「好きな人を忘れてしまう話」好きな人を忘れてしまう呪いだかがあるんだとか、なんとか?
それで誰を忘れてしまうのか、が話題になっているみたい。馬鹿らしい。
こういうのって、恋人とか、そういうのがいる人じゃないと盛り上がらないんじゃない?
好きな人の定義にもよるし。
友達を忘れるのか、家族を忘れるのか、それとも大事な人を忘れるのかとか、それのなにが面白いの?
………忘れられるほど想いが強いことを証明されたいの?
……僕は、
この人のことを好き?だったのか。
見覚えのない、しかし大事そうにしてあることがわかる写真。
僕の隣に座っている、この人……
「……クラースナヤ・クローフィ…」
って、書いてあることだけがわかる。
ローザヴィ・クローフィは僕のことだから、この名前はきっとこの人のものだろう。
……わからない。名前を見ても、顔を見ても。
この人が誰で、僕とどんな関係にあるのか。
優しそうに微笑むその顔はなにを意味してるのか。
「…多分呪い、なんだろうな」
自覚はないがそう思わざるを得ない。
そろそろ寮を出る時間だ。リリィが待っていると言っていたし。多分リリィなら知っているはず。
聞いてみれば良いか。
写真を置いて、外に出た。
「ねえ、リリィ。「クラースナヤ・クローフィ」って誰か知ってる?」
「?…はい、勿論………ローザ様……それは…………本気で仰られている…のですか?」
「…なに、その反応」
ただ教えてくれればいいだけなのに。なんでそんな顔をする?
「いえ、あの……ローザ様のお祖父様でございます。クローフィ家現当主の旦那様です。」
お祖父様?僕の?
「僕にお祖父様がいたんだ」
ピタッと隣を歩いていたリリィが足を止めた。
「どうした?」
「ローザ様…………………?今、なんと」
「え?だから、お祖父様がいたんだなって……お父様とお母様の顔は思い出せないけど…」
「…、坊ちゃま。今日は学園をお休みしましょう。」
「えっ、なんで?僕別にどこも…」
「今話題になられている呪いにかかっている場合がございます!解呪なさらないと…!」
「…そんなに深刻?お祖父様?を忘れることが…?」
「!!」
信じられないといった顔をされる。なんでそんな顔をするんだ。お祖父様を忘れたからといって、なにか影響あるのか?僕に?
クラスメイトや先生を忘れてしまったとかなら学園生活に支障がでるけど。
「今すぐ、解呪していただきましょう、坊ちゃま」
ぐいっと腕を引かれる。
「いや焦っているのはわかるけどどこに行くとかどこに向かうとかわかってるのかリリィお前ちょっとまって早い!!!!」
半ば無理やりな形で学園内を引きずり回された。
「いや結局保健室なのかよ!」
「すみません坊ちゃまどこに行けばいいかわからなくて…」
情けない声を出すな。引きずり回しながら転ぶわ壁にぶつかるわ躓くわで呪いよりもそっちをどうにかするべきじゃないのか。
「とにかく!解呪できそうな先生を探してきますから!坊ちゃまはここにいてください!」
「いやそっちのほうが不安だけど僕は。いいって…リリィのほうがもっと怪我しそうだし…1年なんだから授業受けてこいよ…」
「僕には坊ちゃまのほうが大切なんです!!!」
「ここでは坊ちゃまじゃないし、お前はナイトオウルの学園生徒だ。学業を優先するべきだろ。僕のことは僕がなんとかするし。先生も僕のほうが探せる。リリィは大人しく下がってろ。」
うぐぐ…と顔を歪めながらも小さく「…はい」と答える。聞き分けはいいけど一つのことしか見えなくなっちゃうのが難点だな…。
とりあえず保健室の先生に事情を説明しつつリリィを見送る。
僕にとっての「お祖父様」がそこまで大きな存在だと思っていなかった。
「………お祖父様か……」
僕が学園に入ったのはなんでだったっけ。
僕が先生に弟子入りしたのはなんでだったんだっけ。
リリィが僕のそばにいてくれるのはなんでだっけ。
……全部にもやがかかっているみたいで気持ち悪い。
考えれば考えるほど、僕が見えなくなるみたいだ。
濃い霧の中で、夜の森に迷子になってしまったような感覚。
地面に足をつけていたはずなのに、急に体が浮きあがってしまったような感覚。
捕まるところがなくて、自分の体なのに動かせないような感覚。
…僕は、本当に僕の意思で動いていたんだろうか。
学業を優先しろ、とは言ったけど別にリリィがしたいことを止める権利も僕にはないはずなのに。
……なんでないはずだと無いはずだと思ったんだ…?
やっぱりこれも呪いなのか。
僕にとっての大切な人。
僕を形成したであろう人。
それを忘れてしまうこと。
見えない手に首を絞められているかのような。
耳鳴りがひどい。汗も出る。
ゆるゆると不安が押し寄せる。
しっかりしないとダメだ、僕はクローフィなんだから。
……………クローフィだから、しっかりしないとダメなのか?
なにも、わからなく、なる。
ぐるぐると景色が回る中、遠くから声が聞こえている気がする。ああやっと先生が来たのか、どうか、この呪いを、僕の、記憶を
目が覚める。
心配そうな顔をしたリリィが僕の顔を覗き込んでいた。
「坊ちゃま、大丈夫ですか」
「うー…頭痛い…僕、どのくらい寝ていたんだ…?」
「今は夕方ですから、ほぼ一日……あの、どうでしょう、旦那様のことは思い出せましたか」
「お祖父様のこと?なんで……」
あ、そうだ。呪いによって記憶から消えていたんだった。
今ははっきりと声も、僕を撫でる手も、優しい顔も思い出せる。
「もちろん、僕の尊敬するお祖父様のこと、思い出せた。」
忘れるわけ無いだろ、とは言えなかった。
忘れてしまっていたから。
もうあんな経験はしたくない。
「よかった」と心底ホッとしたようなリリィを眺める。心配をかけてしまった。
僕は、ズグ…と心に刺さる不安を悟られないように、ベッドのシーツを握りしめた。
おわり