亡い人への恋文 初めてキミにあげたプレゼントを覚えてる。
駅前の花屋で似合うだろうと思って買った白色のチューリップの一輪花を、キミがやさしく握りしめていた光景。今はもう掠れてしまってよく思い出せない。
こんなことを書いたらきっと傷つけてしまうのだけど、思えば僕は、キミをろくに覚えていない。
ブラウンのマスカラとアイラインと、手入れしていないひび割れた唇と、少し生え際の伸びた三つ編み。
キミがそういう人だったことは覚えているけれど、思い浮かぶのは情報ばかり。キミの笑顔の一つも柄ケーで撮った写真よりもおぼろげにしか見つからない。
ほとんどの人間は最新のiPhoneよりもバカだろうけど、僕はその中でも特別の機械音痴で、大事なものだけいつも失くしてしまってきた。
カメラロールの中のお気に入りだけいつも破損していてバックアップも取れなかった。
三回目のデートの時、駅前のベンチで暖かいドリンクを飲みながら話したよね。
あの時キミが泣いたところを初めて見て、ドリンクよりも熱い涙がチークを溶かして紙マスクを濡らすのに、涙を拭ってあげることさえできなかった。あの日から僕はポケットティッシュを持ち歩くようになった。
泣きながらなんでもないと言い張るキミを見て、僕の心中は雲一つない遣る瀬無さに満ちた。
キミは自分の身の重みを知るという点においてはとても浅はかで、自分を蔑んで傷つけてばかりいて、その上傷ついていることに縋ってそれを支えにするようなどうしようもない人だった。
連休の夜中に泣きながら「薬を過剰服薬してしまって、今になって怖くなった」と電話をかけてくるような。自分の不幸に酔っぱらうくせに、それに圧し潰されそうになっていた。
もうキミは死んでしまって、これ以上死ねないから、僕はこの小さな便せんの中ではキミのことを傷つけたい放題なんだよね。
キミを大事にしなくていいことにホッとしている自分に心底失望し尽くした。
しかし、やっぱり僕はキミの世話を焼いてなきゃダメみたいだ。
キミのことを支えたいって何度も言ったよね。キミが一人の時も泣かずに済むように、僕の慰めがなくても泣きつかれるまで涙を流さずに済むように、そんな毎日を過ごしても、罪悪感に苛まれないような人になれるように。
でも本当の事を言うと僕は、キミを僕なしでは生きていけないように望んでいたんだった。僕だけがずっとキミを守っていてあげたかった。
どうしようもないキミが、本当はまじめで繊細で気が弱いだけのいい子だってことを誰にもキミにも教えずに、僕だけの秘密にしていた。それで、キミを弱らせたまま、キミのヒーローになっていたかった。
雪で濡れた手袋のような重く凍り付く憂鬱を、あの一輪花のリボンと一緒に結んでいたのは僕だった。
キミの泣き顔は見たくなかったけれど、泣いてるキミを慰めながら縋りつかれるあたたかさを何よりも愛しく思ってしまった。
この手紙と一緒に燃やそうと思って、チューリップを買って帰ろうとしたんだ。
キミはもう終わってしまったから、せめて僕の中でのキミの最後は、キミのやさしい手のひらでいさせてほしかったわがままで。
でも、チューリップは売ってなかった。
キミとの最後のトーク履歴はキミからの不在着信で、折り返した時にはもう届かなかった。
手紙は、キミとよく散歩した河原で燃やして灰にする。吸い込まないようにばら撒いて、灰を被って歩いて部屋に帰る。
願わくば、星が巡って、神様が怒っても、閻魔様にさとされても、キミがもうこんな僕がいる世界に生まれ変わりませんように。
僕とキミとは、そういう愛だった。
亡い人への恋文