俺を見下ろす目がギラついていた。奇跡の生還を果たして以来、俺の忘れられない相棒の色を纏ったその瞳。普段は穏やかで、言葉なくとも真摯に愛を告げるその目がまるで獣のようだ。
いや、目だけではない。今にも暴れ出しそうな体を必死で押さえつけているような、力んだ体は呼吸が荒い。フーッ、フーッ、と食いしばる歯の間から漏れる呼吸も獣のそれで、はたしてこれは本当に興奮なのかと疑ってしまう。
もう一人の、であり、たった一人の、でもある相棒のスミスと俺はこの度正式に心を交わし合った。切なげな視線を寄越して「好きだ」と告げる男に「俺も好きだ」と伝えられた喜び。嬉しくて泣きたくなるというのはこういう事を言うのかと、滲む涙をスミスに拭われながら深く思ったものだ。
それがあるかないかは人それぞれなのだろうが、スミスも俺も恋心の先に性欲を持っていた。俺はスミスに抱かれたいと思っていたし、スミスは俺を抱きたいと言ってくれて、ポジショニングは想像以上にすんなりと決まった。スミスは「君の澄ました顔が乱れるところをずっと見たいと思っていたんだ」と言って、俺は「俺はあんたが欲望剥き出しの顔をするところが見たいと思っていた」と言った。
そんな風にあっさり決まったものだから、押し倒されるのも早かった。優しくするから、と一言付け加えたスミスは確かに、その瞬間までは優しさを体現したような男だった。
ところがどうだ、覆いかぶさった途端にスミスの顔色が変わった。確かに俺は欲望剥き出しの顔が見たいと言ったけれど、これは想像していなかった。多分スミス自身、自分がそんな有様になるとは思っていなかったのだろう、舌打ちが一回、口汚く「damn!」と呟くのが一回。俺の真横に囲うように立てられた腕には力が籠りすぎて血管が浮いているし、握り締められたシーツは今にも千切れてしまいそうだ。
流石にこれは、一度仕切り直した方がいいのではないだろうか。俺としては今すぐスミスに抱かれてもやぶさかではないが、このままではスミスの方が色々と後から反省しそうな気がして。
だから、一回落ち着こうぜと宥めるつもりで身を起こそうとした、その時だ。
パタ、と俺の頬に熱い何かが降ってきた。スミスはケダモノみたいになっていたから、てっきり涎でも降ってきたのかと思ったのだ。何気なしに指で拭ってみて驚いた。俺の指先にべっとりと付着したものは涎などではなく、血だったから。
俺は喉の奥で悲鳴を上げて慌てて顔を上げた。そしたら、こめかみにまで血管を浮かせたスミスの鼻からだらだらと血が流れていたからもう一度悲鳴。声にはならなかったけれどびくりと肩が跳ね上がった。
興奮のあまり鼻血が出るなんてフィクションの中だけだと思っていた。スミスは見るからに頭に血が上りすぎている。
「おい、スミス!」
急いで声をかけて肩を押したら、スミスは剣呑な表情で眉を寄せた。こんな顔が出来るなんて知らなかったから、ちょっとだけ怖くて、ちょっとだけドキドキする。
「お前、鼻……」
「あぁ、」
そこまで言えばスミスもようやく自分が出血していることに気が付いたのだろう。唇に垂れるそれを煩わしそうに舌で舐め上げて、鉄臭さにいかにも不味そうな顔をする。
「いいから、ティッシュ」
取ってやろうと思ってスミスの肩をぐいっと押した。けれどビクともしない。そう言えばさっきも肩を押したのにスミスは微動だにしていなかった。おい、なんだよ、いいからさっさと退けともう一度肩を押したら、スミスはうざったそうに手の甲で鼻を拭うとずいっと俺に顔を近づけてきた。
「ス、スミス……?」
皮膚に吸水性などほとんだないんだ、ましてや血なら尚のこと吸わない。手の甲で拭われた血はスミスの頬まで掠れて伸びただけで、全然拭けてないし、出血も止まっていない。
なのにどうして顔を近づける。俺はとっくに答えに気が付いていたけれど、体が動かなかった。
……いや、多分、俺も、動く気がなかったのだと思う。翳って深く見えるエメラルドグリーンに絡めとられて、スミスの興奮が移ってしまったから。ばくんと唇を食われて、歓喜に腰が震えたのがいい証拠。
スミスを愛するまで恋なんてしたことのなかった俺にとって、これがファーストキス。別にキスがレモン味だと思ったことはなかったけれど、まさかファーストキスが血の味になるとは思っていなかった。このことは一生忘れないだろうな。
口の中を嬲るみたいに動き回る舌に懸命に応えながら考える。あとで血の垂れるスミスの鼻を舐めて啜ってやりたい。
そんなことを考える俺もきっとケダモノだ、お似合いカップルってやつだろう。