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    shokavita

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    shokavita

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    虚ろなる決闘 象牙色の巨大な柱がいくつも倒れた開けた遺跡に、一人の魔女が立っている。腰に差したレイピアの鞘に左手を掛け、レースのリボンが掛けられた帽子の大きなつばの下から挑むように蒼穹を睨み上げて。
     未だ誰にも踏み荒らされぬ雪のような白い布と潔癖な銀の金具で構成された衣装が、駿馬のように鍛え上げられた彼女の体を包んでいる。伸縮性のある生地で作られたジャケットとパンツは持ち主の体にぴったりと沿い、左肩に掛けられたマントは貴族家の旗のように誇らしげに靡いている。騎士然とした立ち姿は遠目に見ても圧倒的な存在感を放っていた。
    「やあ。君があの手紙を寄越したソレイユ卿かい」
     ふと背後から声をかけられ、彼女は振り返る。そこに立っていたのは、すらりと背の高い細身の男性だった。決して堅くはないが清潔感のある服装をしていて、人好きのする柔和な笑みを浮かべている。大魔法使いフィガロ。人畜無害そうなその容姿は、伝え聞く数多の非道な噂話とはおよそ結びつかない。
     彼女は拍子抜けしたように唇を噛んだが、すぐに胸と声を張り名乗りを上げる。
    「いかにも。我こそは騎士にして中央の魔女、ソレイユ・ゴーヴァンである」
     そして、白い手袋をはめた手を胸の下に当て、恭しくお辞儀をした。
    「フィガロ殿、此度は突然の呼び出しに応じていただき感謝する」
    「君みたいな美女の誘いなら大歓迎だよ。もうちょっとフレンドリーに接してくれると嬉しいんだけど……」
     彼女は姿勢を正し、鋭い琥珀色の瞳でまっすぐフィガロを見つめ返した。
    「失礼ながら、それはいたしかねる。私は主君と家名の誇りを守るべく誓いを立てた一人の騎士としてここに立っている故」
    「それは残念」
     フィガロは肩をすくめ、一歩後退った。
    「ゴーヴァンって名前、覚えがある。百年くらい前に醜聞がきっかけで没落した下級貴族の家柄だったね」
    「ご存知のようで何より。では、その醜聞の原因となったローリエ・ゴーヴァンの名に覚えは?」
    「うーん……」
     困ったように視線を泳がせる彼を見て、ソレイユは短い溜息をついた。
    「ローリエ・ゴーヴァンは我が妹。武芸を好まぬ深窓の姫君だった。ちょうど百年ほど前、成人したばかりの彼女は主家の遠縁にあたる貴公子に見初められ、無事縁談がまとまっていた」
     彼女は一歩フィガロに近づいた。
    「しかし──結婚式のほんの数日前のことだ。大して会ったこともない相手との結婚が不安だったのだろう。あの子はたった一人で歩き慣れぬ町へと繰り出し、立ち寄った酒場である男に誘惑され、愚かにも首を縦に振ってしまった。無論、これは不貞だ。結婚は破談。遠縁とはいえ主家を裏切った我が家はもはや騎士としての信頼を失い、爵位を失って離散してしまった」
     砂混じりの風に白いマントが翻る。揃えられた踵がコツンと音を立てる。
    「あれからローリエを尋問し、彼女を誘惑した相手を探した。もはや言わずともわかるだろう。あなただ、フィガロ殿。百年前の一夜の遊びで我が一族は最悪の形で落ちぶれた」
    「……婚約中だとは知らなかったんだけどなぁ」
    「気の毒なことだ。しかし、事情はどうあれ犯した罪の責任は取っていただく」
     ソレイユは手袋を引き抜くと、フィガロの前に放った。
    「フィガロ殿。ゴーヴァン家最後の騎士として、あなたに決闘を申し込む」

     遺跡の床に刻まれた原始的な太陽の意匠と、その上に落ちた純白の手袋を砂混じりの風が撫でていく。二人の間に流れはじめた剣呑な空気に呼応するように頭上には灰色の雲が渦を巻いて集まりはじめ、辺りはにわかに薄暗くなりはじめた。ソレイユの顔には帽子のつばの影が落ち、いかにも中央の魔女らしい凛とした表情が微かに曇って見えた。
