩道。そこに、滑るように突っ込んだトラック。
     そこから、記憶が途絶えている。



     次に目が覚めた時、自認としても胆が座っているつもりの虎杖でも面食らった。
     最初、それを天井だと認識することが出来なかった。死んだ灰色、爛れた紫、肉肉しい赤の有機的な隆起が目の前に広がっていたのだ。それらは人の手足、指、口や目、或いは臓物などの形状を所々に形作り虎杖の視界の先を覆い尽くしていた。どうやらそれらはある大きさの個体が群れている姿であるようで、あるものは蟲のような形で這いずり、あるものはぬるぬると口のような場所から舌のような器官を出し入れして、あるものはぎょろぎょろと二対ではない瞳を動かしていた。
     化け物、怪物。そのような形容がすぐさまに浮かぶ。それらは意志を持つように、皆虎杖へ意識を向けているようだった。そうしてその異常物を天井にあたるモノだと思えたのは、どうやら自分が寝かされているらしい体勢であることに気付けたからだった。
     ヒ、と喉の奥から引き攣った息が漏れた。鈍く痛む頭に反して、体には大した痛みはない。ただ、筋肉が軋んだ感覚がある。どれくらい眠ったかわからないが、体を長いこと動かしていないのだろう。
     そうして、自分に掛けられているものも、寝かされているものも、自分に繋げられている管ですら、四方八方、全て怪物のからだで埋め尽くされていることに気が付いた。
     怖気、嫌悪、恐怖。生理的な忌避感が体を駆け巡った。
     今にも叫び出す、そんな瞬間に、ヂュリリ……と形容し難い音と共に壁のような空間の一部がスライドする。
     そうしてその空間から中に入ってきたモノは、明確な意志を持って虎杖へ歩み寄った。
     どうやら白衣を着ているらしい人間の体を持つ、しかし首から上も袖から除く手首もおよそ人の持つそれではない存在は、虎杖の傍まで来ると、酷く耳障りな音で囀った。
     「目ガ醒●ェェ×アッ、■■■ウだッね。虎杖×※ン」

     --目が覚めたんだね、虎杖くん。
     そんなことを話しているのだろうなと、虎杖悠仁にはただ手放しきれなかった理性で推察することしかできなかった。



     ひとつ、虎杖悠仁は事故に遭った。六月の雨の日。トラックの運転手の不注意。並外れて頑丈だった体は事故当時こそ打撲や骨折でひどいものだったが、それでもたちまちに治ったらしい。
     ふたつ、しかし事故の際に頭部を強かに打ち付けた。これがまずかったらしく、緊急手術が行われた。そのため、今までこんこんと眠り、夏休みに入ろうかという時期にようやく目を覚ました。
     ここまでが、『医師らしきモノ』から聞けた……悍ましい咆哮にしか聞こえなかった言葉を咀嚼し、書面に起こしてもらい、なんとか認識した現実の話。そしてここからが、事故後の虎杖悠仁の主観に広がる現実の話。
     みっつ、頭を強か打ち付けたせいか、手術のせいか。虎杖は正常な世界を認識できなくなっていた。世界が、怪物に埋め尽くされているように見える。建造物にも、家具にも、果ては食事にも。グロテスクな怪物としか形容できない何かが這い回り、絡み付く。おそらく人である者たちも、怪物が人の形をしただけの存在に変わり果てていた。そんな世界を、今、見ている。辛うじて文字はこれまで通り認識できたので、小さな怪物が紙面に這っているのに目を瞑れば日常生活への最悪の影響は免れた。
     よっつ、そんな異常を虎杖は隠した。なぜか。異常だと認定され、精神病棟へ入れられたくなかった……というのは、半分の理由。もう半分は、そうして孤独になりたくなかったから。例え世界が化け物の巣窟にしか見えなくなっても、そこには見えないだけで確かに人がいる。大勢の人に囲まれて死ねるような生き方を、したい。そう思っていたから、祖父にもそう言われていたから。さらに言えば、ただ寂しかったから。だから、隠した。そうして普通であるように生きようと、決めた。

