北上途中上午
妙だが悪くない話だ。
急に現れたかと思えば、俺に都合のいい情報を全て開示し、突拍子もない条件で取引を持ちかけた。必要なこと以外は黙秘したままで信用し難い態度ではあるが、奴に使われているにしては面倒なことがない。
確かに組を含む大勢を敵に回しかねないハイリスクな行動ではある。だが爺ちゃんがいなくなった今、生き延びるためにこの世界にい続けることは大した価値ではない。デンジを殺さなければならないからだ。
それが済むまで沢渡には見返りが来ない。このまま俺が姿をくらますこともできる以上、奴にとってのリスクの方が大きいはずだ。
それを承知の上なのか、それをさせないだけの力を持っているのかは分からないが、少なくとも俺はそんなことをするつもりはない。全く不満のない利害の一致である。
つまり俺とあいつはそれ以上の意識で繋がっていない。精々慰め合いの相手ができる程度の相手だ。復讐劇の手前にしちゃ楽でいい。
肌は晒そうが口に出す必要のないことは互いに封したままでいる。今もなんの余韻もなく予定の確認をする。
作戦の開始まであと12時間。
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下午
暴れても意味がないと分かった私は大人しく両手を拘束された。眼前には先程まで自分の支配下だった悪魔が肉塊となり横たわっている。
今自分が打ち負かされた要因にマキマは直接の手出しはしていなさそうだが、やはり脳裏を巡るのは彼女のことだった。
想定外の事態などいくらでも予想がつくものだが、奴の力に関してはそれを超えるものが多すぎる。ならばなぜ開始の合図と共に死ななかったのかと考えるより、「それ」を凌駕する力を持っているのだろうと納得するのが賢明なのかもしれない。まったく頭の痛くなる話だ。
ヘビを使えなくなった私には、自分の命を守る気さえ起きなかった。
あの時私とあいつだけ殺されなかったのは不可能だったからではなく、マキマによる意図的なものだろう。そしてあいつは、デンジに勝とうが負けようが公安の管理下に置かれることになる。死なないからだ。
私にとってはチェンソーの心臓の意味も祖父云々の因縁もどうでもよかったから、何にも執着しないまま死ねるのは有り難い。だからあそこまで何かに執着できるあいつには、最期まで全く共感ができなかった。
結局その執着心によって手に入れた身体さえ、マキマに利用されてしまうんだろう。
それを惜しく思ったのか否かは、私自身にも分からなかった。
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薄明
「私とお前くらいなら逃げれるだろう」
それが叶わないことは、思いつかない結果ではないはずだった。寧ろ先の読める展開すぎて全くつまらない。
映画は最も盛り上がるべきシーン1つと、ラストさえインパクトがあれば印象に残るものだと思う。なら私の人生は駄作といって差し支えない。
目前には生前の私が映るスクリーンが広がっていた。手元にはポップコーンもコーラもなく、ただ流れる退屈な映像を眺めるしかできなかったが、不思議と眠くはならなかった。
なぜ私の意識は存在しているんだろう。死ぬ瞬間の意識が走馬灯のように永続しているのかと思ったが、今の私は首に凸凹した傷跡があるし、公安の制服を着ているからそれも有り得ない。死んだあとまで見せられるなんて、なんとも悪趣味なものだ。
...この空間には私しか存在できないのだろうか。つまり―
...
...
...なんてことだ。
自分の思い浮かべたことの意味を理解する気になれなかった。いや、勘違いであってほしい。
まさか。そう思い込むくらいには大したことない人生だったということにしておきたい。そうしよう。
スクリーンが一度暗くなり、出入口から光がわずかに差し込むのが見える。私は思わず席を立って外に出た。
そこでは公安服のあいつが仰向けで倒れていた。まるで先程の発想は勘違いではないとでも言われたようだ。
...そうか。そういうことなんだな。
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薄暮
まるで長い夢を見ていたようだった。
憎き相手に列車のレール沿いで辱めを受けたことは不本意ながら記憶しているが、どうやらそこから先の夢も現実だったらしい。
公安のスーツを纏い、自分が何者か勘違いしたまま傀儡でいた事実はとんでもない屈辱だ。しかしそれを理解できているということは、マキマは死んだのだろう。
ボタンを留めたままの上着とシャツには己の血がべっとりとついたままである。今の身体には傷一つないため、靴が壊れていなければ歩くのに苦労はなかった。
爺ちゃんを殺したアイツはまだ生きている。
歩き続けていると、夢から覚めた直後はぼんやりしていた頭がようやく冴えてきた。そうだ。この身体はそのために手に入れたものじゃないか。
気の抜けていた身体に力が戻ってくる。目的を持っている者というのは、どうやらそうでない者より活発に動けるらしい。マキマに使われていた時の自分は、元来の何分の一の力のみ発揮していたのだろうか。まだ自分の心臓を悪魔にしたあの女の方がマシな扱いだったなと、ふと思い出す。
...きっとあいつも死んだのだろう。
解いたネクタイは既に捨ててある。ヘビと奴との合流予定場所に辿り着いたが、当然誰もいない。
まだ何かを忘れているような気がしたが、きっと大したことではないと思うことにした。