「キスの日」から細々と書いてたシュロマカ的なアレ「あーもー、またこの意味わかんない部屋かよくっそ! 今度はなに……な……えええ……」
『意味わかんない部屋』にまたしても唐突に飛ばされた僕……シュローツェは、テーブルの上に置かれていた紙を勢いよく手にして、それから弱気そうな声で口元を押さえたマカリーを、少し遠くから見ていた。
「…………今度は、何?」
静かに聞いて首を傾げる僕を見たマカリーは明らかにうろたえて、茶色の眉を眼鏡越しに下げて、テーブルに紙を置き後ずさって。
「キ、キス……しろって……5分……」
ほぼ部屋の両端くらいに離れてるのに、マカリーはそう言った口元を、かたくなに掌で覆い隠していた。
僕がマカリーと距離を取っている理由は、5日前、最初の『意味わかんない部屋』……『一時間ハグしないと出られない部屋』の条件をクリアした事から始まる。
その軟禁部屋を脱出してから、僕はなぜかマカリーに徹底して避けられていた。
キッチンで隣に立ったり、並んで歩くといった、今までは普通だった距離でいつも後ずさられている。
あの部屋の一件でなにか嫌われるような事をしたのだろうかと落ち込んだものの……それ以外の言動や反応は、僕が見た限りではいつもどおりのマカリーだった。
料理が美味しいと笑ってくれるのも、探索の話を楽しそうに聞いて「すごいじゃんシュローツェ」と褒めてくれるのも、何も変わらなくて。
(嫌われてはいなさそうだけど、物理的な距離は取られてるって、どういうことだろう)
僕としては……、できることならもっとマカリーの近くにいたいし、あわよくばまたマカリーとハグできたら嬉しいと……願って、いるんだけど……。
(……いや、もしかすると……僕がそんな願いを持っていること自体が、マカリーにとっては気持ち悪いのかも)
マカリーが僕を避けるのは、僕の邪念を察した結果なのかもしれない。
そう思って、この数日は距離を詰めることはしないできたけれど。
(けど、その条件のクリアは、離れていたら不可能だ)
そう思って内心嬉しく思った自分自身を恥じつつも、僕は青い瞳を床に向けて口元を覆ったままのマカリーに聞いた。
「……なら、そばに行ってもいい?」
きっと、こんなこと聞かずに黙って近寄って追い詰めて強引にクリアするって選択肢もある状況……だとは、思う。
けれど僕は、どうしてもマカリーの了承を得たかった。
(いい、って聞けたら、一方的じゃなくて、マカリーと共犯になれる)
それは、こんな状況下に置かれてしまったが故の仮初めであっても……両想いにほんの少しだけ近いもののような、気がして。
だから、いいって言って、頷いてほしい。
「い、いい、けど……」
僕の勝手な願いが通じたのか、マカリーは気が進まなさそうに頷いて、僕の方へ歩いてきた。
頷いてくれたのは嬉しいけれど、やはり僕とキスするのは嫌なのか、と落胆も同時に覚えながら、僕もマカリーの方へと近寄る。
この前ハグした時と似た位置と距離で相対して、お互いの目を合わせて、マカリーは青い瞳を揺らせてたじろいだ。
いつも明るく快活に笑ってくれる薄桜色のうっすら開いた唇がすこし震えて、ひどく艶やかに目に映る。
心臓を甘やかに締め付けられるような感覚と、思考が塗りつぶされるほど高鳴る鼓動が、息苦しいけど心地良い。
はやく触れたいのに、距離を詰めるのが何故か怖くて、くらくらする。
目の前のマカリーのことしか考えられないこの状態が、僕はひどく幸せだった。
(……贅沢を言うなら、こんな困惑した表情をさせてるんじゃなくて、幸せそうに笑って貰えてたら良かったな……)
そこは残念に思いながら、「……じゃあ……、早く、済ませよう」と、僕はぼそりと言い訳だけを唱えて。
本当は「じゃあ」でも「早く済ませたい」訳でもない。
マカリーとキスできるなら、したい。
……それだけ、なんて、きっと知られちゃいけないことだけど。
マカリーの頬にそっと指先で触れると、びくっとしたマカリーは、弾かれたみたいに右手を振り上げて。
「っ、んむ……!?」
突然その掌で僕は口を塞がれた。
「お、俺っ……! こんなクソ部屋の指示なんかでシュローツェとキスしたくないっ!!」
切羽詰まったように、マカリーは僕を見上げて叫ぶ。
(…………え、ええと……これは……拒否のはず、だけど……)
言動は確かにそのはずなのに、マカリーの青い瞳が雨に濡れた紫陽花みたいで、僕は思わず見惚れてしまう。
永遠みたいな一瞬のあと、かちり、と唐突に前回と同じカウント音が部屋に響いた。
「ーーっ!? え、何でっ!?」
「……む」
……そういうことか。
驚いて僕の口元から離れそうになったマカリーの手の甲の上に、僕はそっと左手を重ねて、とんとんと指先で軽く叩く。
すぐに、あ、と目を見張って声を上げたマカリーに、僕は幾度とない感嘆をまた覚えた。
「もしかして『手にキスしてるからOK』って……こと……?」
手が外れない程度に小さく頷いた僕を見つめ返す青い瞳は、ほっとしているようにも、なぜか少し残念そうにも見える。
(……いや、残念なのは……たぶん僕の錯覚だ)
ふっと息をついたその唇に、本当は触れたかった。
カウントを認識しなければ、5分間もキスできてたのかも知れない……そう、こんな風に。
僕は目を閉じて、マカリーの掌に唇を寄せた。
「……っ!」
息を呑んだ気配がしたけど、身じろいだだけで掌は優しく覆われたままだったから、僕は多分キスできてたらこうしてた、という口付けを何度も掌に落とす。
角度や位置を変えてもカウントは途切れず続いていたから、唇のどこかが触れていれば大丈夫なのかな……と思った瞬間、左手の甲に柔らかい感触がちょんと触れて、どきりとして僕は目を開けた。
見つかった、みたいな表情で頬を染めて眉を下げたマカリーが、僕を見上げて。
「……お、俺ばっか貰ってんの、わ、悪いし……っ」
と、分かるようなよく分からないような言葉を口にして、マカリーは僕の左手の甲にキスをした。
(……え、さ、さっきの……これ……!?)
ついばむように僕の手の甲に何度も唇を重ねるマカリーに、僕もマカリーの掌に口付けを返す。
掌二枚越しにキスしているような不思議な感覚に夢中になっているうちに5分が経過したようで、カウント音が止まり、代わりに、かちりとドアの鍵が外れる音がした。
お互いの手をどけて、お互いに呼吸が荒くて、お互い視線を絡めたままで。
「……キス、して……いい……?」
呼吸の隙間で僕がそう聞くと、マカリーは躊躇わずに頷いて。
「俺も、したい」
そう言って、僕等はどちらからともなくお互いの唇を重ねた。