恋のお届け日曜日の夕方。呼び鈴が鳴り、部屋に備え付けのテレビモニター付きドアホンを確認すると、いつもの制服を着た黒髪でマッシュヘアーの配達員が立っていた。
「こんにちは、配達です」
「今開ける」
マンションのエントランスのオートロックを解除して、中へ入っていく様子をモニターで見守ってから玄関へ向かう。ここは9階だが、あいつの足ならすぐ着くだろう。
予想通り玄関の鍵を開ける前にドアチャイムが鳴り、鍵を開ける。
「こんにちは、レイン君」
「ああ。今日も速かったな、マッシュ」
恋のお届け
レインがこの部屋に引っ越してきたのは今年の春先だ。
大学を卒業し、兼ねてより目指していた会社に就職が決まったレインは、実家から通うには少し遠い職場への通勤時間を考え、実家から出ることを決めた。
しかし1つ重大な問題があった。それは、レインの飼っているうさぎ達がよく食べる餌を売っている店が引越し先にないということだ。
実家の近くには行きつけのペットショップがありいつでも餌を買いに行けたが、レインが住み始めたこの辺りにペットショップが少なく、あっても犬や猫の餌しか置いていなかった。実家の方まで戻って調達してもいいが、車を持っていないレインが大量のうさぎの餌を1人で持って帰るのは難しい。
そこでレインが目をつけたのは、ネット通販だった。幸いにも行きつけのペットショップはネット通販をやっていたようで、うさぎが好んで食べる餌を即定期便にした。これで餌を買いに行く時間が無くても勝手に届けてくれるし、困ることは無い。
荷解きもようやく終わり落ち着いてきた頃、新居に来てから初めてインターホンが鳴らされた。
「こんにちは。レイン・エイムズさんで間違いないですか?」
「ああ。大丈夫だ」
「はい、じゃあこれにサインを」
新人だろうか、社員証に若葉マークを付けた年齢の若い、それも恐らく自分より年下の配達員はレインに紙とボールペンを渡した。それにサインをしながら、どうしても気になった質問をマッシュヘアーの彼に問いかけた。
「…ところで、荷物はどれだ?」
「? それならここに……あれ? ……ごめんなさい、すぐ持ってきます」
(こいつ大丈夫か…? 荷物なんて一番忘れないだろ)
些か不安を覚えたが、新人なら仕方ないのか? と思い、戻ってきて謝っている配達員を赦免し、荷物を受け取った。
そして1週間後、インターホンが鳴りモニターを見ると、今度は荷物を片手に持ったあの抜けている配達員がいた。
「こんにちは。レイン・エイムズさんですね? 今日は荷物もってきましたよ」
「ああ。助かる…というか、これが当たり前だ」
「確かに」
「…ところで、配達伝票はどうした?」
「?…………ごめんなさい」
これがレインと配達員マッシュの出会いだった。
どうやらレインの部屋が最後の配達になるようで、レインは仕事で疲れる日々の癒しとして、マッシュはよく話してくれる配達先のイケメンなお兄さんとして、気がつけば必ず世間話をするような間柄になっていた。
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「俺様が当ててみせよう。その顔は好きな人ができたんだな? レイン」
「…顔に出てますか」
「お前の顔は至って通常通りだ。しかしこの俺は欺けないぞ」
職場で直属の上司にあたるライオからそう話しかけられたレインは、否定も肯定も出来なかった。
新居に来てから少し経ち、マッシュの配達も手慣れてきた頃。会えば世間話をする間柄になってからマッシュのことをよく知り、どんどんその人柄に惹かれていったレインは、いつの間にかマッシュの事が恋愛的に好きになっていた。
しかしレイン自体、恋愛というものは初体験である。それも弟と同い年の年下相手に、だ。バイトで訪れる配達員を好きになるなんてどこぞのAVのような話だし、きっとマッシュも配達先の年上の男がこんなことを思っているなんて知ったらいい気はしないだろう。
だからこの気持ちは秘めたまま、マッシュが配達のバイトを辞めるまでのひと時を楽しむつもりでいた。
「仕事に支障をきたすつもりはないので問題ありません」
「そうは言ってないが……まだまだレインも子供だな…」
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今日もいつも通りマッシュはうさぎ達の餌の入ったダンボールを持って配達に来た。
「今日もご苦労だったな」
「体力だけは自信あるんで余裕です。…あ、今日はちょっとこの後予定あるので、この辺で」
「あぁ、またな」
この日を境に、マッシュは配達が終わると世間話をする間もなく直ぐに帰るようになった。初めのうちは私生活が忙しくなっているだけかと思っていたが、マッシュは予想に反し日に日に窶れていった。
理由を聞こうにも配達が終われば直ぐに帰ってしまうため理由が聞けずじまいだった。