     対するフィガロは癖のある青灰色の髪を大胆に掻き上げ、唇に宥めるような甘美な微笑みを湛えてみせた。
    「決闘って、本気かい? 君はなかなかに強力な魔女だとお見受けするけど、実力があるからこそ勝ち目がどれほどのものかよく理解しているはずだ」
    「無論」
     ソレイユは頷き、剥き出しになった指先で帽子の端に触れた。
    「没落から百年、絶えず剣術と魔法の稽古を積んできた。しかし、大魔法使いの呼び声高いあなたを凌ぐほどの力を得ることは叶わなかった」
    「理解した上で手袋を投げたの」
     ふっ、とソレイユは囁くような笑い声を漏らした。
    「愚かだとお思いだろう」
     フィガロは何も答えないまま腰に手を当ててじっとソレイユを見つめた。いつの間にか軽薄そうに泳いでいた視線が彼女の額にぴったりと定まり、佇まいは地面に深く根を張った大樹のようにどっしりとしたものになっていた。彼女はわずかに気圧され、たじろいだ。千年を超える魔法使いの気迫はまともに相対しただけで脚が震えそうになるほどのものなのだと、その時初めて知った。
     彼女は咳払いをして片脚を下げ、半身の姿勢を取る。
    「愚かだろうが構わない。私は主君とゴーヴァンの家名に全てを捧げると誓った騎士。誇りを捨ててまで生きてはいられない」
     レイピアの柄に手が掛かる。
    「さあ」
     強い語調で促され、フィガロはやれやれと瞑目して溜息をついた。
    「……仕方ない。これほど熱烈に乞われたら応えてあげたくなっちゃうな。ほら、俺って良い人だからさ」
     紳士が貴婦人に愛を誓うように跪き、艶やかなシルクの手袋を拾い上げた。その瞬間、ソレイユは待ちかねたように剣を抜き放った。魔力の籠った華やかな金属音がシャンと響き渡る。
     風が凪ぐ。遥か上空で雲が流れゆく音さえも聞こえそうなほど神経が研ぎ澄まされる。剣を中段に構えると同時に、視界の中心でフィガロがオーブを構える。水を湛えた星のように神秘的な輝きを放つ球が薄緑の魔力の層を纏いはじめるのが恐ろしくクリアに見えた。
    「いくぞ」
    「ああ。おいで」
     フィガロの声を合図にソレイユは爪先で地面を蹴った。魔力で強化された脚は急降下する隼もかくやといった速度で彼女の体を前方に飛ばす。太陽光そのもののような虹色の光を纏った刃が心臓目掛けて五度突き込まれたが、オーブの周囲に集められた分厚い魔力の層が盾となり、フィガロの体は欠片も毀れない。
     篠突く雨のような攻撃が小休止を迎えると、フィガロは余裕の微笑みを崩さぬままに軽やかなステップで後方に逃れ、頭上にオーブを放り投げた。
    「《ポッシデオ》!」
     ソレイユは思わずオーブに視線を向ける。剣の柄を固く握って身構えたが、その警戒とは裏腹に神秘的な魔道具はふわふわとクラゲのように空中を漂っているばかりで何の異変も見られない。
    「なんてね」
     茶目っ気のある声が耳に届くのとほぼ同時に、無防備になっていた胴体をフィガロの脚が強かに打ち据えた。彼女は咄嗟に踏ん張りを解いて地面を転がり、少し距離を取ってから斬り返してくる。彼は体軸を軽くずらして反撃をやり過ごすと、彼女の手ごとレイピアの柄を掴んで押さえつける。
    「あんな分かりやすいフェイントに易々と引っ掛かるなんて、ひょっとして実戦経験はそんなになかったりして」
     ソレイユは気分を害したように下瞼を引きつらせた。
    「何を」
    「《ポッシデオ》」
     彼女はハッとして力ずくで相手の手を振り払い、突き飛ばす勢いを利用して後方に飛ぶ。直後、今まで二人が立っていた辺りの地面が風の刃で大きく抉られた。遺跡を構築していた石材が無数の欠片となって舞い上がり、パラパラと地面に降り注いだ。一仕事終えた魔道具は元通りフィガロの掌に収まる。
    「今度はきちんと見切ったね」
    「まるで教師のような物言いをなさる」
     フィガロはクスクスと笑った。
    「君みたいに若くて痛いほど真っ直ぐな魔法使いには、先達として色々と教えてあげたくなっちゃうんだよ」