     だが、人とは違う視界。かつて飽くほど見たはずの景色は消え失せ、木々も怪物のぶくぶくとした肢体が実り、空は毒々しい紫に染まった世界で、注意深く耳を傾けねば金切り声にしか聞こえない人々の言葉を耳に入れるのは、逃れようとした孤独を一層深くするようだった。
     たったひとつの例外を除いて。



     夏休み前の終業式を終えて、虎杖は帰路に着いた。事故後、退院して学校に戻った虎杖を級友や先輩たちは皆心配し、殊に親切に接した。その心遣いは間違いなく嬉しかった--彼らの容姿が、声が怪物のそれでなかったのなら。
     夏休みに入れば、それらから解放される。寂しいくせに矛盾しているな、こんなことでやっていけるのか? などと考えながらも、家に着けば安堵感がその懸念を幾分か晴らしてくれた。
     家の中だって例外なく化け物だらけだ。そう、見えている。だけれど、それだけじゃない。
     「ただいまー」
     祖父もいなくなり、自分がいなければ伽藍堂のはずの家に帰宅を知らせる。ややあって、答えるように床板が軋み、西日で翳る廊下の向こうの闇からぬるり、と白い影が現れた。
     「おかえり。……悠仁」
     化け物が這い回る極彩色の廊下に、きちんと人の肢体を持った人間が現れた。
     白皙の肌に、美しく通った鼻筋。そこに横一文字、刺青のような紋様。縁取る射干玉の髪は、頭上で二つに結われていて『彼』が歩を進めるたびにふわふわ揺れる。ゆったりとした着物のような服を纏った肉体は、年の頃にしては体格の良いはずの悠仁よりなお逞しく、成熟した大人のそれ。眼窩に埋まる瞳は深い夜色のようで、よくよく見れば昏い黄昏の色なのを悠仁は知っていた。このどこか浮世を離れたような妖しさの男が、たったひとり、虎杖悠仁にとって正常な人間に見える存在だった。
     「脹相」
     安堵からか、自分でも甘えたような声が出たような気がして少しばかり虎杖は気恥ずかしく思った。脹相、それがこの男を示す名前だ。
     「手を洗って、昼食にしよう」
     「作ってくれたん?」
     「ああ、洗濯や掃除も済ませておいたぞ。お兄ちゃんだからな……悠仁が家にいない間の家を守るのが俺の仕事だ」
     「いや、だからお兄ちゃんってさ……いいや、手洗ってくる!」
     むず痒い気持ちを誤魔化すように、虎杖は靴を放るように脱ぎ捨てて足早に洗面所へ向かった。その後ろで、脹相が靴を定位置に並べ直している。
     兄弟がどんなものか、一人っ子だった虎杖は知らない。兄弟持ちの友人の話を聞いて想像するしかなかった。けれど、脹相のやっていることは兄というよりどちらかといえば。
     (奥さん、っぽい)
     男相手に、自称兄貴相手に何を、と頬を赤くしながら、這いずる化け物たちの幻視を踏み潰して悠仁は洗面所に駆け込んだ。



