ラジオVSテレビ 2 新しいホテルの廊下を、エンジェルは憂鬱な気分で歩いていた。最悪なことに、これから仕事なのだ。ホテルに来る前もずっと、こんな仕事辞めてしまいたいと思い続けていたが、ホテルに来てからはその思いがもっと強くなった。
ポルノスターとしてではない、ただのエンジェルを案じてくれるチャーリー。飲み友達でいてくれるハスク。妹を思い出させるニフティ。
このホテルにいる悪魔は、エンジェルの心を楽しくしてくれる者ばかりだった。
だからそこ、仕事への忌避感は募る一方なのだが。
「やめたいなぁ……」
どれだけ嫌でも、契約がある限り逃れられない。エンジェルにできるのは憂鬱をやり過ごすことだけだ。
今日も朝からバーカウンターで飲んだくれている友人に軽く挨拶をして、エンジェルは懐からサングラスを取り出した。気持ちを切り替える為に大きく息を吐く。
面倒事はさっさと片付けて、帰って友人と飲もう。そして思いっきり愚痴を吐いてやるんだ。世話焼きのバーテンダーなら、きっと笑いながら付き合ってくれる。
そう意気込んだエンジェルの前に、突然赤い男が現れる。ホテルマネージャーのアラスターだ。
『エンジェル』
「おわっ な、何、何?」
『少々頼みたいことがあるんです』
「えっ? セックス?」
『違います』
食い気味に否定された。当然、本気ではなかったので肩を竦める。
『私、今からルーシィとデートなんですよ』
「え? ああ、そう。楽しんで」
『どうも。それでお願いなんですが……』
「ちょっと、まだやるとは言ってない。アラスターからの頼み事とか大変そうだし、やりたくないんだけど」
『まさか! とぉーっても簡単なお仕事ですよ』
「……聞くだけ聞いてやるよ」
訝しむエンジェルの前で、アラスターは黄色い歯を剥き出しにして笑った。
*
飛び交う怒声。舞い散る肉片。広がる悲鳴。
──地獄は今日も阿鼻叫喚である。
「……頭痛が痛いみたいな表現になるのか?」
『何です?』
「いや、何でもないよ」
ルシファーは可愛い恋人に力なく笑いかけた。二人の周囲では、グロテスクな光景がこれでもかと繰り広げられている。
それを作り上げているのは、ルシファーの可愛い恋人であるアラスターだ。
(……初デートもこんなだったなぁ……)
ペンタグラムシティの街中。デート中のルシファーは、疲れきった様子で恋人の背中を見守っていた。
ルシファーは久しぶりに生身の状態で街中へ繰り出していた。今まで街に出る時は、騒動にならないよう動物に変身していたのだが、アラスターがこれを拒否したのだ。
『あなた、私とのデートでコソコソするつもりですか?』
「今までもそうだっただろう?」
『恋人になる前の話じゃないですか。まさか、これからもずっとデートの度にそうするつもりだったんですか?』
「まぁ、罪人たちが落ち着くまではそうするつもりだが……」
件の駆除からかなりの月日が経ったというのに、ペンタグラムシティの罪人たちは未だにルシファーへの熱を鎮めていなかった。飽き性な彼らには珍しいことだが、それだけ天使軍の撃退は大きな衝撃だったということだ。
だからルシファーは駆除以降ずっと、生身で街に出かけることができていなかった。アラスターとのデートの時も、いつも蛇の姿に変身して正体を隠していたのだ。
落ち着くまではこの方法を続けようと思っていたのだが……アラスターは呆れた様子でやれやれと首を振った。演技がかった仕草にルシファーは苛立ちを感じる。
『ルーシィ、よく考えてください。──何故、私たちがコソコソしなくてはならないんですか。騒ぐしか脳のない馬鹿の為に、こっそりデート? 冗談じゃない。私たち恋人になったんですよね? 私はあなたと、堂々とデートしたいんです』
「アル……」
『愚物たちが落ち着くまで? それはいつになるんです? 彼らは駆除から数ヶ月経った今も騒ぎ倒しているんですよ? ……ただ恋人とデートしたいだけなのに、どうしてこんな思いをしなくてはならないんですか……?』
悲しげに顔を伏せるアラスター。大きな赤い目は潤んで揺れていた。
身長差でその全てが見えてしまったルシファーは、恋人の珍しい表情に胸を締め付けられる。次いで怒りが湧いてきた。何故可愛い恋人が、こんな顔をしなくてはならないのか。
「そう……そうだな。アルの言う通りだ。何故デートするのに、私が隠れる必要があるんだ。騒ぐ連中が悪い!」
『ええ、その通りです』
「行こうアル。君と恋人になって初めてのデートだ! 記念になるような素敵な日にしよう!」
『ええ、ルーシィ!』
力強く意気込むルシファー。それに同調しながら、見えない所で口角を吊り上げるアラスター。
