焼き立てのナッツ 祝日のマーケットの人混みでも、キミの姿は見つけやすい。遠くからもよく見える大きな身体はもちろん、その仕草や雰囲気が目印になる。多分、数キロ離れた先でだって、おれはちゃんとキミを見分けられる自信がある。
「デグダス!」
しかしマーケットに並ぶ露店の一ブロック先から声をかけても、キミは気付かなかった。人出が多すぎて、ちょっとやそっとの声じゃ飲まれてしまう。それにキミはなにやらワタワタと慌てていて、目の前のものに集中しているようだ。
待ち合わせの時間には早い。約束した場所でもない。でももう自分の買物は済ませてしまったし、何よりキミを見つけてしまったし。だから人混みをかき分けて、キミのところへ向かう。
「デグダス」
「わ! 熱っ!」
すぐ後ろから声をかけると、キミはびっくりして振り返った。そしてどうやらうっかりして、手に持っていた小さな紙袋をお手玉した。
「危ない!」
とキミが叫ぶ。確かに、お手玉から投げ出されて宙に浮かんだ袋が危ない。おれも慌ててそれを掴む。中身、なんだろう? 冬の午前の空気の中で、人混みの白い息に混じって、その袋の口からもほんのり白い湯気が漂っている。
袋の口から――そう、紙袋の口が開いている。まずいことにおれが掴んだのはその袋のおしりの方。袋は無事だ。だけど中身がザラリと袋の中を滑る感触があって、一粒、ぽろりとこぼれて飛んだ。
「危ない!」
とキミの二度目の叫び。おれはもう片方の手でこぼれた一粒を追いかけた。けどキミの手の方が一瞬早く、その一粒を空中で掴んでいる。
「熱い!」
掴んだ瞬間、キミは両目をぎゅっと閉じて、まるで冷水を浴びせられたかのように大きく震えた。
実際はその逆だったわけだが。
「デグダス、大丈夫か!?」
「ウウッ。おれは大丈夫だ。しかしその豆はまだ熱いから気をつけろ!」
熱い熱いと言いながら、人混みの邪魔にならないように控えめにジタバタしている。かわいい……と思っても口に出してしまっては非情かもしれない。
しかしともかく、紙袋に詰められたローストしたてのナッツは、一粒を除いてなんとか無事だ。
「一粒くらい、鳥にくれてやってもよかったんじゃないか」
「いやいや! だってグランツの手に当たるところだったぞ」
「おれはグローブをしてるから平気だぜ」
「あっ」
と気付いて、キミは目を丸くした。寒い日のキミの頬は血色のいい赤色だ。それがもっと赤くなって、照れ隠しにニコニコと笑った。
「ありがとう、デグダス」
「うん。そうだ、これは出来立てがうまいんだ」
照れ隠しの笑顔のキミが開いた手の上に、大ぶりのナッツが乗っている。キミの握力でちょっと欠けてしまっているが、茶色いキャラメル色。香りもキャラメル、それとスパイスが混じっている。欠けた断面は乳白色だ。
「もらってもいいかい?」
「もちろん! 出来立て、だ!」
そういえば近くに、大きな鍋でナッツをローストしている露店がある。カラカラという小気味の良い音と、キャラメルやスパイスの香りが客を引き寄せているらしく、この付近は他のブロックよりもずっと混雑している。
グローブを取って、キミの手のひらからナッツをつまむ。ちょうどよく冷めたようで、ほんのり温かい。手のひらの真ん中がほんのり赤くなっちゃってるキミの手のひらのおかげだ。
口の中に放り込んだら、思ったとおりに甘くて香ばしかった。それに鼻に抜けるスパイスがヒリヒリするほど香り高く、身体の内側から暖かくなる。
「どうだ? おいしいだろう?」
「ああ。でもこれは、後でキスをしたら大変なことになりそうだな」
と、言いつつ癖になる味で、指についたキャラメルとスパイスを思わず舐めた。ちょっと行儀が悪いけれど。
「そうなのか?」
「キミも舐めてみたらわかる」
「フーム」
首を傾げていたキミは、次の瞬間にはおれの手を取って、しゃがむように顔を近づけていた。そして指先に残ったキャラメルをペロッと舐める。
「あっはっはっはっは! くすぐったい!」
舐めるならキミ自身の手のひらを、というつもりだったんだが。キミのうっかりで約得だ。
不意打ちで大声を出してしまった。でもこのあたりの客はみんな露店の鍋の中のナッツに夢中で、特に目立ってもいないようだ。