Ombra mai fù 後編シェルクたちがしばらく談笑して過ごしていると、秘書が人数分のコーヒーと切り分けたシュトーレンを運んできてくれた。
「さっきから聞こうと思ってたんだけどさ、シュトーレンって何?」
「小麦粉の生地にバターと砂糖を混ぜ合わせ、ドライフルーツやナッツなどを練り込んでから焼き上げたものです。クリスマス前の時期に食される伝統菓子で、これを少しずつ薄くスライスして食べながらクリスマスの日を待つのです」
「ふーん。まいいや、食べよ食べよ。いただきます!」
シェルクも最近調べたばかりだったので、この情報の正確さには自信があった。
が、説明させたわりにまったく興味なさそうに――というより早く食べてみたかったのだろう――フォークを手に取ったユフィを眺めながら、シェルクはこの人の奔放さというか、自由さ、みたいなものは本当にすごいなと呆れ半分に感心していた。
「あんまいね、コレ」
「私も手伝ったのですが、見ていて不安になるほどの砂糖とバターを使いましたから」
作るのは手伝ったが、まだ実際に食べてみたことはない。
シェルクも続いてシュトーレンの欠片を口に運んでみると、濃いバターの味と砂糖の甘さで口の中がいっぱいになった。そして、それらに負けないぐらい強い洋酒の香りがした。そういえばティファが用意したドライフルーツは洋酒漬けにされていたものだった。子どもたち用にドライフルーツの代わりにチョコレート入りのシュトーレンを別にして焼いていたのはこれのせいか、と得心がいった。
「楽しかったか?」
「え?」
「……菓子作りは、楽しかったか?」
「あ、はい、とても。でも、バターの匂いはもう当分嗅ぎたくありません」
ヴィンセントはシェルクに急にそんな問いかけをして返事を聞くと、そうか、と満足げに小さく笑った。
質問の意図はまったくわからないが、ヴィンセントはいつもこうして彼なりにシェルクのことを気遣ってくれている。おそらく。
「ああ、そうだ。クリスマスといえば、今年も作ったんですよ。WROのクリスマスカード」
リーブはにっこりと笑ってデスクのほうを向いた。
ケット・シーが彼の膝からぴょんと飛び降りてそちらに走って行き、両手にたくさんのクリスマスカードを抱えて戻ってくる。
「毎年関係各所にお渡ししてるんですが、たくさん余っているので好きなだけ持って行って良いですよ」
テーブルの上に無造作にばさっとカードがばら撒かれる。
二つ折りになったありふれたポストカードで、表紙には雪が降る中でサンタ帽を被ってプレゼントボックスを抱えたケット・シーが描かれている。心なしかかわいらしさが強調されていて、実物には濃く漂っている特有のうさんくさいオーラがまったく感じられない。
ユフィがそのうちの1枚を手に取って何気なく広げた。
「あ、音が出るヤツになってんだ」
ユフィがカードの表面を押し込むと、カチッという音が鳴ったあとに、チーチーと耳に刺さるような安っぽい電子音が単音のメロディーを奏で始めた。
「ん~! このいかにもオモチャって感じのチープなサウンド! たまりませんなあ」
ケット・シーはその音を聞きながら悦に入っている。
ポストカードから音が鳴ると何が嬉しいのだろう、と疑問に思いながらシェルクもそのカードを1枚手に取ってみる。
別に今だからそう思うわけでもない。シェルクは昔からこうしたものは割と冷めた目で見ている子どもだったと記憶している。
「なぜこの曲を?」
ヴィンセントはメロディーが流れきるのを待ってからリーブにそう尋ねた。
確かに街中でよく聴かれるクリスマスソングとは違う、聞き慣れないメロディーだった。シェルクの知らない最近のものかと思ったのだが、同程度に流行に疎いはずのヴィンセントがそのような反応を示すということは、どうやらそういうわけでもないようだ。
「ああ、色々とワケがあるやけど、どっから説明したもんやろか」
ケット・シーが顎に手を当ててふんふんと考え込む仕草をする。
しばらくしてから口を開いたのはリーブのほうだった。