     その出会いは退院の一週間と一日前。
     ふと、誰かの気配で目が覚めた。硬質な靴音。ぎゅ、とソールが軋む音。誰かが、入ってきた。夜勤の看護師だろうか? しかし彼らの足音は決まって湿り気を帯びていて、軟体動物が這うような感じだった。
     これはまるで、普通の人間が歩いてるような---。
     ぱちり、と目を開いた。
     ゾゾゾ、と壁を這う化け物の幻も、カーテンに咲いた無数の目玉も気にならなかった。
     ベッドの傍ら。そこに、『人間』が立っていたから。
     「---」
     虎杖は息を呑んだ。久しぶりにまともに人間の形をしている人間を見た。やたら青白い肌や時代錯誤の着物のような服、頭上高く結われたふた束の髪と、鼻筋に横切る黒い痣、かなり個性的な姿ではあったが。それでもその男のどこかマイナスな色香を持った気怠げな眼差しに、虎杖は魅入られていた。
     「……違うな」
     男が低く呟く。地を這うような冷たい音だったが、それでも目が覚めてから今日まで聞けなかった、正常な人間の声をしていた。
     もっと話してほしい。もっと昔の『当たり前』がほしい。全てが変わる前に戻りたい、諦めかけていた気持ちが胸からせり上がり、鼻の奥がつんと痛んだ。諦めていた気持ちを、この男が呼び戻してしまった。
     男は硬直した虎杖を暫し見下ろし、そうして踵を返そうとした。
     「待って」
     腕を掴むのには間に合わなかった。たなびく着物の袂をなんとか捕まえると、男は少しつんのめって恨めしげな眼差しで振り返った。そんな反応すら、そんな顔ですら、異常な視界を受け入れつつあった虎杖には眩しかった。
     「なんだ。……?」
     「何が、違うん」
     「は?」
     「ごめん、そうじゃな、くて。その」
     カラカラに乾いた喉が、なんとかこの男をこの場に止めようと震える。今を、この男を逃したら、もう二度とマトモな世界と関われないような気がした。
     「も、少しだけ。話さん。ここにいて、お願い」
     懇願だった。男は当惑した顔で振り向き、虎杖へ歩み寄る。
     「妙な奴だ。俺と話そうとする人間は……はじめてだ」
     片眉を上げて訝しげに、男は虎杖を見下ろした。虎杖から見れば、醜い世界の中にぽっかりと白く優美な月が浮かんでいるようだった。
     「話、といっても。何を話せばいいかわからない。だがオマエが俺と意思の疎通ができるというなら、聞きたいことがある」
     「……何?」
     男の物言いには引っかかるものがあった。まるで、他者とやりとりを試みるのが初めてだというような響き。だが、今の虎杖にとってはなんであれ男の興味を惹けるならよかった。
     「加茂憲倫を、知っているか」
     「え、と」
     虎杖は答えに窮した。知らない、と答えれば済む話なのだが、そうしたらこの男はこちらに興味をなくして去ってしまうのではないかと不安に駆られたのだ。かと言ってすぐにバレる嘘をついたところで意味がない。
     「知らないなら、いい」
     「知らない、けど。でも、俺っ……」
     何を言おうというのか。俺、がなんだ? つっかえる言葉に、いい、と言うように男は生白い手を虎杖の眼前に翳して制した。虎杖は掴んだままの男の着物の袂をぎゅう、と握る。ひとりになりたくない。正常な、他人の存在を感じてしまった今。
     「……話さないかと言ったのは、オマエだろう。オマエがあの男を知ろうと知るまいと、話には付き合う」
     それに、と訝しげに虎杖を見下ろしていた瞳に少しばかりバツの悪そうな色を滲ませて男は続けた。
     「……言っただろう。何を話せばいいかわからない。これくらいしか、話題がない」
     男らしくしっかりとした眉が下がり、少しばかり情けない表情を作る。人形じみた妖しげな色香を放つ男の人間臭い表情に、虎杖の胸は何故だか騒ついた。それを自覚することなく、少年はなら自分が話さなくちゃと喉を震わせた。
     「じゃ、さ。俺からも聞いて、いい? その、オマエの名前、とか」
     見るからに歳上の彼に、オマエと気安く言うのは失礼だったろうか。だがこんなに虎杖にとって正常に見えていても、こんな深夜に奇天烈な姿で病院を歩いている人間だ。常人の尺度で扱う必要のない、ある種の気安さが男にはあった。
     男は「名前……」と呟くと、少し思案してから色の悪い唇を開いた。
     「ちょうそう」
     「ちょう、そう?」
     名前としては珍しい響きに、虎杖は思わず復唱した。それを察してか、男は虎杖の手を取りその掌に指で文字を刻む。
     冷ややかだが、人の皮膚のなめらかさを確かに持った指先が入院生活でカサついた虎杖の掌をくすぐる。あの視界になってから、目に見えるもののせいだろうか、自分が触れるもの、その感触すら異常を来していた。ぬらぬらとした怪物が見えれば、その感触は見たままに。肉肉しい湿り気を帯びた看護師の手は生臭さを纏いながら虎杖の腕を取り点滴を施した。それに比べたら、男の指が滑るのはなんと甘やかな触感だろう。トクリ、と胸が鳴る。チリチリと焦げるように喉が渇く。早くなる脈を感じながら、虎杖は紡がれる文字と指の感触にすべての神経を集めた。
     「脹相……」
     「そう、書く。オマエは--」
     男……脹相の視線が、すいと上に向く。ベッドの真上の壁面には、入院患者の名前が書かれているからだろう。
     暗がりの中で彼がその文字を認識する前に、自分の言葉で虎杖はそれを教えたかった。
     「虎杖、悠仁。俺の名前」
     「いたどり……ゆうじ」
     イタドリユウジ、虎杖悠仁。馴染ませるように脹相は低く呟いた。その感情の色の希薄な声ですら、虎杖にとっては自分を呼ぶ正常な音だというだけで聞き惚れる心地だった。もっとその低い声で呼ばれたい。一人じゃないと、呼びかけてほしい。
     異常な世界にただひとり、涼しげに佇む謎の男に虎杖はすっかりと魅了されていた。


