天使を拾った日「おや……?」
仕事を終えたばかりの僕は、自身の部屋に入る前に違和感を覚えた。
見慣れたドアの前に人影が見える。
それは裸足のまま体育座りをしていた。
眠っているというには、あまりに静かで生気を感じない。
その異様な光景に一瞬、ぎょっとするがすぐに冷静な思考へと切り替わった。
死んでいるのであれば、警察に届けを出さなければ……。
身元確認のためにもそれの近くに寄る。
よく見るとお腹の辺りが動いており、手首の内側を触ってみても、脈は正常だ。
すうすうと小さく寝息を立てる彼を見てなんだ眠っているだけか、と安心して胸を撫で下ろす。
まだ、十代くらいの少年のようだ。
彼の姿は人間というには、浮世離れしていた。
頭にはほんのりと光っている、だが影のようにも見える輪っか、背中には、金色で液状の羽根を模ったようなものが浮いている。
形容するのであれば、それは天使だ。
よく見ると、足先は左右でそれぞれ白と黒に染まっている。
羽根と同じ金色の爪が映えて美しい。
表情は乏しいようだが、うなされていて少し弱っているようだ。
「……あの、そこの君、大丈夫ですか?」
彼の頬をペチペチと優しく叩く。
すると、彼はくまどったように黒く長い睫毛を気だるげに持ち上げる。
「……アンタ、誰?」
彼は寝ぼけ眼のまま、上目遣いでこちらを睨みつけた。
低く大人びた声だが、その表情や仕草はどこか幼くあどけない。
「僕は天堂天彦といいます。この部屋に住んでいる者です」
「ふぅん……」
彼は興味なさげに、そっぽを向いて返事をする。
「君は、どうしてこんなところで眠っていたんですか?」
「……知らない。気づいたらここにいたんだ」
そう言った彼の髪や服は乱れていて、足にも小さな傷がいくつかある。
どこからか逃げてきたのだろうか。
「……家はどちらですか?」
「さぁ?」
彼はこちらを見つめ、小首を傾げる。
深い夜空の紫に、金色の煌めく星が浮かぶ瞳。
思わず、吸い込まれそうになる。
彼の表情がいつかの自分と重なり、放って置けない気持ちが湧く。
「とりあえず、僕の部屋で良ければ入りますか?」
「えっ……」
「ここにずっといたら、目立ってしまいますし……」
僕は腰をかがめて目線を合わせ、彼の出方を伺う。
「そう……?」
首を傾げている彼の手を引く。
すると彼は無表情で小さく頷き、ついてきた。
人間とは思えぬほど、手は酷く冷たかった。
*
ガチャリとドアの鍵を開けて、僕は彼を部屋に招き入れた。
自分の分の靴を揃え、ソファに置いてあるクッションを、彼が座れるようにそっと退かした。
「どうぞ気にせず、座ってください」
そう言うと彼はこちらを伺うように、上目遣いで見たあと、ゆっくりとソファに腰掛ける。
「お腹すいてませんか? 何か食べたいものは?」
「……わからない……」
「では好きな食べ物や苦手なものは?」
「…………さぁ?」
少しの間を置いて答える彼。
やはりまだ警戒されているのだろうか?
「わかりました。今から作るので、待っててくださいね」
「……」
彼はどこを捉えているか分からないような視線を向けて、呆けている。
台所に立って、冷蔵庫の中を見る。
昨日の残りの野菜炒めがあったはずだ。
それを皿に移し替えて温め終えたら、冷凍ご飯をレンジに入れる。
その間に有り合わせの食材で卵焼きとお吸い物を作っていく。
昨日作ったおかずの残りの出汁でだし巻き風にしましょうか。
薄く膨らむ卵を、手際よく巻いている途中で、チンッ!と 温め終わった音が響く。
ごはんはタッパーから茶碗に盛り直して、残りの卵も巻いていく。
残りのおかずも皿に盛り付けをして、料理を机に並べた。
「はい、どうぞ。召し上がってください」
「……うん」
彼は黙々と食事をはじめた。
湯気の立った料理を、ほっぺにいっぱいに詰める。
はふはふと熱い息を吐きながら、食べる姿はまるで小動物のようで愛らしい。
慣れていないのか、にぎり箸でご飯をかきこむ。
それすらも、なんだか微笑ましく、クスッと笑みがこぼれる。
「なに?」
「ふふ……なんでもないですよ」
不思議そうな顔をする彼に笑いかける。
自分の分のご飯にも箸をつける。
ふっくらとした卵焼きが口の中で解れる。
それを薄味のお吸い物で流し込む。
一人で食べている時よりも美味しく感じた。
それからしばらく無言の時間が続く。
何を話すわけでもないけれど、心地の良い時間だった。
「はい、お粗末様でした」
「……」
彼はじっとこちらを見つめていた。
「?……どうかしました?」
「……卵、もっと甘い方が好きかも…」
「ふふ……そうなんですね。次からは甘く作りますね」
少しだけ彼を知れた気がして嬉しくなる。
出会ったばかりなのに、不思議だ。
「……次?」
「おや、僕としたことがつい……まだ言っていませんでしたね」
そう言って、僕は苦笑する。
「行く場所……無いんでしょう?よろしければ、しばらくここに居ませんか?」
「アンタが良いなら別に……でも良いの?」
「全く問題ないですよ。
一人でこんな広い部屋に居るのも寂しいですし……」
彼から少し視線を外して、これまでの生活を少し思い返す。
「あぁ、でも……まだ貴方の名前聞いてませんでしたね。教えていただけますか?」
僕は少し屈んで目線を合わせ、彼に微笑みかける。
すると、彼はゆっくりと口を開いた。
「___…みや…伊藤ふみや……」
「ふみやさん…ですね。ふふっ……
それと僕のことはアンタではなく、”天彦”と呼んでください」
微笑みを浮かべつつも、彼の目をしっかり見据える。
「__わかったよ…。天彦」
彼は少し面倒くさそうにそう答えた。
「ふふッ……これからもよろしくお願いしますね。ふみやさん」
非現実的な雰囲気を持つ、どこか無機質な少年、伊藤ふみや。
これから彼との二人暮らしが始まる。
__この夏は慌ただしくなるような気がした。