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    朝尊の話。

    ##梟は黄昏に飛ぶ

    滞在 朝尊に連れられて来たこのビルの一室。以外にも水道と電気はまだ生きていた。電気によってすべてが賄われるようで、お湯も出る。ただし、朝尊は滞在するのは長くても二週間くらいだといった。
    「この一室はわけあって使っていたのだがね。支払いだけはしていたからまだ使える。だが、ずっとここにいるわけには行かない。仮住まいというわけだ」
     君を遠くに逃がす、ただそれだけを告げられた。彼が何をしているのかはよく分からないが、ここに来て二、三日は朝には出かけて夜に戻ってきた。食料は初日に買いためてくれていた。朝尊は僕にこの部屋から出ないように言い含められる。どこか必死さを感じて、僕は黙ってそれを承知した。遠くにとは、どこにだろう。僕はぼんやり考える。本もなければ通信端末もない。ビルの一室にある戸棚や箪笥などを開けて中を見たり、掃除をしたりして時間を潰した。僕が借りた服の持ち主は一体どんな子だったのだろう。
     写真のひとつでも残っていないかな、と探してみたがどこにもなかった。箪笥の小さな引き出しを開くと、そこから赤いスカーフやら、青いリボンタイが出てきた。その下の段からは手袋がいくつか出てくる。黒い革製のものはグローブと言って差し支えないだろう。大きめで鋲が付いている。ロックシンガーが身に着けているみたいなグローブだなと思った。他の手袋も見る。次に手に取ったのは黒い手袋だ。浅めで、手首ぎりぎりの長さしかない。黒い手袋はもう一つあり、もう一つのものはスタンダードな形とでもいうのだろうか。一つだけ入っている白い手袋と色違いのように見えた。全て大きさが違う。恐らく、この部屋を使っていた者が少なくとも五人はいたということだ。朝尊の手袋は見当たらないが、彼が付けているのは手袋というより、手甲と言って差し支えない。だから、ここにこうやって閉まっておくようなものではないのだろう。
     彼は話したがらないから、僕がこの手袋を見つけたことも黙っておこうと引き出しにしまい込む。スカーフとリボンタイも同じようにしまおうとして、どうにもスカーフが目についた。
     何故だろう。赤いから、という理由だけではないように思われた。僕はそれを手に取って、広げてみる。結べばひらひらとリボンのようになるのだろう。
     青いリボンタイはそのまま仕舞ったけれど、赤いスカーフは引き出しには仕舞わずにローテーブルの上に置いてみた。
    「これだけじゃないけれど、きっとおしゃれなヒトが付けていたんだろうな」
     洋箪笥の中にわずかに残されている衣服は、どれも仕立ての良いものばかりだった。僕には到底着こなすこともできないようなものばかりだ。思えば朝尊だってかなりおしゃれな格好をしている。和洋折衷の服装で絵にかいたような学者先生とでもいうのだろうか。僕はぼんやりと赤いスカーフを見ていたが、それをなんとなくポケットにしまい込んだ。そして、再び僕は部屋の中を徘徊するのだ。何かないかな、と期待をもって。
     四日目。彼は出かけずに部屋にいる。少し疲れているように見えた。僕は彼と出会ってから、彼が物を食べているところを見ていない。
    「朝尊」
     僕が呼びかけると朝尊は僕に視線を向ける。部屋のブラインドは相変わらず締め切ったままだけれど、換気のために窓を開けていることで窓辺にブラインドが当たってカラカラと音を立てる。不思議そうに僕を見ている朝尊に、僕は言葉をつづけた。
    「良かったら一緒に食べよう」
     料理といったようなものは、ここでは残念ながら出来ない。火と水が使えて、朝尊がインスタントコーヒーを買ってきてくれていたからコーヒーは飲める。彼はほんのわずかに微笑んで、僕のことは構わず君が食べたまえ、とだけ言ってくる。
    「でも、お腹すかないの?」
    「……僕は平気だとも。ただ、少しだけ眠らせてもらおうかな」
     古びたソファはひとり掛けとふたり掛けのものが置いてある。僕は朝尊にふたり掛けの方を譲った。それには素直に応じてくれて、眼鏡をはずし朝尊はそのまま僕に背を向けて眠った。
     本当に疲れているのだろう。もしかしたら、僕を助けてくれてから一睡もしていなかったのではないか。そんなことに気付けなかった自分を恥じた。
     朝尊は自分の上着を上に掛けているが、他に何かないだろうかと探してみる。洋箪笥にグレーのストールらしきものがあったのでそれを掛けると、わずかに目が開いたけれど彼は再び寝入った。起こしてしまっては悪いから、僕も静かに過ごすことにした。
     遠くで救急車両のサイレンの音が聞こえる。立ち上がって開いている窓を閉めると、その音はくぐもって小さくなった。窓を閉めるときに外を眺めたけれど、こちら側に来たわけではない。街のどこかで起こる日々の流れのひとつなのだろう。
     ふと、学校はどうなったろうとか、親はどうしているだろうとか、今更ながらに思い出す。僕は死んだことになっているのか、それとも行方不明扱いになっているのか。朝尊の様子から、僕の両親と再会することは叶わないだろうなとぼんやり思った。
     学校に何にも未練などないけれど、ただひとつだけ、幼馴染とまともに挨拶しなかったことだけは後悔している。あの時は早く帰りたくて、どうせ明日も学校で会うからと淡泊に返してしまった。後悔先に立たずとはよく言う。僕もそんなことを思う日が来るなんて。親しい人ともう会えないのだろうなと思うと、これほどまでに寂しいものなのだ。朝食のパンを食べ、すっかり冷めてしまったインスタントコーヒーを飲んで、しばらく考え事をしていたが、僕も瞼が重たくなってきた。後で片付けようと僕は眠気の来るままにうとうとし始めた。

