闇夜のカフネ「あれ、流司くん食べないんですか。」
「あー……減量中だから。いいや。」
居酒屋にて「適当に注文しといて。」と言われ注文し、運ばれてきたつまみに流司くんは手を付けていなかった。お酒の量は相変らずだがほとんど飲み物しか摂取していない。
ビジュアル撮影の帰り、流司くんと終了時間が同じだった。最近はそれぞれ仕事が忙しくなかなか会えなかったこともあり、ご飯に誘ったのは自分だ。快くOKしてくれたが、減量中なら迷惑だっただろうか。
ジョッキに注がれたビールを飲む姿をついまじまじと見てしまう。「何?なんかついてる?」と聞かれ首を横に振った。
話題に困っているのを察したのか「明日は?仕事か?」と聞いてくれた。
「明日はオフですね。流司くんは稽古ですか?」
流司くんは主演舞台の稽古の真っ最中だ。あの明治座での初主演とあって、周囲の期待値も高いだろう。俺も楽しみにしている。
「いや、稽古休み。仕事もない。」
思わぬ言葉に「えっ!ほんとですか!」と歓喜の声を上げる。
「うち来るか?久々だろ。」
この数ヶ月なかなか休みが被らず会えても外で食事する程度しか出来なかった。久々に長く共に過ごすことが出来るかもしれない。
「行きたいです。何ヶ月ぶりですかね、流司くんのおうち!」
流司くんは「オレらのスケジュール合わねぇもんな。」と笑うが、その笑顔にあまり元気がないように見える。俺が分かるほど疲労の色が見える流司くんは初めて見た。
今日は早めに寝よう。一緒にいられるだけで十分だ。
「流司くん、上がりましたー。」
髪をタオルで拭きながら、リビングに向かって声をかける。先に流司くんに入って欲しかったものの、「ちょっとやんなきゃなんねぇ仕事あるから。」と押し切られてしまった。彼の家に置きっぱなしにさせてもらっていたスウェットに着替え、リビングへと戻る。先程から姿が見えないがどこに行ったのだろう。足元には彼の愛猫であるみるたがまとわりついてきた。
「みるたー。流司くんどこに行ったか知らないか?」と尋ねてみるものの、撫でろと言わんばかりに頭を押し付けてくるだけで答えてくれない。みるく色の毛並みを撫でてやると「にゃあん。」と満足そうに鳴き、どこかへ行ってしまう。
教えてくれる訳はない、と思いつつもその後をついていってみた。
みるたが歩いていった先はトイレだった。電気が付いているものの、ドアが少し開いている。
「流司くん、いますか?」
一応、声をかけてみる。余計なお世話かもしれないが、先程の様子を見てしまった分、少し心配なのだ。
返事は無い。ドアを三回ノックしてみるものの、それでも返事が返ってくることはなかった。「すみません、開けますね。」と声をかけ、トイレのドアを開ける。
すると、床に流司くんが倒れていた。
「流司くん」
慌てて近づくと、意識が朦朧としている上、俺の存在に気がついていないようだった。浅い呼吸を繰り返し、意識を保つので精一杯に見える。便器には吐いた跡があった。
背中から腕を回し、起き上がらせる。
「だい、ご……?」
流司くんは僅かに目を開け、こちらを見る。「大丈夫ですか。まだ吐きそうですか。」と尋ねると「ごめん、まだ、吐きそ……。」と返ってきた。流司くんの飲んでいた量からして飲酒が原因の嘔吐では無いだろう。
流司くんは吐こうと自ら喉に指を突っ込んでいるが胃の中のものを全て吐いてしまったのか嘔吐くばかりで全く吐けていない。
「ゔ、ぁ、……っぐ……お"ぇ……っ……!」
ボロボロと涙を流しながら苦しむ姿が見るに堪えず、「口に指入れていいですか。」と尋ねる。彼は頷き、早くどうにかしてくれと言わんばかりに口を開けた。
「ちょっと苦しいけど楽になるはずなんで。」
流司くんの口に手をいれ、喉の奥を指で押してやる。自分で吐こうとするのと他人に吐かされるのでは勝手が全く違う。誰かにやってもらった方が楽な場合もある。
