瀬古杜岳で燃えなかったいふ(オメガバース)①羨ましい。悔しい。ずるい。そんな思いが燈矢の心の中にぽつぽつと浮かんでくる。彼の視界にあるのは、テレビに映る父と、そのサイドキックのヒーロー達。もしも自分の個性が恵まれていたのなら、もしも自分がαとして生まれてきたのなら、もしも第二の性に対する偏見が無い世界なら、自分の夢であった父親が誇る一人前のヒーローになれていたのに……。そう考える彼の暗い顔とは対照的に、テレビに映る人々の顔は笑顔であった。
この世には残念ながら、いろいろな差別や偏見が蔓延んでいる。個性差別や異形型差別など、多く存在する差別の中で特に燈矢を悩ませているのは、性差別だ。この世には男・女の二つの性だけではなく、それに加えてα・β・Ωという性もある。
α性を持つ者は、上流階級であり、エリート集団である。β性を持つ者は、一般階級であり、一番人口が多い。Ω性を持つ者は、下流階級であり、彼らがもつ特性のせいで、社会的に冷遇されやすい。そんな世界に燈矢はΩ性を持って生まれてきた。Ω性を持つヒーローは存在しないに等しい。なぜなら、彼ら特有のヒートと呼ばれる発情期が原因で、α性やβ性の人々から下に見られやすいからだ。
しかし、現代ではヒートをできる限り抑制する薬がある。とはいっても、昔からの考え方を変えることはとても難しいことらしい。
あなたはΩだから――。
プッツン。燈矢は、明るい光を放つテレビを消した。今、父が映る番組を見つづけていても、いい気分になることは無い。燈矢はそう思ったのだ。テレビのリモコンを元の位置に戻しながら、彼の妹である冬美の頼み事を思い出した。
「暑いな。」
外の茹だるような暑さに驚き、思わず口に出てしまった。が、彼の呟きに反応する人はいない。彼もそのことを気にせず、冬美が頼んでいた食材を買うために、ショッピングモールへと足を運んだ。
施設内の涼しさに彼は心を躍らせ、目的地へと向かう。今日の冬美が作る夕飯はなんだろうか、ついでに彼女の好きなデザートも買ってこようか、そんなことを考えていた燈矢の目に、赤いものが入った。つい、彼は赤い翼が映る広告に見入ってしまう。
あぁ、あいつか。あいつのだ。ホークスだ。父の隣のNo.3ヒーロー、ウィングヒーローや速すぎる男などとも呼ばれているヤツだ。
広告の中のホークスはウィンクをしながら、通り過ぎる人々を見つめている。
今、燈矢の心を覗けるのならば、きっとドス黒い、禍々しいものが見えるに違いない。
ずっと広告を見ているのは、自身が企業やホークスの手の上で転がされている感じがし、再び歩き出した。
瞬間
爆音が轟く。
つんざく悲鳴。
場違いな笑い声。
ヴィランだ。
逃げ惑う人々が燈矢の視界を遮り、彼は状況が上手く掴めない。流れに逆らいながら、事の元凶へと近づいていく。
逃げ惑う人々の顔は恐怖でいっぱいだったが、流れに逆らう彼は高揚感で笑っていた。
チャンスだ。きっとこれはお父さんから認めてもらうチャンスに違いない。彼は事件を目の前にしてそう捉えた。
ここで、密かに特訓していた成果を出すんだ。
あの時以来、自主訓練することが難しくなったけれど、それでも彼はずっと少しずつ努力を積み重ねてきた。
大丈夫だ、いける。あのヴィランを俺独りで倒したら、お父さんはきっと俺を見てくれる。
そんな淡い期待だと思っていた願いが、突如として現実味が湧いてきたことで、彼は笑みを抑えることができない。
どうやら、そのヴィランは爆発系の個性を持っているらしい。確か、末の弟である焦凍のクラスメートの一人に似た個性を持つ者がいたようなと、彼は思い出した。無意味に突っ込んで、せっかくのチャンスが潰れたらお終いということを、彼は理解している。
隙を見つけるんだ。被害に遭っているのは宝石店。恐らく金品を盗むつもりなんだろう。ヴィランは一人だけ。よっぽど自分の個性に自信があるのだろうか。そいつの出鼻をくじこう。
また笑みがこぼれる。なんだか彼は泣けてきたらしい。小さい頃からの癖はそう簡単には治らない。彼は気持ちが昂ぶると泣いてしまう癖はあまり好きではないが、今は気にならなかった。
