バカのバラード最近、真ちゃんが会う度にカッコよくなっている。オレの贔屓目じゃないぜ?マジなんだって。
高校時代に散々いじってやった日曜日のパパさんスタイルはすっかり形を潜め、今日は白いスラックスと涼しげなサマーニット。おまけに七三分けの三のほうをゆるく撫で付けちゃって、まったく何処のイケメン大学生だよ。
そんな見目麗しい姿は道行くお姉様方の気を惹きまくるわけだが、そこは流石のエース様だ。我関せずといった態度を貫く。というか、気付いていないのだろう。えんじ色のブックカバーが掛けられた文庫本を熱心に捲っている。
「よっ、真ちゃん。相変わらず来んのはえーのな」
「特別早くもないのだよ。どんな相手でも待ち合わせには10分前に到着しておくものだ」
極め付けがこれ。
オレに声を掛けられて顔を上げる真ちゃんは微笑んで笑ってみせるのだ。毎度の如く。
背後で色めき立つ気配を感じる。そりゃそうだ。西洋人形と見紛う程の装飾で縁取られた翡翠の宝石が先程までの鋭さを引っ込め、ただ柔らかく煌めくのだ。そんなの誰が見たって魅入られずにはいられない。
「なんか、お前、今日キラキラしてんのな」
思わず口をついて出たのは嫌味も皮肉も含まない素直な感想である。だのに、真ちゃんは鬱陶しそうに鼻を鳴らし、バカめ、と、吐き捨てるのだ。
はてさてそんな真ちゃんと最後に会ったのも今は昔半年前。いやね、避けてるわけじゃないんだけど。日々の忙しなさにかまけていたら季節が二つも通り過ぎてしまっていた。出会って始めの3年間からすれば信じられないほどオレと真ちゃんの距離は遠くなってしまったわけだが、過ぎて気付く黒歴史かな。朝から晩までベッタリとヤツの隣を陣取っていたことがバスケへの人事かと問われるならばNOと、眉間に寄った皺を無理矢理広げて人の輪に押し込んでやることが緑間を思っての行動だったかと問われればNOと、そう答えられるくらいには大人になったから、寂しくはなかった。
ただ、前回の予定の流れ方が不味かった。大学にバイトにライブにと人が密集する場所へ散々足を運んでいて今まで流行病に罹っていなかったのは奇跡と言えたのだが、健康優良児和成くんの伝説もそこまで。真ちゃんと会う日の前日に発熱したオレは、病院から帰る道すがらで握った携帯から「安静にしているのだよ」とらしいっちゃらしい労りと、これは電波に乗らないと思ったのだろう、小さな、でも確かに落胆の色を持つため息を頂戴してしまった。
真ちゃんは鋭利な口ぶりの割に友達想いの優しいやつだから、オレの約束を優先させて断った誘いがあるだろうことは想像に容易い。加えて予定が狂うのを嫌う生真面目な性格はドタキャンした相手への評価を下げること間違いなし。
あ、これ、キセキなんかは別枠ね。アイツらはきっと真ちゃんにとって宝物のような存在で、相性が悪いと距離を置きこそすれど、価値は認め続けられるのだ。オレはキセキと同列に成れないし、真ちゃんだって同じ枠に入れてやるつもりは微塵もないだろう。少年時代の大多数のクラスメイトのように、同窓会でもなきゃ顔が浮かぶことさえない過去の友人に高尾の項目が増えていれば上出来だ。
日々の積み重ねこそが重要な立場に居てのこのやらかしは、開きつつあったオレと真ちゃんの溝をふかーく決定的なものにしてしまった。以前のような気軽さで休日を予約するなんて出来るはずがなく。悔いても悔やみきれない夜を何日か、その後はまあ平々凡々と、平坦な時間を過ごす羽目になっている。
そんなもんで、もう真ちゃんはオレのことなんか忘れて、楽しくよろしく新友たちと薔薇色のキャンパスライフを送ってくれちゃってんだろなんて失礼な邪推をしていたこの頃。あー夕飯どうすっかなストックの米切れたんだよな今から炊くとして何時に飯食えんだよ、と、トボトボ歩いていた高尾ちゃんの足を止めたのは紛れもない真ちゃんその人からの着信であった。いったいぜんたい今頃なんの用で。同窓会ってこの時期だっけ?んにゃ真ちゃん幹事ってガラじゃねーだろ。迷ってる間にも辺りに高校時代のお気に入りソングを響かせる携帯を黙らせるべく、意を決してボタンを押す。
