一生、僕を推してくれる?○
FINN PART
俺は超ラッキーだ、と思う。
だって、推している人が目の前にいるんだから。商品をスキャンしながら、チラ、と彼を見ると、視線に気づいた彼は微笑んで「何か?」と聞いてくる。
「あ、いえ…」
「ああ、これも追加でお願いします」
「かしこまりました」
心臓がうるさくて落ち着かない。深呼吸をして会計をする。彼はお礼を言って、帰って行った。
(格好良かったなあ…ティルトさん)
彼は有名な俳優であり、演技が上手いのもそうだが、何より顔と声が良すぎる。いや、別に面食いってわけじゃないけど。
映画やドラマで様々な賞を取っている、今、大人気の俳優。そんな彼がなぜここに来るのか、理由は分からないが、こうやって変装しながら客として来てくれるのだ。
俺は心の中でガッツポーズをするほど、彼と会えた日には浮かれていた。
「また会えたらいいな」
「なあに?例の俳優さん?」
「ウワッ!!!」
「そんな驚かないでよ…」
仕事を終えて部屋でくつろいでいると、背後から声をかけられる。びっくりした。
「クリス、静かに近づいてくるのやめろよ」
「だって楽しいんだもん〜」
「何がだもんだ。可愛い子ぶりやがって」
「いーじゃないの。で?進展はあった?」
「いや、別にないけど」
「ええー!!」
声でか。
「勿体無いなあ。連絡先くらい教えて貰えばいーのにさあ」
「できるわけないだろ。…プライベートだし」
「ふうん」
自分から聞いておきながら…彼は興味がなさそうに返事をする。なんなんだよ。
クリスは同居人である。モデル業で活躍している男だ。俺と住むことになったのは…道で酔い潰れる彼に声をかけたら、「一緒に暮らそう」と涙をこぼして縋りついてきたので、心配になった俺は「何かあったのか?」と話を聞いた。それがきっかけだった。
(まんまと騙されちまった…)
コイツ、顔だけはイケメンだが、仕事以外は適当なので俺が生活を支えてやらなきゃいけない。料理も洗濯も片付けも何もできない、そのうえ、何人もの女と夜に出歩いて遊ぶ最低な男なのだ。
「何、その顔」
「べっつにぃ?」
「絶対、失礼なこと考えてるでしょ。お兄さん、分かってるからね!」
「うわ、だる…」
「ちょっとお!…ココ、俺の家だから。その気になれば、お前なんていつでも追い出せるんだから」
「じゃあ俺がいなくても、頑張って家事をこなして立派に生きられるんだな」
「ごめんなさいできませんお願いします」
「ハァ…」
こんなんだけど、可愛いんだよな。俺がいないと何にもできないんだろ。瞳をウルウルさせて俺を見つめる彼の頭を撫でた。俺も大概だ。
「え?なに、ご褒美?」
「…アンタって、可愛いよな」
「あ、え、ど、どゆこと」
「なんでもねえよ」
狼狽える彼がおかしくて笑ってしまう。
「じゃあ、飯作るから待ってろ」
「ねえ、それ、どういう意味なの?」
「自分で考えろ」
「ええ…?」
彼を置いて、キッチンに向かう。さて、今日は何を作ろうかな。
○
「俺が凄いんじゃなくて、監督が良い指示を出してくれるからですよ」
テレビをじっと見ながら昼食を食べる。クリスは朝から仕事があると言って、バタバタしながら出て行った。
「しっかし、格好良いな…」
何度見ても格好良い。それに、悪役の演技が上手すぎる。毎話録画しているドラマの、発狂して包丁で刺してくるシーンなんか、マジで没入感があった。俺が刺されているみたいな感覚。
こんなに何でもこなして、謙虚で、実力もある人がへんぴなコンビニに来るなんて…俺だけしか知らない秘密というのも、堪らない。
「せっかく休みだし、どっか行くか」
立ち上がって準備をする。特に行き先は決めていないので、そこら辺をふらふら歩いて、疲れたら帰ってこよう。
「海だー!」
浜辺を歩きながら背伸びをする。潮の香りと風が心地よくて気持ちいい。
「ふう」
サイダーを飲んで、パラソルの下で休む。だんだん眠くなってきて、ベッドに横たわった。誰にも邪魔されない、最高の休日だ。
(少しだけ眠ったら…次は……)
突然、大きな歓声が聞こえて飛び上がった。もう、うるさいな。
「なんだ?」
声のする方へ歩いて、原因を探る。人の頭で隠れてあまり見えないが、桃色の髪だけは確認できた。もしかして、あれって。
「キャーッ、ティルトくーん!」
………やっぱり。
(なんでこんな目立つところにいるんだ。撮影か?でもそれなら場所取りしてるだろうし、人が入ってこれないようにするはずだし…)
混乱しながら、それを眺める。ティルトは困った顔で周りを見渡し、それから俺に気がつくと、笑顔で手を振った。え?なんで?
「やあ。ごめんね、待った?」
「エッ」
「ファンの子に見つかるとは思わなくてさ…じゃ、行こうか」
「あの、待っ…」
手を引かれて走り出す。後ろを見ると、ファンの子が残念そうにしている。…いや、それよりも、何だこの状況は!頭が追いつかず、心臓がバクバクしている。とにかく、話を聞かないと。
「えっ、と、ティルトさん、ですよね?」
「うん」
「な、なんでここに?」
「うーん。疲れたからリフレッシュ?」
「…見つかったら色々とまずくないですか?」
「ふふ、そうだね」
(ええ…?)
大人気俳優が外をふらつけば、ファンに囲まれるなんて、容易に想像できるはずなのに。
かなり遠くまで来て、ようやく足を止めた。俺は息を整えて、サイダーを飲み干す。職場以外でも会えるなんて、なんて言えばいいのか。嬉しいけれど、嬉しすぎて天に召されそう。
「キミ、コンビニの子だよね」
「ひえっ」
「?どうかした?」
まさか認知されているなんて。芸能界には美人やらイケメンやらいろんな人がいて、そんな人達とたくさん会っているはずなのに、なんで俺みたいな平凡な人間を覚えているんだ。
「いえ…なんでも。そうですけど」
「やっぱり。可愛いから覚えてたんだ」
「かわッ」
「照れてるの?」
「ヤ、だって…」
あなたの事が大好きだから、なんて言えるはずもなく。空になったペットボトルを捨てて、彼を見つめる。
「…あの、聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
「なんで、俺んとこのコンビニに来るんですか?」
「なんでって」
純粋な疑問だった。コンビニならあちこちにあるし、家が近いという理由なら、まあ分かるが…わざわざ毎回、同じところに行くだろうか。
「キミに会いたいから」
「ゴホッ」
「…大丈夫?」
ああ、俺、明日死ぬのかな。この調子だと身が持たない。心配した顔で俺を見つめてくる。もうそれだけで幸せなのに、こうやって一対一で話もして…倒れそう。
(あ、やばい…目眩が…)
マジで倒れるヤツだ。日に当たりすぎたか?
ティルトは驚きながら、ふらつく俺を支えた。叫んでいる声がする。そのまま意識が遠のいていった。
○
意識が戻ったのは、知らない部屋の天井が見えた時だった。起き上がってまぶたを擦る。
「?ここは…」
「おはよう」
「えっ!?」
飛び跳ねた衝動で滑り落ちる。床に尻餅をつく。いてて。
「ごめん、驚かせたね」
「え、な、え」
「ここは、僕の家だよ。休んでもらう為に連れてきたけど…全く、急に倒れるからびっくりしたじゃないか」
「ごめん…でも、もう大丈夫なんで、帰ります!」
急いで外に出ようとしたら、手を掴まれる。
「待って。一人じゃ寂しいから、相手をしてくれない?」
ティルトが首を傾げて聞いてくる。
(ぐう…)
格好良いのに可愛い。破壊力が凄まじい。
「そ、そこまで言うなら…」
「ありがとう。じゃあ、何か食べるかい?」
「いや、そんな。これ以上、迷惑かけるわけには」
「僕がしたいから聞いてるんだよ。ねえ、パスタかハンバーグどっちがいい?」
「……はんばーぐ」
「分かった。ちょっと待っててね」
彼が部屋を移動するのを見て、俺は大きなため息をついた。どういう展開なんだ。これは。
「あ〜〜〜ッ、どうしよう!マジで、もう、あ〜〜ッ!!」
「どうしたの?大丈夫?」
ティルトが慌てて戻ってきた。
「あ、いや、何でもない!」
「…そう?何かあったら呼んでね」
また部屋を出ていく。思わず叫んでしまったがあまり心配をかけるわけにはいかない。とりあえず顔を洗おう。そうしたら現実か非現実かぐらい見分けがつくはずだ。
…と期待して顔を洗ったが、やはり現実であった。しんどい。一般ティルトオタクが家に上がって飯を食っていいのか。否、ダメに決まっている。
(ああ、もし週刊誌に撮られでもしたら、ティルトさんの経歴に傷をつけてしまうんじゃ…)
「ご飯、できたよ。食べよう」
「あ、はい…」
何も考えないことにしよう。食べたら帰ればいい、それだけだ。
ハンバーグ、美味しそう。テーブルの上の料理を見た時、腹の虫が鳴った。
「ハハ、そんなに食べたかったんだ」
「う…」
恥ずかしい。失態を誤魔化そうと、ハンバーグをばくりと食べる。肉汁が溢れ出るほど詰まっていて美味しい。
「うまっ!」
「そう?良かった」
「コレ作ったんですか?」
「うん。まあ、これくらいしかできないけどね」
「いや全然!ウチなんか、同居してるヤツがまともに料理できなくて……あっ」
「へえ、彼女さん?」
(しまった。言うつもりじゃ。つーか、こんな話してもどうしようもないだろ)
彼はニコニコ笑って話を聞いている。…なんか機嫌が良いし、別にいいか。
「まさか。友達ですよ」
「そっか。いいね、そういうの。僕も家に誰かいてくれたら、寂しくないだろうな」
「ティルトさん…」
それもそうか。忙しいし、恋愛する暇なんかないだろう。ファンの子達は熱狂的だったが、彼はあくまでファンとして接しているし、それ以上の感情はない。なら、俺にも何の感情もないわけだから、やはり、毎回同じコンビニに来るのはおかしい。それもかなりの頻度で。
「キミさえ良ければ、たまにでいいから遊びに来てくれないかい」
「は?」
あ、つい反射的に言ってしまった!バッと口を抑えて、恐る恐る謝った。
「ごめんなさい!」
「…ははっ!ふふ…うん、大丈夫…」
よく分からないが、ツボにハマっている。良かった、怒ってはいないらしい。彼は笑ったあとで「タメ口でいいよ」と言った。
「え、そんな」
「遠慮しないで。その方が、僕は嬉しい」
「うーん…」
「ね?」
顔を近づけられ、距離を詰められる。近いって!(い、いや、でも、相手は俳優のティルトさんなわけだし、あまり軽く接したくないからなあ)と悩んでいたが「お願い」と言われてしまったらもう断ることはできない。
「じゃあ…ティルト」
「うん。いいね。僕も名前で呼びたいな。そういえば聞いてなかったけど」
「俺はフィン。フィン・オールドマン」
「フィンだね。これからよろしく」
「…よ、よろしく…」
とまあ、こんな事があって、ちゃっかり連絡先も貰って家に帰ってきた。玄関で崩れ落ちる。
「嘘だろ…俺、ティルトさんの家に行って、連絡先も交換して」
本当にこんなことがあっていいのか?
