貴方のことを想って。2月14日
今日まではただの日にちだった。
知らないうちに過ぎ去ってバレンタインというのも自分には一生無関係だと思っていた。
だが人生なにが起こるか分からない。
風鈴に来て色んなことを知って葛藤して…人との付き合い方なんてとうの昔に諦めていたというのに。
いつの間にか桜の周りには溢れんばかりの人と温かな気持ちで囲まれていた。
そしてその中でもより一層大切でかけがえのない存在。
「仲間」よりも無縁だと思っていた恋人の楡井と肩を並べて歩いていた。
いつもはあれやそれやと色んな話をしている楡井だが今は緊張しているのかソワソワと周りを見渡している。
かく言う桜も口を尖らし赤い顔で楡井から目を逸らしていた。
事の発端は数十分前。
見回りもなくさぁ、帰ろうとした所で楡井に呼び止められた。
「さ、ささ桜さん…今日、お家にお邪魔しても……いいでしょうか…?」
いつもは取材とやらがあればグイグイと来るというのに今は制服にシワが寄ってしまうんではないかというほど握りしめ微かに震えている。
何を改まって…とは思うが思い当たる節は一つある。というかなんだったら桜もそれが目的で声を掛けようとしていたがなんだかんだタイミングが掴めずにいたのだ。
「お、う…いいけど…」
そう返事するとパァァ!と表情が明るくなる。
そして早く帰りましょう!と言って手を引かれ今に至る。
気まづくはない。ただとてもむず痒い。
耐えられず足を早めると待ってくださいっす〜!と小走りになる足音が聞こえた。
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漸く家に着き部屋に入るとさっさと学ランとズボンを脱いでハンガーにかけると後から入ってきた楡井が悲鳴を上げた。
「ぎゃーー桜さんっカーテン閉めてくださいよ」
「あ別に家だからいいじゃねぇか!」
「ダメですよ外から見えちゃうんですよ」
もーと慌ててカーテンを閉めると深くため息をついた。
危機感…と呟いていたが変なやつがいても殴ればいいと返せばそういう問題じゃないっすと叫ばれた。
「いいっすか世の中そういうのに興奮する輩も居るんすよそんなのに桜さんが目をつけられるかもしれないって思うと俺気が気じゃないんすよだからせめて鍵とカーテンは!」
「分かった!分かったから気ぃつけるよ…それより…これ、やる。」
こうなってしまっては楡井は止まらない。
そうなれば渡すタイミングを失ってしまう気がして勢いのままテーブルに置いていた箱を楡井に渡した。
「これ…もしかして…」
「キャラメル…。こ、とはに…色々教えてもらって…渡す食いもんによって意味、あんだろ?…それが一番…合ってるって思って…安心出来る、存在っての……」
顔を背けている桜の顔は髪に隠れて見えないが唯一見えている耳と首が林檎のように真っ赤だった。
桜からの贈り物、それだけでもかなり嬉しいのに更に意味までもちゃんと考えて選んでくれた事に嬉しさが溢れて泣きそうになる楡井。
でも泣くのはまだ早い。
俺からも、と差し出したのはバームクーヘン。それも丸々輪切りのが1つ。
箱も大きいもんで隠すのが大変だったがお互い緊張していて桜には気づかれていなかった。
デカくね?と素直な感想にそッスね。でもちゃんと意味があるんすよ。と返す。
「幸せが長く重なり続きますようにって意味があるんすよ。
桜さん自身の幸せは勿論ですが…俺、桜さんとお付き合い出来て本当に…本当に毎日が凄く幸せなんです…。
だから、この幸せがこれからも長く長く続いて欲しいなって…。」
恥ずかしそうに染まった頬を人差し指で掻きながら笑う楡井に負けないぐらい真っ赤になり、言葉が出ない桜。
顔を背けやっと出た言葉は あり、がとう…
背けてもさっきよりも赤く染った耳や首、指先までもが愛おしい。
「さーくらさん」
桜を呼ぶと赤い顔の桜と目が合う。
そしてニコッと笑うと口、開けてください。とお願いされた。
戸惑いながらも口を開けると入ってきたのは1口サイズに千切られたバームクーヘン
程よい甘さが広がりホロホロと崩れていく。
「ここの美味しいんですよ。また、一緒に食べましょうね。」
楡井の言葉に頷くと桜もキャラメルの袋を開けて1粒取り出す。
ん、と顔は逸らしたまま指先で挟み差し出す。
ポカン、と惚けていると目線だけは楡井に向けられく、食わねぇのかよ…と言われる。
その言葉にハッとして頂きます!と桜の指先からキャラメルを口の中へと招いた。
広がる甘さに自然と口元が緩くなる。
そんな楡井を見て桜も同じように口角を上げる。
そんな美味いんだな、ともう1粒手に取ろうとした桜の手を握ると反射でこちらを向いた桜に口付ける。
ふわりと鼻を擽るキャラメルの匂いと微かな甘み。
離れるとふにゃっとした笑顔を浮かべ
「はい。とても美味しいです。」
と返す楡井。
やっと少し収まったと思った顔の火照りがぶり返し火が出るほど熱くなる。
咄嗟に出そうになる大声をグッと堪え、五月蝿い心臓も見て見ぬふりをして、楡井のシャツを引っ張ると自分からキスをする。
「足り、ねぇ…」
蚊の鳴くような声で言った言葉はどうやら鼻先が触れ合うほど近い相手には伝わったようで次は楡井が再度顔を赤くする番の様だ。
「もう…そんな煽らないでくださいよ…」
「煽ってねぇ…」
目線を合わせればふふ、と一緒に笑い合う。
「好きです、桜さん」
「ん、俺も…」
2度目の口付けはさっきよりも深くて甘くて癖になりそうで。
部屋にこれから響くであろう桜の声も負けないぐらいの甘さだろうと確信しながら甘ったるい香りと味に溺れていった。
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