しかしマッシュからしたら配達先の年上の男にそんな心配されてもいい気はしないだろう。それにプライバシーの問題だってある。
そう思うと帰ろうとするマッシュを無理に引き止めることも出来ず気がかりな日々が続いていたが、ついに限界を迎えたのはマッシュだった。
「配達、です」
いつもより階段を上るのが遅かったのか、エントランスのオートロックを開けてから少し時間をおいてドアチャイムが鳴った。
「レイン、君…サインを…」
「…っ! マッシュ…!!」
いつもならダンボールを片手で持ち配達伝票を渡してくるが、伝票を渡す前に、マッシュの体が前のめりに倒れる。
落ちるダンボールは無視して、マッシュの体を抱きとめる。ダンボールの中には大切なうさぎ達の餌や玩具などが入っていたが、そんなことを気にしていられない程、初めて触れたマッシュの体は熱かった。
気を失ったのか完全に体をレインに預けているマッシュに肩を貸してとりあえず部屋の中へ運び込む。レインより少し小さく、しかしガタイはいいマッシュを運ぶのは大変だったが、なんとかベッドまで移動させることが出来た。
首から下げていた社員証と制服の首元のボタンを外してやると、少し呼吸が和らいだ。
(マッシュ・バーンデッド…社員証に会社の連絡先があるな)
レインはマッシュの社員証から会社の連絡先を見つけすぐに電話をすると、幸いにも3コール目で繋がり事情を説明した。従兄弟だと嘘をついてしまったのは悪いと思ったが、そうでもしないと最悪人攫いになってしまう。
やはりレインの家への配達は最後なようで、そのまま終わっても問題ないようだったので一安心し、連絡を終えたレインはベッドに寝かせたマッシュの様子を見た。
真夏の暑い日差しの中でも滅多に汗をかかず爽やかな印象のマッシュだったが、今は余程体が辛いのか大量の汗をかき熱に魘されている。
レインがこの部屋に越してきてから体調を崩したことがなかったため看病に使える道具などは一切なく、辛うじて夏の寝苦しい日に使うためのアイスノンがある程度だ。ないよりはマシだとタオルでアイスノンを包み、マッシュの頭の下にセットした。
しかしその冷たさに目を覚ましてしまったのか、マッシュは薄らと目を開けた。状況が把握出来ていないようだが、しばらくすると慌てた様子で起き上がった。
「今、なんじ、」
「おい、大人しく寝ていろ」
「ば、いと行かなきゃ」
「配達の仕事なら、悪いが社員証を借りて先程会社に連絡したが」
「ちがう……コンビニ…朝、品出し、が」
「掛け持ちしてるのか? 朝ならまだ時間があるがその体では無理だ。そっちも休みの連絡を入れておけ。難しいなら俺が代わりに…」
「だめ、バイト代、少なくなるから、」
座っているにもかかわらず体がふらふらと揺れるマッシュ。そんな状態になってまでバイトへ行こうとする理由が本当にバイト代のためだけかは分からないが、これ以上は見ていられない。
「どこのコンビニでバイトしてる」
「え…っと、ここの、いちばんちかいとこ…」
ここ周辺の1番近いコンビニと言えばあそこしかないだろう。レインは直ぐに近くのコンビニを検索し、出てきた店舗に記載されていた番号へ電話をかけた。
「そちらでバイトしているマッシュの保護者だが、今日は熱のため休ませてもらう。以降のシフトは本人が治ってから直接やり取りをしてほしい」
2回目ともなるとスムーズに嘘がつけた。
店員もあっさり信じてくれたようで、今日の休みを承諾してくれた。礼を言って電話を切ると、状況を把握できていないのか頭にはてなを浮かべるマッシュがベッドの上でふらふらとしている。
「これでいいだろう。金より体だ」
「え、? でも、……っ、ぅ」
「マッシュ…!」
ふらふらと揺れていたマッシュが急に大人しくなり、口に手を当てた。駆け寄り触れた体は体温計を使わずとも高熱だと分かるぐらい熱くなっていて、呼吸も浅く速くなっている。無理に動こうとしたせいで気持ち悪くなったのか、口に当てた手を離すことができない。咄嗟にベッドサイドに置いてあったゴミ箱を掴みマッシュの背中を摩る。
「……っ、ん…はぁ、っは、」
「マッシュ、まずは手を離して落ち着いて呼吸しろ」
「……ん、っう゛…は、」
「…すまない、少しだけ我慢してくれ」
フルフルと首を横に振るマッシュにこちらの声は届いていると判断したレインは、一言断りを入れるとマッシュの口元にある手に自分の手を添えて離させた。抑えるものがなくなったマッシュの口の中に手を入れ、舌の付け根を指で強く押す。
「っ!? っ、〜〜っ、ぇ、…はぁ、っ、う…」
「大丈夫だ、上手く吐けている」
不安からか空いた手を彷徨わせるマッシュに、レインは背中を摩る手を止め綺麗な方の手でマッシュの手を握る。荷物の受け渡しの時にたまたま触れてしまい感じた、あの暖かい手は今や冷えきってしまっている。
「はぁ、…っ、ふ…げほっ、…は、」
「マッシュ、!」
吐き気が治まったのか、体力が尽きたのか、マッシュの体はぐらりと傾きレインに凭れかかった。まだ体は熱いままだが呼吸はさっきより落ち着いている事に安堵し、ゴミ箱を退けてからマッシュをベッドへ寝かせた。
