東+チョロ 偏食編本だったか映画だったか、ストレスに起因する円形脱毛は、最もストレスがかかった時から3か月経ったくらいで出る、という話を聞いたことがある。本当のところは知らないが、3か月後に認識が追い付くというのは、感覚的に納得できる気がする。俺は円形脱毛を経験したことはないが、初めて母親が発狂して、なんとなく対応にも慣れてきたと思ったくらいから、肌感覚で気温が分からないようになった。それが大体3か月くらいだったと思う。
『なんでいつも三つ葉とか、よくわからないモン入れるの?』
体調を崩したチョロ松が「うどんなら食べられる」というので卵とじのうどんを作って出し、そう泣きながら突っ返されたのが3時間前。その後1時間ほど大泣きを続け、体力を使い果たすも過敏になってぐずぐずと眠れず、やっと寝付いたのがさっきだ。
食べてもすぐ下痢を起こさなくなって……口を利いてくれるようになって……すんなり寝てくれるようになって……俺の、言い方が理性的なだけの立派な脅迫にすんなり納得してから、3か月が経った。
うどんに三つ葉それ自体で泣かれたわけではないことはわかっている。自分が本来いるべき所とはまったく違う境遇に置かれていることが、食べ慣れない食材によって実感させられたのだろう。悪いが諦めてもらうしかない、そのためには彼の食べ慣れたものを出してストレスコントロールをしなければ。そうでなければ明日からしばらくは飯のたびに泣かれることになる。ここに居られなくなる。
立場上常に金欠で永続的で質の良い身分証もなく、借りられる価格帯のアパートは限られているが、せめてその中でも治安のよいところを探している。だから、もし連日何時間も子どもが泣くのを聞かされたら、無関心でいられる住人はこのアパートにはいない(夏場は虐待の通報が増えるというがこのアパートの壁なら夏も冬も同じだ)。即通報はないだろうが、声をかけら詮索され、見たところ父子家庭、親が下手くそなのか子どもが大変なのか、虐待なのかしつけなのか、そもそも本当に親子なのか……。俺一人なら、警察に捕まりさえしなければめちゃくちゃな生活になっても問題ないのだが、今はもうチョロ松がいる。最低でも1年間は一つ所に留まれる生活をしないといけない。いずれ彼が生家に戻った時、技能上は年齢相応のことができるようにしておかないといけない。そのためには1か月だの1週間だのといったスパンで住まいを替えている場合ではない…。
「どっちにしろ、あと数年だ」
隣人を隔てる壁よりさらに薄い壁の向こうで、寝がえった衣擦れの音がする。とりあえず明日はコンビニのパンとカップのスープを置いて、俺は一般的な出勤時間に出かけよう。
あれからさらに3か月。俺はもちろん、チョロ松の方もルーチンが定着してきた。平日は、朝ランドセルを背負わせたチョロ松を車に乗せて移動し、俺に仕事がなければ別の町の図書館等を転々として過ごす。学校に通わせる手はずが整い次第、行先はアパートがある学区の学校になる。学校などというものは今の生活の中で一番リスクが高く眩暈のする部分だが仕方がない。俺は勤め人を装っているので、週末にアパート最寄りのスーパーに買い出しへ行く。スーパーでは当然アパートの住人をちらほら見かけるので、挨拶こそしないがあえて子どもが食べそうな菓子パン等も買い物かごに入れる。ただ肝心の本人にはあまり菓子パンを食べる習慣がないらしく、大体は情報屋のじいさんの胃へ消えていくことが多い。
潜伏期間が長くなると、小芝居の手間が増える。チョロ松のこともあるからなおさらだ。逃亡生活を始めてから、今が一番金も手間もかかっている。