「パスを出せ」
オレに大層な決断を迫った電話は、10秒にも満たない一方的な命令で切れた。そりゃ横暴だぜエース様。ムカッとイラッとしつつも未だ根深い下僕根性が身体をくるっと反転させ、休養日の度にお世話になっていたバスケットコートがある公園へ、来た道を戻らせていた。
徒歩10分。実際のところ小走ったため5分ほど。
木陰に隠れるようにしてコートの様子を伺ってみれば、ゴールを睨みつけている緑頭の大男がいた。ハーフラインより後ろ大股二歩分下がって仁王立ち。元々バスケをするつもりは無かったのか、白いポロシャツにグレーのテーラードパンツ。襟元に入った黒ラインが秀徳ジャージを彷彿とさせて懐かしく思う反面、革靴でバスケはやめとけよ、と、冷静なツッコミを心の中で入れてしまう。
ベンチに寂しく放置されていたボールを拾っても真ちゃんはこちらに気付かないのか、微動だにしない。ええい呼び出しといて何に思い耽ちゃってんだこんにゃろ。意趣返しに、なんの合図も出さずに背中へボールを放る。間抜けにぶつかって珍妙な奇声の一つでもあげてしまえ。爆笑してやるから。と、そんな一瞬の企みは三年相棒をやっていた男に対して甘すぎたのだろう。到達まで数十センチの距離で向き直られたボールは、危なげなく彼の手に収まった。そこからまたゴールの方へ構えるまでのわずかな間。こちらを一瞥した男の口は、「見ていろ」と、確かに呟いた。
軽々と空高く打ち上げられた球体は、打ち上げたその人自身を写し出したかのように真っ直ぐに、綺麗な超弾道を描いて目標地点へ進んでいく。時折点滅する外灯が、表面をチラチラと光らせている。これ、願い事を3回唱えれば叶うんかな。
リングを全く掠らずに潜り抜けたボールのバウンド音で我に返る。慌てて真ちゃんを見れば、なんとも形容し難い表情を貼り付けていた。怒っているわけではないが、まず機嫌が良いというわけでもなさそう。緊張しているような、こちらを睨んでいるような。おいおい次のターゲットはオレなのか、こちとらゴールと違って素早く避けれんだぜ。顔だけで無意味な挑発をしてみる。ググッと眉間が狭くなったから伝わったのだろう。どんなに大人びたって、わかりやすくて可愛いやつのままだ。変わっていない緑間を見つけたのが嬉しくて、両手を斜め前に突き出す。ニッコリ笑顔もおまけしよう。
「さっすが元エース様!」
早くお前も腕伸ばせっつの。ほら、ハイターッチ。そんな具合に近付けた手の平は軽く躱される。嫌なのかよ。やっぱコイツわかんねー。
「……高尾」
「何?」
図らずとも拗ねたような声が出てしまった。違うんだよ真ちゃん、オレはハイタッチ出来ないくらいで臍曲げるタマじゃないからな。だから慰めなんか必要ないんだけど、なあ、なんか近くね? オレが寄った分より更に距離狭まっちゃってるよね? うぎゃあ。肩にガシリと置かれた熱は何のつもりでしょうか。お前あったけーな体温いくつだよ。
テーピングをやめてもささくれ一つない滑らかな指を有効活用されている。身動き取れないオレを可笑しがったのか、真ちゃんの瞳がゆらめいた。
「お前、やはり俺が好きなのだろう」
とんでもない爆弾発言に目が眩む。もしかしてさっきのも真ちゃんの目ではなくオレがくらくら揺れていたゆえの錯覚か。いつ俺様彼氏にジョブチェンジしたんだ相談くらいしてくれよ水臭いな。ちょっと待てよ、台詞的にはまだ付き合う前だ。だとしたら口説いてるのか? おいおい真ちゃんに口説かせるなんてどこの超絶美少女だよ。ひと目でいいから拝ませてもらおーっと。顔を上げた先にはパチパチ煌めく透き通った宝石、に反射する、毎朝鏡の前で顔を合わせるヤツ。
あ、これ、口説かれてんのオレだな。
「ブフッ!!真ちゃん、ジョーダン言えるようになったんだな!」
「冗談などでは無い」
「わ、わーったわーった。そうだよな、お前そんなこと、くっ、あはははははは!」