「あとからすっげえ"嫌なこと"起こりそうで怖い」
…でも。
「連絡先…」
アイコンを見る。トーク画面にはスタンプと彼の名前。ああ、本当に。
「…はぁ、好き…」
今だけは、幸せに浸るくらいは許してほしい。
○
「たっだいまぁ〜!」
あ、まずい。酔っ払いが帰ってきた。俺はスマホを隠して、玄関に向かう。やっぱり倒れてる。
「…ったく」
「フィ〜ン、聞いてよ!今日さ、めちゃくちゃ美人な子がいて〜」
「はいはい、あとで聞いてやるからまずは動け」
「へへ、へへへ…」
完全にできあがってる。コイツ、酒に弱いくせに、いくら仕事の付き合いだからって、飲まなくてもいいのにさ。そういう気遣い上手なところは良いと思うが、自ら苦しむ必要はない。…まあ、芸能界はそういうもんなのか。俺には分からない。
「ほら、水飲め」
「ええー、フィンが俺に飲ませてよ」
「自分で飲みなさい」
「やだやだ!飲ませてくれるまで絶対離れないんだから!」
「うっわ、めんどくせえ…」
一度こうなったクリスは意地でも話を聞かない。仕方がないので、ストローをさして飲ませようとするが、クリスは首を振る。
「おい」
「飲ませてって言ってるじゃん」
「だから飲ませようとしてるだろ」
「口で」
「は?」
「キスして飲ませてよ♡」
「ふざけんなッ!殴られたいのか!?」
振り回しても、足を掴んで離れない。クソ、赤ちゃんかよ。これだから酔っ払ったクリスは嫌いなんだ。
「ねえ、お願い、お願い!」
「イヤだね。つーか、アンタ、キスなんて女にいっぱいしてきただろ。俺なんかより、他を当たった方がいーんじゃねえの?」
「いや、俺、お前がいいし」
「…………」
ダメだ。コイツ、頭やられたのかもしんない。とりあえずベッドに放り投げる。ぐえっとカエルのような鳴き声が聞こえる。
「なんで酷いことすんの〜!?」
「もう眠れ。アンタ、今ヤバいから」
「ヤバくないよ。だんだん酔いが覚めてきたし」
「尚更、眠れ!」
「ええ〜、じゃあさ」
まだ粘るか、しつこい男だな…と思っていると、腕を引かれ、ベッドに追いやられる。腹の上に乗られ、逃げようとしても逃げられない。
「ちょ」
「他の場所なら良いよね?」
「ハァ?おい、退けよ」
「じゃあ、首にしようかな」
「話…聞け…ッ、あ、」
首に噛みついてくる。…というのは比喩表現で、実際には首を吸っている。コレあれだろ、キスマってやつ。ああ、はいはい。
ふざけんじゃねえぞ!!
「ど、け!ってば!なあ、ぅ…んっ、クソ…」
「ふふっ、かわい」
「あー、もう!お前、ホント、大っ嫌い!」
突然、ぴたりと動きを止める。
「…嫌い…?」
「いや。さっきのは、つい口から出ただけで」
「ねえ、俺のこと嫌いなの?」
子犬のような目で見つめてくる。やめてくれ。まるで俺が悪いみたいじゃないか。
「そうなんだ。嫌いなんだ。ああ、そう」
「違うって。アンタさあ、そういうところが……や、何でもねえ。退いてくれ」
「ヤダ」
「…ハァ。じゃあ、好きって言えばいいのか?」
「ヤケになって言われても嬉しくない」
「注文の多いお客様だなあ!」
「だって、フィンが分かってくれないから」
「何が?」
「俺、好きなのに。お前のこと。なのに分かってくんないじゃん…」
「…え?あ、え?」
サラッと言われたけど、何?今、告白されたの?困惑して彼を見ると、涙をポロポロと流していて、驚いた。
「なぁ、泣くなよ…」
「うう…ずっ…フィン〜〜〜!」
「ああ、ああ、もう。ほら、ティッシュ」
鼻を噛ませる。ったく、本当、世話の焼ける。
「…」
「落ち着いたか?」
「うん」
「ん。じゃ、ホットミルク作ってやるから」
「え…」
裾を引かれて転びそうになる。
「今度はなんだよ」
「行かないで」
「…」
ぎゅっと抱きしめてくる。俺より三つも年上なのに、なんでこう、子供みたいに縋るかなあ。時々クリスは幼児に返る。それは相当疲れてしんどい時に起こる症状だ。一度、精神科に連れて行こうと引きずったことがあるが、検査しても何ともなかった。だからこれは、【クリスの幼児返り】と呼んでいる。
ため息をついて、頭をポンポンと撫でた。
「なんか辛いことあったのか?」
「めんどくさい…全部」
「そっか」
「なんで他人の手伝いする為に残業しなきゃなんないの…」
「仕事、押し付けられた?」
「そう」
不貞腐れた話し方をするので、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「ちょっと、人が真剣に相談してるのに」
「悪い、面白くてさ。普段あんなにチャラくてナルシストで、優しくて気遣い上手のお前が、俺の前ではこんなみっともない赤ちゃんになるんだぜ?」
「…褒めてんのか、分かんないんだけど」
「褒めてるよ。だって情けなくて可愛いじゃん」
「それは褒めてるとは言わないでしょ」
クリスは顔をあげて不満そうに呟いた。「それに、可愛い可愛いって言うけど、俺からしたらフィンの方が可愛いんだからね」と腕を組んで言う。
「ふーん」
「興味なさすぎじゃない?あと、俺は格好良いのほうが嬉しいかな」
「そういうもん?」
「そういうもんなの!」
文句が言えるくらい元気になって良かった。俺は安堵して、立ち上がり、ホットミルクを作りにキッチンへと向かう。クリスが後ろから着いてくる。
「はは、どこにも行かねえって」
「怪しい。最近、様子が変だし」
「別になんもねえよ」
ギクリとしながら顔を逸らす。感が鋭いなあ、相変わらず…クリスは片眉をあげて俺を睨む。
「…何か隠してるでしょ」
「しつこい」
「俺はお前の教育係なのよ、秘密は共有すべきだと思わない?」
「思わないね」
「冷たいなあ〜」
鍋を動かす。後ろから抱きついてくる。邪魔。
「危ないだろ」
「吐き出すまで待つから」
「…じゃ、ホットミルクはいらねえってことか?」
「え、やだ、飲みたい」
「どっちか選ぶんだな」
「ン〜〜も〜〜!意地悪ね!」
「声でかいっつーの」
俺が笑うと、クリスも柔らかく微笑んだ。
「あ、ねえ。告白の返事は?」
「考えとくわ」
「え、嘘。振られるパターン?」
「どうだろうな」
「え…」
「気になるじゃん!変に期待させないでよ!」と勢いよく首を揺さぶられる。
(だから危ないって!)
