とある日の彼と彼女の会話「なぜ、ネリネなのですか」
雪風の舞うバトルコートの片隅で、ネリネはカキツバタに問いかけた。
二人は既に試合を終えていて、コートを囲ったギャラリーたちは、今や散り散りになっていた。
数日前の放課後。リーグ部の部室で、カキツバタはネリネに対しバトルの相手をして欲しい、と願い出ていた。他の部員とやりとりを終えた彼女を呼び止め、机に全信頼を置いたポーズで見つめる。到底、人にものを頼む態度とは言えない。
ネリネはカキツバタのだらけた姿を一瞥すると、「今日は予定があるので……」と一度は断ったが、暫く黙り込んだのち、別日を指定した。
ネリネの提案に、二つ返事で了承したカキツバタは、部室にも関わらずそのままの体勢で堂々と寝入っていった。
そして今日がその試合の日だったーーらしい。
らしい、というのは、カキツバタが覚えていたのは”バトルをする”という約束事くらいで、日頃スケジュール管理に頓着のない彼らしく、日時に関してはうやむやになっていたからだ。
開始時間が近づいても、連絡の一本も寄越さなかったからだろう。ネリネから着信があった。カキツバタがそれに応じたのは、約束したであろう時間の十分前だった。
カキツバタは足早に指定された場所に向かう。カイリューの背に乗り、テラリウムドーム内の上空を飛行する。目的地は彼の城。ポーラエリアのバトルコートだ。
彼がコートに降り立つ頃、周囲には沢山の人だかりができていた。
大々的に試合日を告知することはない。あくまでも、これは個人間の練習試合に違いなかった。とはいえ、ここはバトル特化の学園。その腕前が5本の指に入る二人が相対すると知れば、学園の生徒たちが観客としてコートに集うのが常であった。
「カキツバタ。7分20秒の遅刻」
ネリネは胸元の懐中時計を確認し、時間にだらしのないカキツバタを淡々とした様子で窘める。リーグ部員であれば、一度は誰もが目にしたことのあるだろう光景だった。
「なんでぃ。もっと早く言ってくれりゃあ、キャニオンスクエアでのんびり待ってたのによぉ」
「時間は厳守してください。カキツバタ」
「へーい」
「……場所に関しては、示しがつきませんので。私的な練習試合とはいえ、貴方に胸を貸してもらうのはネリネの方」
「カーッ、毎度毎度、お堅いねぇ。まぁ、そこがネリネの良いところだがな」
カキツバタは手持ちのカイリューを一撫でし、素早くボールに戻す。
二人はコートの真ん中で相対し、軽口を叩きつつ、互いの健闘を祈り合った。
背筋を伸ばし、こちらを見つめる彼女。清水の水面のような冷い瞳は、どこもかしこも厳寒の印象しか与えることのない白銀のポーラに相応しい。
互いの口から淡々と白い息が吐き出される。
「観客も待ちくたびれたろうねぃ。……そろそろ始めるとするか」
どちらからともなく二人が背を向け、各々配置につくと、試合の観客たちが思い思いに声を上げる。彼らに一種の娯楽を提供するのも、人気者たちの務め。すっかり商業化に成功したガラル地方のジムチャレンジ程の華はないが、ここはできるだけ映えるバトルを演出しよう。
カキツバタは寒空に向かって、強張った体をゆっくり伸ばす。
先発のボールを構え、体を大きく捩じりながら、二つのボールを投じた。
二人して手持ちの回復も済ませ、カキツバタはスクエアの運営に務めていた生徒から試合の録画を受け取った。動画を見返し、互いの改善点について話し合う。ネリネの指摘は、的確でいて、極端に短い。あっという間に感想戦も終えた。
通常であればすぐにでも立ち去る彼女が、今はカキツバタに怪訝な目を向けていた。
なぜ、彼女がそう言い放ったのも無理はない。カキツバタはこの週だけでも、ネリネと対戦するのは既に3回目なのだ。
「そりゃあ、アンタ。ネリネはスグリのこと大事だろぃ?」
「はい、同じリーグ部の仲間。友、ゼイユの令弟。大事でない訳がない」
カキツバタが、近頃チャンピオンになった彼の名前を出せば、素直に返事が返ってきた。そういう意味じゃなくてだな、カキツバタはそう続けたかったが、ネリネは言葉を重ねた。
「それはカキツバタも同じ。ネリネはそう思います。他の、四天王を冠したアカマツも、タロも。無論、セイユも……」
「……おうよ」
「ネリネに、スグリを倒すための回りくどい訓練を施している。そうであれば、今後は不要」
「流石に、ばれちゃったねぃ」
「なぜそのような事を? 実力で言えばカキツバタ、次点はタロ。もし、貴方以外に、より可能性を見出すのであれば、タロでしょう。彼女は勤勉です。……たとえ時間をかけたとしても」
「時間?」
「はい。ネリネやゼイユは3年。部活の引退は貴方たちよりずっと早い。今のスグリがどれだけの期間、チャンピオンの座に居るのか……今はまだ、誰にも分からない。もし、ネリネが彼に敵わなければ、次は貴方たちの代です。タロは3年。貴方も3年…………順当に行けば」
「ネリネにしては弱気過ぎなんじゃねぇの」
「……ネリネの気概とは関係ない。今、貴方に伝えたのは事実」
「事実、ねぇ」
「それに、たとえカキツバタに促されなくとも、ネリネはタロや貴方に挑むための計画を進行中」
「へへっ、ツバっさんはいつでも受けて立つぜぃ。ところでネリネよ。……前から思ってはいたんだが」
カキツバタは淡々と口にする。
「オマエさん、スグリのことになるとよく喋るねぃ」
「…………は?」
ネリネが瞳を丸くした。彼女の口元はまるで目に見えない何かを咥えたようにぽっかりと開いている。長い沈黙が二人の周りを漂った。これが試合中に解決策を探るような無言の熟考ではないことはカキツバタも察していた。
「………………そのようです」
「まさかの無意識? へっへっへ、そういう気持ちの強いヤツがよ。スグリに勝った方がいいだろぃ。オイラや、タロなんかより余程……」
あくまでも軽く笑いつつ、彼女の力を借りるつもりで話を続けようとした。
が、その時。
「…………時間です。ネリネは去ります」
「へ……?」
「さようなら」
「おぉい!! 嘘だろ……ネリネ…………?!」
カキツバタの制止には一切耳を貸すことなく、ネリネはコートから立ち去る。
後にカキツバタが、ネリネが胸元に仕舞っている懐中時計を見ずに立ち去ったことに気が付いたのは、寒空の下でブーバーに手をかざして暖を取っている時だった。
ーーこんなにも心配してる部員が居るのにねぃ。……全くもってどうしようもないヤツ。