「3年前……メテオ関連の被害でミッドガルが崩壊してしまったすぐ後の話です。都市開発部門のエンジニアを中心としたWROの前身組織――当時はまだ名前も無い集団だったのですが、まあ我々がラジオ塔を復旧したとき、情報発信とは別の周波数で音楽を流そうという話になって、それで最初に流す曲を決めてくれと頼まれましてね。そのときに使った曲なんですよ」
シェルクははっと顔を上げてリーブを見た。
話題の重苦しさを相殺しようとでもとしたのだろうか。彼の口調は明るく穏やかだった。
メテオの落下を防いだライフストリームが、同時にミッドガルへ致命的な損壊をもたらし、大勢の人が亡くなって今のエッジが築かれたことは、知識としては知っていた。
しかし、その頃のシェルクはまだディープグラウンドに身を置いていたので、実際の様子を詳しくは知らない。
「我が愛しきプラタナスの美しく嫋やかな葉叢よ。汝らに光り輝く運命のあらんことを。雷鳴よ、稲妻よ、荒嵐よ、汝らの尊き平穏を奪うこと勿れ。吹き荒れる狂風よ、汝らを冒涜すること勿れ」
「……はい?」
ヴィンセントが突然何か詩のようなものを諳んじ始めたので、リーブは当惑した顔を見せた。
シェルクも「突然何を言い出すんだろう、この人は?」と思ったが、その低く乾いた独特の声色で、すらすらと紡がれる言葉にはどこか聞き入ってしまうものがあった。
「相応しい選曲をしたものだ」
「あれ、確かにそんなような歌詞やったけど、そこまで長い感じではなかったはずやで。なんですか、それは?」
「レチタティーヴォだ」
「……なんですか、それは?」
「そんなことも知らずに流したのか」
「有名なアリアらしい、というぐらいしか……」
呆れて眉を顰めるヴィンセントを前に、リーブは頭を掻いて照れくさそうに笑った。
「実は、これが世界で初めてラジオ放送された曲なんですよ。自分ではろくなアイディアが思い浮かばなかったもので、昔の発明家にあやかることにしたんです」
「ああ、それなら実にお前らしい」
「その実験放送が行われたのもクリスマスイブだった。まあ、だからクリスマスカードにもこれを使ってみようかという話になったんです」
怪訝な顔をしていたヴィンセントはその理由を聞いてふっと表情をやわらげた。
「当時の技術者がどんな思いで、受け取る人間がおるかどうかもわからん電波にこの曲を乗っけたんか……。今となってはわからん話ですけど、やっぱなんも考えんと昔の賢い人の知恵に乗っかるってお手軽で最高でんな」
そして続けられたケット・シーの無責任な言葉に、ヴィンセントはせっかく感心したことを後悔してみせるように、これ見よがしに肩を竦めるのだった。
「さて、ラジオというものはいくら発信側が復旧しても、受信する手段がないのでは何にもなりません。そこで役に立ったのがこのカードです」
リーブがカードを1枚手に取ってひらひらと振ってみせる。
「これが何の役に立つのさ?」
「……塹壕ラジオか」
「おお、さすが、時代がかった呼び方しはりますね。大正解やけど、今風に言うと鉱石ラジオっちゅーやつです。寄せ集めの材料で簡単に作れて、おまけに電源の要らん鉱石ラジオはあの頃まさに最適解やったわけです」
「ん? 電気がなくてもラジオって聴けるの?」
シェルクも鉱石ラジオ、という言葉ぐらいは聞いたことがあったが、きわめて古い技術という認識で、詳しいことはよく知らない。
ユフィの無邪気な質問に同調して、シェルクはリーブのほうをじっと見つめた。
「厳密に言えば、電気を使わない、という表現は正確ではないのですが……」
「じゃ使ってんじゃん」
「いや、えー……? では、使っていません」
「ウソつけー! 使ってんじゃん、その感じは!」
「それでしたら、受信側には電源が必要ない、ぐらいの表現でいかがでしょう?」
ユフィがあからさまに「説明するのが面倒くさい」という顔をしたリーブに突っかかるのを見ながら、シェルクはこの男がもともとエンジニアだというのを思い出した。
ディープグラウンドでも、工兵たちはよくこんな風に必要以上に正確性というものにこだわったやり取りをして、歩兵をイラつかせていたものだ。
そして、どうしてそのような人が、軍隊を率いるような立場になっているのだろう、と改めて疑問に思った。