顔を掴んで頬にキスをすると、クリスは動揺して床に転がった。
「頑張ったご褒美だ」
「…!〜〜ッ!」
返事の代わりに、抱きしめる力が強くなった。教育係、俺のほうが向いてるかも。
○
TILT PART
可愛い子と連絡先を交換できた。
僕は無意識に鼻歌を歌うほど、すっかり浮かれていた。ゼノンに「静かにしろ」と怒られてしまう。彼は僕と同じ俳優仲間だ。今、出演しているドラマの弱いチンピラ役といったところか、まあ、そんな重要な役ではない。…なので、覚える必要もない。
「殺す」
「何も言ってないけど?」
「顔に出てるんだよ。分かりやすいからな」
「ああ。雑魚役になったことを後悔してるなら、もう少し技術を磨いたほうがいいと思うよ」
「やっぱ殺す」
全く、野獣みたいだな。暑苦しいのは好きじゃないんだけど。まあ、いいや。
アプリを開き、彼に連絡を入れる。(「帰りに会えないか」、と…)これでよし。あとは適当に演技をして、仕事を終わらせればいい。狂人役なんて簡単すぎてつまらないから。
彼と会って話がしたい。もっと仲良くなりたい。わざわざコンビニに行くのは、彼がいるからだ。ああ、彼に会うことを考えるだけで笑顔になれる。
ゼノンに「…気持ち悪」と呟かれるが、どうせ大した演技もできないから、気にしないことにする。
○
「はい、カット」
監督が僕の方へ来て「流石だね、ティルトくん」と肩を抱いてくる。面倒だけど、作り笑いを浮かべて「ありがとうございます」と返事をする。それに気をよくしたのか、肩から背中、足まで触ってくる。
(ベタベタ触らないでほしいな。汚いのがつく)
まさか心の中でこんなに言われているとは思わないだろう。仮面をつけるのは得意だからね。
「次はゼノンくんの番だね、よろしく」
「…」
ゼノンが僕を見て嘲笑う。
「何?」
「お前、性格悪いよなァ」
「そっくりそのまま返すよ」
「ハッ!」
飛んだ道化だな、と馬鹿にされる。はい。無視、無視。これが終わったら帰れるんだから。フィンから返事きてるかな…ソワソワしていると、女優から声をかけられる。
「あの…ティルト」
「ん?」
「もし良かったら、このあと食事でも、」
「ああ、ごめん。先約が入ってるんだ」
「…そう…」
残念そうに目を伏せる。…悲しませるのは本望じゃない。僕は少し考えてから、彼女の手を取り、優しく微笑む。
「ごめんね。次はキミを素敵な場所へ案内してあげる」
手の甲にキスをする。彼女は頬を赤らめて嬉しそうに頷いた。そう、女性は笑顔の方が良い。泣かせたら、場の空気が悪くなるからね。
「ゼノンくん、お疲れ様。良かったよ」
撮影が終わったみたいだ。「皆さん、お疲れ様です」と声をかける。これで仕事はおしまい。
「ティルトくん」
監督に引き留められる。何だろう。さっさと帰りたいんだけど。
「キミ、やっぱり凄いね」
「はは。どうも」
「そうだ。明日、空いてる?演出家と俳優…まあ、皆、呼んで最終回パーティをするんだけど、どうかな」
これは任意だろうか。それとも強制だろうか。まあ、この場合は後者かな。僕の腕を握る力が強いから。
………どうでもいいんだよな。要は打ち上げを装った合コンだろう。俳優を呼ぶなんていうけど、正直、顔も覚えてないし興味ない。僕は、女性を誘う為のエサなんでしょ。
(見え透いたことを)
「…すみません。用事があるので」
「ええ、そうなの?残念だなあ」
監督が耳元で「キミが欲しかったのに」と囁いた。ゾッとする。顔に触れられて、近距離で見つめられる。身体が動かなくなり、手が震えている。こんなの、慣れてるはずなのに。
「ま、いいや。今度、遊びに行こうよ」
「…ッ、そうですね…」
「これ、ぼくの連絡先。気が向いたら誘うね」
「…」
肩を二回叩かれる。期待しているという意味と、絶対に服従しろという意味の二回。監督が僕にする合図。僕は声が出せなかった。
ゼノンが黙って視線を向けてくる。悪いけれど、馬鹿なやり取りをする元気は残っていない。
「なァ」
「…」
「おい、無視すんじゃねえよ。今、セクハラされてただろ」
「それが、何?」
「おお、怖。助けてやろうと思ったのに」
「キミは面白がって助けてくれないだろう。別にいいよ。…もう、慣れてるから」
「難儀なヤツだな」
「勝手に言ってろ」
これ以上、こんな場所にいたくない。早くマイナスイオンを吸収しに行かないと。フィンに会いたい。フィンに…
僕が走る姿を見て、ゼノンは首を振る。
「アイツ、そのうち黙って死ぬんじゃねェか」
○
「フィン!」
名前を呼ぶ。それに気づいた彼は、顔をあげてこっちを見る。今日もバイトだったのだろう。タオルで汗を拭い、可愛い笑顔を見せてくれる。あ、もう全部、吹き飛んだ。ジジイのふざけた行動も、周りの色目も消える。純粋で穢れのない彼の目を見たら、浄化される。
「遅かったな」
「ごめん。色々あって仕事が長引いた」
「…やっぱ、大変なんだ。俺の友達も、酔っ払って帰ってきたし…マジやばかった」
「まあ、ね。楽ではないよ」
そう言うと、彼は眉をひそめて「そっか。…じゃあさ」と袖を引く。
「?」
「元気が出るおまじない、してやろうか?」
「え」
「い、嫌なら、いいけど」
「嫌だなんて言ってない」
食い気味に答えると、彼は目を丸くした。
「ははっ、すごい食いつくじゃん!」
「だって、キミに会うのが楽しみで仕方がなかったんだ。見ているだけで癒やされるのに、僕の為に、そんなことまでしてくれるの?」
「お、おう…」
林檎のように頬を赤く染める。下心のある女性とは違って、本当に可愛くて、食べてしまいたい。…という衝動を抑えて、「じゃあ、おまじない、お願いします」と笑った。
「分かった。手を貸してくれ」
「これでいい?」
「ん」
僕の手を握って、それを自分の頬にくっつける。雪見だいふくみたいにふわふわモチモチしていて、なんだかお腹が空いてくる…じゃなくて。彼は上目遣いで僕を覗き、首を傾げた。可愛いな。ずっと可愛いしか言ってない。
「えっと、お疲れ様。辛いよな。しんどいよな。俺は、芸能界のキツさとか、全部、理解できるわけじゃねえけど…でも、ティルトが元気ないと、俺も…寂しいから」
「……」
「だから、笑顔になってほしい」
ああ。もう十分なほど、彼からプレゼントを受け取った。こんなこと言われたら、元気が出ないわけがない。
僕は我慢できなくて、彼を強く抱きしめた。少し驚いた様子で、周りをきょろきょろ見渡して僕の首に手を回した。
(可愛い、可愛い、可愛い…)
照れている表情も、笑った表情も全部、愛らしい。僕に弟がいたら、こんな感じだったのかな。欲しいな、こんな弟。沢山甘やかしたい、好きなもの何でも買ってあげるし、どこへでも連れてってあげる。
いっそ、僕の家で暮らしてくれないかな。
(…なんてね)
色々考えていると、苦しかったのか、フィンがペシペシ肩を叩いてくる。
「ごめん、力を入れすぎたね」
「ぁ…その…平気」
さっきよりも顔を真っ赤にして、溶けた瞳を揺らして見つめてくる。この子は本当に。
「ハァ…」
「やっぱ、疲れてる?」
「ああ、いや。耐えられなくて」
「?」
よく分からないという顔をするので、ほっぺを摘んで引っ張ると、慌てた様子で「いひゃい!」と言う。凄い、さっきまで鬱々としていた気持ちが軽くなった。
「フィン」
「んえ?」
「ありがとう。元気出た」
「!…へへ、良かった」
「あ、ねえ、これから遊びに行かない?あんまり人が多いところだと、またキミに迷惑をかけちゃうから…ええと」
スマホで周辺のお出かけスポットを調べる。フィンはそれを覗き込んで、楽しそうに微笑んでいる。
「俺さ、ティルトのファンなんだ」
「…うん?」
「だから、今もこんな近い距離で話したり、気軽に連絡したり、遊びに行こうとしてんのも信じられなくて。冷静なフリしてるけど、マジで、緊張してんだ」
フィンは僕の手を握りしめる。それは少し震えている。
「俳優を応援する側として、ただの一般人として関わって、画面越しに見ていた人が…今、俺だけを見てくれてるなんて…」
「ホント、幸せすぎて、どうにかなっちまいそう」
目線を逸らし、眉を下げて笑う。…これはダメだ。僕の理性がどうにかなる前に移動しないと、今すぐ捕まえて家に閉じ込めたくなる。
ファンの子に手を出すのはいけないけれど、それは分かっているのだけれど。
(落ち着け。そんな事したら嫌われる)
せっかく懐いてくれてるのに、離してしまうのは惜しい。仮面が剥がれないように、黒い感情に蓋をして、僕はフィンの手を握り返した。
○
人がいないお出かけスポットなんてない。結局ファンの子に見つかって、急いで隠れた場所がネットカフェだった。デートとしては微妙だけど、暇つぶしには良いか。
「俺、ここに来るの初めてかも」
「へえ。そうなんだ」
「おう。いつもは外に出たり、自然を見に行ったり、運動したり?結構、アクティブな方だからさ」
「確かに、フィンはやんちゃそうだしね」
「それ、どういう意味だよ」
口を尖らせて言う。そんな表情は見たことないが、これもまた良い。「冗談だよ。僕は何回か来たことあるから、ある程度は知ってる」と返す。
「マジ?じゃあ、先輩だな」
「なにそれ」
「今日はよろしくお願いしまーす、ティルト先輩?」
ふざけながら、僕の名前を呼ぶ。うん、良い。もっと呼んで欲しい。
「ふふ、フィンは僕の後輩だね。同じ学校に通っていたら、こんな感じだったのかな」
「あはは。…それは、俺の身が持たなさそう…」
「そう?僕は嬉しいけど。でも、あんまり学校に行ったことないから、よく分からないんだ」
「え、嘘だ…」
「嘘じゃないよ」
フィンは気まずそうに黙り込んだ。
「あ、ごめん。気を遣わせちゃったね」
「そういうんじゃねえよ、ただ。俺にとっては当たり前のことが、ティルトには違うんだなって。そっか。子役からやってたもんな」
「そうだね。大変だったけど、キミに会えるきっかけができたから、結果オーライかな」
「………キザだな」
「ん?」
「ああッ、いやあ?なんでも?」
本当は全部聞こえているけど、知らんぷりしておこうかな。可愛いし。
僕は適当な本を取って、彼に渡す。フィンはそれを受け取り、パラパラとページをめくった。
「本は読む方?」
「うーん。あんまし」
「そっか、じゃあ、それが読みやすいと思うよ」
「ふうん。普段なら興味ないから無視するけど、ティルトが言うなら読んでみようかな」
犬の耳と尻尾が生えているように見えた。揺れている。それも幻覚だけど。
ソファでダラダラ横たわり、本を読むフィンが声をかけてくる。
「なあ、」
「うん」
「この本、面白いな」
「でしょ」
「続きあんの?なんか、気になってきた」
「残念だけど、まだ更新されてないんだよね」
「えー!!マジかよ…」
ソファから滑り落ちた。ショックを受けている。分かりやすくて面白いな。
僕はここにある本を読み尽くしたので、気になるものはない。だから、ずっと彼を観察していた。表情豊かだから、見ていて飽きない。
「コレ、授業中、モヤモヤするやつじゃん」
「…ねえ、学校生活ってどんな感じ?」
「ん?朝起きて、勉強して、昼飯食って終わり」
「そういうことじゃなくて…」
「分かってるって。友達めっちゃいるし、楽しいぜ。せっかくだし、学校ごっこするか?」
「学校ごっこ?」
フィンは立ち上がって、僕の手を引いた。着いた先にあるのは、カラオケルームだ。
「ええと…」
「ほら、青春っぽいじゃん」
「まあ。うん。それで?」
「友達とカラオケ、行ったことない?」
「ないかな」
そもそも友達とかいないし。…なんて言ったら、また気を遣うんだろうな。
「えー、勿体無い!人生、損してるぜ!」
「そんなに?あ、ちょっと、分かったから押さないで」
背中を押されて、強引に部屋に入らされる。
「これで曲を予約すんの。ほら、ティルトも」
よく分からないまま、四角い機械を渡される。いろんな曲が載っているけれど、全然詳しくないので困ってしまう。
「うーん」
「…あのさ。もしかして、楽しくない?」
「え?」
フィンを見ると、目を潤ませていた。僕はどうするべきか悩んで、焦った。
「ごめん。俺ばっかりはしゃいで。さっきから、心臓バクバクして落ち着かないから、どうにか気を紛らわそうとして、無理にテンション上げてんの」
「うん…そんな気はしてた」
「はは、バレてた?ダメだな、俺、緊張して、もう無理、ほんと、やばい」
「大丈夫かい?」
様子がおかしい。冷や汗をかいているようだ。具合が悪いのかも、とおでこに手をやるが、振り払われる。否定されたようで悲しかった。
「悪い。嫌なんじゃない。ただ」
「ただ?」
「俺、アンタに触れられると、勘違いしそうになる」
「はあ」
「好きなんだ、ずっと。俺と付き合ってほしい」
「…」
(今、なんて言った?)頭を殴られたかのような感覚に襲われる。衝撃的だった。だから言葉を発しようとしても、声にならずに、空(くう)になる。
フィンは目を伏せて、寂しそうに笑う。
「言うつもりじゃなかったのに」
「少し驚いただけだよ。そんな辛い顔しないで」
「引いてんじゃん。そういうの敏感だから分かるんだよ」
そう言って突き放される。僕も何か返さないと、彼はこのままどこかへ行ってしまう。引き留める為には、どうすればいい。
今までだったら、ファンに対して褒め言葉とか感謝とか簡単に伝えられたのに、フィン相手だとそれができない。喉の奥につかえて吐き出せない。
(否定されるのが怖いから?)