    「ふざけたことを。あなたは仇。師匠のような顔をするのはやめていただこうか」
     ソレイユは剣を構え直し、フィガロに突進する。刀身が魔力の渦を纏い、いよいよ眩しく輝きだす。
    「はぁっ……!」
     気合いの声を上げながら、彼女は真っ直ぐ相手の胸郭めがけて剣先を突き込む。フィガロはやれやれと呆れたような顔をして目の前に魔力の盾を作りだす。
    「同じ正面攻撃が二度も通用すると思うのかい」
     巨大な針のような剣の先端が今にも魔力の盾に触れようとしたその時、ソレイユは冷静に、しかし不敵に口角を持ち上げた。
    「いいや、思っていないとも」
     フィガロは怪訝そうな顔をした。その瞬間、彼女は真上に向かって地面を蹴り、彼の頭上に躍り出た。そのまま空中でレイピアの刀身を握り直し、槍投げの要領で投げつける。油断していた大魔法使いが瞠目し、微かに口を開く様子がスローモーションのように見えた。

     ぽた、ぽた、ぽた……。
     血が落ちる。刀身に触れたソレイユの掌から。そして、フィガロの胸郭を貫通したレイピアの先端から。強風に盛りの薔薇を散らされた庭園の小路のように、遺跡の地面に鮮やかな紅の斑が描かれる。
    「うっ……そ……」
     フィガロは心底驚いたように自らの負傷箇所を見つめた。
    「嘘ではないさ」
     ソレイユは興奮に目を血走らせ、ぱちんと指を鳴らした。
     ザクッと厭な音がした。剣が纏っていた光が幾本もの水晶の針に変じ、彼の体を内側からズタズタに切り裂いたのだ。口から勢いよく噴き出した血が強い風に流され、地面同様ソレイユの顔にも妖しい斑模様を描く。はあ、はあ、と息を荒らげながら彼女は仇に歩み寄り、力ずくで剣を引き抜いた。
    「うっ……」
     呻き声を上げてフィガロは倒れ込む。血液は止めどなく流れだし、あっという間に小池のようになった。
    「勝負あったな」
     壊れた鈴が鳴るような音を立て、倒れた体は末端から少しずつ石に変わっていく。指や踝がぽろぽろ崩れて砂にまみれていった。
     ソレイユは剣を納めて跪く。
    「騎士道に則り、敬意を払ってあなたを送り出そう。……百年の怨はこれで晴らされた」
    「ああ、そう? それはよかったね」
     突然放たれた元気な声に、彼女は驚いて目を見開いた。不思議なことにフィガロの石化はいつの間にか止まっており、その顔からは苦痛の色すらもなくなっている。
    「……なにが」
     起こったのか。そう訊ねようとして声の代わりに血を吐いた。視界がぐにゃりと赤く歪む。全身を襲う痛みと倦怠感の中、嫌味なほどに整ったフィガロの笑顔だけが熟れた果実のように甘く瞼の裏に焼きついていた。
     気がつくと、ソレイユはぐったりと地面に倒れ込んでいた。首から下はズタズタに切り刻まれていてピクリとも動かず、反対にこちらを覗き込んでくるフィガロには傷ひとつなかった。
    「どう……して……」
    「実はこういう魔法が得意でね。いい夢は見られたかい」
     口元を濡らす血を温かな親指が拭い取る。ああ、あの誇らしい勝利。百年の怨恨も消え去るような瞬間は、この男が見せた夢だったのだ。それに気づいた瞬間、ソレイユは己が喉を引き裂かんばかりに絶叫する。しかし、声帯はほとんど役に立たず、弱々しく掠れた声がひゅるひゅると風に紛れて消えていった。
    「本当に惜しい。もっと違う出会い方をして、仇じゃなく弟子にでもなってくれていたら……。ともあれ、俺の勝ちだよ、ソレイユ卿。おやすみ」
     フィガロの人差し指がソレイユの額を軽く弾いた。軽やかな破裂音がして、石榴の実が裂けるように、あるいは大輪の牡丹の花が開くように彼女の頭が砕け散る。撒き散らされたマナ石は陽光を受けて血飛沫よりもなお鮮やかに煌めいている。
     誇り高い騎士を惜しむように、彼はその欠片のひとつを拾い上げる。そして、返り血ひとつ浴びていない綺麗な口に放り込んだ。
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