・・・
体がだるい。
覚醒して目も開いているのに体が言うことを聞かない。落ち着く匂いに包まれていてもう一度眠りたくなったが、見覚えのない天井にここはどこか考えるのが先だと必死に記憶を呼び起こす。
確か配達中で、レイン君の部屋に行って…
あぁそうだ。朝から体が熱くて、なんとか最後の配達まで終わらせたと思って気が抜けちゃって、多分レイン君の所で倒れちゃったんだ。
ここまで思い出せばその後自分がした行為なんて芋づる式に蘇る。
(初めて入った人の部屋でベッド占領して、しかも吐いちゃうなんて…)
これ以上迷惑はかけられない。
なんとか体を起こそうと自慢の腹筋に力を入れるが全く機能しない。
(んー、困りましたな。自転車に乗って配達センターに戻らないといけないのに)
体はダルいし、家主もいないし、配達のバイトも、コンビニのバイトも、考えることが多くなって、やっぱり身を任せて寝ちゃおうかなと思いかけた瞬間ドアが開き、いい匂いのするものを持った家主が登場した。
「起きていたか。長い間寝ていたが体調はどうだ?」
「多分マシになりました。…あの、色々とごめんなさい。ベッドも占領しちゃってるし…すぐ帰るので」
「そんな体でどうやって帰るつもりだ? 自転車で戻るんだろ? 事故るぞ」
「う…きょ、今日は歩いて帰って、今度体調良くなったら取りに…」
「非効率だな。一番効率がいいのは、今日ここで休んで、体調が治ったら自転車に乗って帰る一択だ。ご飯を食べて薬を飲めばすぐ良くなるだろう」
レインは湯気のたつ小さい鍋とお椀の乗ったトレーをテーブルに置くと、いつの間にかおでこに貼られていたカピカピの冷却シートを剥がし首に手を当てた。
「多少は下がったがまだ熱いな。とりあえずこれ食って薬を飲め」
話がどんどん進んでついていけないマッシュだが、気づけば体を起こされ、安定しない上体を支えてもらい、いつの間にか小さなお椀によそわれた雑炊がスプーンに乗せられ口元まで運ばれる。“自分で食べられる”と言おうとして開けた口に無理やり運ばれた雑炊は、水分を吸いすぎてもったりしていたが、ほのかな塩味が丁度よく優しい味がした。
お椀によそわれた1杯分を食べ終えたところで限界だと首を振ると、今度は薬と水を手渡された。促されるまま薬を飲み下すとコップを回収されまた横に寝かされた。
「気持ち悪かったりしないか?」
「今のところ大丈夫です。…あの、何から何まで、ほんとにありがとうございます。治ったらすぐ帰るので、」
「……金に困っているのか?」
「え? まあ…えっと、僕親がいなくて、代わりに里親になってくれたじいちゃんに育ててもらったんですけど、最近病気になっちゃって…丁度僕が大学に入学してお金ない時だったんで。大学辞めて働くって言ってもじいちゃんがそれだけはやめてくれって言ってたんで、せめて薬代だけでもと思ってバイトいっぱいかけ持ちしてます」
「じいちゃんと言うのは、レグロさんの事だな?」
「え、なんでそれを…」
「おまえが寝てる間に電話がかかってきていた。悪いがとらせてもらった」
「じいちゃんに、なにかあったんですか!?」
今にも飛び起きそうなマッシュを宥めて事情を説明する。
「お前が帰ってこなかったから心配していたようだった。事情を伝えて、熱が下がるまでは預かると伝えてあるから安心しろ」
「よかった…じいちゃんに何かあった訳じゃないんですね」
心底安心したような声色で、まるで自分のことなど気にしていないように語るマッシュ。自分だって熱があるのに、いくら家族だろうと人の心配をいの一番にするなど、なんてお人好しなのだろう。そういう所がレインがマッシュを好きになる謂れであり、心配で手をかけたくなるところでもあるのだが。
「それでお前が倒れていたら本末転倒だろう」
「確かに。まあ僕体は丈夫なんですぐ治ります」
「それでは根本的な解決にはならない。このままバイトをかけ持ちしまくって、金を稼げるのはいいが学業の方は大丈夫なのか? 退学にでもなったらそれこそおじいさんが悲しむだろう」
「う…」
「…会社の上司に腕利きの医者と知り合いの人がいる。その人なら俺と弟も診てもらったことがある。事情を説明すれば多少は安くしてくれるだろう」
「え、いいんですか…?」
「ああ。そうしたらお前も無理にバイトする必要は無い。学生は勉強に専念しろ。あと…これ、後で登録しておけ」
レインは番号の書かれた小さな紙切れを渡した。
気持ちを伝えるつもりは無いが、手助けぐらいは許されるだろう。
「俺の連絡先だ。困ったことがあったらいつでも連絡していい」
「……なんでレイン君は僕にこんなに優しくしてくれるんですか?」
「…なんでだろうな?」
レインはマッシュにふっと微笑んだ。
初めて見たレインの顔に、マッシュは心做しか熱が上がったような気がした。
to be continued…?