ありのままの自分を知ればきっと離れると、怖気ついているのか。今更。表面を綺麗に整えて、偽善ぶって生きている男を、誰が好きになってくれる。
「フィン、待って」
「…なに」
「僕は…キミが思っているほど凄い人間じゃないんだ。黒くて、醜くて、完璧とはほど遠い。本当の僕を知れば、幻滅するよ」
「そんなことない…たぶん」
「でも僕もキミが好きだから、いや、キミよりもっと好きだから嬉しいよ。できることならずっと、僕の部屋に閉じ込めておきたいくらい」
「えっ?」
あ、しまった。気持ち悪いヤツだって思われる。フィンは顔を引きつらせて笑う。終わった、もう僕の人生終わった。
初のカラオケルームで、何にも歌わずに自分の癖を暴露するなんて黒歴史すぎる。
僕はふらふらとソファに倒れ込み、マイクを手に取る。これで全部をかき消せたら良かったのに、記憶ごと。
「ええと。つまり、ティルトも俺が好きってことだよな。い、いろいろびっくりしたけど」
「そういうことだね。僕は今、猛烈に叫びたい気分だよ」
「なんか、ごめん」
「気を遣わないでくれ…」
曲を予約する。操作の仕方とか、何が何だか分からないが、いっそのこと、吹っ切れてしまいたい。こうなれば、開き直るしかない。
フィンがいつもの調子に戻って、近づいてくる。
「なんか歌うの?」
「飲み物取ってきていいから、少し一人にしてくれないか」
「あー、うん。分かった」
扉が閉まる音がする。何をしてるんだ、僕は。
○
いつ間にか、星が見えるくらい暗くなっていた。少し肌寒いので、家まで送るよと言って彼を車に乗せた。合意なので誘拐ではない。
「楽しめたか?」
申し訳なさそうに言う。どうしてそんな風に言うのだろうか、楽しかったのに。
「まだ気にしてるの?」
「いや、ほら。ティルトってクールだから。感情を表に出さないじゃん。てっきり、どうでもいいのかと思って」
「心の中では喜んでるんだけどね。…でも、同僚からはよく『分かりやすい』って言われるな」
フィンは一瞬、黙り込む。それから「ふーん。そうなんだ」と拗ねた。フィンの方が単純だから、余計に僕が感情のない男に見えるのかも。悪い意味ではない。彼が優しくて、感情豊かだからという意味だ。
「嫉妬?」
「…違う」
「キミは分かりやすいね」
「俺も、ティルトをもっと知りたい。ファンの誰も知らない部分を知りたい。その同僚にも負けないくらいな!」
「あははっ」
ムキになって言うのでおかしかった。対抗心を燃やさずとも、僕もキミのことを知りたくて、それで頭がいっぱいなんだから。
「焦らなくていいよ。まだまだ時間はある」
「うん…」
「それに、もう付き合ってるんだから。思ったことを言ってくれていい。遠慮はいらないよ」
「え?返事もらってないから、振られたと思ってたんだけど」
「あれ?僕、言ってなかったっけ」
「いや、ずっと歌ってたじゃん。デスメタル」
「あ…ああ〜、そっか。うん」
とても大事なことなのに、混乱しすぎて忘れていた。
「ごめん、改めて僕から言わせて。フィンのことが好きだ。僕と付き合おう」
「お、俺なんかでよければ…」
「キミから先に告白したんじゃなかった?」
「照れるもんは照れるんだよ!好きな人に、面と向かって言われたらな!」
……やっぱり閉じ込めるだけじゃ足りないかも。決して口には出さないけど。
彼の手を握る。ドギマギしながら、弱い力で握り返してくる。僕は今、どんな顔をしているだろう。とてもカメラには映せないくらい、口角が上がりっぱなしかもしれないな。
○
CHRIS PART
やはり怪しいなと思っていたが、予想が当たってしまうとは。
今日もにこにこ笑いながら帰ってきた。誰かと会っていたんだろう。相手は一人しかいない。
(あの俳優さん、ね)
本業はモデルだが、最近は俳優の仕事も受けさせてもらっている。それで、時々、楽屋ですれ違うことがある。ミステリアスで独特なオーラがある人だと思った。
しかし、何か裏があるようにしか見えない。考えすぎならいいが…
「フィン、あの人と連絡先、交換したんだ」
「ゴホッ!!」
お茶を飲んでいる途中に言うんじゃなかった。
「ごめん、タイミングが悪かった。でも責めているわけじゃないから」
「な、なんで」
「お前、アレで隠せてると思ってたの?バレバレだよ、おバカさんね」
「うぐ…」
罰が悪そうな顔をする。まあ、酔っ払いの告白がなかったことにされるのは許そう。俺が気になるのは、彼がどういう人間なのか、フィンに相応しいのかということだ。
フィンを傷つけたりしないなら、別に構わない。ほんの少しだけ…寂しいけれど。
(まあ、フィンが幸せそうなら?別に…)
目を伏せて考える。二人はきっと順調にいっているし、邪魔をするのは良くない。俺は身を引くべきなのかもしれない。でも。
「ごめん、やっぱいいや」
「まだ何も言ってねえのに。…交換したけど、それが?」
「ちょっとジェラシーっていうか?酔っ払ってたからアレだけど、何にもないのは寂しいんだよね」
「……まさか、本気だったのか?」
フィンが目を見開いて言う。やはり伝わっていなかった、冗談だと思われていた。
「そうだよ。俺はお前と会った日から、お前のことが好き。…けど、ライバルがあの人だと、ねえ」
「あ…」
「晩御飯中にこんな話しちゃってごめんね!早く食べよ!」
俺が笑顔で言うと、彼はしょんぼりしながらお米を食べ始めた。優しいコイツのことだから、俺の話を聞いて悩んでいるんだろう…申し訳ない。
彼の隣にいるのは、ずっと俺だと思っていた。この先も一緒に暮らせると。だけど、あの俳優さんがフィンを連れていったら、それも叶わなくなる。あー、ホント、参っちゃうな。
(もっと、お前と過ごしたかったのに)
ちくりとする胸を抑えて、味噌汁を飲んだ。自分で作ったそれは、かなりしょっぱくて、涙のような味がした。
「なぁ、さっきの話」
フィンが暗くなった部屋で、ベッドに寝そべりながら言った。俺は反対側を向いて返事をする。
「なあに、蒸し返すの?俺、意外と繊細なのよ?」
「…ごめん。でも、アンタ、傷ついてたじゃん」
「だから〜、もういいって」
ベッドが重くなる。いつの間にか、フィンが隣に座っていた。「フィン?」意図が分からなくて首を傾げると、布団をめくって入ってくる。慌てて逃げたが壁しかないので、追い詰められるだけだ。
「ねえ。そうやってもさ、もっと傷ついちゃうだけなんだよ。分かる?分かんないか、フィンは天然人たらしだから」
「なんだよそれ。俺だって、アンタのこと大事に思ってるし。たしかにティルトのことは好きだけど、クリスのことも」
「ふうん、もうタメ口なんだ?」
「あっ」
慌てて口を塞ぐ。
「別にいいよ。…じゃあさ、今日で最後にするから。抱きしめてもいい?」
「…ん」
フィンは目を閉じて、俺の言うことに従う。ホント、素直で可愛い。
「じゃ、失礼しまーす」
手を伸ばし、ピッタリくっついて抱きしめる。俺より小さいフィンは腕の中に収まるほど、心地よくて愛らしかった。
「ふはっ、なんか変な感じ」
「そうだな」
「あ〜あ、ティルトさんがいなかったら、フィンを独り占めできたのに!」
「何言ってんだよ、これからも一緒だろ」
「…え?」
「え?」
フィンはさも当然のように言った。いやいや、ティルトがいるんだから無理でしょ。俺、殺されるかもしんないじゃん。
(こんなガード緩くていいの?)
つまり、俺の側から離れないということだ。じゃあなんだ、ティルトとデートもするけど、俺は友達としてずっと同居しろと?そんなのあんまりだ。フィンは無自覚に酷なことをする。
「ハァ〜〜…ホント、ヤになるね」
「えっ、ごめん…」
「いや、俺は嬉しいけどさ。ティルトさんは許さないと思うよ?」
「…許してもらえると思う、俺がお願いしたら。それに、同居してることはもう話してる」
「エッ。そうなの?怒ってなかった?」
「ううん。嬉しそうだった。あ、でも…笑顔で怒ってるとか?」
「怖…」
いつか消されるかも。と思いながら、フィンを強く抱きしめて息を吐いた。こんな可愛くて純粋な少年が、黒い仮面をつけた男にたぶらかされるなんて、違う世界へ行けたら、二人を引き裂いてしまえるのに。
「まあ、いいや。今はお前のことだけ考えていたい」
「…キザだなあ」
「色男って言いなさいよ」
フィンが俺の顔を覗いて「顔だけは良いからな」と失礼なことを言うので、額にたくさんキスをしてやった。すると焦って逃げようとするのでおかしかった。
「あら、照れてるの?」
「ち、違うッ」
「え〜?な〜に?イケメンすぎて眩しかった?」
「…」
無視された。またやられてもいいの?近づいて笑うと、体を捻って顔を隠そうとする。
「ふ…じゃあ、寝ようか。おやすみ、フィン」
「ん。おやすみ、クリス」
暖かくて、ふわふわしていて、すぐに眠ることができた。彼が望むなら、俺は友達でいてあげる。それが最善の道なら、ね。
○
FINN PART
(昨日のアレ…なんだったんだ!?)
