本物の蛙 外から窓を叩く勢いだけは次第に強くなっている。一応やってる方はわきまえてるつもりらしく、そよ風程度の揺れで留まってはいる。だけど鬱陶しい。
こっちは仕事中なんだ。相手にしてる暇なんかないってそこから見てればあのバカにだってわかりそうなものじゃないか。バカはバカだけどそこまでのバカじゃないってこっちとしては信じたいものだけど、こっちが仕事で相手できないことをわかっていながらアレをやってるとしたら余計に腹が立つし、むしろただのバカであってくれたほうがマシかもしれない。
どうせ大した用事でもないくせに。目を合わせたくもない。だけどさっさと帰ってくれたかどうかは気になる。
今日の実験の注意点を板書しながら、横目で素早く窓の方を見る――生徒には怪しまれないように。
あれ? いない。窓も揺れていない。さっきまでのあの鬱陶しい奴は? まさかボクの見間違いや気の所為だった、ってハズは――なんて訝しんでいると、窓の上からたらりと赤く長い舌だけが垂れてきた。
「ブッ」
してやられた。まんまと吹き出してしまった。窓の外にあの蛙の舌が見えたってだけなのに。
「せんせー、どうかしたんですか?」
「なあなあ今のオナラ?」
「先生がそんなことするわけないでしょ!」
しまったな。生徒たちに騒ぐ餌を与えてしまった。別にアレに笑わされたこと自体はどうだっていいんだけど、子供たちは笑い始めると長い。教師を揶揄する冗談を言ってゲラゲラ笑っている男子と、逆に静かにさせようとして躍起になってる女子の対立で余計に騒ぎが大きくなるし。
「はいはい静かに。この説明が終わらないと実験が始められないから」
「先生! オナラなんかじゃないですよね?」
クラスでも真面目な女子が手を上げて大きな声で発言する。やれやれ、と呆れはするものの、小学生にとってはそういうことが重要な問題だということは理解している。
「まさか」
そしてムキになって否定してはいけない。サラリと流す。でないと小学生はもっと騒ぐ。
窓の上から蛙の本体が降りてきて、先に垂らした舌で校舎のどこかにぶら下がりながら腹を抱えて笑っている姿が、視界の端に見えた。わざわざ曲芸みたいなマネをしている意味がわからない。滑稽なのはそっちの方だ。
いや、ムキになっちゃいけない。
「ちょっとおもしろい実験のことを思い出したんだよ。昔授業で蛙の解剖をしたときのね……」
ギャーッと生徒たちが一斉に叫んだ。今度は別の話題で大騒ぎだ。最近の子供たちは生々しい話に弱くていけない。本物の蛙を見たことがないとまで言う子も時々いるし。
その本物の蛙は今そこの窓に張り付いて苦い顔をしているよ。人間には見えちゃいないけど。
【了】