ムッツリレイン君とまっさらマッシュ君「レイン君。今度僕と“楽しいこと”しませんか?」
放課後、たまたま廊下ですれ違ったマッシュに声をかけられたレインは、驚きのあまり手にしていた教科書を全て床に落とした。
「え、全部落としてますよ」
「……楽しいこと、とは」
「それは…んー、まだ秘密です」
「…………そうか」
「日にちが決まったらまた言いますね」
それじゃあ、とレインが落とした教科書を全て拾って颯爽と立ち去るマッシュ。受け取った教科書を握りしめたレインは、いつもの3倍眉間に皺を寄せて寮部屋へと帰った。
その形相は、あのレイン・エイムズを誰かが怒らせたとしばらく話題になった。
「レイン君、この間言ったこと覚えt」
「覚えている」
「え…すごい食い気味…まあいいや。この日がいいかなって思ったんですけど、フィン君泊まり込みのインターンがあるらしくて。夜いないみたいなので2人っきりなんですけど、いいですか?」
「ああ。その日なら問題ない」
「よかった。じゃあそのままお泊まりでいいですよね?」
楽しみにしててくださいねー、と言いながら、いつもより少し機嫌が良さそうに去っていくマッシュ。
レインは確信した。
夜、楽しいこと、2人きり、一緒に寝る。
これは間違いなく、恋人から性交のお誘いだ。
レインは常々、マッシュと付き合い始めたのはいいものの、2人とも恋人ができるというのは初めてのことで、どうすればいいのか当惑していた。付き合い出してからもマッシュは特に変わることなく今まで通りレインに接していたこともあり、レインから何かしようと提案することは無かった。行動派なレインも、さすがにその気がない相手に強行突破はできない。
そんな現状維持が続いていた最中に、まさかの相手からの一手。
正直レインも欲が無い訳では無い。いや、全然ある。年頃の男子たるもの、恋人のあんな姿やこんな姿、見たくないわけが無いだろう。顔には出さなかったが、マッシュに誘われた時は内心大喜びしていた。
根が真面目なレインは、最初にマッシュに声をかけられた時からこっそりやり方を調べたり、必要な道具を集めたりして、来るべき日に備えた。
・・・
待ちに待ったこの日。ついに今夜その時が来るのだと思うと、レインは今日1日何も集中できなかった。
放課後に神覚者の仕事があったが速攻片付け、寮部屋へ帰るやいなや予め用意していた物を持ってマッシュの部屋へ向かった。
ドアの前に立ち、ノックするだけなのにとてつもなく緊張している。ぶっちゃけ神覚者選定最終試験の時より緊張している。
(落ち着け。抜かりは無い。マッシュの前で恥を晒すなど絶対に無いはずだ)
一呼吸ついてからドアをノックすると、中からパタパタと足音が聞こえ、マッシュがドアを開けた。
「いらっしゃいレイン君。どうぞ入ってください」
「邪魔する」
自分の部屋とデザインや間取りが変わっている訳では無いのに、マッシュの部屋と言うだけで全く別物のように思えた。あまりキョロキョロしては不審がられると思い目の前を歩くマッシュに集中すると、ピタとマッシュは歩みを止めた。
「…レイン君。僕今日のためにいっぱい練習して、準備してきました」
(練習…? まさか、俺を受け入れるための…)
マッシュがレインの方を振り返り、マッシュ自身のローブに手をかけると───
「はい、レイン君専用のうさぎさんシュークリームです」
「………………は、」
「レイン君に喜んでもらいたくて、試行錯誤して作りました。たくさん作ったので食べてください」
マッシュが机の上に置いてあった謎の山に被さった布を取ると、中にはレインの手にあるのと同じ、うさぎのシュークリームが皿の上に盛られていた。
「マッシュ、今日は……」
「見ての通り、シュークリームパーチーです。ほんとはフィン君も居られれば良かったんですけど、良さそうな日が今日しかなくて」
楽しいこと、2人きり、一緒に寝る、練習……
レインは盛大な勘違いに気がついた。
(そうだ…こいつは森育ちでなんにも知らない、箱入り娘みてぇなもんだった)