目覚めてすぐに、彼を抱きしめて寝たのを思い出して、一周回って冷静になった俺は、ベッドから飛び降りた。昨日、ティルトに告白して付き合うことになった。それがすごく嬉しかった。
それで、それから、どうしたんだっけ?
「おはよー、フィン」
「うわあッ!?」
「ねえ、毎回そうやってリアクションするの疲れない?」
「びびったあ、クリスのせいだかんな」
「えー、なんで?あ、もしかして俺のこと考えてたの?もお、フィンったらお熱いねえ!」
「うっせ。今日も仕事だろ、準備すんぞ」
「いや、俺は休みだよ。フィンは仕事だけどね」
「マジ?んじゃあ、飯作るから」
「待って」
歩こうとしたら腕を引かれる。
「んだよ」
「せっかくだし外で食べない?ね、たまにはいいでしょ?」
「別に、いいけど」
「じゃ、決まりね。俺が奢ってあげる♪」
「マジ!?ラッキー!」
タダ飯が食えると聞いて喜ぶと、クリスは柔らかく笑った。
○
「〜〜っ!うま〜!」
「はは、声デカ」
「だって、美味いんだもん。なあ、クリスも食べてみろよ!」
俺はクリスの唇をつつくように、スプーンを押し付けた。クリスは驚いた顔で「…いいの?」と言う。
「いーから食えって」
「あ、そ?お前がいいなら、ありがたーく貰うけど」
「なんだよ、ハッキリしないやつだな」
「じゃ、いただきます」
クリスは笑顔で、俺の手を掴み、そのままケーキを咀嚼する。…あれ?これって、かなり恥ずかしいのでは?
「今更、気づいたの?遅いなあ」
「だーッ!もうやんねえからな!」
「ごめんごめん!もっかいお願い、ね?」
ほんっと調子の良いヤツ。絶対やらないぞ。ソーダを飲みながら、ふと窓を見ると、こちらを覗いているティルトの姿があった。
「ブーッ!!」
「ちょ、汚いな。どうしたの?」
クリスが俺の視線の先を追い、顔を青ざめさせる。
「…嘘でしょ」
「ごめんな、クリス。守ってやれなくて」
「勝手に殺さないでよ!いや、今からでも遅くない!トイレに隠れたりすれば」
「楽しそうだね、何の話かな?」
「ヒェッ!」
すでに隣にきている。足を組んで、楽しそうに(表面だけは)笑う。クリスは修羅場に遭った男みたいに身体を震わせた。小声で言う。
「どうするの、これ」
「俺に聞かれても分かんねえよ、今日は連絡も来てないし大丈夫だと思って」
「内緒話は寂しいな。フィン、彼が同居人?」
「え、あ、おう…」
「フィン!」
助け舟を出してあげられなかった、すまんクリス…。ティルトはクリスを観察して、何かを考えていた。怖い怖い。
「ごめんなさい、ティルトさん。これには深いわけがあって」
「?別に怒ってないけど。それより、僕も一緒に食べていいかな」
「もっ、もちろん!いいよね、フィン」
「お、おう!」
「ありがとう。じゃあ…フィンの隣に座ろうかな」
気まずい。すごく気まずい。ストローでジュースをすする音しか聞こえてこない。
「それで、フィンはこのあと仕事だよね?」
「え?うん」
教えてたっけ…?
「そっか。終わったら会える?」
「まあ、特に用もないし」
「良かった。嬉しいな」
目を細めて嬉しそうに微笑む。こんな甘ったるいのをクリスに見せるとか、どういう状況なの。俺はどんな反応をすれば正解なの。
「…仲が良いんですねえ」
「キミ達だって、仲良いじゃない。いつもどんな話してるの?」
「仕事の話とか、あとは、まあ、色々?」
クリスがぼかしながら言う。また気を遣っている。そりゃそうか、ティルト、圧があるからな。
「へえ。仕事って確か、モデルだったよね。最近は俳優もしてるって聞いたけど」
「はい、そうです。ティルトさんほど演技ができるわけじゃないんですけど、まあ、頑張ってます」
「敬語はいいよ、好きじゃないから」
「あ、ハイ。じゃなくて、うん」
「僕は興味があるんだよ。フィンがいつも熱心になって話す、同居人のキミに」
ティルトが近づくと、クリスは顔をひきつらせて笑った。一歩下がる。
「あの…?」
「そうだ。いいことを思いついた」
ティルトは俺とクリスの手を取り、立ち上がる。
「フィンの仕事が終わったら、キミもおいでよ。…クリスくん、だっけ?」
「え?」
「僕の家に招待してあげる」
「え!?」
「じゃ、またね」
ティルトはそれだけ言うと、帰っていった。なんなの?マジでなんなの?
「……どしよ」
「……わかんねえ」
呆然としながら、お互いに顔を見合わせて、カフェの時間は終わった。
○
「ここの演技、迷ってるんだ。だから手伝ってほしくてさ」
ティルトはソファに座って、台本を見せてきた。クリスならまだしも、こんな一般人の俺に見せても良いのだろうか?
「えーっと、これは」
「演技指導してほしいんだ。二人に」
「ええ?でもティルトさん、十分、上手いじゃないですか」
「敬語は嫌だって言ったよね?」
「ハイ、スミマセン」
クリスは身体をピシッと固めて答えた。
「新しいドラマが始まるんだよね。良かったら、見てほしいな」
「俺が見て大丈夫なやつなら、貰うわ…」
「うん、いいよ」
ティルトから台本を受け取り、俺はページを開いた。義理の兄弟と、その恋人が争う話だ。なんだか既視感があるような、ないような。
「僕達の状況に、似てると思わない?」
「うん…たしかに」
「もしかして俺、殺されるのかな」
クリスが不安そうな顔で言うので、ティルトは眉を下げて笑った。
「さっきから何を言ってるの。おかしな子だね、クリスくんは」
「ア、アハハ〜」
「そんな気ぃ遣わなくてもいいぜ。…無理だろうけど」
「無理だよ、緊張するに決まってるでしょ。先輩なのもあるけど、良い感じになってる二人の間に立ちはだかる恋人(ライバル)役を演じるのよ?」
「ああ…」
遠い目をしている、可哀想に。ティルトは手を叩いて「じゃあ、まずはやってみよう」と言った。…やってみるしかないか。クリスの目を見て合図をする。
「仕方ないね、もうどうなってもいいから頑張ろうか」
「おう」
「おにいちゃん、怖いよ…」
…なんだこれ!クソ恥ずかしいんだけど!?演技ヘッタクソだし、マジ場違いじゃん。ティルトは微笑んで、「大丈夫だよ、僕が守ってあげる」と抱きしめてくる。びっくりしたものの、それが嬉しくて服の裾を引っ張った。ティルトは目を見開き、頬にキスをして、頭を撫でる。ふわり、と花の香りがした。香水ではないけれど、なんだか落ち着く気がする。
「…ごめん、待って」
クリスが手を上げる。
「なんだい?」
「申し訳ないんだけど、集中できない」
「ん?ああ、フィンが可愛いから?分かるよ。僕もさっき危なかったし」
「え…?」
ティルトが俺を意味深な目で見てくる。クリスがその間に入って、大声で言う。
「それもなんだけど、そうじゃなくて!フィンの演技が上手くないのと、ティルトの距離が近すぎて。兄弟でしょ?義理の」
クリスは何か言いたげだが、ハッキリと口にはしない。台本が気に入らないのかもしれない。
「そういうことか。つい、いつもの僕達で演じちゃったよ」
「"いつも"?…そう」
(なんだ、この、地獄みたいな空気は!)
二人は睨み合う。俺は混乱している。
「まあ、まあ。俺が下手くそなのは事実だしさ。もっと頑張んねえとな」
「フィン、向上心があって偉いね」
また撫でてくる。本当の弟じゃないに、すごい甘やかしてくるじゃん、嬉し…じゃなくて!演技に集中しろ!
