幽天「……ん。あれ、りゅ、うじくん?」
今日は冷えるからだろうか。目が覚めてしまった。窓の外はまだ暗い。スマホを見るとまだ3時だ。しかし、そんなことはどうでもいい。
腕の中にいたはずの流司くんが見当たらない。
水でも飲みに行ったのだろうか、と思ったがそれにしては布団に温もりがない。
「流司くん、どこですか。」
毛布を引き摺ったまま、部屋を出る。暖房を消していたため、部屋の中は冷えきっていた。
大丈夫。きっと、どこかにいる。
そう言い聞かせているのに不安感ばかりが増していく。
トイレを見ても、キッチンを見ても、流司くんの姿が見当たらない。
どうして。どうして。こんな時間にどこに行ったんだ。
呼吸が浅くなり、息苦しくなってきた。自分で分かるほど脈拍が早くなっている。落ち着こうとすればするほど上手く酸素を取り込めなくなった。
「りゅ、うじくん、どこ、ですか……?はぁ、ひゅ、っ……。」
喉の奥から空気が抜けたような良くない呼吸音が発せられるのが分かった。このままでは過呼吸になる。そう分かっているのに、呼吸の整え方が分からない。
「けほっ、はっ、ひゅは……っ、」
柱に捕まり、なんとか立っていたものの、手に力が入らず、そのまま崩れ落ちた。蹲ったまま、なんとか正常な呼吸に戻そうとする。
芝居の最中に過呼吸になったことはあれど、私生活でこんなことになったのは初めてだった。稽古中や公演中ならば対処してくれるスタッフや仲間がいる。しかし今は自宅で独りだ。自らがどうにかするしかない。
「りゅ、うじくん。もう、1人にしないって、言ったじゃ、ないですか……。」
溢れた涙が頬を伝って握ったままの毛布を濡らす。
もう居なくならない、そう約束したじゃないか。
もう一度彼を失うなんて俺には耐えられない。
蹲る姿勢すら上手く保てなくなり、地面に倒れ込んだ。うまく受け身をとれなかったせいで体が痛い。
「りゅう、じくん、やだ……やだ……。」
迷子の子供のように泣くことしか出来ず、ひたすらに頬を涙が伝う。
その時、玄関の鍵が開く音が聞こえ、真っ暗だった部屋の中に光が差し込んだ。
「……大悟」
ドアの先にいたのは流司くんだった。
「りゅ、うじくん……!ひゅ、は、っぁ」
名前を呼ぶのが精一杯で上手く言葉を並べることすら出来ない。駆け寄ってきた流司くんは動揺しながらも溢れ続ける涙を拭ってくれた。
背中を支えられ、体を起こしてもらう。「ゆっくりでいいから、落ち着け。大丈夫。」と背中を摩られると徐々に呼吸が落ち着いてきた。
ちゃんと、存在している。ここに、流司くんはいる。
数分経ってようやく酸素が正常に肺に流れ込んできた。
「流司くん、どこ、行ってたんですか……?」
まともな呼吸ができるようになって一番最初に発した言葉はそれだった。
「眠れなくなったからコンビニ行ってたんだよ。どうした?寝てる間に外出してることなんて今までもよくあっただろ。」
「あ……。」
言われてみればそうだ。眠りが浅い流司くんがいつの間にか居ないことなど6年前はよくあった。特段パニックになるような事でもなかったはずなのに、何故か不安感でいっぱいになってしまった。
「すみませ、なんか、また、流司くんがいなくなったのかもしれない、って思っちゃって。」
途切れ途切れになりながらも言葉を並べる。
我に返ると何故こんなに混乱したのか分からない。
もう一度流司くんを失うことは自分にとって、想像していた以上の恐怖だったのかもしれない。
「ごめん。連絡入れときゃよかった。嫌な思いさせたよな。とりあえず、寝室戻れるか。」
「は、はい!俺が勝手にパニックになっただけなので気にしないでください。」
流司くんは心配そうにこちらを覗き込んでくる。彼の手に捕まり、立ち上がって寝室へ向かう。
「もう、いなくなったりしねぇよ。これだけは絶対だ。」
「……はい。」
彼の言葉に嘘は無い。それは俺が一番理解している。
この温もりが消える日はもう来ない。それはきっといつまでも変わらないだろう。冷えきった部屋の中、まだ温もりの残った布団に2人で潜り込んだ。