天ふみ 初夜の翌日の話ふみやさんの声が出なくなった。
風邪、ということにしている。住人達は体調の心配をしたり、あんなソファーで寝るからだとぼやいたり、様々な反応を見せる。
が、本当の理由を知っている僕はきっと複雑な表情を浮かべていただろう。
唐突だが、ふみやさんと僕はお付き合いをしている。要らない気を遣わせては申し訳ないと、ハウスの皆さんには秘密にしているが。
お付き合いを始めて一年が経つものの、所謂大人の関係というものは持っていなかった。ふみやさんが未成年だったからだ。幾度となく繰り返される誘惑に耐え、早く手を出せという圧に耐え、屈しそうになりながらも何とか乗り切った一年間。天彦、本当によく頑張りました。
――そう、乗り切ったのだ。
先月、ふみやさんは二十歳の誕生日を迎えた。自分を律し我慢し続け(しかも可愛い恋人の誘惑付き!)、溜まりに溜まったこの熱情を吐き出すため、昨日は二人でホテルへ赴き長い初夜を過ごしたのだ。
この一年、実際に手を出してはいないものの、頭の中ではふみやさんにしてあげたいことを原稿用紙十二枚分は書き連ねていたので、それはもう、隅から隅まで朝から晩まで可愛がった。そういう目的のホテルなのだから遠慮することもないと、ワールドセクシーアンバサダーのテクニックを駆使しふみやさんのセクシーな声をたくさん引き出して。本当に幸せな一晩だった。
その結果が、冒頭である。
「……大丈夫ですか?」
小声で耳打ちすると、間髪入れずに睨まれる。お前のせいだと言わんばかりの目線に両手を合わせて応え、すみませんはしゃぎすぎました、と心の中で謝罪した。とはいえ、僕を恨むような目もまた扇情的だ。昨晩の紫色に濡れた瞳を思い出して思わず笑みが溢れる。もう無理ダメ止めろと、顔中を色々な液体で濡らしながら訴えるふみやさん。そのくせ手は僕のシャツを離さず固く握りしめているものだから、愛おしくて仕方がなかった。恋人のそんな姿を見せられて、はしゃがずにいられる男がいるだろうか?
そんなことを考えていたら、脇腹をかなり強めに小突かれた。痛いです、ふみやさん。可愛いけれど。
どこか他に不調な場所はないですか?と心配する理解さんに、ふみやさんはぶんぶんと首を横に振る。具合が悪いと言ったが最後(勿論、声は出ないので言うことはできないが)、今は台所で昼食の支度をしている依央利さんからの強制奉仕が待ち受けているだろうから、当然といえば当然である。なお、現在大人しく依央利さんが家事に勤しんでいるのは、今朝方喉の調子がバレたふみやさんが目にも止まらぬ速さでスマートフォンに文字を打ち込み、印籠のように目の前に掲げたからだ。曰く、《声がでないだけで元気だからきにしないでそれより昼食後にあまいものをたくさん食べたいからよろしく》。
とはいえ、一晩中可愛がってしまったのだ。喉以外にもダメージがあることは間違いない。単純に睡眠不足もある。
僕は、昼食までまだ時間がありますし、とふみやさんに提案する。
「お昼ご飯ができるまで少しお休みしたらどうでしょう?僕の部屋のベッドを使っていただいても構いませんから」
僕が言うと、理解さんがパッと顔を明るくして、それが良いですよ!と同調してくれた。
「少しだけ寝ておきましょう!ね!全ては万全な体調からです!」
理解さんの後押しも受けてふみやさんはおずおずと頷くが、視線はしっかりと台所を伺っている。先般の看病がよほど怖かったのだろうか。依央利さんも悪気はないだろうけれど。
「では、念の為天彦が部屋までお連れしましょう。今なら添い寝もついてきます」
「アホか。こんな時にまでセクハラすな変態」
「ありがとう」
テラさんの褒め言葉に笑顔で返し、僕達はリビングを後にした。
部屋に着き、ベッドに横になる。おいで、と手を広げると、僕の隣に寝転び腕の中に収まるふみやさん。声が出ないせいか、普段よりも些か素直に甘えてくれるふみやさんが本当に愛おしい。
「負担をかけてしまってすみません。どうしても我慢ができなくて。WSA失格ですね」
謝ると、強く抱き締められた。大丈夫だと伝えてくれているのだろうか。僕は小さく笑うと背中を擦って応える。
「さて、本当に寝ましょう。僕はそろそろ戻りますね」
名残惜しいが、関係を隠している身だ。あまり長居しても怪しいだろう。僕は上体を起こすとふみやさんの額に唇を落とし、立ち上がろうとした。
が。
「……ふみやさん?」
身体を引かれて再びベッドへと戻された。
見ると、ジャケットの裾が握られている。ふみやさんの瞳がまっすぐ僕を見つめている。
ああ、知っている。この目は。
昨晩ホテルに入り、深いキスをした直後と同じ。欲情した目。
ふみやさんは不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりとその唇を動かした。
――こえがでないから、ばれないよ
「〜〜〜っ、本当にあなたという人は……」
普段なら優しく諭しているだろうと自分でもわかる。まずはしっかり休んでください、また今度お手合わせ願います、と。
しかし、僕は想像以上に浮かれてしまっているようだ。
起こした上体を翻し、唇に噛み付く。僕の首にふみやさんの腕が纏わりつく。
舌を絡めると水音が脳に響いて、
酸素が薄くなって、
そして――
結局、僕自身も寝不足だったため、お昼ご飯を食べることなく眠ってしまった。
日頃の行いのせいか、住人たちからはこってりと絞られた。ふみやさんも助けてくれれば良いのに、と思う。あれは面白がっている顔だ。声が出たとしても静観しているだろう。
僕の視線に気付いたのか、彼は目を細めて悪戯っぽく笑う。
それだけで許してしまいそうになるのは、やはり惚れた弱みというものか。
念願の一晩を過ごし、どうも今まで以上に甘やかしてしまいそうになる。
このままではだめだ。
僕は一つ深呼吸をし、思いを新たにする。
十一も年下の恋人を、大事に、大事にしたいから。
*
「本当にバレてないと思ってるんですかね~」
依央利が呟くと、住人達は口々に同意する。
「あんな熱い視線を交わしてたらわかるよね。まあ、どうでも良いけど」
「バレバレです……」
「まじうぜえ」
その中で、話に付いて行けない者が若干一名。
「え、何の話ですか?」
「何でもない」
大人だから自由にすれば良い、というのが全員一致の見解だ。
とはいえ、恋愛事になるとやっかいなのがこの男、草薙理解である。
恐らく二人の関係を知ってしまったら、いつもの笛の音と共にふしだらだの不良だのと大声で騒ぎ立てることだろう。
それは非常に面倒臭い。
――この人にだけは知られてはならない。
改めて理解以外の四人は目を合わせ、無言で頷いた。
ハウスの平和を守るため、住人達は今日も、知らない振りをする。