「…っ、もういいから!クリスも早く演じろよ」
「あ、ああ。そうね」
ゴホン、と咳き込んでクリスが真剣な表情になる。俺の腕を強く掴んで、「俺を捨てるの」と呟いた。殺気を感じる。
(うわ、すげえ…)
初めてクリスの演技を見た。仕事場に行く機会もないので、彼がどのように過ごしているのか、熱中しているのか、何にも知らなかった。でもこれは、ヤバいかも。
「…」
「ほら、フィン」
「あっ、お、おう。えーと、」
台本を見る。目を逸らさないと、心の中にある何かが爆発しそうだった。
「…やめろよ。もう、関係ないだろ」
「なんで。関係あるよ。あ、そうか。アイツのことが好きなんだ?俺はどうだっていいんだ?」
「そんなこと言ってないッ!」
なんだか本当の話のように思えて、つい大声を出してしまった。二人は呆気に取られている。
「っあ、ご、ごめ」
「続けて」
ティルトがそう言って、肩をポンと叩く。頷いて練習を再開させる。
「俺は、お前も、おにいちゃんも、大事なんだよ。大好きなんだよ…それを選べなんて、できるわけない…」
「…フィン…」
「クリスくん、今の彼はフィンじゃなくて、ユートだよ」
「あ、そうだった。ごめん!いやさ、急に上手くなるもんだからビックリして」
「うん。僕も驚いたよ。もしかして、演技の経験があるの?」
「あー、まあ。学校で少しだけ」
「ええ…それだけでできるの?器用だなあ。さっきまでのポンコツっぷりはどこにいったのやら」
クリスが感心の声を上げる。大したことないし、二人の方が凄いんだけどなあ。ティルトは満足そうに笑って「ねえ、提案があるんだけど、いいかな?」と聞く。
「なに?」
「二人とも、ドラマに出ない?」
「ハァ!?」
見事にシンクロした。いや、何を言ってるんだコイツ。あ、コイツって言っちゃった。
「待て待て、ほら、俺なんか一般人だし…取り柄なんか何にもないぜ?ドラマとか無理だよ」
「僕はフィンの演技、好きだよ?」
「そういう問題じゃ」
「クリスくんもピッタリだったから、ぜひお願いしたいな」
「俺?ううん…事務所のマネージャーに聞いてみないと分かんないかなあ…」
「そう。じゃ、待ってる」
「はあ…」
置いてけぼりにされたまま、話が打ち切られる。「休憩にしようか。ご飯作るから、待ってて」と言われて、大人しく従うことした。しかし、前も来たけど…本当に広くて夜景が綺麗なマンションだ。そりゃあ、一人は寂しくなるよな。
「ここが噂の、ティルトの家なんだねえ」
「俺が金持ちになったら、こんなとこ住めるようになんのかな」
「うーん。フィンには、似合わないかな」
「あ?」
「でた。すぐ目つき悪くなるんだから。そういうのモテないよ?」
「…もう二人からモテてるし」
「男だけどね。ハァ…ホント、散々だよ」
クリスはソファにダイブして沈んだ。限界のようだ、また幼児返りしないかハラハラする。
「フィンってば、どうしてこんな変な男ばっかりに好かれるワケ?もっと健全な恋をしなさい。お兄さん心配よ?」
「知らねえよ。クリスはめんどくさいけど良いヤツだなって思ったし、別に変な男じゃない。ティルトは…予想と違ったけどさ」
「でもがっかりしてないんでしょ?むしろ、好きになった」
「悪かったな、変な男が好きで」
「それを言ったら、俺は好きじゃないみたいでヤダなあ」
「そういうんじゃないって」
クリスが苦笑いする。
「分かってるよ。そんなの」
「…」
寂しそうに言わないでほしい。胸が苦しくなる。それを悟ったのか、クリスはいつもより明るい声で言った。
「さて、暇だし探索しちゃおっか!大人気俳優・ティルトのルームツアー!ってね」
「マジで言ってる?」
「大マジだよ。気になんない?」
「気になるけどさあ!」
「じゃ、行こうぜ」
一名様ご案内〜!と前へ進む。アンタのそういう眩しくて優しいところ、好きだよ。…なんて小っ恥ずかしくて言えないけど。
「いい?フィン。男は大抵、自分の部屋に何かを隠しているものなのさ」
「はあ」
「リアクション薄いなあ〜。例えば…フィンの写真が大量に出たりしてね!」
「は?怖いこと言うなよ。そんなことするワケねえだろ」
「それはどうかな?あ、なんかある」
「え」
クリスが枕の下を探る。茶色い封筒が落ちた。
「…これは…」
「見てみる?」
「……怖い」
「だよねえ。でも気になるから見ちゃお!」
「おい、待っ」
止める前に、勢いよく中身を取り出した。パラパラと何かが降ってきた。
「…」
クリスの予想が的中した。
「ワア。…アハハ、本当にあるとは思わなくて、俺も冗談とばかり」
「…………」
「ああ、フリーズしちゃった」
写真を見る。俺がクリスと喋って笑っているところ、仕事をしているところ、寝ているところ、何もかもが撮られている。何で、いつ、どこで。
冷や汗が止まらなくなる。ティルトのことは好きだけど、でもこれは…
「……見ちゃったの?悪い子だね」
びくりと肩を揺らす。背後にティルトがいた。いつの間にかクリスは消えている。
「その、これは…」
「認めるよ。僕はこんなヤツだって。キミのことを常に見張って、変な男に絡まれないようにGPSとカメラをつけて見ていたんだ」
「じーぴー。は、え、なに」
「可愛いのがいけないんだ。危ないだろう。放っておいたら、野獣に食べられちゃうよ」
耳を甘噛みして、「ほら、こんな風に」と妖艶に笑う。いろんな情報が入ってきたせいで、キャパオーバーになる。それから__
(…?)
__変だな、すごく、身体が熱い。
服をめくられ、腹をさすられる。怖くて涙が出るのに、彼に求められて、すごく嬉しい。
「うぁ!ん、やめッ」
首をつう、と撫でられる。身体の上から下までゆっくり触られて変な感じがする。
「んッ」手が冷たくて、ゾクゾクする。慣れた手つきで上着を脱がすと、嬉しそうに笑う。(なに、これ)俺はぼんやりした視界で、ティルトを見つめた。
「あっ、てぃると、んう…はなして、なあ…」
熱い、熱い、熱い。離してほしいのに、離れてほしくない。ティルトがパッと手を離すので、もどかしくなって、手を伸ばす。「てぃると、もっと…」これじゃあ自ら、触ってほしいと望んでいるみたいだ。
(頭がぼーっとする、なんも考えられない…)
でもこれが恥ずかしいことは分かる。ティルトが頬に手を添えながら、余った手で俺の舌を掴む。
「あぇ…?」
食らうように甘ったるいキスをされる。息をするのに必死で涙が止まらない。苦しいけどやっぱり気持ちがいい。
「はあ…可愛い…やっぱり閉じ込めたい…」
「ひッ」
獣のようなギラついた瞳を見て、正気に戻る。「やめてくれ、こんなのおかしい…」と首を振るも「我慢しないでいいよ」とあしらわれる。床に転がるカメラを掴んで、俺の手を紐で縛る。言うことを聞いてくれない!
「怯えているところは撮っていなかったね。今、残しておくから…僕のアルバムにしよう。ふふふ…」
「ぅ…っ、くりす、たすけ」
ティルトが手を動かすのをやめた。…これは、大丈夫なやつ?ほっとして立ちあがろうとすると、足を掴まれる。
「な、」
「ねえ。さっきからずっとさぁ。クリスくんのことばっかりだよね。彼がそんなに大事なの」
「言ったろ、どっちも大事だって」
「それは台本の話でしょ。僕がいながら、他のヤツに浮気するの?…そんなの許せない」
「だから。ハァ、話を聞けよ」
「フィンの恋人は、僕一人で十分だッ!」
首を絞められて身動きが取れなくなる。まずい、息ができな____
「フィンに手を出すなッ」
クリスがティルトを蹴り飛ばした。ふいをつかれた彼は床に頭をぶつけて動かなくなる。
「クリス!」
「大丈夫か、早く逃げるぞ」
「でも」
「でも、じゃない!今、自分が何されてたか分かってる?襲われてたんだよ」
「…分かってる」
「はあ!?」
ほっぺを捻られる。「いたっ」そいつの手を掴んで剥がそうとするが、力を強めるだけだった。「あのさ。俺がどれだけお前を心配してるか、理解してないよね」クリスは上擦った声で言った。
「えっと」
「さっき、外の様子を見ようとしたら、ティルトに殴られたんだ。フィンを置いていったワケじゃない」
「へっ?」
「前から思ってたけど、コイツ、ヤバいよ。優しいフリして、裏でろくでもないことを考えてる。やっぱりフィンに近づくヤツは全員殺すんじゃない?」
「そんなこと言うなよ」
「…これだけされても、まだ好きなの?」
じっと目を見つめられる。顔に触れる手が震えていて、彼に余計な心配をかけてしまったと後悔した。
「ごめん。ごめん、クリス」
「謝らないで。怖かったね」
「うう…っ、ずっ、くりす、くりす…」
「はいはい、クリスさんですよっ、と」
横抱きされて、そのまま部屋を出る。調理は途中で終わって進んでいない。俺達が部屋に行くのを見ていたのかも。
(触られても抵抗できなかった。なんで)
とにかく彼の手が欲しくて、熱い身体を冷ましてほしくて、何が何かも分からないまま。
「フィン…」
くしゃりと頭を撫でられる。ふわふわして気持ちが良い。
「ん」
「俺じゃ、ダメ?」
「ダメじゃない。でも、もう付き合っちまったから」
「え、ティルトと?」
「うん…」
「マジかあ」
寂しそうな顔をする。クリスの頬に触れて「…もし告白を取り消せるなら、アンタのそばにいたい」と言うと「取り消すんじゃなくて、愛を上書き保存すればいいんだよ」と眩しく笑った。こういうところに支えられてきたんだなと気づく。
クリスは良い加減なヤツだけど、ちゃんと俺を見て話してくれるし、対等でいてくれる。ティルトも大好きだし、ファンだけど。でも……ああ、混乱してきた!
「まあでも、俺を気遣って付き合うなんてしないでよ。そんなの嫌だからね」
「そんなことしねえよ…」
「ふふ。それじゃ、寝ていいよ。車、運転するからさ」
助手席に座る。大きな手でまぶたに蓋をされる。ふわ、と花の香りがする。それは彼からか、ティルトからか、どっちなのか分からなくなる。
(いや、どっちでもいいか…)
もう眠ってしまいたい。楽しい夢を見れば、今日のことは忘れられる。
「おやすみ、フィン」
「うん…」
○
仕事場でティルトにでくわした。気まずさから目を逸らし、商品をスキャンする。最初はこんなんじゃなかった。憧れていたし、好きだった。今は、ティルトがちょっとだけ怖い。
「ありがとうございました」
「…ねえ、フィン…」
「はい」
「そんな冷たい態度取らないで。僕は寂しいよ」
「…」
「僕が悪かったから、許してくれないか。もう一度、付き合おう。ね」
「…無理」
「どうして?何か欲しいものがあるなら買ってあげるよ。お金ならあるし、行きたい場所にも連れて行くから、だから、離れないで。お願い」
「迷惑なので、帰ってください」
ハッキリそう伝えると、ショックを受けた表情で俺を見て、それから黙って行ってしまった。これでいい。あまり近づきすぎると、クリスが危ないから。
(やりすぎかもしんないけど…でも、あれぐらいしないと)
突き放すのはすごく苦しい。でも、信じたくないけれど、あの狂気的な目を見ると、いつか殺される。そう思わざるを得ない。演技が上手いと思っていたが、あれは素でやっていたのか?