そっから時間にしておよそ3分、もっとだっけ? とにかく思う存分笑わせてもらっても未だ腹筋が引き攣って仕方ないが、オレの旋毛を憮然たる面持ちで見つめ続ける真ちゃんを放置するのも可哀想になってきたため、どうにか笑いをかみ殺す。そんで、何ゆえ高尾和成が緑間真太郎を好きだという結論に辿り着いたのか、根掘り葉掘り聞き出してやることにした。どうせぶっ飛び理論を展開されるのだろうが、面白いことに違いない。好奇心を隠しもせずに尋ねたら、真ちゃんは少し気まずそうに目を逸らし口籠もる。この感じも懐かしい。言いたくない部分を突かれた時の緑間は、上手い誤魔化しが思い浮かばなければ黙りこんで場をやり過ごすか、ピシャリとシャッターを下ろして会話を終わらせるのが常だ。さてさて今回はどっちになるかな。しかし数秒で覚悟を決めきれたのか、真ちゃんはしぶしぶと口を開いた。
「俺を見るたび、眩しそうな顔をするだろう」
お前の方が眩しそうな顔してんよ、と、咄嗟に言い返せなかったのは褒められるべきかざるべきか。古い記憶を想起させられてほくほくしていたちょっと前に戻りたい。全く、相棒というものは。図星である。
二の句が継げないでいるオレを尻目に真ちゃんは懇々と畳みかけ始める。ショックを受けている頭が完全に右から左へ流そうとするのを気合いで押し留め耳を傾ければ、聞こえてくるのは「好いた相手は輝いて見えるらしいのだよ
」とか「会うたびに俺が光っているだのキラキラしているだの言っていたではないか」とか。オレからの好意を正当化するのに躍起になっていた。おいおいツンデレはどーしたよ、そんなに真っ赤にしてさ。今抱きついたらブン殴られっかな。思った瞬間には衝動のままに飛び付いていた。額を擦り寄せた首元からゴクリと唾を飲む音が聞こえ、それがまた愛おしさを呼び起こす。
「ありがとうな。真ちゃん」
何に対する感謝だと問われたって自分でもわからない。バクバク活発に動く心臓に、勝手に言葉が押し上げられた。
呟きを合図に真ちゃんの腕がオレの腰に回る。ピッタリと身体を引き寄せられ、耳元に息を吹き込まれた。
「礼を言うのは俺の方こそだ。お前は頭の後ろに目が付いているのかというほどさりげなく周囲に気を配り、俺のフォローまでしてしまうのだから何度助けられたかわからん。それに元々の器用さで何でも卒なくこなすだろう、把握していない事がいくつあるか」
「買い被りすぎだっつの」
「笑うな。加えて見目も良いお前の横に並んでいるのは、少々気を張るのだよ。外見だけでも吊り合えばと黄瀬の雑誌なんかに世話になったではないか」
「ええー、それ、オレのせい? 黄瀬クン喜んだしょ」
「アイツが喜んでなんの徳があるというのだ」
「素直じゃねーの。つか別に無理してまで一緒にいる必要ないじゃんね。現に今日まで連絡ひとつなく離れてたわけだし」
嫌味っぽく睨んでみれば、みるみるうちに表情が曇る。かわいいかよ。如何にも不服ですって声で「必要があるから呼び出したのだよ、高尾」と、切り出した。そこから今度はオレが隣に居ない事についてペラペラと不平不満を並べ立て始めた。よくまあここまで溜め込んだもんだ。しかし愚痴をいくら浴びせられようと、そうですねオレが悪うございました今後はお手手繋いでずっと一緒な、なんて下手に出てやる義理はない。放置された側のプライドならこちらにもあるんだぞ。なーんて突っぱねて、真ちゃんの話をまともに取り合わず適当な返事をしていたのが見事に裏目に出た。
「だから一緒に暮らすのだよ」
「はいはい……ん?」
「フン。高尾なら断らないと判っていた。安心しろ、既に契約済みだから今からでも同棲できるのだよ。とはいえ俺の理想で決めてしまったからな。気に入らなければ今度の週末に見学に行くと言うのも悪くない」
「え、まって!?!? ちょ、おい!! 緑間ァ! 一旦離せこの馬鹿!!!」
腕の中でもがけばもがくほど、ぎゅう、と力を込められて逆効果だ。より密着した事で真ちゃんが愉快そうに笑うときの振動が伝わってくる。くっくっと喉を鳴らす声が心をさわさわと撫でまわし、居た堪れない気持ちにさせる。そんなに嬉しいかよ。
バカはどっちか。一目瞭然、オレに違いなかった。
なーんてな。