ネクタイ(けあきデー) KKのネクタイは古くて、くたびれている。でも布はしっかりしていて、とてもいいものらしいってことも分かる。
「それ、いつもしてるよね」
KKが出かけるためにネクタイを巻いているのを見て、僕は訊ねていた。
「ああ、ネクタイのことか」
「うんそう。大切そうにしてるよね。誰かのプレゼントだったりするの」
しまった、と思ったけど遅かった。KKは少し困ったような顔をすると話し出す。KKにプレゼントをする「誰か」なんて、予想がついていたのに、僕は馬鹿だ。
「息子が父の日のプレゼントにくれたんだ。正確には息子が選んで、家内が金を出したんだが」
気まずくなりそうな空気はなく、僕は一旦安堵した。
「へぇ、そうなんだ……」
KKと家族は破局を迎えている。その幸せな時間の残滓を纏い続けるKKに、らしくなさと、らしさを同時に感じる。
「暁人」
「うん?」
「未練とは違うんだ。これはな、愛着が近い」
あまり自分のことを語らないKKが、進んで何かを話そうとしている。それが僕に対する後ろめたさと愛情からかもしれないと思うと、胸が震えた。不覚にも、嬉しくなる。
KK。あんたいま僕のために、胸を痛めたんだね。
「息子の好きな色だったんだ。家内は止めたらしいんだが、オレはこれで良かったと思う」
「黒いね。たしかに珍しいかも」
KKは、スーツも黒だ。合わさるとまるで喪服のようだが、シャツの色とコートの色でそんなふうには見えない。それでも、あまりない色合わせなことは、確かで。
「流行りも何も関係なくてな、それが良かった。オレが馬鹿の一つ覚えみたいにこればかりつけてても、誰も何も言わなかったしな」
KKが僕を見る。潤んだ黒い瞳は、僕に対する大きな気持ちを表しているようで、胸が軋む。
僕は簡単で、業が深い、女狐のようだ。そんな僕を操るように動くKK。狡いと思う。それでも、あんたを悪くは思えない。
「僕は、別に……」
「オレが考えるべきだった」
KKが僕の手を取る。そのまま唇に手の甲を導かれて、僕は戸惑った。
そのまま手にキスされて、熱が溢れそうだ。
「そういやオマエも出かけるんだろ。ネクタイ曲がってんぞ」
「あ、うん。いいよ、このまま行く……」
「どうせ就活だろ。ほら、いいから任せとけ」
前に回ってネクタイを直すのかと思っていたKKが、後ろに立った。後ろから手を回してきて、首元のネクタイを解く。
「他人のネクタイ直す時は、こっちからじゃねえと収まりが悪くてよ」
僕はやっぱり簡単に動揺して、紅潮した。KKの体が密着して、僕の肩越しにネクタイを結んでいく。首元に息がかかる。決して器用とは言えないけれど慣れた仕草に、僕は胸が熱くなるのを感じた。
「け、けぇけぇ!」
「よし、終わった。これでよし」
僕が振り返った。KKもこちらを見る。二人の視線がかち合って、僕らの時が止まった。
「暁人……」
声に誘われるように僕は目を閉じる。てっきりキスされると思っていたのに、KKの唇は僕の首筋に落とされる。そのまま服の襟元をなぞるようにして、ちゅっと音を立てる。吸い上げられた皮膚は軽い痛みを伴って、僕に甘い余韻を残した。
「今はオマエが、俺の未練だよ」
襟元を直しながら、KKが笑う。僕は耳まで真っ赤になるのを感じながら、KKのほっぺたをぺちんと軽く殴って、そのまま玄関を飛び出した。