「ハァ…」
「フィンくん、大丈夫?」
店長のリンジーが声をかけてくる。
「あ、すみません。ちょっと、疲れちゃって」
「ごめんね。君は良く働いてくれてくれるしウチとしては助かるけど、体調の方を優先すべきだよ。今日はもう帰っていいから」
「そんな!いいですよ、働きます!」
「そう…?心配だから…」
ああ、心配をかけさせてしまった。不甲斐ない。俺はできるだけ明るい笑顔で「俺、ここで働くの好きなんで!」と答えると、リンジーは眉を下げて「…そっか」と返事をした。働けば、不安がなくなるから。
仕事が終わってスマホを見ると、百件を超える通知と不在着信があった。驚いてスマホを落としてしまう。
「うわ…な、なんだよ…」
それにGPSとカメラ…どこかにつけているのだらうか。それはどこにあるのだろう。カバンは持っていないし、ポッケには財布だけ。あとは…
「やっぱ、何もないよな」
「…フィン」
「うわあッ!?」
また背後にいる。ティルトだ。
「…ッ、もうやめてくれ。アンタのこと、好きなのにさ、知っていくたびに怖くなんだよ。あと、昨日のやつは何だ?なんか、身体が変になって、熱くて…」
「嫌だった?本当の僕を知ったら離れると、心のどこかで思っていたけど、まさかこんなにすぐなんて。傷ついたよ。僕には、キミが全てなんだ、希望をくれたのはキミなのに」
「質問に答えてくれ、俺に何をしたんだ」
鋭い目で睨むと、ティルトは黙り込んだ。
「答えないなら、ブロックするからな」
「ま、待って、言うから!」
「…必死すぎだろ」
「だって、キミがいないと僕は生きていけない。重いかもしれないけど、本当にそうなんだ。昨日のあれは、薬を使ったんだよ。花の香りのね、悪かったと思っているよ」
「はあ」
だからティルトからもクリスからも、良い匂いがしたのか。同じくそれを吸ったクリスは大丈夫だったのか…?
「あれは媚薬だよ。そういう雰囲気になるように。ドラマの話も口実さ、キミと彼を呼んで、フィンが僕のものだって証明する為に」
「だからあんなに…」
「気持ち良かった?」
「良くない!」
ティルトはふっと笑った。(笑うなよ)と頬を膨らませる。
…本当は少しだけ気持ち良かったけれど、それは言わないことにする。恥ずかしいし。ティルトは俺の腰に手を回して抱きしめてくる。
「おい、離してくれ」
「嫌だ…そうしたら、僕の前から消えちゃうんでしょ…」
「なんでそんなに、俺にこだわるんだよ」
「キミは他の人と違って、僕を神のように崇めたり、期待したり、下心を持って近づいて来ないからだよ」
「え?」
「綺麗だから。純粋で穢れのない心。僕はキミのそういうところが好きなんだ」
「…そんな理由?」
「見ているだけで癒されるし、すごく可愛いから、よく会いに行ってたんだよ。キミは僕の精神栄養剤だ」
「う…ええと。喜んでいいのか分からないんだけど」
「喜んでいいんだよ」
ティルトは頬に手を当てて、俺を見る。
「フィンは、僕のどこが好きだったの。上辺だけ見ていたんじゃないのかい?」
「俺は、まあ、そうかもしんないけど。でも、分かんないけど、気づいたら好きになってたんだよ!それじゃあ、ダメか?」
「ダメじゃないよ。だから、もう一度やり直そう」
ティルトは悲願するように、泣きそうな顔で言う。俺は迷ったが、それでも安全を保証できない限りは話に乗っちゃいけない。
「ごめん、無理だ」
「どうして…」
「クリスを傷つけたから」
「またあいつの話?もういいよ、僕は」
「そうやって周りの人を傷つけるから、俺はアンタが嫌いになったんだ」
「嫌い…?」
「…怖いんだよ。もし俺のせいで、大事な人を壊してしまったら。そう考えたら眠れないんだ」
「そうだったんだね。可哀想に。魘されていたのかい。僕がそばにいてあげるから」
「やめろッ!」
ティルトを突き放して、走る。逃げないと。もうこれ以上、話をしても無駄だ。分かってもらえない。自分の話しかしないし、クリスのことも、俺のことも守ってくれないのなら、離れた方がいい。
今すぐブロックすべきだろうか。でもそうしたら、本当に消えてしまいそうで、それは嫌だから…中途半端な気持ちでいるのは、すごく辛い。
(もう少し早く、ティルトに出会えていれば、何か変わってたかな)
そんなことを考えても、どうしようもない。
「あんな追い込まれるほど、仕事が辛かったかもしれないしな。本当、何にも分かってないのは俺の方だ」
歩み寄って、辛さも痛みも知ろうとすれば、もっと近づけば、彼は笑ってくれただろうか。
○
TILT PART
フィンに嫌われてしまった。すごく辛い。
付き合えた時は、あんなに高揚していた心が、今はすっかり冷えてしまった。スープを飲んでも、お湯を浴びても温まらない。それに、連絡先も交換したのに、ブロックされてしまったら、何にも伝えられない。
コンビニに行く気力もないので、僕は仕事をしばらく休んで、ぼうとしてベッドに横になった。つまらない。彼がいないと、僕には何にも残らないのに。
「あ…レンジにある惣菜、食べるの忘れてた」
もう三日も経っている。腐ってしまったそれは酷い臭いがして、僕はむせ返った。
「吐きそう…」
いっそのこと全てを捨ててしまえたら、楽だったのに。彼ともっと繋がりたくて、深いところまで愛したかった。あの日のように、そういうこともしたかった。
「…もういいや」
どうでもいい。彼を諦めることはできそうもないけど。
「…」
『アンタが嫌いになったんだ』
「ハァ、本当、しんどい」
息苦しい。辛い。泣きたい。僕は不安定な気持ちのまま、横になって寝た。
翌朝、またつまらない日がやってきた。フィンはいない。GPSもカメラも、もう必要ない。立ち上がった時、突然、ベルが鳴る。(誰だよ)フィンだったらいいのに、そう思いながら扉を開いたが、やはり違う。代わりに、あの女優がいた。
「キミは」
「バーストよ。ティルト、話があるの」
「悪いけど、今はそんな気分じゃないんだ。帰ってくれ」
彼女は目を見開いて「意外」とこぼした。
「あのさ。人の顔を見るなり、失礼なことを言わないでくれるかな」
「ごめんなさい。職場と雰囲気が違って」
「あっそう。じゃ、用がないなら僕は寝るから」
「待って。貴方にしか頼めないの」
「…なに」
八つ当たりをしている自覚はある。でも、どうしようもない。気持ちの整理がつかない。
「あのね…」
○
「ってことだから、よろしく」
監督が二人を見てそう言った。二人というのは、クリスとフィンのことだ。僕は意味が分からなくて首を傾げた。
「監督?」
「ああ、いや。ドラマに出てもらおうと思ってね」
「なぜ、彼らを知っているんですか?」
気まずくて眉をひそめる。彼らも同様に困った顔をする。バーストが「街で二人が歩いているのを見かけて、クリスの方は前から知っていたんだけど、フィンはパッと見て気に入ったらしいのよ」と説明する。まさか本当にドラマに出ることになるとは。口実だったのに。
「ええと…二人はそれでいいの?」
「うーん、あまり気が乗らないけど…」
クリスがフィンを見て話す。まあ、あんなことがあってからだと、共演する気にはなれないだろう。
「んー。まあ、でも。これも何かの縁だから、俺、下手くそだけど、やってみようかな」
「フィンが言うなら、俺もやっていいけどさ」
「本当か?助かるよ。あ、クリスくんの事務所には連絡してあるからね」
「アハハ、仕事が早いですねえ」
「適役だからね、お願いしたくて」
なんか話が進んでいるが…バーストの方へ行き、小声で話す。
「ねえ。僕に頼みって、何?」
「ああ、いえ。解決したみたいだから」
「?」
「何かあったんでしょう?彼らと」
感が鋭いな。
「まあね。ちょっと」
「ゼノンが言ってたの。様子が変だって」
「ゼノンが?」
「そう。分かりやすいんですって」
「また言ってるよ…そんなに変わるかな」
「私もなんとなく、分かる気がするわ」
「へえ。…ハァ、ダメだな。僕は。周りに気を遣わせるなんて」
僕がため息をつくと、バーストは背中を優しくさすって、慰めてくれる。
「…ありがとう」
「いいえ。貴方が元気になってくれるなら…それでいいの。あの子の代わりにはなれないけれど」
「フィンとは何もないよ」
「嘘つき」
…本当に何もないんだって。
⚪︎
稽古が終わって、休憩時間になった。
僕は二人に声をかけて「ごめんね。こんなことに巻き込んで…それに、前のことも」と謝った。フィンは迷った顔で「…許すことはできないけど、でも、無視することもできないから、これからは気をつけてくれよ」とだけ言った。僕はそれが嬉しくて飛びつきたくなるのを抑えて、微笑んだ。鼓動が高鳴った。
ああ、また話していいのか。その資格があるのか。
「ねえ〜、二人で良い感じになってるとこ悪いけどさあ。監督さん、いつもあんななの?」
「あんなって?」
「ほら。バーストのこと」
僕は監督とバーストを見る。やけに距離が近い。肩を抱いているし、機嫌が良くて、ニコニコしている。
「ああ、そういうこと。そうだよ、いつも」
「うへえ…そっか。じゃ、フィンは近づけない方がいいね。というか、バーストも助けないと!じゃね!」
クリスはパチリとウィンクをして、監督と話しに行った。まったく彼は苦労人というか、なんというか。優しくて気を回せる人だと思う。そういうところがフィンや周りを惹きつけるのだろう。
(僕は誰にでも優しくするけれど、誰にだって優しくない)
…フィンが離れていったのも、そういう理由だろう。
「ティルト」
フィンが隣に座る。僕はびっくりして椅子を揺らした。
「…なに」
「元気、出た?」
「え?」
「だって。明らかに痩せてるし、顔が暗いしさ。分かりやすいっていうの、俺もやっと理解できたかも」
トラウマになってもおかしくない出来事。あの日、僕に襲われたのに、フィンは平然とした態度で話し始める。それが苦しくて、僕は下を向く。
「僕と無理して話さなくていいんだよ、フィン」
「無理してなんか」
「ほら、クリスくんと話していた方が安心するでしょ?彼、優しいから。それに比べて、僕は酷いやつだよ」
「でも、放ってもおけないだろ」
なんて良い子なんだろう。クリスが言うように、尚更、監督には近づけられない。あのセクハラジジイには。
