ぜったいにやらないはフラグ ガシャン、という耳障りな音にびくりと肩を震わせた。振り返るとロマニがマグカップを落として割っていた。しかも中身入りだ。コーヒーは床にぶちまけられ、白いスラックスにはコーヒー染みが広がっていて、靴にも掛かった形跡がある。
「寝ぼけ過ぎだろ」
「返す言葉もございません」
しょもしょもという擬音が相応しいほどに、彼はしょぼくれている。水気のあるものと割れたものの掃除というのは結構面倒だ。高杉はロマニに着替えてこいと言ってその場を離れさせた。手を切られても面倒だし、染みには早い段階で手を打った方がいいからだ。とぼとぼと歩いていくロマニの背に「ちゃんと洗えよ」と声を投げかける。聞こえたかどうかは分からない。
高杉はため息を吐いて手袋を取り、大きい破片を拾う。
「はあ、絶対こんなことしないぞ、僕なら」
――そのはずだったのだが。
数日後の朝、高杉は非常に眠かった。理由は明白で、少々夜更かしをしてしまったことが原因である。寝る前に工具箱の整理と道具の手入れを始めてしまったのが間違いだった。
起床した時点で全く眠気が取れず、まずいなと感じた高杉はコーヒーを飲もうとした。食堂まで行くまでもない。自室にあるインスタントコーヒーをチタン製の二重構造タンブラーに入れ、電気ケトルで湯を沸かそうとしたが、肝心の水を切らしていた。ため息を吐いて近くの給湯室まで行き、ぼんやりしたまま湯をいれようとする。だが、シンクの縁にタンブラーが引っかかったのか、タンブラーはひっくり返りそうになる。手から落ちそうになったそれを掴みなおそうとして、余計に弾き飛ばし――……。
ハイスピードカメラで撮影でもしているのかと思うほど、鮮明に、克明に、タンブラーが床に落ちていくまでの様子が目に焼き付く。高杉の眠気は一気に吹き飛んだが全く動けなかった。
ガイン、と響くような金属特有の落下音とわんわんと回転する音で、通常の速度での認識に戻った。どくどく、と脈を打つ音が耳の奥で聞こえ、無意識に「ウッ……うわァッ……ワアッ」などという意味のない言葉を発した。そして、どうにもできないものを何とかしようと無駄にわたわたと動揺する。
こつん、と背後で足音。高杉は振り返るとそこにはロマニが立っていた。彼は手に新調したらしいマグカップを持って、高杉の様子を見ている。どこから見ていたと問うまでもなく、彼は柔和な表情を浮かべると「フッ……」と笑った。
大丈夫、人間だものね、君は失敗しないと言っていたけれどやっぱりするよね、という声が聞こえてくるようだ。
「ア……ウウッ、ち、違う! 」
高杉は精一杯声をだした。
「君は液体! 僕は粉末だろうが! 」
君と同じことなどしていないだろっ、という負け惜しみの声が、爽やかな朝に響き渡った。