案の定、更なる吐き気が襲ってきたようで吐瀉物を便器にぶちまける。吐き続けている彼の背中を擦ると心做しか前より骨を感じるような気がした。
吐き終わると体力をかなり消耗したようで俺の方にもたれかかってきた。慌てて支え、「まだ吐き気しますか?」と聞くと「一旦、平気……助かった……。」と返ってきた。どうやら少し落ち着いたらしい。
「ここ寒いでしょうし、リビング連れていきますね。」
と声をかけ、抱き上げる。抵抗はされずに済んだが、同時に驚いた。明らかに軽い。軽すぎる。いくら減量中とはいえ、成人した男性の重みではなかった。
リビングのソファに横向きに寝かせ、水と洗面器を取りに行く。流司くんの元に戻ると、彼は目を開けぼんやりと虚空を見つめていた。
「流司くん、水持ってきたんで口濯げますか?吐いたあと気持ち悪いでしょうし。」
頷いた流司くんの背中を支え、起き上がらせる。
ペットボトルの蓋を開け、手渡すと受け取ってくれた。口をゆすいだのを確認し、「洗面器片付けてきちゃいますね。」とゴミ箱のあるキッチンへ持っていく。処理を終え、流司くんの元へ戻ると眠ってしまっていた。
気持ちよさそうな寝息を立て眠っている。色々と聞きたいことはあったが、今は流司くんの体力の回復が最優先だ。聞くのはその後でいい。
「っん……。」
眠っている流司くんの隣で次の作品の台本を確認していると、流司くんが目を覚ました。朝まで眠ってくれるかと思ったが、起きてしまったらしい。まだ2時間ほどしか経っていない。
「流司くん、気分どうですか。」
「大丈夫……落ち着いた。」
流司くんは体を起こし、横に置いていた水を飲む。まだぼんやりとしているが、先程よりは良くなったようだった。
「体調悪かったんですか?」
居酒屋にいた時は照明のせいもあって気が付かなかったがあまり顔色が良くないように見える。体調を崩していたのなら早く休みたかっただろう。悪いことをしてしまった。
「体調不良って訳じゃねぇんだけど……最近、多いんだよ。こういうの。」
流司くんはもごもごと言いづらそうに話す。
「よく吐いてるってことですか。」
「まぁ……そうなる。ちゃんと栄養取ってるし、心配されるほどじゃねぇよ。」
流司くんはこのことを隠したかったのだろう。居酒屋で飲み物しか飲んでいなかったも合点が行く。
「固形物食べると吐きそうになるって感じですか。」
「基本はそうだな。液体だけだとまともに栄養とれねぇから最近はサプリ多くしてる。」
サプリで栄養を取ってると言っても限界があるだろう。異様に軽くなった体にも納得した。
「……多分、今の作品が原因。」
流司くんの背負っているものは俺が予想することの出来るような重さではないのだろう。それでも、沢山助けてくれた流司くんをこの人の後輩で、恋人である俺が、もしも何かできるのなら。手を借したくなってしまう。
「何か、俺に出来ることありますか。俺に出来ることならなんでも。」
流司くんは驚いたようで目を見開く。その大きな瞳がこぼれ落ちてしまいそうだった。
長い沈黙のあと、ようやく彼は口を開いた。
「隣に、いてくれ。大悟の隣が1番落ち着く。」
その答えに少し驚きながらも「はい、いくらでも隣にいますよ。」と応えた。
流司くんは俺に寄りかかり、体重を預けてくる。数分後寝息が聞こえてきた。吐いたことでかなり体力を消耗していたらしい。再び眠ってしまった。
背中に手を回し、ベッドへと運ぶ。今度こそ朝まで眠ってくれるだろうか。
ベッドに彼を寝かせ、指通りのいい茶髪を撫でる。眠っている流司くんは普段より更に幼く見える。
沢山の作品で主演をつとめ、座長をしている彼にとっても明治座初主演兼座長という立場の重みは押しつぶされかねないものなのだろう。この小さな背中に背負っているものは計り知れない。
電気を消し、ベッドへ自らも潜り込む。彼を抱きしめ、目をつぶった。
「おやすみなさい。いい夢を。」