能力は確かなものだと思うが、シェルクから見て、彼の柔和な――悪く言えば、どこか頼りない――物腰は到底軍のトップに似つかわしいものではない。もっとも、広報に出るようなときにはそれなりに威厳のある態度を取っているので、取り立てて問題になることもないのだろう。
「送信側のラジオ塔からぶっ飛んでくる電波をキャッチして、電気にして、さらに音に変換する仕組みが鉱石ラジオやねん」
ケット・シーから最大限に噛み砕いたらしい説明を聞いて、ユフィは一応納得したようだった。
シェルクも一度それで納得しておくことにした。詳しい仕組みに興味がないわけでもないので、暇なときに調べて勉強してみようと思った。
「しかし問題になったのが電気を音に変換するのに使う、クリスタルイヤホン……スピーカーですね。他の部品はどうにでもなるのですが、こればかりは電波から抽出できる低い電圧でも十分な音量の音波に変換できる素子が必要だった。今時のイヤホンはみんな低電圧で動かすには向いていない方式になっていて、何か入手性の良い代替品がないかとエンジニア連中で駆けずり回って、ようやく見つかったのが、このメロディーカードだったんです」
リーブは手にしていたクリスマスカードを開くと、少し膨らんだ袋とじ状になっている部分を破いて三つ折りのような状態にしてから、その中身を見せた。
中にはひどく簡素な回路が入っていて、たった3つだけのパーツが短いケーブルで接続されている。
「ここに昔ながらのセラミック発振子があった」
リーブはそのパーツの1つ、薄いプラスチックに覆われた円盤状の部品を嬉しそうに指先でつついた。
おそらくメロディーカードのスピーカーなのだろう。
「それがわかって、すぐさまミッドガル中の文具店を回ってクリスマスカードやバースデーカードをかき集めました。そして、鉱石ラジオの作り方を印刷した紙とカードをセットにして、とにかく広範囲に大量にばらまいたんです。他の部材はなんとでもなるので、あとはとにかく自分たちで探してなんとかしてくれと言ってね。これが実にうまくいって、ミッドガル近郊全域に時間のロスなく物資や避難所の情報が行き渡るようになりました」
「あの頃ってただでさえなんもかんもぐっちゃぐちゃだったのに、神羅に都合の良いことばっかの新聞とか、誰が書いたかワケわかんないようなビラとかばっかり出回って、みんな混乱してたもんね」
「ええ、それから現在に至るまで、ラジオは市民の主要な情報源になっています。さすがに無電源ラジオはもう流行ってはいませんが」
リーブの話を聞きながら、電気もろくに使えない、情報もない中で、当時の人々はエッジを築き上げたのか、とシェルクは何か胸の奥にこみあげてくるものを感じ、目を伏せた。
(決して、地上の人たちも安楽に日々を過ごしていたわけではない……)
もちろん、人為的に形成された殺し合いのためだけの空間などと比べれば、よっぽどまともな環境だろう。
それでも、崩れ落ちた街から新たな街を再興するのは、相当に困難なものだったに違いないのだ。
「当時のミッドガル……エッジは、そんなにひどい有様だったのですか?」
「ええ、3年前までエッジは本当にただの荒野で、何もなかったのです。崩壊したミッドガルから逃れた人々がかろうじて生活を成り立たせるために必死に急造したのが、今あなたの暮らしている街なのですよ」
「今は、とてもそうには見えません」
「だいぶ栄えてきてるでしょう? 見てくれは悪いですけどね」
リーブはそう言っていたずらっぽく笑った。
「んじゃ、これは由緒あるありがたーいお札なんだね。1枚もらっとこ」
「はい、これも差し上げます」
「破ったやつを寄越すなよー!」
「では、ヴィンセント」
「要らん」
リーブがユフィとヴィンセントをからかっているのを横目に、シェルクも先ほど何気なく手に取ったカードを、そのまま1枚もらうことにした。
◇
「今の季節はカームでクリスマスマーケットも開かれとりますから、お暇があったら遊びに行ってみるとええですよ」
「カーム……」
ケット・シーが何気ないことのように口にした提案に、シェルクは俯いた。
夜闇に踊る赤い炎、大勢の人々の悲鳴、軍用ヘリの音、響く銃声――その街の名を聞いても、シェルクの頭に浮かぶのはそんなものばかりだ。
「やはり、街の被害が気になりますか?」