     それから一週間と一日。二人は夜毎、話をした。逢瀬と言ってもよいだろう。
     虎杖は自分の身の上や学校の話、それから自分の異常な視界についてを。
     脹相は出会った時に尋ねてきた『加茂憲倫』は憎々しいながらも自分の親であること。加茂が失踪したこと。加茂が虎杖の入院する病院に勤めていたらしいこと。消息を確かめるために病院を訪れ、表立って調べることができないからあの夜忍び込んだことを。それから自分が九人兄弟の長兄であることと、どうやら彼より下の兄弟は件の加茂のせいで死んでしまったらしいことを。その復讐のため彼を探していることを。
     そんなことを、話した。
     脹相が語ったことが多いのは、彼がよく話したからではなく虎杖がよく訊いたからである。不思議な彼のことを知りたい一念で疑問に思ったことを何でも聞いたし、脹相は嫌な顔もせずに答えた。加茂憲倫の話をする時を除いて、だが。これは話すことが嫌というよりも、加茂への憎しみから来るものだろう……と、事情を聞き齧っただけの虎杖も察することができた。
     そしてある夜、虎杖は何の気なくいつものように脹相に尋ねた。
     「脹相はさ、どこに住んでんの? この近くなん? 毎日来てくれっからさ……」
     「……いや、どこにも。家はない。近頃は病院のリネン室や空いた病室に潜んでいる」
     「潜んでって……」
     話ぶりから訳ありなのはわかっていたが、家がないとは。それを気味悪く思うどころか、犯罪ではと咎めるどころか、虎杖はそれを痛ましく思った。この病院で、彼の便宜上の父に繋がるものが見つからなければ、また独り脹相は放浪するのだろうか。雨風に晒され、当て所なく彷徨う脹相の姿を幻視して--虎杖はひとつ、決心をした。
     「あのさ脹相。その、オマエさえよければ、だけど」
     「なんだ、虎杖悠仁」
     「俺、もうすぐ退院だから。一緒に、暮らさん。……加茂サン、ての探すのも手伝うし。俺んち、俺しかいないから」
     「……だが、俺は」
     見上げた脹相の眼差しは困惑に揺れていた。思いもしなかったことを持ちかけられただけではない、驚きと、切なさを孕む表情。虎杖は真っ直ぐに見つめ、その青白い手首を掴んで続ける。
     「病院出たら、どこ行くんだよ。野宿とか危ないし、警察に捕まるかもだし。ウチ部屋も余ってるし、お客さん用の布団もあるしさ……なぁ、ウチに来た方がいいって」
     虎杖自身、お為ごかしを言っているのはわかっていた。脹相がひとりで家もなく彷徨うことを寂しく思ったのは本当だが、真実のところ自分が脹相と離れたくないだけなのだ。
     ごくり、と喉を鳴らしたのはどちらだろう。虎杖だけでなく、脹相も何故だか緊張しているようだった。
     「……オマエは、変わっている。だが……優しいとも、思う。いいのか、俺などが」
     「いいって言ってる。し……俺、その。脹相ともっと、いたい、っつーか」
     お為ごかしだけでないところもついには晒して、虎杖は脹相の手を引いた。思ったより強い力で引いてしまったらしく、脹相がバランスを崩す。白い手が禍々しい色彩のベットシーツに立てられた。そうして引き寄せた脹相から、寺で嗅ぐような匂いがしてどきりとした。白檀なんて例えを、少年は知らない。
     至近距離にあるかんばせが、何かを堪えるようにくしゃりと歪んだ。哀しげなようで喜ばしいような、一言で表しきれない色彩の表情。
     「………。オマエが、退院する日に……気が変わってないのなら。××駅の、ホームに……いる」
     ぼそぼそと体躯に似合わない小さな声で脹相はそのように告げると、虎杖の手を振り解いて足早に病室を出ていった。