「なあ、ティルト。取り繕う必要なんかないんだぜ」
「それは…」
「自分で思っているよりも、皆はアンタのこと愛してくれてるよ」
「…」
フィンはそう言って笑った。僕は声が出なくて、感激なのか、衝撃なのか、フリーズしてしまった。
それに驚いたのか、フィンは眉を下げて「大丈夫か?具合が悪くなったのか?」と聞いてくる。僕は首を振る。そうじゃなくて、欲しい言葉をキミから貰えたことが、信じられなかっただけだ。
誰も、本当の自分なんて知りたがらないのだから。
「…大丈夫…でも…泣きそう」
「えっ!?控室に移動するか?俺、運ぶけど」
「違うんだよ、キミが、感動させるから」
「そんな凄いこと言ってねえけど?」
「無自覚だなんて…クリスくんは大変だね」
「んでアイツの話になるんだよ!」
不可解、といった顔をする。天然人たらしというのは、そういうことか。納得していると、クリスとバーストが戻ってきた。
「バースト、何もされてない?」
僕が彼女の手を取って言うと、少し戸惑った様子で頷いた。「クリス、キミ…」と疑いの目を向けると、慌てて首を振る。
「違う、違う!何もしてないから!」
「怪しい」
「止めただけよ、やんわりとね。手を出してないし、口説いてもいないよ!」
「必死なのが余計変だよな」
フィンと口々に言っていると、バーストが肩を落として言った。
「クリスの言っていることは本当よ。困っているところを助けてくれたの」
「そう。バーストが言うなら違いないね」
「俺の信用度ゼロ〜?」
ショックです、とでも言うように背中を曲げるが、どうも胡散臭い。
「ただ、フィンのことをすごく気に入っているみたいで。それが厄介なのよ」
「…え?」
フィンは三人を交互に見て、「どういうこと?」と聞いてくる。
「ハァ…マジかあ」
「大変なことになったわ」
「やっぱり、縁を切るべきだったかも」
「なあ、どういうことだよ!」
置いてけぼりのフィンは大声で叫んで、僕達はどうするべきかと悩んで、ため息をついた。
監督は昔から、いろんな俳優に手を出していると有名だ。
それこそ、作品の完成度や鋭い指示など、監督としての評判は良い。しかし同時に、悪い噂も流れているわけで。
最初こそ尊敬していたし、話半分に聞いていたのだが…前のドラマで思い知った。
必要以上に体を触ってくるし、僕が逃げようとすると、声をかけてくる。飲み会に誘われては参加し、別の誰かと話そうとしても隣に座るよう言われる。言うことを聞かないと、作品から降ろすだとか、圧をかけてくる。もういっそ、
全部、録音してバラしてしまおうか。
(…できないよね。仕事を貰っている訳だし。監督は、まあ、いろいろとヤバいけど)
僕が言うのもなんだけど。
「とにかく、フィン。舞台以外で監督の言葉に耳を傾けちゃダメだよ」
「どうしてだよ。ノリも良いし、気さくだし、心配することなくね?」
「いやいや、これは忠告だからね。俺はフィンのことを想って言ってるの」
「私からもお願い」
「バーストまで。そこまで言うなら…」
優しい彼のことだから、何をされても拒否しないだろうし、言われた通りにするだろう。ああ、怖い。すごく危ない。
「そういうことだから、気をつけてね。そうだ、終わったら、皆で食事に行かない?」
「ええ。私は賛成。二人は…予定があるなら、帰っても大丈夫よ。急遽、参加してもらったし」
「うーん」
二人は悩んでいる。はっきりと言った方がいいかな。
「ああ。僕が嫌なら来なくてもいいよ」
「ちょっと、ティルト」
バーストが裾を引っ張る。だってそうじゃないか。結局のところ、許してもらったわけじゃないし、クリスは笑顔を貼り付けながら警戒しているし。
それに、せっかくのご飯が不味くなったら申し訳ないしさ。…僕のせいで。
「どーする?」
「フィンは?」
「………奢りなら、考えなくもない」
「でた、そういうとこだよ」
「別にいいだろ!」
「もちろん、僕が払うよ」
そう言うとフィンは嬉しそうに「わーい!」と飛び跳ねて、クリスは口をあんぐりと開ける。
「ティルト〜!あんまりフィンを甘やかさないでよ。この子すぐ調子乗るんだからね?」
「だって、可愛いから」
「ダメだ!この人、フィンくん大好き俳優だった!」
なにそれ、勝手に変なあだ名つけないでよ。バーストがその様子を見て、くすくすと笑う。
「バースト?」
「ふふ、ごめんなさい。仲が良いなと思って」
「はあ?俺とフィンはまだしも…ティルトまで?」
「おい、クリス」
「いいよ、僕がやったことだから。クリスくんみたいな対応は正しいと思う。フィンは少し変わっているけど」
「変だったか?普通に声かけただけじゃん。つーか、クリスが過保護なだけだよ。ウザいくらいにな」
「フィン〜!?」
突然の裏切りに驚いて、クリスはフィンの周りをうろちょろした。
「ウザい!」
「ぐえっ」
頬を叩かれた。痛そう。
「それで、どうするの?」
「もちろん行く!な、クリスもそうだよな」
「フィンが行くなら、別にいいよ」
「決まりだね。…これで監督が寄り付く前に帰れる」
「そうね」
クリスと小声で話す。フィンは困った顔をする。
「?何の話だよ…」
「さて!それじゃあ後半も頑張りましょうか!」
「無視すんなよー!」
フィンの叫び声がスタジオ内に響いた。
⚪︎
「…あ」
スマホの着信を見て、僕は顔をしかめる。クリスが首を傾げて「どしたの?」と聞いてくるので「監督が…」と返した。
「あ〜…大丈夫?」
「少し席を外すよ。すぐ終わるから」
「分かった。なんかあれば言ってね」
「キミは優しいね。もうフィンと付き合えばいいと思うよ」
「ゴホッ、ゴホッ!」
クリスがむせてしまった。
「え、ご、ごめん」
「なっ、なんてことを言うの!確かに俺はあいつのこと好きだけど?でも、友達でいてほしい〜って言われたら我慢するしかないし、それにティルトのことが好きだから…さ、無理じゃん?」
「…無理じゃないよ。キミの方が、彼を幸せにできるはずだ」
「なんでそんな悲観的なの。フィンはティルトのこと、すっごく大切に思ってるんだよ。自信持ちなって」
「一度、拒否されたら、怖くなるんだ。自信なんて、最初からないよ。嫌われないように、気を張っているだけ」
(…いやいや、僕は何を言っているんだ)クリスも困るだろう。「ごめん、忘れてくれ」と席を立って、外に出ようとする。
「ティルト」
「…」
「フィンを悲しませないであげて」
「…うん」
なぜか、涙が出た。返事をするので精一杯だった。
⚪︎
監督からの電話は、フィンのことだった。僕は嫌な気持ちになって、話を早めに終わらせようと適当に頷いたが、監督は随分、彼を気に入っているようで。
「…ッ、クソ」
一緒にいるところを想像すると吐き気がする。僕以外と連む彼も受け入れ難いが(クリスやバーストは省く)、あのジジイは…外の空気を吸って、心を落ち着かせる。
「ああ、酒が飲みたい」
「こんなところにいたのね」
「…バースト」
彼女は目を細めて笑った。僕のことを見透かしているようで、時々、怖くなるが…彼女は献身的で美しい。
最初に会った時は、ファンの子と同様に軽くあしらっていたが…印象が変わった。もちろん良い意味で。
「はい、ワイン」
「ありがとう」
「どういたしまして。…なにか、悩み事?」
「キミは恐ろしいね。心が読めるの?」
「ふふ、なにそれ」
バーストはふわりと微笑んだ。
「ねえ、ティルト」
「うん」
「フィンのことが好きなら、もう一度、話し合うべきだと思う」
「…そうだね」
僕は星空を見て、それが眩しくて目を細めた。バーストが僕の手を握る。「頑張れ」と応援されているような気がした。
⚪︎
「ただいま」
席に戻ると、フィンが顔をあげてもぐもぐ口を動かした。
「んっ、おかえり」
「何を食べてるの?」
「肉!」
「はは、若いね」
「ティルトは食べねえの?」
「僕はいいかな」
ハムスターのように口いっぱいに食べ物を入れて咀嚼している。あまりにも可愛くて捕まえたくなった。でもやらない。
「大丈夫だった?」
クリスが聞いてくる。
「うん。まあ。バーストが慰めてくれたから」
「そ!よかった!」
パッと明るく笑って、バーストに視線をやった。彼女は困った顔をする。
「えっと」
「バースト、かっこいいじゃん」
「え?あ、ありがとう」
「ご褒美にデザートあげちゃう!どれがいい?」
「わ…どうしましょう…」
二人はデザートの話で盛り上がっている。どっちも気遣い屋さんだな。フィンが俺の袖をちょんちょんと引いてくる。
「ん?」
「ティルト…」
「どうしたの?」
フィンはもじもじしながら何か言おうと口を開ける。
「僕に言いたい事でも?」
「いや。まあ」
「歯切れが悪いなあ」
「ん…ごめんな」
突然の謝罪に呆然としていると、フィンは「失礼な態度取ってさ、アンタを傷つけて…何も知らないのは俺の方なのに」としょんぼりしながら言った。
「いいんだよ」
「でも」
「キミが僕を受け入れてくれたから、もう怖くない」
「え…」
僕はフィンの腕を引いて、抱き寄せる。
「大好きだよ、フィン」
「…」
「ねえ、返事は?」
「え、ああ、えっと」
動揺して目を泳がせる。相変わらず初心で可愛くて、全部、欲しくなる。
「俺も…俺も、好き…」
だんだん声が小さくなる。可愛い。もう一回ぐらい食べてもいいかな。
「お、おい。何もするなよ」
「しないよ」
「嘘だ、怖い顔してたし」
「してないって」
「フン!」
いつもの調子に戻ってしまった。まあ、いいけどさ。
「じゃ、食べようか」
「…悔しい。やられてばっかり…」
「ん?」
「なんでもねえよ!」
そっぽを向いて不貞腐れる。耳が赤くなるのは、不可抗力らしい。彼のほっぺをつついたら、怒ってやり返してくる。
ああ。本当に、僕を夢中にさせてくれる。キミが人生を変えてくれたから、僕は今、すごく楽しいよ。
アイツが消えてくれたら、もっと良いんだけどね。
「ティルト?」
「このステーキ、思ったより美味しいね」
「…あ!?それ、俺の!」
「僕も頼もうかな」
「返せー!」
「もう無理だよ、吐かなきゃ」
「か、返さなくていい」
面白い子なんだから。
1、end
⚪︎