表情を曇らせたシェルクに、リーブは何かを察したように声を落として優しく問いかけた。
ヴィンセントも気に掛けるようにじっとシェルクの顔を見つめている。
「……はい」
認めるかどうか迷ったが、すべてを打ち明けてしまったほうが良いだろう。
シェルクは震えそうになる声を抑えながら、思いを吐露し始めた。
「本当のことを言うと、エッジでの暮らしにもなんだか馴染めなくて。私が暢気に楽しむなんてこと、していてもいいのか、と考えてしまって。今は、WROの施設に戻りたいと思っています」
その言葉を聞いて、ユフィは「そっか」と寂しそうに小さく呟いた。
「楽しい、ことは、楽しいのです。私も普通にしてみたいのです。みなさんと一緒にクリスマスをお祝いしてみたいです。でも、あんな事件があってまだ街もボロボロなのに、こんな風に浮かれていてよいのかとか、特に私のような人間がそこに加わることが許されるのか、とか……色々考えてしまうと、どうすればよいのか、わからなくなります」
思い悩んでいたことをすべて言葉にしてみると、なんだかどうしようもなく感情も昂ってきてしまい、視界が滲んでくるのを感じた。
ヴィンセントはそんなシェルクの目をじっと見つめた。
「お前が自分で決めるしかないことだ」
言葉とは裏腹に、それはとても柔らかい口調だった。
「それをゆうたらこの話ここで終わりやんけ!!」
ケット・シーに文句を言われても、ヴィンセントは伝えるべきことは伝えた、と言わんばかりにそっぽを向いてしまった。
「はあ。えっと、せやな……当然ある悩みやと思いますよ。そんな風に感じられるのは、シェルクはんが優しくてええ子やからです。それ自体は誇ってもええことなんとちゃいますか?」
ケット・シーはぴょんぴょんとシェルクのそばまでやってきて、膝の上にちょこんと乗っかった。にやっと笑って、シェルクを励まそうとしてくれる。
シェルクは戸惑いながら、おずおずとそれをそっと抱きかかえた。
「そうですね、まずシェルクさんに知っておいていただきたいのは、そもそも世の中そこまで潔白な人間ばかりではないということです。WROにだって、神羅の人間はもちろん、過去に過激な反神羅組織で活動していた者まで、何名も在籍しています」
膝を正したリーブが続けた言葉は、ケット・シーとは対照的に、きわめてプラクティカルなものだった。
「はい、それは存じ上げています」
シャルアだってアバランチの構成員だったと聞いていた。きっとそこでの活動は、必ずしも綺麗な言葉だけで言い表せるものではなかっただろうという想像もつく。
「何より私自身、神羅の幹部という立場にありながら、その非道を看過してきた身にあるのです。色々と考えてはみましたが、過ちを抱えた生き方なんてものに正解は見つかりませんでしたよ。私から言えることは……そうですね、結局真正面からぶつかってみて、自分が納得できる生き方をするしかないということです。この人が言うみたいにね」
そうして、ヴィンセントをちらっと見やった。
シェルクがつられてそちらを見ると、ヴィンセントは彼に同意するように小さく頷いた。
同時に正面に座っていたユフィの顔が視界の隅に映った。ひどく渋い顔をして考え込んでいる。
こうした話題は苦手なのだろう。
この人にそういう顔は似合わない。
なんだか申し訳ない思いをしながら、シェルクはリーブの次の言葉を待った。
「しかし以前にもお伝えしましたが、少なくとも我々としてはあなたの境遇や功績を勘案し、ディープグラウンド指揮下に置かれていた際の行動については一切不問とする由を軍議で決定しており――」
「コラコラコラコラーッ!! ちがーう!!」
そしてリーブが難しい顔をしながら言葉を続けると、渋い顔をしていたユフィがついに耐えかねたようにその話を遮った。
そのままふくれっ面をしながら、隣に座っていたリーブの両肩を掴んでがくがくと揺らす。
「ンニ”ャアアアア! まだ話の途中やて!! あかん首が取れてまう!!」
シェルクの膝の上のケット・シーが揺すられている本体の代わりに悲鳴を上げる。
(なんですか、この状況……)