     果たして、退院当日。指定された駅のホームの隅に、脹相はいた。膝を抱えて、所在なさげに線路を眺めながら。
     その手を引いて、平日の真昼間、ひと気のない電車に乗り込んだ。どこにも住んでいないらしいけれど、なんとなく脹相を攫っていくような不思議な背徳感に虎杖の心中は高揚した。
     ガラガラの座席に連れ立って腰を下ろす。目の前を流れる車窓の景色も、禍々しいマーブルになってしまった。随分変わったなぁと虎杖は思い、変わったのは自分の方だと思い直す。
     ぴったりと寄り添うように虎杖の隣に座った脹相は、内緒話のように囁いた。
     「今日から俺は、オマエのお兄ちゃんだ。オマエを、好ましいと思う。オマエと共にいたいと、……俺も思った。だから、」
     俺たちは、兄弟だ。
     それしか情を示す関係を知らないからと、謎めく男は未だにどこか戸惑いながら言ったのだった。



     このようにして、虎杖は脹相という世界でたった一人、正常に見える同居人を得た。
     一人増えた生活は、人数だけなら祖父と暮らしていた時に戻っただけだが、その祖父の入院が長かったこともあって新鮮にすら感じた。食事の支度も掃除洗濯も、一人でやってきたことを分担して行う。怪物だらけの世界に一人放り出されるところだったことを思えば、幸運な出会いだった。
     半ば強引に同居を迫ったつもりだったが、あの電車での宣言以来脹相は虎杖の『お兄ちゃん』を自称するようになり、出会った時と比べると態度は目に見えて軟化した。と、言うより甘くなった。ぎこちないフルネーム呼びから、『悠仁』と低くも柔らかな声音で呼ぶようになり、それが少年の胸を心地よくくすぐった。
     しかしながら、変わってしまった世界の生活には間違いなく難があり、順風満帆とも行かない。その一つが食事だった。