俺があの家に下宿した時も、金は苦しかった。ちょうどホテルで使えるレベルの身分証もなかったため、支払い含めた手続きがルーズな一般家庭への下宿を選んだ。ただその分家主との距離が近くなるという難点もあり、身分を偽って警察から逃げている俺にとってはリスクも高かった(今となってはリスクとも呼べないが)。だから、なるべく早く去ろうとしてさっさと資金を調達しようと仕事を一度にやり過ぎて、それがよくなかった。現場を見られ、恫喝して(今思えばここが一番よくなかった)、過呼吸、嘔吐、失神……。恫喝に子ども向けも何もないが随分マイルドにしたつもりだったから俺も面食らって、始末に迷って、連れてきてしまった。そんなにショックなら目覚めた時にうまいこと記憶を失っているかもと期待したがそこはしっかり覚えていて、帰すに帰せなくなって、今だ。
逃亡生活を始めてから、今が一番金も手間もかかっている。以前より一層仕事を選んでいられなくなった。しかしチョロ松の安全も確保しなければならない。こんなに頭を使ったことはないが、全く俺の自業自得なのだ。
チョロ松は、うどんに三つ葉事件以後、偏食がひどくなった。今のところ安定して食べてくれるのはコメとうどん(麺のみ)だ。この間も茶碗蒸しなら食べられるというので三つ葉抜きで作ったら『どうして鮭なんか入れるの?』と突っ返された。鮭が嫌いなわけではないが茶碗蒸しに入っているのはダメだという。泣きはしないものの、おかずを一口も食べないとか本当に少ししか食べないということが本当に増えた。食欲自体はあるようで、おかずを食べなかった日はコメを多めに食べている。
あの家で出されていたものと同じようなものなら食べるのだろうが、下宿時に食事を提供してもらったはずだがほとんど覚えていない。
「何なら食べられそうなんだ、お前」
スーパーに大人が一人でいるのは全くおかしくはない。今日もそんな客が沢山いる。だが、おそらく小学生高学年の子がおり、どうも父子家庭で他に保護者もいないという設定の男が、休日のスーパーに一人で来るのは不自然だ。とは言え本物の親が捜索願を出しているだろうチョロ松の顔面を無防備にさらした状態で一緒に出歩きたくはない。
「ウーン……」
俺の勝手な言いつけに素直に従い、深くかぶった帽子のつばが、台に無造作に置かれた野菜に向いてゆらゆら揺れ、真っ赤な山のところで止まった。
「トマトかな……。でも生野菜あんまり好きじゃない」
「サマーシチューにするか?」
「何それ。シーフードカレーのシチュー版?」
「それはクラムチャウダー……」
クラムチャウダー?って何?あさりの……。あさり無理、いや、お寿司屋さんのあさり汁は好きだけど、他のところで食べた時に変な味がして……。
かかった時間の割に成果の少ないかごを持ち、レジの列に並ぶ。かごには、トマト、キャベツ、たまねぎ、じゃがいも、豚肉、卵、プレーンヨーグルト、『そもそも味付けが』という本人の意見に従い広く一般に普及している顆粒ダシ(俺は使ったことがない)、後は仕事にも使える細々した日用品。チョロ松はこれまで、自分で料理するとか、親の調理を手伝うとかはしたことがないらしい。だから、実際どのような味付けをしていたのか具体的には知らないという。
「今日は、とりあえずこれで味噌汁作ってみるよ」
「うん。ありがとう」
こちらを見上げた拍子に少し帽子がずれて、チョロ松の笑う顔が見えた。日中連れまわしている関係で肌はやや日に焼けている。半年前までははっきりあった隈も今はなく、健康的といえるだろう。食事も睡眠もとるようになったし、要望を出すことはまだ少ないが、聞けば言ってくることも増えている。
膝から下の力が、スーッと抜けるような感じがした。
どうせ松野家の人々は俺の本名など知らないし、顔だってもとのとは違う。チョロ松を嘔吐させ気を失わせた時に「なんか倒れてまして」とか素知らぬ顔で家に帰して、その日のうちに出ていけばよかった。健康の保持に注力していることに、リスクを負ってでも環境を整えようとしていることに、何の意味もない。自分の気分の問題であって、虐げていることにはかわりない。むしろ、最も残忍なやり方かもしれないのだ。
その日、トマトの味噌汁を作って出したら、泣かれた。