シェルクが困惑していると、やがてユフィの気が収まったようで、リーブの肩を揺するのを止め、トドメと言わんばかりに髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにした。
「そんなもん会議で決まってなくたって良いに決まってるじゃんか!」
「それはそうやけど、形式的なこともちゃんとしておかんと……」
ああ、ユフィはそれで怒ったんだ、とシェルクはようやく理解した。
リーブは理屈っぽいシェルクを安心させるために、客観的な事実を積み上げて話を展開することが多い。
下手な気休めなんかよりもずっと信頼できるそれを、シェルクは好ましく思っていた。
しかしときにそれは、周囲からはなかなかのディスコミュニケーションに見えることがあるらしいのだ。
ユフィに叱られてしょげてしまったリーブは、ずぶ濡れになった子猫みたいに憐憫を誘う姿をしていた。軍隊のトップどころか、不惑を前にした男にはとても見えない。
そんなリーブをソファに放り出すと、ユフィはくるりとシェルクのほうを向いた。
「シェルクはなんも悪くないよ! 全部神羅のヘンなヤツらのせいなんだからさ」
何も悪くない、その言葉にシェルクは息が苦しくなる。
そんなはずはないのだ。それなのにどうしてこの人はそんなことを迷いなく口にできるのだろう。
そしてその純粋さをどこか羨ましく思った。
「それでも私は、彼らに加担したのですよ」
「んあーっ!! なんでそうなっちゃうかなあ!!」
ユフィはシェルクの返答に苛立ちを隠さず、自分の頭を両手でガシガシと掻いて髪の毛をぐちゃぐちゃにしていた。
隣に座っているリーブも先ほど髪型を崩されたまま、ぼさぼさの頭をしているので、そんなふたりが並んで座っているのはなんだかおかしな光景だった。
「何があろうが巻き込まれたシェルクまでくらーい顔するようになったら、結局、世の中めちゃくちゃにしてやろうってしてたヤツらの思い通りのままじゃんか。それってムカつかないの? アタシはムカつく!」
「ムカつく……」
「街のみんなだっておんなじだよ! ひどいことしたヤツらのせいで、楽しいことができなくなっちゃうなんて、なんかムカつくし悔しいじゃん。だから街をめちゃくちゃにやられちゃってもさ、普段通りにお祭りして思いっきりはしゃいで、アタシたちは負けねー!! って、見せつけてやりたいよ!」
「よくわかりません。それはつまり、報復感情でしょうか?」
ユフィの言葉に、シェルクは困惑する。
報復感情があるから、普段通りに楽しくする? 明るく過ごす?
その感覚はよくわからなかったが、しかしそれはどこか力強さを持った正しい言葉にも聞こえて、シェルクはその意味を理解しようと努めた。
「意地とか負けん気って言うんです。確かに大切なもんやで」
難しい顔をしているシェルクの顔を下から覗き込みながら、ケット・シーがにこやかにそれを言い換えた。
「意地……負けたくない……?」
そう呟いて考え込んでいるシェルクに、ユフィは明るい調子で語り掛けた。
「ねえ、今度の捜索隊さ、アタシとヴィンセントも参加するんだ。シャルアのこと、絶対連れて帰ってきてやるから、これ以上くよくよすんなよな!」
不意に飛び出した姉の名に、シェルクは顔を上げた。
(絶対? だって、その生存可能性なんて……)
シャルアは生きている。そう信じて待ち続けようと決めたシェルクでも、それを大っぴらに口にすればかえって気を遣われるだろうと、曖昧に表現をぼかすことが多かった。
ユフィだってそれが危うい約束になることは十分に理解しているはずなのだ。
「ユフィさん……ありがとうございます。姉のこと、よろしくお願いします」
そういう嘘、というか、良くも悪くも無責任なことを口にするのはひどく勇気が要ることに違いないだろう。
そして、シェルクはそんなユフィの蛮勇に中てられたように、それに応えなければいけない、と感じたのだ。
(……私も、負けたくない。何も、諦めたくなんかない)
そう思いがよぎったとき、ユフィの伝えようとしていたことが突然感覚的に理解できた気がした。
視界が開けた感じがして、顔を上げる。
「別に、くよくよなどしていません。……私も、ムカついています」
そう口にしたとき、思いのほか拗ねたような声色が出て、シェルクは少し自分自身に驚いた。