     手を洗い居間の敷居を跨ぐと、座卓に並べられている料理が目についた。料理……そのはずだ。そのような猜疑心に煽られるのは、料理もやはり怪物の体の一部で作られたものに見えるからだ。視覚の情報から嗅覚が誤作動を起こして、饐えた匂いまでしてくるようである。
     病院食も、スーパーの惣菜も、今日のように脹相が用意した食事も、そう見えるのは変わらなかった。なんにしたって、自分の都合で不味そうに見えてしまっていることに仕方のないこととはいえ申し訳ない気持ちが募る。それでも食べなくては生きていけないので、育ち盛りの男子高校生に必要な分はしっかりと食べるのだが。
     「悠仁。今日はな、水餃子というのを作ってみたんだ。あとは回鍋肉に、春雨サラダもある」
     「中華系なんだ。いいじゃん、どこで覚えたん?」
     「昨日の昼のテレビでな」
     ほんの少しばかり陽気に脹相は言って、虎杖の隣に腰を下ろした。
     難ありの食事についてだが、一つだけまともに味わえる方法を二人は見つけていた。
     「んじゃ、頑張って作ってくれた脹相のためにもちゃんと食わねーとな」
     虎杖は意図的に食卓から視線を逸らし、瞼を閉じた。次いで、「いただきます」と手を合わせて、座した膝の上に両手を下ろした。その隣で、脹相が虎杖の前に置かれている箸を取る。
     「悠仁、何から食べたい」
     「肉! や、どっちも肉は肉だわ。まずは回鍋肉かな、ご飯も!」
     「わかった」
     脹相は生活慣れしていないであろう身の上を感じさせない綺麗な所作で、ピリ辛の味噌だれがよく絡められた肉と野菜をひとかたまり掴む。
     そうして、「回鍋肉だぞ、悠仁。あーんだ」とやけに甘ったるい声で指示をする。虎杖はやはり、その声にむず痒い心地になる。兄弟というかバカップルだろ、と毎度毎度胸中でツッコミをいれてしまうのは照れからだ。
     虎杖は人生で食べてきた回鍋肉を頭に思い描く。豚肉、人参、キャベツにピーマン。食欲をそそる油分の照り返し。その匂いも。怪物の這い回る食卓を脳の片隅に懸命に押しやり、それから口を開けた。
     すると、ふー、と脹相が吐息で熱を冷ました気配の後に思い描いた食品が口の中に運び込まれた。そうしてようやっと、虎杖は正常な味覚で食事を得ることができるのだ。
     人間が得る情報は八割を視覚に頼るという。虎杖の視覚の異常に端を発した嗅覚、聴覚や味覚の変化は、視覚の情報を脳が受け取り歪めて処理をした結果では--と、虎杖の事情を聞いていた脹相はそう分析した。ようは、目に見えるものからの思い込みなのだ、と。
     そして、視覚をシャットアウトしてから、時間をかけてかつて見えていたものを思い起こしつつであれば食事くらいはまともに取れるようになるのではと仮説を立てた。
     口に入れる直前に目を瞑るだけだと変異した視界を脳内で補正できないし、だからといって最初から目を閉じたまま箸で料理を取るなんて至難の業だ。そのため、脹相がこの「あーん」を提案したのである。
     しかして仮説は実証と相なった。目を閉じ、口に入るもののかつて見た形を思い出し、さらには脹相に何々だ、と料理名の念を押されて口に運ばれれば、それでやっと正常な味覚で料理を味わうことができた。
     もちろん虎杖にもいい歳をして物を食べさせてもらうなんてという気恥ずかしさはあったが、当たり前のように食事ができる喜びの前ではどちらが天秤を傾けるかなどはわかりきったことだった。
     野菜のシャキシャキとした歯応えに、柔らかくジューシーな豚肉が絡み合う。咀嚼すればするほど旨味が溢れ、飲み込む先から唾液が溢れた。脹相は傍らで椀を持ち、今度は白米をひとすくい取ると「米だぞ、悠仁」と言い含めて、次を待つ口へ運んだ。
     ほくほくと炊き上がった白米が、口の中に残る辛味噌の後味と油分と絡まって、さらなる味わいを生む。しっかりと咀嚼して、飲み込んでから虎杖は「美味いよ、脹相」と料理人を称賛した。
     「よかった。まだまだあるぞ、水餃子もだ」
     「ん、じゃあちょーだい」
     ねだれば脹相がフ、と傍らで笑む。親鳥に餌をもらう雛ってこんな感じなんかな、などと虎杖は考える。情けない姿ではあるが、外では我慢して名状し難い物体……に見える食事をかき込んでいるのだから許されたかった。こんな風に言い含められながら甲斐甲斐しく食事の世話をしてもらえるのは、自宅にいる時だけなのだから。
     脹相が何故あの時誘いに乗ってくれたのか、ここまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのか、虎杖は未だにそれがわからないままだ。彼の出自も、日中の外出を避ける理由も、当人は食事を(少なくとも虎杖の前では)しないことも。
     しかしながら、それでも虎杖は唯一安寧をくれる脹相に惹かれていたし、脹相の献身もくすぐったく思いはすれ疑ったことは不思議となかった。脹相を今失えば、生きていくことはできても限りなく世界の色彩を欠くだろうとすら、考えてもいた。
     (オマエも同じ気持ちなら、いいのにな)
     つるりとした皮に包まれた挽肉を口に運び入れられながら、虎杖はささやかに願った。