レインの思っていることとは別の「楽しいこと」の内容を披露できたマッシュは、得意げな顔でレインを席へ案内した。マッシュとソウイウコトができないのは少し残念だが、これはこれで可愛いので良しとしよう。
マッシュの作ったうさぎの形を模したシュークリームを食べたり、2人だけでトランプをしたり、他愛もない話をしたり……
気がつけば消灯時間もとっくにすぎる頃になっていた。
「わ、もうこんな時間。お風呂まだですよね? 先入っちゃっていいですよ」
「いいのか?」
「僕は招待した側ですし、レイン君お疲れだろうからゆっくりしてください」
「ではお言葉に甘えて、先に入らせてもらう」
片付けを始めたマッシュを横目に、各部屋に備え付けの風呂に向かう。
いつもはカラスの行水のように風呂に入る時間が短いレインだったが、今日はこの後がないとも限らないと思い念入りに洗うことにした。
レインは、未だ希望を捨てずにはいられなかった。
(まあ、この様子だとなさそうだが)
マッシュの髪からする匂いと同じシャンプーを手に取り頭を洗う。するといきなり背後の扉が勢いよく開き、涼しい風が入る。
「は、……っマッシュ? なぜ風呂に」
「いやぁ、片付け終わっちゃったし一緒に入っちゃおうかなぁって」
「そ、れは、いいのか? その…裸の、付き合いというか」
「? 別にいつもフィン君と一緒に入ってますよ?」
「いっ…………!?、!」
マッシュの予期せぬ行動にあらぬ言動。全てがレインを混乱させた。初めて見た恋人の一糸まとわぬ姿と、弟といつも一緒に風呂に入っているという可愛すぎる事実。情報量が多すぎる。
そんな混乱しているレインをよそ目に、シャワーを浴びだしたマッシュ。あまり広いとは言えない空間に体格のいい男が2人。マッシュの素肌がギリギリレインに触れるか触れないかの広さ。
「………俺はあがる」
「え、お風呂浸からないんですか。せっかくなら一緒に浸かりましょうよ」
「………………まだ早いだろう」
「なにが??」
なんとかマッシュの魔の手(?)からくぐりぬけたレインは、もう耐えられんと急いで体を拭いて髪を乾かし布団に潜り込んだ。これ以上マッシュにラッキースケベ的なことをされたり言われたりしたら、いくら鋼の精神を持ち合わせていようが抑えられない。
そもそもなぜ無意識にそんな際どいことが言えるのか。一緒に風呂などむしろ狙っているのではないか。柄にもなく逆ギレしてしまい、布団に入ったはいいものの眠れるわけがなかった。
「あれ、レイン君もう寝ちゃったんですか?」
悶々としていると、いつの間にか風呂から上がったマッシュが布団に横たわるレインを見て声をかけるが、レインは返事をしない。
「もっとお話したかったのに」
「……まだ起きている」
「なぜ寝たフリ」
可愛すぎる恋人のセリフについ反応してしまったが、のそのそとレインの横に当たり前のように潜り込んできたマッシュに体が固まる。
「……これ以上おまえの可愛いところを見たら、歯止めが効かなくなるからだ」
「? 僕恋人とか初めてだからそういうのよく分からないけど、レイン君が楽しんでくれてるなら嬉しいです」
「そうでは無い……まあ、今日は楽しかった。シュークリームも美味かった」
「よかった。またやりましょうね楽しいこと」
「……その言い方は語弊があるからやめてくれ」
「? うす。……ん、眠くなってきた…」
「もう遅いから早く寝ろ」
「うしゅ……おやすみなさぃ…れいんく、」
「おやすみ、マッシュ」
随分と期待して空回りしてしまったが、こっちの方がマッシュらしくていい。本当の“楽しいこと”はそう焦らずともゆっくり先へ進めていければそれでいいのだ。
落ち着きを取り戻したレインを眠気が襲った。
瞼の落ちるその瞬間、隣にいたマッシュが寝ぼけてレインの腕に抱きついてきた。そればかりではなく、胸筋をレインの腕に押付け、あろうことか寝息をレインの首筋にかける始末。
前言撤回。もうマッシュのペースなんて待たずに襲ってしまおうか。
レインは一睡もできないまま夜を明かした。