「神羅にも、過去の自分にも、全部に、ひどくムカついています。だから、今は……そうですね、それなら私はみなさんと一緒に意地を張ってみたい。暗くてもやもやした気持ちなんかに、負けたくはありません」
「よくぞ言ったシェル吉! それでこそアタシの一番弟子!」
にっかりと笑ってテーブル越しに身を乗り出してきたユフィに両肩を捕まれる。
あ、髪の毛をぐしゃぐしゃにされる、と警戒すると同時に、膝の上にいたケット・シーがそそくさと逃げていく感覚があった。
「変なあだ名を付けないでください。それに、弟子になった覚えもありません」
シェルクが頭をわしゃわしゃと撫でられている様子を見て、ヴィンセントがおかしそうに笑い声を漏らした。
「あんだよー! 文句あっかよー!」
「いや、ユフィもたまにはまともなことを言うと思っただけだ」
「『たまには』は余計だろー!」
ユフィの気が逸れた隙に髪を整えているシェルクを見て、ヴィンセントはふっと優しく笑った。
「お前が楽しく過ごしてみたいと思うことも、過去の罪を悔いることも、運命を狂わせた者を恨むことも、すべての根底にあるのは同じ願い、と私には思える」
「願い?」
「その先は自分で考えることだ。何も怖がらなくていい」
ヴィンセントの謎めいた言葉は、ユフィの直感的すぎるそれとはまた別の難しさを持っている。
(はっきり言いなさいよ、馬鹿……)
心の中でちょっとだけそんな風に文句を言いながら、シェルクは小さく苦笑した。
この人のこれは、もう仕方の無いものなのだ。
「それでは、クリスマスマーケットには行かれるのですね?」
「はい、行ってみたいです。あ、あと、WROに戻りたいという話は、一度忘れてください」
「ええ、頑張るのですよ」
にっこりと屈託のない笑顔を見せたリーブに、シェルクは頷いた。
髪の毛がぼさぼさのままなので、あまり様にはなっていなかったが。
「マーケットに行くなら夕方まで滞在すると良い。暗くなるとライトアップされてとても綺麗ですから」
「アタシも行ったことないんだ。一緒に行っても良いよね?」
「無論です」
誘う相手も思い浮かばなかったので、ユフィの申し出はありがたかった。
「ヴィンセントはんも行くんですよ?」
「え?」
「お嬢さん方をエスコートしてさしあげんと」
横ではケット・シーが勝手にそんなことを決めている。
突然巻き込まれたヴィンセントは戸惑った顔を見せたが、すぐに諦めたように溜め息をついて「仕方ない」と頷いた。
そんな風に話し込んでいるうちに、気がつけばかなりの時間が過ぎてしまっていた。
帰りのシャトルバスの時間も迫っていたので、シェルクは長居したことを詫びて、その場を後にすることにした。
「楽しんでおいで」
去り際にそう告げられた言葉が、なんだかやけに頭に残った。
◇
帰りのバスが荒野を抜けてエッジの市内に乗り入れた頃、ラジオからはひときわ穏やかな曲が流れ始めた。
聞き覚えがある。そう思ってシェルクは顔を上げた。
しばらくして、あのクリスマスカードの曲だとわかった。
もっとも、録音されたソプラノ歌手が歌うシンプルで伸びやかな旋律は、あの一定の音量で音階しか表現していなかったチープな電子音とは、比べものにならないぐらい美しく聴こえる。
(全然表現しきれてないじゃないですか)
音楽にまったく疎いシェルクでさえそう思い、呆れて苦笑しながら、もらってきたメロディーカードを取り出してそれを見つめた。
それでも、このちっぽけな子供だましのおもちゃが、混迷の中にいる人々に必要な言葉を届けたのだ。
(あなたも、きっと私と同じですね)
生み出された本来の目的は少し異なっていたはずなのに、それでも必要な人に必要な言葉を届けることができた。
誰かがあなたを大切に思っている、幸せに生きてほしいと心配している。
それはどんなに拙い方法であっても、きっと伝えなければいけないことだ。
いつかは誰かの代わりではなく、自分自身の思いとして、それを大切な人に伝えることができるといい。
(だから、生きててね)
どこかで眠るシャルアのことを思いながら、そう小さく祈った。
白く結露した窓を拭いて、街の様子を眺める。