    『嫌なら嫌と言っていいんだ。ただのエゴだ、こんなのは』
     聞いたことのない声が聞こえた気がした。自分が本当に眠っているのかどうなのか分からないような状態だ。僕が座っているソファの後ろに誰かがいる。足音が聞こえた。底の厚めの靴が床に当たるような重厚な音だ。そして、背もたれに誰かが寄りかかって沈むような感覚がある。ソファは体重を受け、ギギとわずかに唸る。それだけではなく衣擦れの音も聞こえてきた。
     貴方は誰と聞きたかった。けれど声は出ない。ほんのわずかな沈黙ののち、再び声が聞こえる。
    『きっと遠からず選択する時がくる。その時は自分の心に従いなさい』
     誰もお前さんを責めやしないよ、と優しく声をかけられた。落ち着きのある声だ。朝尊とはまた違う落ち着き方とでもいうのだろうか。余裕すら感じられた。ほんの少しだけ、瞼を開けられた。それ以外は金縛りのように全く動くこともできない。僕に話しかけた誰かは、僕の隣にいる。赤いスカーフがひらりと視界をかすめた気がした。
     はっとして飛び起きる。すぐさま横を見たけれど、隣には誰もいなかった。背もたれにも体温のひとつも残っていない。夢にしてははっきりとしているが、現実にしては朧げ過ぎる。
     窓の外を見た。太陽はまだ真上には来ていないから、一時間も経っていないだろう。金縛りはいつもなら怖いものだけれど、不思議と怖くはなかった。聞いたことのない声だった。朝尊を知っているような、そんな雰囲気だった。分からない。文字通り白昼夢を見たのだ、僕は。
     静かに朝尊に近寄る。彼は深く寝入っているようだった。彼が起きたら少し聞いてみようか、と思案する。でもなんと聞けばいいのかわからない。
     僕は気持ちを切り替えようと簡易な台所へと足を向けた。朝尊は要らないというかもしれないけれど、少し多く作ったから一緒にどうだろう、と誘ってみようか。朝尊はお米を買ってきている。インスタントの味噌汁も袋の底にあった。僕に気を遣ってくれているのだろう。なるべく音を立てないように再び戸棚を漁ると、フライパンは出てきた。やったことはないけれど、確かフライパンでもお米は炊けたはずだ。
    「そうだ、お米は少量で炊くと失敗するから少し多く炊いてしまった、悪くなるから一緒に食べよう……だ。これでいいんじゃないかな」
     言い訳もほどほどに、僕は昼食を作り始める。とはいっても、あるのはお米だ。白米と味噌汁という昼食となるけれど、お米を食べるのはひどく久しぶりな気がした。
     今度、朝尊が外に出るとき、僕も一緒に出掛けてもよいか聞いてみよう。駄目と言われたら、これがあると嬉しいと買い物を頼んでしまってもよいだろうか。味噌汁の器はどう考えても見当たらなかったので、紙コップだ。お湯は小さなやかんで沸かせばいい。
     もし、ここから出るとしても、すぐに食べられるものもあったほうがいいだろう。僕なりに準備をしておかなくては。そんなことを考えながら、僕は米を洗った。

     朝尊が起きだしたので、用意していた言い訳で昼食に誘えば、一緒にご飯を食べてくれることになった。ただ、少し食べ辛そうにしているので、白米が固すぎたのかなと思案する。
    「食事をとるのは久しぶりで、すまないね、まずいとかそう言うことではないのだが」
     僕の様子から何かを察したのか、朝尊は言う。やはり五日間、絶食状態だったということだろう。僕が見ていないところで食べていたとか、そういうことではなかったということだ。
    「まだお米残っているし、夜はおかゆでも作れるよ」
     僕の提案に朝尊は小さく首を横に振り、大丈夫だといった。食事をとった後、何と言えばいいのだろうか、朝尊の存在感というと語弊があるかもしれない。かすかにぼんやりしていた彼の気配がはっきりした、とでもいうべきだろうか。そこにいる、ということがなんとなくわかるようになった気がした。
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