その時は突然訪れた。燈矢の体は熱くなる。それは彼の個性のせいでもあるし、彼の気持ちのせいでもあるとも言える。結局、彼にとってはどうでもいいことであった。彼は青い炎を手に宿らせる。父を思い浮かべる。彼は光を放ち、走っていた。
彼の視界に赤色が入る。
「一般の方がヴィラン退治だなんて危険ですよ。」
No.3ヒーロー、ホークスの登場である。
燈矢が状況を飲み込む間に、全てが終わっていた。流石は速すぎる男である。燈矢は感情の急降下についていけなかった。
あぁ、終わってしまった。せっかくのチャンスが。そんな思いが彼の中を駆け巡る。
そんな彼とは裏腹に、人々は興奮した様子でホークスに駆け寄ってくる。彼らの視界に燈矢はいない。
「ホークスだーなんでここにいるんですかー!?」
「本物だ」
「かっこいい」
「サインください」
ホークスは彼らに笑顔で対応している。
突然、燈矢は淡い期待をした自分が、馬鹿馬鹿しく思えてきた。彼らを避けながら、帰路につく。視界にちらつく赤を燃やす。彼の涙は、未だに止まることを知らない。
歩きながら燈矢は冬美の頼み事について考えていた。
冬美になんて言おうか。彼女は優しいから、きっと笑って大丈夫と言うだろう。
ふと顔を上げると、重そうな荷物を下ろし、腰をさする老婆が前に立っていた。その光景を見て、燈矢はとある記憶が蘇った。彼がとても小さい時のことである。彼は父と一緒に公園で散歩をしていた。父二人きりで外へ出かけることは珍しいので、彼は心が踊っていた。そんな二人の前に、困っている様子の老婆が上を見上げていた。彼女の近くには泣いている子ども。恐らく彼女の孫だろう。彼らの上には、木に引っかかっている赤い風船があった。父は、燈矢に向かってそこに留まるよう言い、赤い風船をいとも簡単に取って、泣いている子どもに手渡した。父は相変わらず無愛想だったが、その子どもと老婆は笑顔で感謝を述べていた。そんな父のことが誇らしくて、大好きだった。父のようなヒーローになりたいと燈矢は心の底から願った。
「すいません、何かお困りですか?良かったらそのお荷物持ちます。」
燈矢がそう言うと老婆は顔を明るくし、
「すまないねぇ。じゃあ、あそこまで頼むよ。ありがとうねぇ。」
と燈矢に微笑みかけた。彼女が話す世間話に相づちをうちながら歩き、目的地に着くと再び彼女に感謝をされた。
彼がこんなことをしたのは初めてかもしれない。彼は父が目指すヒーローになるために個性を強くし、ヴィランを倒すことだけしか考えていなかった。
もし、父がこの光景を見ていたら、人助けをした自分を褒めてくれるだろうか。
まだ彼は父が望んだヒーローになることは諦めきれない。個性が自分の体に合わなくても。自分がΩでも。なんとしてでも、ヒーローになりたい。
突然聞き覚えのある声がした。
「あのーすいません。」
ホークスだった。燈矢に向かって手を振っている。燈矢は、眉をひそめざるを得ない。跡をつけていたのか?でもなぜ?彼の頭がこの予想外の事態に混乱している。そして、燈矢は彼を無視することに決めた。
「あぁ、ちょっと行かないでくださいよ!落とし物です!」
その言葉に燈矢は反応をする。ホークスの手をよく見ると小さな巾着袋があった。それには、万が一に備えてヒート用の薬が入っていた。
「はい、どうぞー。」
燈矢はホークスから渡されてた巾着袋を乱暴にとった。燈矢の行動にホークスは驚きつつもこう言った
「本当は俺の羽を使ってこっそりと落とし物を渡したかったんです。けど、あなたの個性で俺の羽、二本ぐらいやられちゃって。気づいたら居なくなってしまったんです。見つかって良かったです。」
ホークスは笑う。
「それと、ヒーローに憧れをもつのはよいけど、危険なことはしないでくださいよ。それは俺たちの仕事なんで。……でもさっきのバアちゃんにとっては、あなたはヒーローだったと思います。じゃあ、それでは!」
ホークスはそう言い飛び立った。