     ◆

     【あるオカルト記事の抜粋・仙台市××区駅周辺における怪現象】
     2018年7月、仙台市××駅。A氏は奇妙な物を目撃したという。真昼の駅のホームに、うずくまるような黒い影があった。それは人影のようだが、どんなに目を凝らしてもなんなのかがわからない。ただそれは、不気味にそこに居座っていて、陽炎のようにゆらゆらとしているのにドス黒い影としてたしかにそこにいた。本能的にアレはここにあってはいけないものだ、と直感したA氏は、電車に乗るのをやめてタクシーを捕まえ、駅を離れたという。「最初は日差しにやられて、目がおかしくなったんだと思ったんです。でも、いくら目を擦ってみても消えなくて、だんだん恐ろしくなって……もっとハッキリと見えていたら、私はどうなっていたんでしょうか。」A氏はこう語る。
     その日偶然にも、三駅ほど離れた●●駅ではホームからの飛び降りによる事故が発生している。目撃者の証言によると、飛び降りをしたB氏は何かから逃げるように改札の方から一目散に走って、そのまま線路上に飛び出したという。幸いにも非常停止ボタンが押されたことで最悪の事故は防がれたが、保護されたB氏は著しく精神的に不安定な状態であり、事情聴取にも「怖い。化け物がいる。あの子はダメだ……。」と繰り返すばかりで要領を得なかったそうだ。
     さらには××駅最寄りの××総合病院にも同時期に怪奇現象が起きていた。深夜、入院患者の部屋に男の霊が訪ねてくるという、言ってしまえばありきたりな内容なのだが、その霊の顔を見た患者は発狂すると言われており実際に数名の患者が目撃している。そのうちの一人であるC氏はこう語っている。
     「僕も見たんです。と言っても直接ではなくて。ある夜寝ていたら、隣のベッドで寝ているおじいさんが叫んだんですよ。なんだなんだと思って仕切りのカーテンを開けて見たら、いるんです。黒いモヤみたいなのをしょった、顔の真っ白い男が。目元が暗く落ち窪んでいて、顔には血のようなもので一本線が引かれていて。まさにこの世のものではない、幽霊という感じでゾッとしたんです。その幽霊、何か言うんですけど聞き取れないんですよ。外国語とかじゃなくて、認識できないという感じの言葉でした。聞いただけで頭をぐちゃぐちゃに掻き回されるような声で、気がおかしくなりそうでした。なんとかナースコールを押して、叫ぶおじいさんを宥めて、そうしたらいつの間にかいなくなっていて。今でもなんだったんだろうと思います。僕はこんな感じですが、隣のおじいさんはあれから心の病気が悪化したそうで。魅入られちゃったんですかね。ああでも僕もたまに、また会ってみたいと思いますよ。怖いもの見たさ、っていうんですかね。あはは。」C氏の目が少しうつろに見えたのは、筆者の穿った考えであると思いたいものだ。
     このように××駅周辺は数々の怪現象の噂の絶えない地域である。編集部はこの一帯に何か曰くのようなものがないか、調査に乗り出し---。



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    ・事故に遭って世界が怪物(呪霊)まみれに見えるようになっちゃった虎杖×虎杖にとって唯一普通の人間に見える、真の姿がJF呪霊モードのお兄ちゃん
    ・呪霊は存在してないていの世界だけどお兄ちゃんは(半)呪霊として存在してる たぶん羂索のせい

    ・描きたいとこだけ
    沙●の唄みたいな悠脹 飽きもせず降っていた雨を、覚えている。鉛のように重たい曇天を、足元を不確かにするアスファルト上の波紋を、飛沫を。
     高校一年生の六月。祖父が死んで、覚悟していたそれを受け入れて暫く。学校帰りに仏花を買って、別に花に喜ぶような人ではなかったけれどと気持ちばかりに携えて。仏壇には他にも供えるべき人たちの位牌も並んでいるから、別に特別な帰り道ではなかった。父母。遺影でしかほとんど顔を認識していなくても、こんにち自分が青春を謳歌できているのは彼らが互いを愛し合ってくれたからなのだと--と、殊勝なことを思うわけではないが、習慣なので。
     花屋に寄った分、時間は日常の帰り時間とは少しずれていた。ほんの誤差くらいではある。だから、ほとんどいつもと変わらないような雨の日だった。
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