まんまと恋人の口車に乗せられたルシファーは、実に数ヶ月ぶりに本来の姿で街に降りていった。
──そして案の定、ルシファーに熱狂する罪人たちに囲まれてしまった。
早々に結界を張って近付けないようにしたはいいが、身動きが取れない。立ち往生するルシファーと裏腹に、アラスターは嬉々として罪人たちを嬲り始めた。
お陰で結界は血と肉と臓物で塗れ、血肉の海に沈んだような光景が四方に展開されていた。ルシファーがうんざりするのも当然だ。
「ハアー……」
ルシファーは大きく溜め息を吐く。せっかく意気込んで出て来たのに、これでは台無しだ。
『カカカカカッ』
未だに楽しそうにマイクステッキを振り回す恋人。ルシファーは再度溜め息を吐いて、林檎の杖をひと振りした。突如現れた黄金の水に、トイレのように流され消えていく罪人たち。
『おや』
すっかり無人と化した周囲に、アラスターは目を瞬かせた。ルシファーは半信半疑で尋ねる。
「……アル、まさかとは思うが、君のお楽しみの為に私とデートを?」
『そんな訳ないでしょう。もちろん楽しみましたが、アレは躾ですよ。私たちのデートの邪魔をしたらどうなるか教えなくては。なのに、あなたときたら結界に引き篭って……』
「ああ、うん、分かった。そうだな。今ので私も分かった。避けるんじゃなく、排除する方が楽だし簡単だとな」
ルシファーは乱暴に自身の頭を掻く。
罪人相手の対処のし方はアラスターの方がよほど上手い。彼らの性質もよく理解している。罪人を避けるばかりだったルシファーは、粛々と彼の言うことに従うことにした。
気分を変えるように帽子を被り直す。
「よしっ。それじゃあ邪魔もいなくなったし、デート再開だ!」
細腰を引き寄せるルシファー。
特に行く所は決まっていない。初デートの時に行った公園にでも行こうか。あそこでのんびり薔薇を愛でて、ショッピングを楽しんで、その後はカフェでゆっくりしよう。以前デートした時に見かけたカフェが好きな雰囲気だったのだ。是非とも利用したい。
脳内で計画を立てながらエスコートしていると、恋人の動きがぎこちないことに気付いた。顔を上げると、眦を染めて戸惑っている様子のアラスター。
「どうかしたか?」
『いえ……なんというか……外でこんなにくっつくの、恥ずかしいですね……』
ルシファーは絶句する。
(……アルが照れてる……)
なんて可愛いんだ。ルシファーは胸を掻き毟りたくなる衝動に駆られる。
恥ずかしいと言いながらも、ルシファーの手を退けることなくエスコートに身を委ねているアラスター。普段とは異なるしおらしい態度は、ルシファーが彼に夢中なる理由の一つだった。
こんなにも可愛い生き物が自分の隣にいて、自分の愛に応えて、愛を返してくれる。これほど素晴らしいことは他にはない。ルシファーはうっとりと恋人を見上げた。
「恥ずかしがることはない。私たちの仲を見せ付けるんだろう? ああでも、こんなにも可愛らしい君を私以外が見るなんて……どうしようか。うっかり君を見た連中を殺してしまうかもしれない」
『それはそれは……怖いですね』
「本気だ。君はそれほど魅力的なんだよ」
『知ってます』
自慢げに頷くアラスター。いつもの調子が戻ったようだ。
ルシファーは滑らかな肌触りの手を取り、甲に口付ける。抱いた腰を引き寄せ、より体を密着させた。
「さぁ、行こうか。私の可愛いバンビ」
『……はい。私の小さなお星様』
はにかむアラスターは、それはそれは可愛らしかった。
*
「……え?」
ヴォックスは今見た物が信じられず、生放送中だということも忘れ言葉を失った。スタッフの何人かがヴォックスを呼びかけているが、今の彼には聞こえていない。顔面のモニターが情報を処理しきれず、エラーを吐き続ける。
今見た光景が理解できない。したくない。してしまったら、ヴォックスを今まで支えてきたものが壊れてしまう。
「何で……」
モニターには、ペンタグラムシティを歩くルシファーとアラスターが映っている。二人の距離は近い。ヴォックスからすれば信じられないほどに、近い。
──何故、ルシファーはアラスターの腰を抱いている。
──何故、アラスターはそれを拒絶するどころが受け入れている。
アラスターの表情はノイズが走って分からない。だが、隣のルシファーの表情はよく見えた。
甘い、熱を含んだ男の顔。恋に浮かれきった眼差しは、アラスターへと一心に向けられていた。
かつてヴォックスがアラスターへ向けていた表情と、まったく同じ顔だ。
「……嘘だ……」
ヴォックス史上最悪の放送事故は、スタッフが強制的に放送を中断させるまで続いた。