通り沿いに並んだ家々の壁には無数の弾痕が残り、割られてしまった窓ガラスの代わりに、窓枠には分厚い透明なビニールシートが張られている。
そんな街並みから視線を少し上に逸らせば、崩れ落ちたミッドガルが夕日を背にして黒く染まり、どこか威圧的に街を見下ろしている。
(本当に、ぼろぼろですね、何もかも)
それでも人々はそんな街を綺麗に飾りつけては明かりを灯し、聖なる夜とやらを心待ちに過ごしているのだ。
気を抜けばあっという間に悲観に足を取られそうになるこの場所で、誰もが何かに抗って立っている、そんな気がした。
(これが、意地……)
ユフィの言葉を思い出しながら、シェルクは街の飾りをひとつひとつよく眺めてみる。
赤と緑のリボン、金色のベル。ヒイラギのオーナメント。曲がった杖を模したキャンディを、何を思ったかさらに模して作られたプラスチックのおもちゃ。
この寂しい季節の暗い街を華やかに飾り立てるのは、やはり形骸化した記号たちだ。
それでも彼らはまだ伝えるべき何かを伝えようとしているのだろうか。
誰もがその意味を忘れてしまったのだとしても、この寒空の下で人々が少しでも穏やかな気持ちで過ごす助けになっているのだとしたら、そう悪いものではないのかもしれない。
(楽しく過ごしたいという気持ちと、それを壊されたら、怒ってなんとか取り戻そうとする気持ちは、確かに同じなのかもしれません)
そして、ヴィンセントが口にした『願い』というやつの正体について少し考えた。
彼が諳んじていた……歌詞ではなくて、何だったか。それを思い出す。
(『汝らの尊き平穏を奪うこと勿れ』、でしたっけ)
祈りのようなフレーズがちくりと胸を刺す。自分はかつてそれを奪ってしまった。
(でも、それなら、確かにもう怖くはないのかもしれません。今の私は、ただそうあってほしいと願っていて、そうできなかったことを悔やんでいるだけなのですから)
必死に隠して抑え込んできたはずの黒い衝動は、いつのまにかその凶暴性を失って、自然とそこにあるものに変わっていた。
終着点に到達したバスを降りて、来たときと同じ道を逆方向に歩いて行く。
夕暮れ時の通りは家路に就く人々で賑わっていて、色々な食べ物の匂いがしてくる。
私もお腹が空いたな、と唇の隙間から吐息を漏らすと、それはたちまち真っ白になって宙を泳いだ。
ひどく冷える日なのに、どうしてこんなに暖かい感じがするのだろう。
やはり12月とは奇妙な季節なのだ。
「矛盾していますよ、本当に」
そう小さく文句を口にしてから、人混みに紛れて街を歩く。
楽しく笑ったり、理不尽に怒ったり、罪悪感とも向き合って、すべてをまたここから始めてみようと思った。
歩を進めながら、そのための目下の課題を整理してみる。
まずは、クリスマスマーケットに遊びに行く計画を立てなければいけない。
ライトアップを見るためには、夕方まで滞在する必要があるから、泊まりがけになるのだろうか。
ふたりの予定を尋ねて、それに合わせてバイトのシフトを空けないといけない。
仕事で一緒に遊びに行けないことを詫びていたリーブには、マーケットでプレゼントを買ったほうが良いだろうか。それだけ世話にもなっている。
しかしあまり高価な物を渡しても変な感じになってしまうだろうから、気軽な物がいい。
そもそもクリスマスマーケットというのは、何を売っているのだろう。
どれぐらいお金が必要になるのだろうか。
しかしあまり事前に調べてしまっても、実際に訪れてみたときの楽しみが損なわれてしまうような気もする。
クリスマスが終わって年末になったら、セブンスヘブンの大掃除の手伝いを頼まれている。
年が明けたら、マリンとデンゼルにお年玉を渡さないといけないだろうか。
福袋というやつにもちょっとだけ興味がある。
とりとめもなく色々なことを想像してみて、あることに気づく。
『普通に暮らす』というやつは、ひょっとするとすごくお金を必要とするのではないか。
年末年始は出費が多いとティファがぼやいていたとおりだ。
ダイナーの給仕バイトのシフトを少し増やしたいと相談してみようか。
本当に、なんてつまらない悩みがたくさんあるのだろう。
茜色の空に高く浮かんだ雲を眺めながら、そんな素晴らしい日々がいつまでも続くことを願った。