ブルー・トゥー・スユー(0)電車の外の景色は、いつだって真っ白な空だった。
どこからが雲か、どこまでが空か分からない背景と、そこら中に建てられた都会の景色。そのどれもを見渡しても、色らしい色はついていない。確かに、彩度の低い赤や青はある。あちらこちらについている信号機が機能していないというわけではない。周りの人を見渡しても、身に纏う衣装のワンポイントに色がついていたりしている。ただ、全体的に見渡してみると、ここは随分と白と黒が多い世界だなと俺は身に染みて感じる。ここは「コード240」と周りの人が勝手に名付けた、いわゆるあの世とこの世の狭間みたいな場所と言うべき世界である。だが決して死して時が経たない者がここへやって来る訳ではなく、死して時が経ちもう生まれ変わることをしないと決断した者だけが立ち入ることを許可されている場所で、天国で何かしらの活動していた者と地獄で更生した者が交わりながら暮らしていると最初に全てを司る神は教えてくださった。ちなみに名前の由来としては決して詳しくはないが、この世界で1番高い建物240mあることと、その建物が音楽の聖地となっていることから段々とその名前が定着していったらしい。
「先生、マジ分かんないんですけど」
ここまで解説し一息ついたところで、俺が受け持つギャルのような長すぎる黒いネイルとふわふわと巻いた髪をなびかせている女子生徒が眉を下げながら笑いながらそう言った。俺はこの世界に来たばかりではたとせを迎えるまでに死を迎えた者の「学校の先生」としてこの教壇に今立っている。生徒は彼女を含めて3人とかなり少人数ではあるが、全員が仲良く過ごしていると俺は思っている。
「んでよ、結局なんだ?コード240しかメモってねえんだけど」
そのギャルのような生徒が俺を指差す間に、眼鏡をかけ一見真面目そうに見えるが実際はメモを取るのがとんでもなく下手で、頬ににっこりマークのペイントを趣味でつけている男子生徒が指をこつこつと軽く叩きながら苦笑いする。彼は19歳で死を迎え、現在も生徒全員が生きていることが出来れば最年長であるため、多少子供らしい面もあるがやれば出来る子だと俺は思っている。
「まあたそれしか、僕のノート貸してあげるから、ね。」
この中のまとめ役を任されているが実は最年少であり、男性か女性か分からないような見た目をしている中性的な女子生徒がノートをそっと見せながらいつものように対応する姿を見て感心する。彼女は生きていれば13歳であり天国へ訪れた時期も一番遅いが、驚くような慣れの速さで周囲と上手く馴染めているようだった。
「そんなことよりトバネ先生、恋バナしようよ」
授業開始から大分時間が経っているからなのか、授業に飽きてしまったギャルの女子生徒こと「ココ」が自身の髪を遊ぶように弄りながらそう言う。案の定、時計を見れば授業開始から既に1時間が経過していた。
コード240の学校にはチャイムなどはない上、かといって教えることも少ない。なぜなら、コード240の学校の本来の目的は「この世界の人間と仲良くする」みたいな、そんなことであるからだ。もちろん、生きていた時に何をしたかなどそんなことを判断基準にされて仲良く出来ないかもしれないが、それが神の願いであるなら、俺はこの身尽きるまで従おうと思ったのだ。
「恋バナいいじゃん、俺メンドイよもう」
恋バナという明るい話題を聞いて盛り上がるようにココを見つめるのはメモを取るのが苦手な生徒こと「ノベル」であった。ノベルは頑張って取っていたメモが書いてあるノートをパッと閉じすぐさまにココの席へ近づいては、はああと大きい溜息をついた。
「全く、仕方ない奴らだな」
そっと見せていたノートを閉じて苦笑いを浮かべたのは「シャルロット」である。シャルロットはどこかで見たような雲形にアレンジされた携帯のようなものをポチポチと触れて、何をスワイプして口角を上げている様子だった。
···ああ、ここまで来たらもう授業どころの話じゃない。そう確信した俺は薄々嫌な予感もしながら、恋バナとやらに付き合うことにした。
「はい先生、すきなひと」
まず会話を切り出したのはココだった。彼女の少しだけ無気力に近い口調と仕草からはギャップとやらが生まれてしまうような直球なデッキには毎度驚いてしまう。ココはそう言いながら俺が先程立っていた教壇に立ち、もうそろそろ使えなくなるような小さいチョークを取り出して大きく「1、好きな人」と書いた。シャルロットが小声で大きさを指摘すれば、便乗してノベルが大声で大きさを指摘して。その様子に少し怒りが湧いている様子だったが、沸点には達しなかったようで俺の目を上目遣いで見ながら俺の返事を待っている様子だった。
「好きな人なら居るよ」
学生が求める理想的な回答をしたところで、シャルロットは意外だと感じる反応であったが、他2人は歓声を沸かせてこちらをうっとりするような表情で見つめていた。数秒後に我に返ったココが、また小さなチョークを取り出して今度は少しだけ小さく「先生は好きな人が居る」と、これもあまりに直球な文章を残して俺はひっそりこれが周辺の者に晒されなければいいがという無駄な杞憂を浮かべるしかなかったのだった。
実際、俺には好きな人がいる。だが、もう会えないと思っている。なぜなら、その好きな人はまだ生きているはずなのだから。
心中なんてしなかった。心中なんてする関係では決してなかった。ただ、同じ会社の先輩と後輩という関係だっただけ。恋バナとやらをしていると、妙に思い出されるあの記憶。先輩を庇って車に撥ねられたあの日。どうして、あんなに素早く先輩を生きる道へと導くことが出来たのかは俺もよく分からない。ただ、先輩が好きだったから、あまりにも好きだったから、助けることが本望だったから。それだけだったと思う。···死ぬとは、思ってなかったが。
「先生、どったよ」
俺もしばらく考えすぎていたのか、ノベルのその一言によりはっと我に返る。「好きな人のこと考えてた」なんてココからいじられてしまいながら、また、密かに口角を上げているシャルロットを見ているのもこれまた良いことだと実感する。
好きな人のことなど、忘れなければならない。俺は死んでしまったのだから。今はこの3人との幸せな時間があれば、それで良いのだ。···本気で、そう思う。
この数日後に、彼女がこの世界···「コード240」へ来ることを、俺はまだ知らなかったのだ。